24年10月28日

つまり、こういうことだと思う。

昔、祝融という王がいました。姉の名前も祝融姫と言いました。二人とも火を祀る一族の王族だったからです。でも、祝融は悪い王だったので、姉を閉じ込めて人々を生け贄にしては苦しめました。共工と言う若者が、祝融を倒し、祝融姫を助け出して結婚し、新たな王になりました。

時が流れて、祝融姫と共工との間には、饕餮という息子が生まれました。怠け者で悪知恵だけが優れた息子です。彼は両親と仲が悪かったので、父親を殺し、母親を焼き殺しました。そして、特に姉妹達が自分と権力を争うことを恐れたので、親に殉死させてしまいました。生き残った者も厳しく監視したのです。

子孫達は強殺された共工は偉大な父であったけれども、強殺されたから祟り神の雷神になった、と信じました。日本の管公と同じことです。でも、その上にも同じく祟り神になった祝融王がいます。祝融王の一族もまた偉大な一族でした。だから、子孫達は祝融王と共工王を二段に重ねた紋を「自分たちの紋」とすることにしました。偉大な二人の王の子孫であることを誇るためです。

でも、共工王が祝融王を倒して王権を奪った。となるとそれはそれで体裁が悪い話です。父親を殺した饕餮王も体裁が悪い存在です。だから、子孫達は、「火の一族」ではない婿の共工王を悪者にすることにして、

饕餮王が共工という怪物を倒した。そして怪物を倒した饕餮王は、「火の一族の王」を意味する祝融に改名しました。そして、殺されてしまった祝融王を炎帝と呼ぶことにしました。

一方、祝融姫はつまんない男を婿にして、一族に迷惑をかけた姫、ということになって、一族は女性というものを忌み嫌うようになりました。だから、女は年取って寡婦になったら焼き殺して夫に殉死させてしまえ、ということになりました。若い娘達も邪魔なのがいたら、河に流したり、土に埋めて殺してしまえ、となりました。でも、母親を焼き殺すのはあんまりだ、ということになったので、年取った女は「女性達を厳しく監督させる」ことにして生かしておくことにしました。だから、中国では姑は若い嫁を厳しく監督して虐めるようになりました。ちょっとでも邪魔になるような嫁だったら殺さねばならないし。

だから、子孫達は、「炎帝と共工を重ねた祟り神紋」のことは、共工王にちなんで、「共工紋」と言っていました。でも、共工を「悪い水神」として悪者にしてからは、「共工紋」とは呼べないので、共工を殺した息子の饕餮王にちなんで、「饕餮紋」と呼ぶようにしました。だから、良渚の「獣面紋」は「共工紋」あるいは「黄帝紋」と呼ぶべきだけれども、龍山あたりではもう「饕餮文」になってたんだと思います。

そして、子孫達は偉大な饕餮王の子孫であることを忘れないために、祝融姫と共工王をかたどった人形を作って、毎年焼く、という祭祀を行うようになりました。子孫ではない人達には、王達の政治として、「役に立たなくなった母親を焼き殺せ」とか、「余計な娘を川の神(祟り神)に捧げろ」と言ってどんどん殺させました。だって、そうしたら戦争を起こさなくても敵を弱体化させられるから。

「親を焼き殺した記念の祭」って今でもやってるのかな? と思います。きっと、饕餮王にちなんで「どんど焼き」って言ってるのではと思います。

・・・なんで、こう思うんだろうって? イランの共工であるザッハークを倒したフェリドゥーンは、アヴェスターでは「スラエータオナ (Thraetaona / Θraētaona) 」と呼ばれている。それはT音が二つ重なる「饕餮」の名である。饕餮って、「親を焼き殺した」と評判の祝融のことなんじゃないでしょうか、と思うようになるわけです。「どんど焼き」って、「饕餮祝融」って言ってるも同然の言葉です。

