20年6月5日

 本日も穴掘りと土の清掃です。だいぶ暑くなってきて、昼間の作業はけっこうきついです。我が家は2階が暑くなるので、夕方の作業が済んで部屋に戻ったときにも室温は30℃でしたー;。エアコンがあって良かったなー、と思います。

 昼は「夜会」を見て、夜は「」と「Mステ」を見ました。「夜会」が何故か声がずれて録画されていて「あれ?」と思う。2階のテレビは普通に録画されていたので、機械が不調だったのかなあ、と思います。

20年6月4日

 本日は、穴掘りだけしていました。とりあえず、長い板とかなくなったので、せっせとそれ以外の石やゴミを掘っています。

 昼は「仰天ニュース」を見て、夜は「VS嵐」を見ました。

20年6月3日

 本日も、お出かけする日なので、買い出しその他の用事に出かけた。梅が出回る時期なので、梅を買って家で梅漬けを作ることにしました。小梅が安く買えて良かったです。で、あちこちでちょこちょこと車や自転車や人の嫌がらせがありました。コンビニの駐車場で車から降りでドアを開けたり、閉めたりしていたら、隣に急に黒い車が入ってきて、スレスレで停まって。「危ないな-」と思ったわけです。で、たいした用事ではなかったので、コンビニにさっと入って、さっと出たら、もう車はいなくなっていて。嫌がらせのためだけに来た車なんだなあ、と思う。これも恐喝の一環だと思うのです。

 午後は、基礎の下を掘って、3日くらいかけて、幅広の板をようやく掘り出す。これで、作業も少し前進しそうです。

20年6月2日

 昨日は、穴掘りに専念して、木の板をせっせと掘る。なんだか杭ではなくて、幅が広い板のようで、朝、親に「幅が分からない」と言われた。ので、幅が分かるように掘り出し、板の上に乗っていた横木みたいなものも掘る。しばらく掘ったら、横木が抜けるようになったので抜く。午後、横木を抜いたら、どうもその下にもう1本板が埋まっているようであって。掘ってみると、幅広の板にほぼ平行に埋まっていたので、幅広の板に沿って掘ってみた。すると、幅広の板よりも短い杭風の板が埋まっていたので、そちらが先に掘り出せそうだったので掘り出す。後は、基礎に近い表層から径30cmもあるような大きなアスファルトガラが出て来たり、かなり色んなものが出て来た一日でした。

 昼は「NEWS ZERO」の録画を見て、夜は「うたコン」を途中から見る。翔君を見ると、何故だか「せっせと掘らなければ、という気分になる気がします。」

20年6月1日

 本日は出かける日であったので、買い出しに出かける。なので、作業は午後のみ。土の片付けをする。

 あとは、6月になったので夏至の準備とかを始める。

 で、善光寺というのは、明治になって神仏分離になるまでは、本地垂迹説に則って「阿弥陀如来=八幡神」として、八幡神を祀るお寺だったわけ。本尊は阿弥陀如来だけれども、その御魂は本堂の裏にある年神堂に「八幡神」として祀られていた。で、本地垂迹的神仏習合は「奈良時代の末期から平安時代にわたり、神に菩薩号を付すに至った」ということで、奈良時代末期から始められたわけです。奈良時代より前の善光寺が純粋な仏教寺院であったかどうかは疑問である。そもそも善光寺は、それ以前にあった「彦神別神社」の上に建てたと言われているし、年神堂の本来の主は「彦神別神」とも言われているので、「阿弥陀如来=八幡神」となる前は「釈迦如来=彦神別神」かあるいは「阿弥陀如来=彦神別神」として、最初から神と仏をちゃんぽんで祀っていたのではないかと思われます。それが結果的に平安時代初め辺りから、「阿弥陀如来=八幡神」として整備されるようになったのだと思う。

 そして「八幡神」そのものが、奈良時代に九州の大神氏が「応神天皇=八幡神」である、として布教を始めた神であって。神としては新興の神だったわけです。だから、八幡神は作られるとすぐに、仏教と習合し始め、善光寺はいち早くそれを取り入れた、といえます。大神氏は、元々三輪大社の神職の家系であって、善光寺界隈にも大神氏が建立した美和神社がありますから、善光寺が大神氏とも古くから繋がりがあるわけです。というか、そもそも、大神氏は、金刺・武井氏と同族なんじゃないの? と思う。というわけで、疑い深い私は思うわけです。「八幡神」というのは、そもそも、「彦神別神」と置き換えるつもりで、金刺氏が作り上げた神なんじゃないの? と思う。だから、同族の大神氏に「八幡神」を作らせて布教させ、それが広まるとあっという間に取り入れて、「彦神別神」と置き換えてしまったわけです。「彦神別神」というと、いかにも諏訪神と関係あるように見えますが、「八幡神」とすれば、諏訪とは何の関係もない神サマになるからで、そうやってかつてあったはずの「諏訪の神」との縁故というか、付き合いみたいなものを排除しようとしたのだと想う。

