本日は天気も少し緩んだので、冷えに気をつけながら作業をしました。どうも、奥の方の「床の掘りが甘い」と言われる気がするので、ちょっと削ってみたら20x15cmくらいの粗石が深いところから出て来ました-;。本日はミニバケツに2杯作業ができました。
1杯目。風呂の配水管付近。1/3弱が石分。
2杯目。洗濯機の西側。1/3程度が石分。20x15cmの粗石が出土しました。
カテゴリー: 日記
20年12月18日
本日は母親の病院で小谷医院に行ってきました。で、雪が晴れたので、帰ってきてから作業をして、バケツ1杯分やって。で、夕方は親に部屋の整理をして貰って。
で、どういうわけか小谷の姉さんが「介護保険のデイサービス」について、「日常生活の中出の運動は、負荷が少ないから駄目で、デイサービスで体の機能を維持するために負荷のかかる運動をしなければならない」とのたまう。この人にも「介護保険を受けたい」なんて言ったことは一度もないわけで、印象としては春日の若旦那のフォローを「させられている」という印象である。ということは、若旦那が言ったことを知っているってことに他ならないわけで、余所の病院の診察内容を、患者の同意もなく「知っている」ということは、若旦那も小谷の姉さんも共同して「プライバシーの侵害」ですねえ、と思うけれども、裁判とかになったらあからさまとはいえ、「状況証拠」だけで、「共同不法行為」の証拠として充分だろうか? とかそういうことを考えてしまう。で、心臓に病気のある人に「負荷のかかる運動をしなきゃいけない」って言うとか、ジムの話なの? と思う。老人のデイサービスで行う機能訓練とは
「歩けるようになりたい」「腕を上げられるようになりたい」などのご要望をお持ちのお客様に、歩行訓練や筋力増強訓練、関節可動域訓練などを行います。
というものだから、小谷の姉さんと若旦那は、両親を無理矢理デイサービスに行かせて、わざと身体に負荷のかかるような運動を「機能訓練」と称して行わせる腹づもりなのかと思う。要するに「虐待」というやつ?? とかって「つい」疑ってしまう。で、介護保険の認定は自治体が行うわけだから、長野市との間には、我が家に限り介護の必要がないのに、介護を申請したら認定が降りるように取り決めができてるのだろうか、と邪推してしまう。そうすると、裏で糸を惹いているのは長野市の側であって、各医者に手を回して協力させているのだろうか、と疑ってしまう。国土調査で出鱈目な公図を作ったのは長野市、父親に必要な抗癌剤を勝手に医者が止めようとしたのは「長野市」立病院の医者、建築確認を受け付けた後栗田建設がどんな出鱈目な工事をしようが放置して監督を怠っているのは長野市の建築課、・・・・とか、我が家にまつわるトラブルで常に名前が多く上がるのが「長野市」である(呆)。世間知らずの年寄り二人を虐待して殺そうとするくらい、いかにも企みそうだーー、と「つい」疑ってしまう。
あとは、家に帰ったら姉が「春日は(お正月は)6日まで休みだから、その後に病院に行かなきゃ」とか、妙なことを言い出す。今までは私に「いつ病院に行くのか」ってその都度確認していたし、若旦那のところは、1月4日から営業だって待合室のカレンダーに大きく書いてあったじゃん? と思う。だから、そう言うと「そんなことはない。6日まで休みだって先生が言った」とかって騒ぐわけで。・・・・若旦那は「6日頃来て下さい」って言っただけじゃん? と思う。ともかく、一ヶ月分薬が出るので、診察から一ヶ月後にまた来て下さい、ってそこはそういうことしか言わないし、それのどこに勘違いとか思い違いをする余地があるのか? と思うわけですが、姉もそんな感じで「人の言うことを全然聞いていない人」なのであるー;。だったら、こっちに任せておけばいいのに、なんで今回に限って病院に行く日を自分で決めようとするのかが分からない。しかも母親が「残ってる薬の数を数えれば、一人でだって病院に行ける」とか余計なことを言うし-;。一人で行かせたら、何を吹き込まれて、そして何を思い込んで帰ってくるのか見当もつかないのに、なんでそういうことを煽るようなことを言うのか、と思う-;。
