21年5月2日

 今日は外作業の日でした。母親は土の埋め戻し、土掘り、土の清掃石片付け等、姉は土の清掃、私はハツリ、土の清掃でした。今日は今までで一番ハツリが進んだ気がします。そろそろ削っているコンクリの長さが短くなってきたので、厚みも薄くなってきているのではないか、と思います。それで削りやすくなっているのかも。

 今日は、日曜日なので、裁判関連は動きがありませんでした。

 最近は、「山や波を切れるハサミを買うように」と言われる気がするので、クラフト(紙工作)用のハサミをいくつか買っています。というか、今月は「ハサミ祭り」だと思う。縁切りハサミでもあるし、そういう小さな山や波を自分で操れるように、という意味もあるのだと思います。余計な縁がうまく切れれば良いが、と思う。夕方、けっこう長く消防自動車が昭和通りの方を走っていましたし、気をつけなければいけないことも、まだまだたくさんあるのだと思います。

 そういえば最近見たテレビのことを書いてない気が・・・。昨夜は「SHOWチャンネル」の特番を見て、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。そしてYouTubeで二宮君のチャンネルが開設されたので、ちょこちょこと見ています。二宮君、中丸君、涼ちゃん、風魔君と面子は豪華だー、と思います。それから雅治君のファミリーヒストリーを見て。お母さんは洋裁の仕事をして働かれていたそうで。お母さんも「織り姫」の一人なんだなー、と思う。雅治君はお母さんに似ていると思うし、目は母方に似ているのだと思います。そして「蜜柑色の夏休み」にある通りに、雅治君は母方のおばあちゃんっ子でおばあちゃんに一番可愛がって貰っていたんだなあ、と思う。それから、雅治君が高校生の時に亡くなられたお父さんは肺癌だったそうで、病名の告知はしてなかったそうですが。それを聞いて、そういえば私が高校生くらいの時は、まだそういう世相であったなあ、と思う。というか、私が大学生の時に(学2くらい?)、ポリクリで「癌患者に病名を告知すべきと思うかどうか」を教官に聞かれて、「告知すべきだと思います」と答えたら、それ以後告知するのが当たり前になった、ということがあって。自分の言ったことと、現状と何か関連性がある、とか思ったことは昔はなかったですが。そのことを思い出して、だいたい学生時代に教育をして貰った覚えはあんまりないわけですが-;。妙な形で医学界の方向性みたいなものには少し噛んでた気がするわけで。むしろ、「教育してやった費用を払って貰いたい」って言っても良いべき? とふとそう思ったわけですが-;。
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 本日のハツリ

21年5月1日

 本日も午後雨だったので、外作業は午前中のみでした。母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、私はハツリ、土の清掃でした。

 今日も、裁判関連は動きがありませんでした。今日から5月です。ハツリもあと3日もやれば、残りのコンクリは掘って落とせるのではないかと思います。
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21年4月30日

 本日は午後雨が降ったので、外作業は午前中のみでした。母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、私はハツリ、土の清掃でした。

 今日も、裁判関連は動きがありませんでした。4月は今日で終わりです。半年くらい空き家であったお隣に新しい人達が引っ越して来るようで、今日家族で挨拶に来られました。それでも変わらず、夕方には近所の家を中心に子供が集まって騒いでましたので、そういうことも承知して越してきた人達なんだろうな、と思いました。我が家の鳥趣味のことも一言言っておきました。
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 本日のハツリ。向かって右側(東側)の方がコンクリが厚くしっかりしています。

21年4月29日

 本日は雨が降ったので、外作業は休み。信州新町の方へ行って、家の中の片付け、というか、私の部屋の片付けをしました。なんだか、紙とか本とか部屋中に散乱していて。今日は紙の2/3くらいを纏めました。

