21年6月5日 おまけ

 ここのところの急用とは、あちこちの神社を駆けずり回ったわけですが。5月31日に「古戦場八幡社」に行って、おぎのやの「峠の釜めし」を買って食べて。6月2日に市立博物館と東福寺神社に行って。6月3日に、須須岐水神社、古大穴神社に行って。6月4日の朝には、更に東信に行かなければいけないことになっていて、「今日は黄泉の国の底を這いずり回るにはよい日だ」と言われる。なぜなら、「4」日だから。で、松代の祝神社、会津比売神社によって、坂城の合地早雄神社、上田の二子神社、大星神社、上田大神宮、高市神社、生島足島神社、科濃大宮社に寄って。それから小諸の鹿嶋神社、佐久の伊弉奈美神社に寄って、帰りは大雨の中、高速を飛ばして帰って来て。再び須須岐水神社によって、守田廼神社によって、家に帰ったのでした。まだ、これから行かねばならないところもあるようですが。

 今回の目的は、要は「ご先祖様達への挨拶回り」と、「家長就任試験」等々ということで。金刺氏の初代といえる「武五百建命」を探しまくる。どうもその辺りが「ご先祖サマ」らしいので。「ん? ということは「家長」になる、ということは「信濃国造」になるということ?」と思う。国造とは、古代における律令制の前の「地方行政の長」のことだけれども、昔の首長とか王の主な仕事は「祭祀」ということで。どうも普通の政治ではなくて、「祭祀」の方をしないといけないらしい。「シャーマンの家系の者はシャーマンにしかなれない」と言われる気がするわけで@@。ご先祖様の墓回りもその一環らしいです。

 色々と収穫はあったわけですが、何に一番疲れたのか? と聞かれれば、大星神社でお守り選びの勝負の時、と思う。それから、鹿嶋神社でなんだか「我は伊邪那岐の剣」と言われた気がするわけで。古墳の石とかわざわざ運んできて神社の前に置いてあったし、「黄泉の国?」と思う。その辺りがなんだか疲れた気がします-;。

21年6月5日

 ここ2,3日、急用?ができて、出かけてばかりいたので、日記が書けず・・・。書く気力がありませんでした。今日はほぼ通常運転に戻ったので、通常のやることをこなそうと努力しました。外作業は母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、石片付け等、私が土の清掃、土掘りでした。

 テレビの方は、昼食時に「ニュースな会」の録画を見ました。

 私の部屋のDIGAがついにDVDに関する調子が悪くなって、一部に再生できないディスクが出て来てしまって。修理に出そうとしたら「2010年の製品だし、修理代でもっと性能の良い製品が買えます。」と言われたので新しいものを買って貰いました。でも、古いDIGAに見たい番組が録画されているので、古いものも捨てられません。
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 1杯目。1/5程度が石分。

21年6月2日

 今日はお出かけする日だったので、出かけてお手紙を出して。途中で母親が「古戦場にもう一回行かなければならない気がする。」と言って。私も「勘助宮」とか気になっていたので、急遽再度行くことにして。市立博物館とか、古戦場八幡社の作務所とか東福寺神社とか、前回行かなかったところを回ってきました。市立博物館は、もっと若い頃(子供の頃?)に行った記憶があるのですが、丁度「川中島の戦い」の企画展をやっていたので、それもちょっと見たくて。弥生時代の祭祀用?と思われる人面のついた土器に角が生えていて「うへえ」と思う。顔だけがある壺ってやっぱり饕餮? と思う。4世紀後半? くらいの、前方後円墳が長野県で作られ始めた頃の鏡に六芒星らしき文様があって「へー」と思う。もっと時代が下って平安時代の頃の祭祀用? の鏡が八角形でやっぱり「うへえ」と思う-;。あとは、栗田城趾から出土した善光寺如来を模したと思われる阿弥陀如来の像をみて「けっ」と思う。(栗田氏はそもそも善光寺別当を務めた家柄なので、善光寺と関連がないわけがないのですが。)それから、弥栄神社の祇園祭の際の華々しい巨大な山車(本物? 復刻モノ?)にじいさんの人形が御簾の前に置かれていて、誰かに「あれがここの核」と言われる気がする@@。「だいたい御簾の中にいるのは誰なのか?」と言われる気がするわけで。それは医薬神である牛頭天王か頗梨采女の「強い方」と思う-;。じいさんが前にいたら、御簾から出られないんじゃあ? とふと思う。

 それから古戦場八幡社の作務所へ行って、出土した瓦とかを見る。どうも5枚葉の紋の瓦があるので、オーソドックスではないけれども、梶の葉紋か? と思う。

 で、その後「勘助宮」を探して、東福寺神社に行く。これは東福寺地区にあった5社の村社のうち4つを合祀したもので、池田社があったところに建てたものらしいのだけれども、「魂」があるのはそこ、ということで。古戦場八幡社には首塚があって、八幡神の力を強めている。東福寺神社にはどうみても「御霊」の隻眼の山本勘助が祀られていて、建御雷神の力を強めている。で、どっちも合祀されている建御名方富命を押さえ込んでいる。そして南への結界を作っている、ということで結界を一つづつ外して、帰って来て。