そして、そうなれば話は早いわけですが、デーヴァと対立したアスラとは、アグニ(アガメムノーン)と対立したアキレウスのこと、と言うしかないわけで。それが、黄帝の「名前」です。そーゆー名前だったんだ、と思った(たぶん)子孫のあたくしです-;。「火」っていったら、炎帝のことを指そうが、祝融のことを指そうが、意味することは「アグニ」しかないのです。

ちなみに、「アスラ」というのは「蛙トーテム」のことだと思います。だから、黄帝信仰の強かった仰韶の蛙饕餮とか、朝鮮の金蛙王の中にその姿が残ってるのだと思います。でも、日本の縄文八ヶ岳の蛙饕餮は、「饕餮」と呼ばれていたと思います。一番古い文献では、ダイダラボッチと思われるものを「タフト坊」と呼んでいます。でも、日本語というのは「gh」とか「v」で表される、はっきりと発音しない「フ」とか「ブ(ヴ)」」の音はほぼ使わないので。「タフト」という言葉は「ダイダラ」という言葉よりは「タオティー」という中国語読みに近い言葉だと思うのです。だから、「タフト坊」と書いた人は、漢字を書ける教養のある人で、「饕餮」のことを知っていたから、そのつもりで「タフト坊」と書いているのだと思うわけ。でも一般的な日本の庶民は漢字も書けなかったろうし、饕餮のことは知らない人がほとんどだったと思うので、先祖から呼んでいたように、巨人のことをただ「ダイダラボッチ」と呼んでいたのだと思うのです。「ボッチ(坊)」という言葉も縄文時代からある古い言葉なのではないでしょうか。

それから、アムリタ(不老不死の薬)の化身である牛女神のカーマデーヌは、「不老不死の薬」の女神であれば、どう見ても西王母なので。炎帝が牛魔王であれば、その一族の姫は「牛姫」に決まっているわけです。だから、西王母は少なくとも虎と牛のトーテムを持っていたはずなのに、虎は残っているけれども、牛が削除されて「炎帝の一族の女神」だったことも消されているわけです。だから炎黄神話には、「牛西王母」が元は重要な役割で存在していたはずなのに消されてしまっているのです。で、カーマデーヌが子音からみて、クリームヒルトと同じだとすると、彼女は

「不老不死の薬」を持っていたのに死んでしまう女神

ということになります。中国では、そういった女神は嫦娥しかいません。「不老不死で権威ある大女神」と「死んでしまう女神」が一つの存在として共存可能なのか? というと、無理矢理頑張って作った神話が

「イナンナの冥界下り」

であって、イナンナは不死の女神のはずなのに、何故か自分から冥界に行く、と変えられてしまいます。でも、夫であるドゥムジを身代わりにして冥界から抜け出すことにして、神話上では無理矢理やりくりして、「不老不死で権威ある大女神」と「死んでしまう女神」を表現しています。

だから、嫦娥は「消されてしまった牛西王母」から枝分かれした「死んでしまう女神」なのです。夫の羿は天狗も同然の「太陽烏」を退治したわけだから、彼が火の牛魔王を退治した黄帝なのです。

24年10月25日

 サートゥルヌスはスーリヤのことと書きましたが、西欧には「悪知恵の神」が他にも大勢います。(ちなみにイランではスラエータオナとなって、アジ・ダハーカという悪蛇を退治します。アジ・ダハーカはさしずめ中国の共工というところ。)その代表格がヘルメースであり、オーディンなわけですが、じゃあ彼らは何者? となる。

 ヘルメースそのものは、ギリシャ先住民の神のようですが、「H+M」からなるその子音は「K+M」と交通性があると思われ、ヘルメース、クロノス、クマルビ、クヌム、エンキ、クンバン、ハヌマーンとインドまでたどれるように思います。元は悪知恵の働くお猿さんだったかと・・・、孫悟空・・・???