 今日は祝日なので、裁判関連は動きがありませんでした。

21年4月28日

 本日は出かける日だったので、外作業は午後のみでした。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 長野市民病院から、受診前に検査をやって貰えることになった、と連絡があって、やって貰えることになりました。それが普通の病院のかかり方では・・・? じゃなくて、なんて良心的で良い病院なんだろう、と思います-;。別に私が患者ではないので、私のこととか一々リサーチしなくても、普通に患者を診て頂ければ・・・?? と思うわけですが-;。でも、「ちゃんと診ないと、キーキー言うのは患者じゃなくてあなたでしょ?」と言われる気がします-;。それはその通りですけれど・・・も???-;;

 裁判関連は、今日も動きがありませんでした。供託金の差し押さえってそんなに時間のかかるものなの? と思います。このままだと片付くのがGW開けまでずれ込みそうな気がします-;。

 今日は買物に出て、再び事務キチであれこれ買って。指定の物品を少しづつ買う度に世界が少しづつ変わって行く気がします。そして最近ではどこでも付箋を持ち歩くようになったので、どこでもテキパキとメモできて便利です。なんだか、自分の気分というか、考え方もちょっと変わるような??

 そして、暇があればちょっとずつ柳田を読んでいるわけですが。獅子舞の「獅子」は元は「鹿」であり、かつては鹿が犠牲獣として祭祀に捧げられていたと示唆されるようなことが書いてあって。鹿同士が戦い合って、その後首を埋めた(勝った方か負けた方かは不明)みたいな伝承がある、というようなことが書かれていて。昔の人は鹿も人も(熊も?)兄弟だと考えていたと思うので。これを人に置き換えると、八面大王とか、温羅とか果ては蚩尤に至るまで、戦って「負けた」方が殺されてバラバラにされ、何らかの祭祀とか呪術に使われる、というのと、意味的には同じ伝承ですよねえ? 鹿(しし)に関する伝承はねえ? と思う。で、一般的には「人間の犠牲」→「それでは可哀想だから代わりに動物の犠牲」→「それも可哀想だからしまいには人形とか」って祭祀が変遷するように考えられがちだと思いますが、そうではないと思います。昔の人は人も鹿も熊も「兄弟姉妹」だと思っていて、「兄弟姉妹」を食べるのが当たり前、みたいな発想だから。というか、食べられるものと食べる者は一体化するから同じ物、という発想なので。「人間だけが特別である」という「人権」という発想はない。逆に「人権」というものがあるとすれば、「鹿権」も「熊権」も同じようにある、というのが昔の人の発想なので。人身御供と犠牲獣という存在は同時並行して存在したし、殺した初子と魚を一緒に煮て食べたりしてたわけだから。どちらも同じレベルで「祭祀における生贄」だよねえ? と思う。だからこそ、殺された人の目が魚に化生したりする。どちらも等しく「食べるもの」だから。

 だから鹿同士が戦い合って、その結果「犠牲の祭祀」がある、という伝承は、闘牛的でもあるけれども、「鹿同士が戦い合う」といっても実際に戦い合ったのは、鹿に扮した人同士であったかもしれないと思う。でも、戦って負けた方が生贄に捧げられる、っていうと、どうも「古代ローマの剣闘士」というものを彷彿とさせるので。相撲とかも古代における相撲は、神に奉納するもので負けた方が殺されるものであったわけだから。日本の古代の祭祀の歴史は歴史的には紀元後に確立したものが多く、世界的には古代ローマの文化もキリスト教も発生後のものであるので。元からあって蚩尤の伝承が西の果てまでいって、剣闘士とか闘牛の文化になった後、また戻ってきて「鹿が戦う」という「獅子舞」の文化へと変遷したか? と思う。ちょっとローマ的(あるいは「牡牛を倒すミトラス」の如く地中海的)な匂いのする伝承だし、祭祀だなあ、と思います。日本における起源は、紀元後であってそれほど古くはないのではないか、と思います。
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 1杯目。風呂配管周囲の土。1/3弱が石分。