 というわけで、善光寺は、元々諏訪の、特に下社から分霊した人々が作ったと思われる神社と習合して存在していたのが、平安時代初期には、諏訪とは何の関係もない寺社のように生まれ変わりました。平安末期には、それまであった金刺氏の斎宮の制度も廃止して、斎宮制度は大本願という尼寺に一本化されます。おかげで、それまであった「彦神別神」を祀る水内大社はすっかり没落してしまいました。意図的に没落させているのです。でも、「水内大社」という名前から分かるように、そこでは元々「水に関する神」を祀っていたことを伺わせます。そこに水神ではない「彦神別神」を祀っていたことも、やや強引な本来の地主神との習合があったのではないかとうかがえるわけですが、「彦神別神」を「八幡神」に置き換えたことで、本来の水神は「水内(みのち)」の名と共に閉め出され、廃されることとなってしまいました。要するに、まず「彦神別神」と習合させて、その後に「彦神別神」から「八幡神」に置き換えたのは、本来の地主神を追い出して、封印するためだったわけです。そのために「八幡神」なんて作ったのではないかと思う。というわけで、「八幡神」には本来「水神(治水の神)」として性質なんてないような気がするわけですが、善光寺に関連する「八幡神」は、「水神(治水の神)」の性質を持つようになりました。それは、元々「水神(治水の神)」の聖所を乗っ取って、八幡神の神社に置き換えてるから、地元の庶民が必要としている「水神(治水の神)」としての名前ではなくて、機能を受け継がせざるをえなかったからです。

 そして、このために「八幡神」を作り出したのが金刺氏であるのなら、この国で「三大八幡宮」というのは、古い順に宇佐、石清水、鶴ヶ丘だけれども、三大八幡宮の上位に来る「八幡宮」とは善光寺のことなんじゃないの? と言われる気がするわけで@@。

 で、こうやって平安末期までに、打ち立てた「阿弥陀=八幡」の神仏習合ですが、室町時代の初期になると、善光寺はこの方針を再び変え始めます。すなわち、中央で成功した小坂円忠に、再び「年神堂の主人は諏訪から分霊した彦神別神である」と言わせて、布教させます。でも、かつて「彦神別神」と習合してたはずの「水神(治水の神)」の存在は、当然外されたままです。でも、善光寺界隈には、九頭竜女神が地主神である、という伝承も細々とですが残っています。要するに、「彦神別神」と習合してた「水神」とは九頭竜女神のことなわけです。女神だけ外して、主祭神を「彦神別神」と「八幡神」との間で適当に転がして、都合良くやってきたのが善光寺といえます。

 そして、九頭竜女神の「九頭」とは「薬」のことでもあって、九頭竜女神は医薬の神としての性質も持っていたので(西欧では聖なる泉の水を飲むと病が癒える、とかそういう概念は今でもあります。)、医薬の女神としての九頭竜は、医薬神である八坂大神と習合させられました。そして「水の女神」としての性質は「弁財天」と習合させられて、どちらかといえば「水商売の神」へと変化させられました。

 で、神サマを転がして繁栄してきた善光寺ですが、明治になって神仏分離になると、大抵の神社は神宮寺を廃寺にすることで乗り切ってきましたが、善光寺は一応表向きは「仏教」の方が優位なので、「年神堂」を外に出してしまいました。そして、年神堂の跡地はお墓にしてしまいました。善光寺の本尊は阿弥陀如来です。でも、その魂は八幡神です。魂がなくなって、魂があったところに死者しか詰まっていない善光寺は、「お戒壇巡り」をしても、どんな神とも結縁することのできない「死者の城」ですよ、結縁できるのは死んだ幽霊とだけです、と言われる気がするわけで@@。善光寺の「魂」と結縁したければ、「年神堂に祀られてる八幡神」を探し出すしかない。というか、それは知っていれば、特に難しいことではない。でも、今現在「年神堂に祀られてる八幡神」のある場所には、「八巷の神(道祖神)」も共に祀られており、「八」の数字があるということは、かつて医薬神であった「八坂大神」が祀られていた可能性がある。しかも、そこは明確に「治水の神社」なのだから、名前も痕跡も残っていなくても、そこの「地主神」も「九頭竜女神」ですよ、と言われる気がするわけで@@。というわけで、「八幡神」に用があるときは、そこへ行け、と必ず言われる。そして、「大家さん」として、「つまんないことするな」と頭を押さえないといけないらしくてー;。