だいたい、裁判の書類を整理したら、「少なくとも高裁に向けて「瑕疵の補修に代わる損害賠償」ではっきりしているもので、まだ裁判で請求していないものを纏めておくように」と言われている気がするので、その点で附帯控訴を求められている気がする、ので、それの妨害か、あるいは作業の妨害か、でなければ「時候のお手紙」の妨害、ということで病院とかで色々と言われるんだろうなー、と思う。そういうときは、家人の妙な言動も多いです-;。兄さん達には、少なくとも、「その日にあったことは、その日のうちに纏めて整理するようにしましょう。」と言われる気がします。
で、朝方夢を見て。自分がまだ学生で、家ではなくてどこか自分でも知らない遠くへ帰らなければならなくなって、駅へ行って切符を買おうとするけれども、行き先の駅が見当たらなくて、何を買えば良いのか分からなくて。そうしたら、翔君と大野君が現れて、翔君が切符を買ってくれて「送っていってあげる」という夢で。そうやって引っ張って行ってもらわないと、確かに道に迷いそうな我が家なわけですがー;。
今朝はこんな感じで雪が積もっていました。
1杯目。洗濯機の西側の基礎の下の土。黒褐色です。
1/3弱が石分でした。
20年12月16日
本日も雪降りで、かつ、お出かけをする日だったので、作業はお休みでした。その代わりに定例のお手紙出しと、ゴミを捨てに行って。
で、後は恒例の時候のご挨拶のお手紙を書いたりして。
昨夜はなんだか眠る気になれなくて、かなり遅くまで起きていて。「ブンブブーン」を見てぼーっとしていたら、ふっと小泉今日子の「優しい雨」という歌が心に浮かんで。そうか、その歌は7番目の兄さんのお歌だったんだなー、と気が付く。学生時代にけっこう好きだった歌だったので、動画を探して見て見ました。7番目の兄さんの心の中には、いつも雨が降ってるのね、と思います。この曲はそのうちに買うと思います。
20年12月15日
本日は雪が散らつく中、田舎の方に測量に行ってきました。昨日はなんだかぼーっとしていて、「明日の用意をしよう」と思っても何を用意したら良いのか思いつかないような感じであって。で、「News Zero」を見たら、4番目の子に「念のため古い公図を持って行きましょう。」と言われた気がしたので、はっとして公図とか書類関係を用意して。で、朝ご飯を食べて、現地で福山君の曲を子守歌代わりにしながら食後の睡眠も取って、けっこうすっきりとして。で、本来は、公図の「訂正」のための測量なわけです。何故なら、平成14年だか15年頃の国調(国土調査)の時に、現況に沿って境界を決定して、近隣住民の印鑑も得て公図の作製に至っているからです。その公図が最近建物の表題登記をしたら、「全然現況にあった公図になってないじゃん」ということで、測量のやり直しを西武土木事務所に申し入れたわけです。法務局の方には、表題登記の際に説明して、現況に沿った登記をしてるわけ。で、西部土木事務所からは「測量の際に錯誤があったから土地境界の協議をやり直しましょう。費用は市役所で持ちます。」という回答があって、今回の測量に至ったのです。でも、もっと厳密につきつめれば、回答そのものに不満があるわけで、「錯誤」ではなくて、「更生」でしょう、行政が間違って訂正する場合には「更生」となるはず、と思ってたのです。只でやって貰うことだから、特に異議も申し述べなかったわけですけれども。
で、行ったら関係者で集まって、女性は私と母親だけでした。敷地の西側の所有者は昔は女性だったのですけれども、代が変わってましたし。親が「国土調査の時に境界を確認した人達の中で生きてるのは私だけだー」と言っていて。我が家も親は健在ですけれども、名義的には代替わりしてますし。(近隣の住民には「代替わりした方が手厳しくなってる」と思われてそうですが。)親は姉の代理人で行ってたわけですが、行ってもらって良かったと思いました。親が土地を買ってからの経緯を全部知っている人がもうほとんどいなくなってるわけですから。