 オーディンはローマのヴェルトゥムヌス、エトルリアのヴォルトゥムナ、スラヴのヴォーロスとヴェーレス、イランのウルスラグナ、アルメニアのヴァハグン(Vahagn)、インドのヴァーユ、イランのヴァーユ・ヴァータ(Vayu-Vata)、インドのヴリトラあたりでしょうか。インドではヴァーユは北西を担当する神でしたが、エトルリアのヴォルトゥムナも「北西」の雷のことを指します。

 ちなみに、アジ・ダハーカはエジプトのアペプに相当する、と思われます。タクシャカのことでは

24年10月25日

 本日は外作業のみ。私は土の清掃り、姉は土の清掃、石片付けでした。

 というわけで、いきがかり上、サートゥルヌスを調べる。ギリシャのクロノスと「同じ神」と言われても、名前が全然違うし、クロノスとその前身のクマルビは倒されてしまうけれども、サートゥルヌスは負けても死なずローマにやってくる。だから、クロノスとは、近い起源で違う神のはずだと思うけれども、どんな神なのかがはっきりしない。エジプトのセトと関連してると思うけれども、表向きの性質が違いすぎる。

 で、元はエトルリアの神ということで調べてみる。エトルリアの神話によると、世界はいくつかの区域に分かれているのだそうだ。で、主神扱いの神が2ついる。一つはティンといって、ゼウスとかユーピテルと同系統の雷神である。エトルリアには雷神が9柱もいて、それぞれに善神から悪神まで役割があるらしい。で、サートゥルヌスに相当する神はサトレ(Satre (Etruscan god)、Liver of Piacenza)という、そして性質が似通っている神にヴォルトゥムナ(Voltumna)という神がいる。こちらもローマ神話に取り入れられてヴェルトゥムヌス(Vertumnus)というのがいるのだけれども、これも果樹の神であり、植物の神であり、悪知恵で人を騙す神である。エトルリアでは「悪意のある怪物、性別不明の冥界の植物神、強力な戦争の神」とされた。またサトレは雷神の一種で「暗く陰気な北西の地域に住み、「地中深くの住処から稲妻を放つ恐ろしく危険な神」である」と思われていたとのこと。で「予言者は雷が見られた方向から結論を導きました。東の雷は縁起が良く、西の雷は縁起が悪い (プリニウス 2.143f.)。スティーブンス(2009)は、雷の主神であるティンは真北に住んでいたと推測しています。北東の雷は最も幸運で、北西の雷は最も不運であり、一方、方位の南半分の雷はそれほど強い前兆ではないからです(セルウィウス・アド・アエン2.693)。(Liver of Piacenza)」とのことなので、サトレというのは冥界に住む不吉な雷神で、ヴェルトゥムヌス(Vertumnus)とかなり近い性質の神であったと思われる。

 というか、ヴェルトゥムヌス(Vertumnus)といったら「V+T+M」の子音だし、それは北欧神話のオーディーンのことでは@@、と思う。北欧神話で「S+T」の神っていったら、火の巨人スルトになってしまわけで、これはこれで恐ろしい神だけれども、サートゥルヌスは一応人を助けてくれる神なので、エトルリアでは、不吉だけれども、ヴェルトゥムヌス(Vertumnus)に近い性質の神なのだと思う。で、エトルリアではティンとヴェルトゥムヌスが共に有力な神で、主神扱いとのことだけども、これも北欧神話でトールとオーディンが並び立つのと同じ構図である。ということは、ローマでは北欧式の「二主神制」が採用されており、それがユーピテル(天の雷)とサートゥルヌス(地の雷)なのだと思う。だから、サートゥルヌスはクマルビのように排除されず、ユーピテルと並び立っているんだな、と思う。

 で、語源的な起源をあれこれ考えた結果、ヴェルトゥムヌス(Vertumnus)という言葉はカフカスのワステュルジに通じるし、サンスクリット語のヴァジュラ(インドラの雷、金剛杵)ではないか、と思う。じゃあ、サートゥルヌスは? と思うけれども、こちらはカフカスのサタナとか、メソポタミアのスドゥとか、インドのシータとか、女性にも同じ名前が多い神であって。サンスクリット語でSutarna「善き太陽」というし(ミタンニ)、太陽神はスーリヤという。スーリヤは『アグニ(火の神)と同じ賛歌の中に登場します。スーリヤは昼間に崇拝され、アグニは夜間の役割のために崇拝されています。カピラ・ヴァツヤヤンによれば、この考えは進化し、スーリヤは宇宙の第一原理であり種子であるアグニであると述べられています。(スーリヤ)』とのことである。だから、サートゥルヌスの語源は、スーリヤと同じ語源で、かつ