 そして、5月は「長野県関連の資料を集めるように」と言われたので、「長野のむかし話」という本を買ったわけです。これは、子供向けの本で、小学校とかに斡旋してた本でもある。この本には因縁があって、昔、子供の頃に、小学校で注文の紙が配られた日に、私は親に買って欲しいと思ったわけです。そして、それが家に送り込まれる一番最初の「民話集」になるはずだったのに、といろんな人に言われる気がするわけで。でも、当時の私は食の細い子で、給食のパンが食べられなくて残す子だったわけ。で、その残ったパンを家に持って帰ればいいのに、何故か机の中にためてしまう子であって、机の中にはかびたパンとか乾いたパンが詰まってる子だった-;。で、注文の紙が配られたその日に、担任のYという先生が「パンをみんな家に持って帰れ」って怒って言ったわけで、それを持って帰ったら親に怒られて、本は「そんなもん買ってやらない」と言われて、買って貰えなかったわけ。今から思えば、この本を買わせるのを阻止するために、「パンを持って帰れ」って言ったんだねえ?? その日に限ってねえ?? と思う。私も大概執念深い性格なので、どうしても欲しくて買って貰えなかった本のことは、恨んだりとかはしなかったけど、忘れたことはなかった。(先生が「パンを持って帰れ」って言わなきゃ買って貰えたのに、とはずーーっと思ってた。)でも、大人になってから買おうと思っても、「どういう本が買って貰えなかった」のか思い出せなくて、買えなかったわけです。それをつい最近ようやく見つけ出したわけ。

 で、「それが一番基本的な最初の本だから、最初にしっかり読むように。」と言われて読んでいるわけです。そしてようやく「まったらこうよ」という話に突き当たったわけで。「まったらこうよ」って、これだけ読んで、そもそも題の意味が分かる人がいるの? と思う。意味は、長野県人なら読めば分かります。けっして品のいい意味の題ではないー;。というか、私の近所では「こうよ(来よ)」とは言わずに「こう(来う)」で止めちゃう気がするわけで。「家に来う」とか「こっちに来う」とかって言うよねえ? と思う。

 というわけで、「まったらこうよ」とは、結論から申せば、射日神話と槃瓠神話の崩れです。西欧の「ケルト海竜伝説」と同じ構成なので、中国本土に伝わる射日神話と槃瓠神話の方が、「二つの物語」を分離させたものであって、「まったらこうよ」とか「ケルト海竜伝説」の方が、より古い時代の物語の形式を残しているといえます。地理的に、この2つの間を埋めるのは「ケサル大王伝」とかになるのではないか、と個人的には思います。だから「まったらこうよ」は、それだけ読んだら子供向けの民話かもしれないけれども、いずれ「比較文化」とか「比較神話」の世界に足を踏み入れれば、射日神話と槃瓠神話の崩れであることは知れてしまうし、射日神話の主人公「ゲイ」と、槃瓠神話の主人公槃瓠は、「同じ一人の人である」ことも知れてしまうことになる。その最初のとっかかりを邪魔しようとして、Y先生は「パンを持って帰れ」って言ったね? と今は思う。

 で、親には、「うちの家系は元は八幡の家系なんでしょ?」みたいに言われるわけで。そういうわけではない。というか、ギリシャ神話に、クロノスとゼウスという親子が出て来るわけで、クロノスは自分の主神としての地位を失いたくないので、生まれた子供達を次々と飲み込んで食べてしまう人食いの神である。ゼウスはそういう父親から隠されて育てられ、長じてクロノスを倒し、食べられた兄弟姉妹を解放して、ゼウスが自らギリシャの神々の主神となる。で、ゼウスの子孫から有力な王族が誕生したりしている、とされている。この場合、ゼウスの子孫達は、ゼウスを彼らの神と考えるのですか? それとも、人食いのクロノスを彼らの神と考えるのですか? だって、どちらも「神」であり、彼らの「祖神」であることに違いないのだから、どちらを「祖神」として考えて敬うのかは子孫によって違うんじゃないの? ということになる。ゼウスとクロノスは対立する存在なので、共存はできない。だから、「どちらも神として敬う」ということはあり得ないわけです。クロノスを尊敬すればゼウスは邪魔な存在です。ゼウスを尊敬すれば、クロノスは汚らしい人食い、子供食いに過ぎない、ということになる。だから、我が家も黄帝を選ぶのか、饕餮を選ぶのか、ということになる。この場合の「黄帝」というのは中華思想の中で変節した「黄帝」ではなくて、古い時代の「ゲイと槃瓠が分離する前の人物」のことです。饕餮は彼の父親ではなくて、舅に当たる。だから、饕餮も黄帝も我が家の先祖、ということになる。というか、この二人の子孫からは、饕餮に似たあんまり頭の良くないサイコパスと、黄帝に似た聡明で人々の生活を思いやる人と、2種類の人物しか生まれてこない気がするわけで。遺伝子ってすごいなー、と思う。「どっちを選ぶのか」って言われても、「あんまり頭の良くないサイコパス」を取ったら、迷惑しかかけられないことは母親が一番良く分かってるんじゃないの? と思うわけですが、どうも、そこのところが良く伝わらないらしくてー;。うちの家系は饕餮(八幡)と、槃瓠の両方の血を引く家系なんですの。元が「どちらなのか?」ということは、子孫の自分が「どちらが主となるべきか」と考える内容で決めるしかないのではないのでしょうか。