というか、そもそも福山君の曲をガンガン聴いている時点で、色々と思われていそうな気がしてならない。「もはや自分が誰なのか心得てるし、長野高校出てるし、「蛙の子は蛙」って言うし、思いっきり威張るぞ。」とか、なんか、最初からそういう「空耳」が聞こえる気がしてならないわけで。「思いっきり威張る蛙の子」の親蛙はそもそもどこに住んでるんですかね? あなたたちも良く知ってるんじゃないの? と思うわけですが-;。
で、測量を始めたわけですが、事前に西部土木事務所から依頼を受けた測量士さん(でなきゃ家屋調査士さん?)が、国調の結果の通りのくいを打っておいて、それをチェックして、現況に沿って訂正していきましょう、みたいな事前の話になっていて。それが、国調の結果だと、よくよく変になってる敷地の西側だけでなく、東側も微妙にずれていて、「境界が20cm敷地の中に入ってる」とかって言い方をされるわけです。なんというか、まるでうちが東隣の人の土地に無断で入り込んで家を建ててる、みたいな、なんだかそんな印象を受ける物言いをされるわけ。だけど、家の南東の方の壁は50年近くも前に、隣家の持主と境界を確認して建てたもので、国調の際にもそれに沿って測量してもらってるはずなんだから、間違ってるのは国調の結果の方じゃん、と思う。一応「閲覧」という制度があったとしてですよ? 今回発覚したみたいに1.5mも境界がずれていれば、しっかり閲覧していれば間違いを発見できたかもしれないけど、20cmの現場でのずれなんか、公図の上では1mmずれているかいないかの差しかないわけで、それこそ素人が見て「現況とずれている」なんて発見できるもんか、と内心思う。それこそ、測量の際に測量している人に着いて歩いて、1cmの差までチェックしなければそんなこと気が付くはずもないことで、都会のど真ん中の土地ならともかく、田舎で売ろうったっていくらになるのか、そもそも値段がつくのかも分からないような山の土地なんかにどの地主がそんなに細かく気を遣ったりするのさ、とも内心思う。でも、口に出して言ったのは「国調の結果が間違ってるんですよ。」って言っただけでした。事実だし。
で、国調の時の測量で打ったくいがまだけっこう残っていたので、大抵はそれが境界で異議は出なかったわけですが、一部、フェンス工事の際に、「工事をやった人が掘り返して埋め直したから境界として承知できない」とかってちらっと言われて。「そんな5年も6年も昔の工事のことで、工事の時に文句を言わないで今言ったって困ります。うちは工事の人から杭を埋め直したなんて聞いてないですし。」と言う。北東の隅も、隣の土地に食い込んでる、みたいに言われたので、古い公図を持ち出して、「古い公図ではこういう境界になってるし、うちはそれが境界だと思って土地を使ってたし、国土調査の際もそれに沿って境界を決めたので、「食い込んでる」って言われることそのものが古い公図と違ってることで、間違ってるんですよ。」と言う、ということで。うちが持ってても意味がないところを北側の住民に譲って新しく境界を決めたところもあったし。新しい境界を決めたときも、土木事務所の人は微妙な反応で「法務局がなんて言うか・・」みたいな反応だったのですが、でも、こういう「新しい境界を決める」というのは、原則としては地主同士が協議して、「この境界にして下さい」って申請するものであるので、役所が決めるものではない、それが「民主主義国家」というものである、と私が知ってるので、「法務局の意向がどうの」って土木事務所に人が言ってても、全然聞いてないわけで-;。隣家の主人に対しての意向と同じで、法務局は法務局で言いたいことがあるのなら直接協議の場に出向いてきて言うのが民主主義だし、言うべき時に言わないのなんか、例え役所だってダメでしょ、くらいにしか思ってないわけだ。だから、「地主同士の協議で境界を新たな境界を決めればいいんですよね?」と言って、工専を黙らせて場を仕切ってた長野高校がいた気がするわけで。なにせみんな、口には出さなくても、誰がどの学校を出てるのかよくよく知ってる田舎なので-;。田舎の学歴ヒエラルキーとして、「長野高校→信州大学医学部」と「蛙の子」であることのコンボはけっこう強力なんだなーー、と内心思ったわけですがー;。別に余計に他人の土地が欲しいわけではないので。現況の通りに、公図を整理してくれればそれで良いわけです。うちは50年もその現況の通りにやってきたわけで、変更があれば柔軟に対応してきたわけだから。まだまだ油断はできないのですが、今日のところは何とか最後には無事に完了した気がします。
