24年11月7日

 さて、執筆活動が忙しくて日記があまり書けません。あたくしちょっとだけ霊能力があって、幽霊もたぶん感じる・・・はず、と思うわけですが、ハロウィーンの日に先祖の王の幽霊を見まして(笑)。

「なんで?」

って思ったら

「父王の幽霊が求めるものは復讐でしょ。」

と言われました@@。おいおいおーい、というか、ついうっかりアキレウスのことをハムレットみたいって書いたら、あたくしにその役が回ってきたらしい-;。

「to be or not to be」

とかってくだくだ言うのは好きではないので、生きる方しか選びません。でもって、私刑は現代社会では違法だから~(笑)。ということで、せっせと執筆活動をしていました。

伏羲・女かについてあれこれ調べたり、考察していたりするのです。でもって袁珂大先生の本にはヤオ族の伝承が載っていて、これがミャオ族のものとは「全然違う」とあたくしには感じられるくらい違うわけ。しかもヤオ族の伝承の最後の方は、細切れの人肉が出てきたりして、どう見ても「原始的焼き畑農業の祭祀」みたいな感じで、あんまり水稲耕作文化の話らしく感じないわけで。なんで? と思う。水稲耕作だって人身御供は立てるけどもさあ??? という感じである。

でもって、チラチラとヤオ族について調べてみましたら、彼らは父系の人々で、焼き畑をやっていて、犬祖伝説を持っているそうで。槃瓠にちなんで盤姓の人が多いらしい。あー、早太郎の古里だー、やっぱり父系だーー、苗族が「母方の親戚」と呼ぶべきならば、瑶族は「父方の親戚」と呼ぶべき人達なんだーー、ということを悟る。伝承がいかにも「原始的焼き畑農業の祭祀」みたいなのは、ものすごく遠い先祖がそういう祭祀をやっていた時の名残なのだと思う。でも、槃瓠ちゃんは黄帝だから、炎黄の対立神話というのは、要は苗族と瑶族の対立神話だったんだけれども、彼らの子孫が中原に進出して夏を作ったから、中国全土の神話みたいに拡大しちゃったものなんだなーーー、と悟りました。

だから、瑶族の伝承では犬雷神は偉大で強権的な父親として描かれるし、苗族の伝承では雷神はちょっと悪者方向に変化する。瑶族は黄帝よりの伝承で、苗族が炎帝よりの伝承になるのは、それは出身母体の視点の違いから来るんだなあ、ということが分かったのでした。でも、日本の神話は全体的には苗族の方に似ている気がします。あちこちに石がばらまかれて人間になるところとか。そして苗族の「アペ父さん」には泣ける。袁珂大先生は、伏羲・女かの伝承を採るのに、ヤオ族ではなくミャオ族のバロンとダロンを採るべきだったのです。それは採集者のセンスの問題であると思うし、先祖の王の幽霊が求める「復讐」としてはそちらの方が適切だったかと(苦笑)。

24年11月4日

 さて、あれこれあって、「黄帝がなぜ水神とされるに至ったのか。」ということを書く羽目になっています。それは「大洪水で生け贄にされて、水神と一体化した存在となったから」なのですが。それを証明、というか説明する伝承を挙げるのがけっこうむずいです。というか私でも

「あれ?」

と思うところに転がっている@@。「蛙の天若日子」を書きたかったのに、「雉も鳴かずば」に話が飛ぶ。いきなり大本命じゃん?? と思うあたくしでした。話としては「蛙の天若日子」の方が好きなのに><。

24年11月1日 名字の秘密

 さて、色々とあります。

 苗族の他に、ハプログループD群の遺伝子を持つ人達がいます。羌族です。殷の時代に人身御供にされていた人達です。で、不思議に思うわけですが、封神演義を読んでいると、姜姓の人がちょいちょい出てきます。姜姓と羌族って同じなんじゃないの?? と私の頭はぐるぐるするわけです。姜姓の人は朝鮮にもけっこういます。殷の王族は羌族を馬鹿にしてたのに、なんで皇后とか有力な臣下に姜姓の人がいたんだろう? と思う。

