23年7月17日 番外編

 14日にジブリの最新映画が公開されました。事前のネタばらしを極力抑える、という方針で事前に公開されたのはポスターが一枚だけ。宣伝も鈴木さんが「ミュージックデイ」に出たくらい!? な状態で。で、公開されたら賛否両論で、「見るのが苦行」という人と、「宮崎監督の最高傑作」という人に分かれているらしいです。

 で、あたくしに感想を求められても、見てないので困るわけですが-;。ともかく、事前公開のポスターは鳥の絵が一枚だけ。でもって、その鳥って言うのがだねえ? 鳥が鳥の着ぐるみをかぶっている、というか、鳥の中にちらっと別の鳥が見える、というそういうポスターだったわけだ。鳥は空を飛ぶものだから、それは神話的原則として

饕餮とうちの先祖の啓君、では?

という印象を受けたわけです。ともかく、鳥がいて、その鳥の中にも誰かいるらしい。で、わずかにネタバレが伝わってくる映画の内容は、大雑把に書くと、「主人公の男の子が異世界を旅して成長する物語」らしいです。それだけ聞くと「千と千尋」の男の子版のようにも思えるし、エンデの「ネバーエンディングストーリー」のようにも思えます。第一印象としては。で、主人公が異界で苦労して、その結果が異界にも現実世界にも影響を与える話なんだろうなあ、と思います。

 だから、「千と千尋」の男の子版? と思うわけですが、評判の悪さの一因は、「思わせぶりな暗喩が多い」ことがあるらしくて。ともかく何が何を暗示しているのか、思わせぶりだけど良く分からないまま映画が終わってしまう、みたいな。結末までに暗喩を全部回収しない、今までの宮崎映画らしさが全開らしいのかなあ、と思います。だから、謎が気になる人には面白くないのかも?? と思う。

 でもって、漏れ聞いたあらすじを見ると、主人公の男の子が旅する「異界」とは、主人公が受け継ぐものだったらしい。でも、彼はそれを拒否する。で、その世界を維持しようとする「インコ王」というのが「資格がない」にもかかわらず世界を維持しようとして崩壊させてしまう、という感じらしい。・・・え、でも、そーゆー内容とすると、それはラピュタのシータとムスカだよねえ? インコというのは「ものまねをする鳥」の暗示なわけですが、ムスカもラピュタの後継者のふりをしていても、真の後継者ではありませんでした。そーゆー流れでいくと、「ナディア」の「ガーゴイル」的ともいえる。

 で、初心に戻っておたずねしますが、なんであたくしがその映画を見てはいけないんですか? ということになるわけですが。ひいじいさんに「主人公が男だからさ。今更男女が逆転している世界なんていらないでしょ。あなたはラピュタの夢だけ覚えていればいい。」と言われる気がするわけで。

 そして、主人公を殺そうとするのがインコで、異界へ導き案内するのがアオサギであるそうで。そのアオサギがポスターの鳥であるらしい。・・・感想と言われましても、アオサギと言わず「キサギ(黄色いサギ)」とでも言えばよろしいのでは? とか、そんな気がしますがー;。かかしのカブとどっちが良いのか、むしろ当人に聞いてみれば? と思うわけで。

 ともかく、主人公には母親がいなくて、亡くなっているそうで。宮崎映画は常に「母親」という存在に要注意である。「トトロ」の五月とメイのお母さんは生きているけれども、病院に入院中で、子供達の心の中に占める位置は大きいけれども、影は非常に薄い。「ナウシカ」や「ラピュタ」、「紅の豚」ではそもそも母親が登場しない。「ハウル」のソフィーの母親は軽薄で自分勝手で、「千と千尋」の母親は厳しくて、子供に共感をもって親身になってくれるタイプではない上に、豚に変身させられてしまうのでやはり影は薄い。しかし、全体を見るに「亡くなっている母親」とか「影の薄い母親」というのは嫦娥娘娘を暗示しているのではないか、と思う。彼女を助けたい、と思う気持ちと、彼女は大雑把に言って7000年くらい前?(もっと前?)に死んで消失してしまっているという事実がアオサギの心を今も引き裂いて、彼を孤独に追いやっている、と客観的な意見を求められれば、あたくしであればテーセウス君にそう申し上げます。現実にはひいじいさんに「あっち行け、こっち行け。」と言われて振り回されているだけだわさー;。でも、性悪な息子インコ君はインコ君で「何千年たっても、母親を焼き殺したときの光景だけが忘れられない。」って言ってくるような気がするわけだしさあ?? うちの先祖ってばさあ?? と思うわけで。ともかくあたくしは、医者の資格を持っていることは持ってるわけですが、ご先祖様方専門のカウンセラーではございません-;。でも精神分析をして欲しいのであれば、いずれDVD化された暁には見てみても良いかと思います。ともかく、気持ち的には同情はしますけれども、嫦娥娘娘に捕まっていすぎでは? と思います。誰が? それはアオサギの中の人が、です-;。(というか、宮崎監督には「アオサギの中の人が誰だか分かれば、それが全てで、映画なんて見る必要ないでしょうが。そのためのポスターでしょ。」とか言われそうだあ、と思う-;。そっちはそっちで大雑把過ぎと思います-;。)