でもって、最後には「蛙の子はやっぱり蛙」とか、「今更ゲイと嫦娥のどちらを選べ、とかそういう段階じゃない。当人の腹はもう決まってる。後ろに取り憑いているのは7番目の兄さんと4番目の子だ。」って言われる気がしてならないわけで。「ゲイのじいさん」と「嫦娥のばあさん」のどちらを取るのか、ということになればですねえ? だいたい、サイコパス集団なばあさんの一族郎党を取ってどうするのか、サイコパスなんて家族の中に一人いるだけでも多すぎるでしょ、と思う。そして、こういう問題は、どちらかを取るのか決めたら、それを貫くしかないのですよ。どこかで日和ったら、それが自分の命取りになる、ってそういうものでしょ、と思う。その二人に対する私の信頼感がどれだけ強くで強固であろうが、田舎の近所のじいさん達に苦情を言われる筋合いはありません。そして、田舎には持主が良く分からない長年放置されてるような土地もあるので。今回、初めてその存在を知った隣人もいて、興味深かったのでした。・・・・・・というか、さすがに誰も私が誰が好きで誰と結婚するのか、とかそういうことは言わないなー、というか、厳密には「言われない気がする」わけで。ストレートに「ゲイにつくのか、嫦娥につくのか」としか「言われない気がする」。でも、それが全ての本質なんじゃないの? と思わないわけでもないです。
で、後は日赤に寄って、カルテのコピーを貰ってきて。今日はそれで力尽きたので、それ以外は何もやっていません。
で、なんとなく光ちゃんのことをあれこれ日記に書いたら「別の星に生まれ変わっても会いたい」とかそういうことは書かないんだ? となんだか聞かれる気がするわけで。そういえば、そういう歌詞の曲がありましたねえ? 「彗星が如く」でしたっけ? それとも「流星が如く」でしたっけ?? と思う-;。というか、「Music Clip?」の小ボケ感のインパクトが強すぎて、そちらに夢中というかー;。というか、そもそも「生まれ変わり」がどうの、という話は私が始めたわけではなくて「ぼくの地球を守って」の時代から、私の周囲の人がそちらに関心を持たせようとしてきたネタなんじゃないの? と思う。私から言い出したことではないから、書かなかったわけですが。まあ、ご先祖のじいさんとは生まれ変わる前に会えるのではないのですかねえ? と、むしろそう思うわけですが。
20年12月14日
本日は雪が降ったので作業はお休みして、裁判用の書類の整理をしていました。2年分の書類なので、自分では何が何だか良く分からなくなっていて、手をつけるのが嫌だったので、親に助けて貰ったわけですがー;。で、ついでに色々な資料が出て来たので、親に「まったらこうよ」と「オズボルン・ブーツ」と「射日神話」を読んで貰って、この3つが起源の同じ物語であることを説明してみる。そして、結局「ゲイ」を取るのかヒキガエルの「嫦娥」を取るのか、とそういう話であることも言ってみる。
「ゲイ」というのは「遊牧民」である、ということも言ってみる。そして、現在ではヨーロッパに広く住んでいる印欧語族の人達の一派の人であると思う。だから、ゲイに起源を持つ伝承は、印欧語族の西欧への移動と共にヨーロッパにも広く拡がって拡散している。すなわち、「弓の名手」である「ゲイ」は西欧社会ではれっきとした「英雄」の部類であり、西欧の伝承の「英雄」はゲイにならって、だいたいその最後は悲劇である。でも、ゲイは東洋では(特に日本の信濃国では)「まったらこうよ」の小坊主さん並で、地主のお嬢様に婿入りした小坊主さん、要するに「余所から来た小坊主」に過ぎないわけだ。でも、お偉いさん達はプライドが高いから、今となっては、そもそも「自分の先祖に身分の低い印欧語族がいる」ということすら否定しそうな気がする。みんな自分勝手だからなーー、と思う-;。でも、そもそもイザナギというのが「黄帝」の焼き直しなんじゃん? と思うのですが。