『女神にも同じような名前がある神』

であると思う。とすると、それは祝融(Zhùróng)ではないかと思う。祝融は中国の火の神だけれども、天から火を降らせる神である。そして、水神である共工と戦う。デーヴァであるスーリヤは、アスラである水神のヴァルナと戦う。エジプト神話のセトは冥界の水神アペプと戦う。北欧神話のオーディンはヨルムンガンドと戦う。日本のサートゥルヌスこと、須佐之男は水神である八岐大蛇と戦う。

 ・・・・サートゥルヌスと祝融って須佐之男のことだったんだ?? と思う。では娘格とされる祝融夫人は? それはサタナであり、狭姫なんじゃん? と思う。サタナはカフカスの「叡智の女神」であり、エジプトには境界を守る軍神としてセシャト(あるいはソプデト)という女神がいる。で、中間地点のギリシャには軍神にして叡智の女神であるアテーナーがいる。アテーナーは同じ「叡智の女神」であるメーティスの娘とされ、メーティスの起源はヒッタイトの叡智の女神マリヤあるいはエジプトの叡智の女神マアトであると考える。だから、ローマのサートゥルヌスは、回り回ってギリシャのアテーナーと同起源の神と思われるわけですが、性質はかなり違った神になってしまっているわけです。でも印欧語族全体でいったら「太陽神、雷神、火神」のくくりに彼らは入るのです。(余談ですが、M系の女神の最大の元祖は女か娘娘だと思うわけですが。またエトルリアの祝融夫人はカタ(Catha (mythology))だと思う。

 というわけで、娘の「祝融夫人(サタナ)を食い物にし、妹を食い物にする祝融(サートゥルヌス)」とは誰のことなのか? と聞かれる気がするわけで。・・・誰がサタナだって?? というか、母親が生きていたら、何と言っただろうか、と思いました。

24年10月24日

 本日は外作業のみ。私は土の清掃り、姉は土の清掃、石片付けでした。

 テレビは、今日の昼は「アナザースカイ」の録画を見ました。

24年10月22日

 さて、「死んだ太陽乙女」であるハイヌウェレが、なんで「芋の母」になってしまったか、という話。ハイヌウェレは岩戸というか、穴の中に埋められました。そこは「冥界」です。冥界には、先に殺されたはずの雉雷神がいます。

 太陽乙女が鶏英雄に助け出されて、鶏英雄と結婚する場合には、それは明るいところの話、といえます。太陽が外に出てきたのだから昼間の話です。

 だけど、殺されてしまった月乙女達は、結婚しません。昼の世界では、です。死んじゃったから結婚できないし。だったら、鶏英雄の話とは逆に、冥界で殺された雉雷神と結婚させてしまえばいいじゃん、ということになります。これが大問題になります。だって、雉雷神は雨水の神様ですから、水神ということで河伯になって、毎年花嫁を求めるようになりました。だから、人々は毎年河伯に新しい太陽女神を嫁がせねばならなくなりました。要するに

「鶏英雄と太陽乙女の結婚」

を逆にひっくり返したら

「雉雷神と月乙女の冥界婚」

になってしまって、月乙女は雉雷神の繁栄のために毎年殺されることになったのです。要に、この「ひっくり返し神話」は人身御供を正当化するための神話なのです。でも、そのおかげでメソポタミアのスドゥはレイプ魔のエンリルに従って黄泉の国に行かなければならなかった。苗族式にいえば、