 たぶん姜姓の人って夏の生き残りなのではないか、と思います。でも、殷でいい思いをしたい、というか、もしかしたら夏が殷に負けたのは親戚の羌族が味方してくれなかったせい、とかって逆恨みしていて

「羌族をどんどん生け贄にしましょう」

って言ったのかも、と思います。でもって、うちの一族って「田子」という地名と縁があるわけです。どういう意味なんだろうなあ? と思っていて。そうしたら

「田に植えてあるものは何か?」

と聞かれる気がするわけで。それは「稲」です。では

「稲の子は何か?」

と聞かれる気がするわけで。・・・・それは「苗」ってこと?? と思う。行く先々の土地に「苗」という地名をつけて、苗族であることを忘れないようにしているのでしょうか?? まさに「三苗」の一角だーーー、と思うわけで。

でもって、「群馬に方にあるのは?」と聞かれる気がするわけで。群馬の多胡にあるのは「羊大夫」です。古代の日本に羊はあんまり縁がないはずなのになんで「羊」が名字なの? と思ったのですが。それって

って名字ってことですかねえ?? と思う。我が家の大昔の名前は

苗族の姜氏

っていうらしいです。太公望とおんなじ姓だーーー、と思う。たぶん、夏とか殷とか、太公望が生きていたのと同じくらいの時代にはそんな名前だったのかも、と思います-;。

24年11月1日

 ええと、なんだか「人身御供」とか、祝融のことを「嘘つきと、武器製造を推進する火神」とか、真面目なことをガシガシと書いています・・・が、書いている方は、色々と資料を見て

「天若日子が蛙になってる~」

とか、イ族のみなさまの「火祭り」に、樹木に扮している方々(竜樹の化身?)を見て、

「マヨ祭だ、マヨ祭だ~」

と、喜んでいます。民俗学とかかじっていると、少数民族のお祭りとか楽しくてなりません。蛙の天若日子にも、どちらかというと笑いが止まらない。黄帝蛙様だから。イ族のお祭りも盆踊りよりはよっぽどマシ、と思う。

でも、てっぺいちゃんのDVDを見ながらあれこれ書いていたら、誰からともなく

竜退治を書くなら、嵐神プルリヤシュとイルルヤンカシュを書けばいいのに、と言われる気がします@@。それはヒッタイトです。インド・イランが別れた後よりは新しいけれども、ギリシャ・ローマに先行する神話である。

プルリヤシュってヴリトラのことじゃないですか。イルルヤンカシュはタクシュカのことである。

ということは、最初は

ヴリトラがタクシュカを倒す。

という神話だったのが

ヴァーユがヴリトラを倒す。

と変えられたのかもしれませんねえ、ヴァーユもヴリトラも同じ名前だし、と思ったあたくしでした。でも、つきつめていえばヴリトラとタクシュカとは「蛙虎が虎蛙を倒した」となるだけで、ただ名前が逆になっただけじゃないですか。ただただ、殺されたトム・ティット・トットというジャムシード君だけが「人間だった」という但し書きがつけられて閻魔さまになってしまうわけで。

ちなみに

大渓文化は屈家嶺文化(紡錘車(spindle-whorls)が発明された?)、龍山文化と次第に北上して受け継がれていきます。そして、伝説の中国の王朝「夏」と思われる二里頭遺跡に繋がっていく。この夏が殷に滅ぼされます。中国では、龍山文化集団が夏王朝に繋がり、三苗の屈家嶺文化及び石家河文化と対立したのではないか、と言われているらしい。夏の創設時に三苗と夏が争ったという伝承もある。でも私は違うと思います。