というわけで、多くの「心ある印欧語族」から「英雄」として、尊敬され、慕われている「ゲイ」の「悲劇的な人生の結末」を止めなければいけない、止めて欲しい、と言われる気がするわけで。なんだろう、それって「象徴的」に言うと、「階段から落ちて死ぬのを止めろ」とか、そういうこと?? と思う。(というか、申し訳ない話ですが、一番現在進行形の「話」の内容が今一良く分かってないわけでー;。是非、映画化してDVDを・・・って言うしかないわけですがー;。でないと、内容が良く分からないわけで-;。)要は、そうすることができるようになるまで工事を進めなくてはいけないってことですねえ?? と思う。まあ、やるしかないわけですが。
で、「ネットに書いたことを、テレビに写ってる誰かがふっと口に出したりして、「え? この人私のこと知ってる??」と思うことが何度となくあったりとか-;。今ならある意味、全く気にしないことですがー;。」ということを、もっと具体的に書けば、とか言われる気がするわけでー;。ええと、例えば光ちゃんが、「FFXIを長らくやっていて、多くのジョブのレベルがカンストしてた」とかって言ったことに、私が感想として「廃じゃん」って書くとする。そうすると、光ちゃんがどっかでふっと「ゲームの廃人だった」って言うとかそういうこと?? と思う-;。でなきゃ、私が7番目の兄さんのことを「遠いご先祖様の生まれ変わり」って書くと、剛君がブンブブーンで光ちゃんのことを「おじいちゃん」って読んだりするとか、そういうことかも?? とも思う-;。誰が誰のおじいちゃんなのかねえ? ってそうなるわけですがー;。全ては単なる「偶然の一致」ですよ、気にしたことなんかこれっぽっちもありませんとも、と思う(苦笑)。
で、今朝方夢を見て。なんだか、私がどこかに出掛けるのに、春日の若旦那が車で送ってくれるとかそんな夢で。で、運転が荒くて暴走気味なので、「大丈夫?」と思って運転席を見たら、突然若旦那が忽然と消えてしまって、暴走してる車がどこかに突っ込みそうになって、私が必死で止める、みたいな夢で。目が覚めて、「やっぱり色々言われて心理的負担が強いのかなあ。次に行ったら、また何を言われることやら。」と憂鬱になるー;。まあ、メトホルミンを知らない(あるいは口に出さない)適当な医者が、SGLT2阻害薬の最新の知見だけ知ってたら、その方がやばいでしょ。しかも、私が否定的な考えだと知ると、次には介護保険の話を持ち出してくるのね、と思う-;。ともかく、じいさんの「慢性腎臓病」の話は、年頭のコロニャ騒ぎの時に、市民病院の救急外来の医者が意味不明に大仰に言ってから、その「言いよう」の意味をずっと考えていたわけで。むしろ、アストロゼネカとかの方が、巻き込まれてるんじゃないのか、くらいにしか思えない。薬屋が薬を売るために作った資料なんか真に受けたりしないでしょ、普通にーー、と思うだけです。一般的な臨床医と私の違いは、「プロパー(今はMR?)」から、リベートを貰い慣れていないこと、そういうことを「当たり前」だとすり込まれた経験がないこと、っていうのは大きいと思います。みんな、研修医のうちに、こういうことが「当たり前」だってすり込まれるらしいので。
「トラゼンタ(リナグリプチン)で充分でしょ」というと、「あなたは医者としては結構くせの強い人だね。」と言われる気がするわけでー;。我が家で教科書にあるような一般的な薬を使って飲んでるのは姉だけらしい。でも、薬は標準的とかで飲むのではなくて、治療効果を得るために飲むものですよう。効果が出れば、必ずしも一般的ではなくても、それがベスト、と思う。処方は、その患者に相応しい薬を処方すべきと思います。