追い払われ殺された狼の妻として月乙女達は改めて殺される羽目になった

ということになります。ミーノータウロスは黄泉の迷宮の中で人身御供を待っていました。大渓文化の城頭山遺跡では、ウシの下顎骨が人骨と同時に埋葬されていました。頭だけの牛って中原では饕餮のことです。要は蚩尤のことでもある。蚩尤も牛ですし。牛の頭と人間を(女性であるか否かは分かりませんが)共に埋めて、彼らの結合から生まれる豊穣を求めたのです。大渓文化の時代には、もう雉雷神と月乙女は殺されてしまっていて、彼らの神話が、たぶん稲作の豊穣の祭祀に使われるようになってたのです。これがやがて沿岸部から太平洋に乗り出していった人達と共に各地に運ばれて、インドネシアでハイヌウェレに変化して、「米の母」ではなくて「芋の母」へと変化しました。ニューギニアのマヨ祭祀というお祭りでは、ココヤシに扮した男性達が若い娘を犯し殺して食べ、ココヤシの根元に埋めてしまう祭祀をしていたそうな。ココヤシとは、ニューギニアの「楓」であって、死んだ雉神が変化したものなのです。死んだ雉エンリル蚩尤は冥界で妻と結合し、これを食い殺して、新たなココヤシとして再生するわけです。若者達は先祖の「死んだ雉エンリル蚩尤」に扮装して、月乙女を食べてしまうのです。現代だって、子孫の若者が死んだ先祖に扮して「トリックオアトリート」ってやるじゃないですか。まんま同じことで、「幽霊に祟られるか、月乙女を差し出すか」って言ってるわけです。お菓子が月乙女あったら、それは芋のハイヌウェレよりも価値として高いの? それとも安いの? とあたくしは考えてしまいます。

 一方、「死んだ雉エンリル蚩尤」は鳥でもあるから、鳥にも餌をやらないといけません。鳥は芋虫を食べるよねえ? だから、芋虫に見立てて、月乙女を殺して死体を楓の木にかけることにしました。そうしたら月乙女は楓の木と一体化できるし、芋虫の子供は芋虫で、いつか蝶になるから、その子孫が人間の子供達、ということになります。そうして、乙女を殺して死体を楓の木にかけることで、人々の結婚の豊穣を願ったりしてませんでしょうか? これも一応冥界婚で結婚でしょう? となります。こういう考え方が中原では

乙女を殺して死体を桑の木にかける

という祭祀になって、絹で金儲けする豊穣を願うようになりました。この場合、乙女を食うのは牛ではなくて馬です。どっちだって思想としては同じです。ちなみに、飛鳥時代の日本ではタチバナやイヌザンショウにつくカイコに似た虫(アゲハチョウ、一説にはシンジュサンの幼虫)を「常世神である」と称し、「それを祀れば貧しい者は富み、老いた人は若返る」と吹聴して金儲けした人がいました。大生部多という人で、おそらく我が家の親戚筋と思われます。この芋虫信仰はこの後も続いて平安時代くらいまでやっていました。身分のヒエラルキーが厳しい我が家系で、誰かがこういうことを勝手にやっていたとは思われないので、まあまあ飛鳥時代くらいに生きてたあたくしの直系先祖がやらかしてくれたんだろうなあ、くらいに思います。お偉いさん、と思われるので。中原では「馬頭娘」っていったら、もう完全に金儲けのネタ化してるのでは? と思うわけですが、それと同時に

「金儲けも兼ねて若い娘の人身御供を正当化する」

という行為が強力に続けられていた、といえます。・・・だから、「馬を2頭に増やすんじゃねーよ!」とリベラリストなあたくしはそうなるわけです。

 だから、本当に真面目に、苗族の方々は蝶と楓の木の子孫ではなく、太陽女神と鶏英雄の子孫であることを誇り、祭祀を昼間にやられるべき、と思うのです。夜の闇の中で行う祭祀は悪魔の祭だからです。頭に飾るのはもちろん「雌鶏帽」なのです。虎の皮を被ったらドゥルガー女神みたいになってしまって怖すぎますからね-;。

マヨ祭儀についてはこちらを参考にさせていただきました。
与論島クオリア、ハイヌウェレ神話とマヨ祭儀