苗族は、屈家嶺文化と石家河文化に分かれ、屈家嶺文化と石家河文化が後に対立して、屈家嶺文化が勝って龍山に移行したのだと思う。要は「内ゲバ」です。身内同士の争いほど恐ろしいものはございません。

夏は殷に滅ぼされ、生き残った者は四散するか、殷に取り込まれました。その殷も周に滅ぼされるから、夏の残党は黄河流域から更に北に、中国東北部から朝鮮へと拡がって、一部は日本へも来たのではないでしょうか。

「うちの先祖って夏の王族だった?」

と思うあたくしである。殷代に「じゃんじゃん生け贄を捧げろ」っていう変な宗教を広めたでしょう? と思ったあたくしでした-;。

24年10月30日

 さて。シュメールのニンギジッタこと「トトン神」が、「悪しき蛇神を倒す英雄」に変貌するまでの間に、

「何か宗教改革のようなものがあって、神話が書き換えられている。」

ということに気づく。しかもこれ2重に書き換えがあるわけです。

「英雄が倒すのは悪しき蛙神」

でなければならないはずなのです。本来はね。何故かというと、そのヒントはインド・イラン神話にあるわけで、アスラとデーヴァの対立に由来する。アスラは中国語に直すと「蛙黽」、デーヴァは「虎」なので。水神は本来は蛙でないといけないのです。でも、インド神話を見ればナーガ、ナーガって長い蛇ばっかり出てきます。

なので、気が重いけれども、遺伝子のハプログループを探って、弥生人のルーツを探る。WikipediaにはハプログループD1aは、中国中部出身で、弥生人を含む中国東北部と朝鮮に多く、イ族と苗族の中にも見られる、と書いてあった。なので、長江流域までしょうもない先祖の祝融を捜しにいくことにする。

苗族の伝承の中に、「アコリンと雷たちの腕くらべ」という話がある。アコリンという知恵のある若者が雷、竜、虎と腕くらべをして、火を燃やして勝った、という話。そういえば、ドイツあたりに「岩の蝶結び」とかそういう民話があったなーー、と思う。というか、さっそく「祝融・共工説話」を見つけてため息をつく。もちろん意図的に探しているから、探せば簡単に見つかる-;。雷は鶏雷神の黄帝、竜は黄帝共工、虎は虎西王母だから。要は、「アコリンは羿と嫦娥を焼き殺しました」と暗に言ってるのも同然では、と思う;。苗族の「饕餮」は今は水牛だと思いますが、「蚩尤が先祖」とかって言っているところを見ると「楓」と「牛」も饕餮だと思ってる人は多いはず、と思う;。

イ族の伝承の中には、火をおこして、人々を助けたムトンという若者が出てくる。要は彼も「知恵者」である。さすがに「太陽から火を盗んできた」とは言ってないけれども、木で火をおこしているから、木は「饕餮」の象徴である。ムトン君は、西方に旅してプローメーテウスという名になったような気がする。イ族はムトン君を記念して、火祭りを行うけれども、蛙(竜)饕餮の木に豚とか鶏とか生け贄に捧げるとのこと。豚は饕餮のメジャーなトーテムの一つだし、鶏は黄帝の象徴である。イ族は割と馬と縁の深い部族である。

で、ちょっとベンガルの「トム・ティット・トット君」と私が名付けた神サマを探ってみたわけですが。この神サマが何故か牛じゃなくて、馬なのですよ。そして、

「プロメーテウスも祝融だったんだ。」

とため息をついたあたくしでした。蛙黽という名の希望はいったい、どこの箱の中に隠れているのでしょうか;;。(というか鶏英雄の黄帝は焼いたり、生け贄にしたりするわけだ。まさにじいやんとばあやんを焼くどんど焼きですな-;。だって我らは本当は炎黄の子孫なんじゃん?)

イ族の伝承はこちらのサイトを参考にしました。「雲南省彌 勒県西一郷・火祭り 炎に捧げる情熱」。