 市立博物館では信玄と謙信の座像とかも展示されていたけれども、謙信の像の方が小さくて気になる。博物館周囲にも「武田菱」ばかりが目立つ気がして気になる。そして、合祀されなかった伊勢社も気になる。ので、家に帰って調べてみる。伊勢社は更に南の千曲川のほとりにあり、本来はやはり治水の神であったことが忍ばれる。どうも信玄の基地に使われていた、とか記録がある。で、更に色々と調べていたら、結局、初代の信濃国造と言われる武五百建命を祀った「祝(ほおり)神社」というものが目に付く。「祝」というのは「王」という意味だよね? 現代的にはね? と思う。そしてその妻は会津比売神と言われている。こちらは建御名方富命の孫女神と言われてる。・・・ということは、北信濃、特に善光寺平を開発した国造の金刺氏の最初の先祖は、金刺氏の夫と、諏訪氏の妻であり、彼らは南からやってきて、治水事業を行いながら共同で善光寺平を開発していった、ってことだよねえ? と思う。だけど、善光寺平には諏訪系の神社が溢れてるから、それは金刺氏にとっては、男系の氏族であるにもかかわらず「母方の先祖」を祀ってることになる。・・・金刺氏はなんで「父方の祖神」を祀らないのか? とそういうことになる。お犬の盤古サマでは、身分が低すぎて先祖としてはご不満なので、「先祖なんか関係ない」と言い張って知らんぷりを決め込むことにしたらしい-;。だけど、諏訪神だって、自分達の都合で八幡だの鹿島上だのと習合させているので、大事にしているわけではない。

 ということで、「代が変わったらまずはご先祖様に挨拶にいけ。皇室の人々だって橿原神宮に参拝するでしょうが。そして、会津比売の方を武五百建命よりも格上にする呪いをかけとくように。」と言われる気がするわけで-;。そのために、南への結界を解けって言われたのかーー、と思う-;。謙信が妻女山(この山は会津比売の墓があると言われている)に陣を敷いたのも、けっして偶然ではないらしいです。ともかく、手前勝手にねつ造というか、隠蔽というか、そんな感じになっている系図を正しくするように、と言われる気がするわけで。母系とも父系ともいえないような、好き勝手なことをやっている点は、母系の神からも父系の神からも苦情が出ている気がします。6月も忙しいぞーー、と思ったのでした。

 外作業は母親が土の埋め戻し、姉が土の清掃、石片付け等、私が土の清掃、土掘りでした。私は午後の作業のみ。今日の夕方、今年初の蚊を母親と私が見ました。でも、まだ夕方は寒いので動きがにぶく、簡単につぶせました。これから暑くなると嫌だな、と思います。

21年6月1日

 今日は出かける用事がなくて、外作業のみでした。母親は土の埋め戻し、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 テレビは、昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。
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 1杯目。風呂配管周囲。1/4程度が石分。
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 2杯目。風呂配管周囲。1/4程度が石分。
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 3杯目。風呂配管周囲。1/5程度が石分。

21年5月31日

 今日は新町病院で残りのカルテを開示して貰える、ということで、天気は良いけれども再び信州新町に行って来ました。古い家にも寄って、自力で持ち運べる荷物(細々としたものやこたつ)を車に積めるだけ運び出して。新町病院ではカルテを開示した上に、担当の事務方のお姉さんにお見送りまでして貰えました。でも、外科のカルテに「アレルギー性ショック」って書いてあって、「そんなことになったことないんだけど、なんのこと?」と母親が言ってました-;。敬礼してお見送りなのは、そういうことを突っ込まれたくないからかしらーーー、と思う。病院に入るときに今蚩尤がほくそ笑んでいたように思う。「カルテを読んで医者の手管を勉強するように」と言われる気がします。まあ、カルテもね、まあ変なので。日光角化症とかは切除しか希望したことがないように記憶しているわけですが。希望したのに意地悪して切除してくれなかったのは、医者の方だったと思います。カルテにはそういう風にも書いていないので、その辺りも「お見送り」の一因かと-;。そして、朝の9時に病院に行ったのですが、待合室に2,3人しか患者さんがいなくて。平日の朝なのに、この閑散ぶりは何? と正直思いました。過疎ってこういうことなんだなー、という感じでした。

 外作業は、母親は土の埋め戻し、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘りでした。午前中留守にしたので、私と母は午後のみの作業でした。

 テレビは、昨夜は「ニノさん」の録画と「A studio+」の録画を見ました。お昼は「食宝ゲットゥーン」の録画と「A studio+」の残りの録画、「少年倶楽部」の残りの録画を見ました。それから翔ちゃんと池上彰の特番も少し見て。ロシアのスパイの行状を明らかにする「ベリングキャット」という人達のリーダーが登場していて。「その人の目は誰に似ている?」と聞かれる気がするわけで。・・・「ニュースな会」の常連と化している久住センセいとかに似てる気がする、と思う。青い服を着て、どこかに意思を感じさせる「目」の人達である。で、「猫に首をつけたけれども、恐ろしくてつけられない鼠のようなもの」と言われる気がする。・・・自分では怖くて行動できないけれども、他者の後ろ楯があれば、その範囲で動ける人ってことですよねえ? 太陽の光に依存して輝く「カオナシの月」のようにねえ? と思う-;。要は今蚩尤の関係者の方? と思う。そういう人達が私の目の前に出てこれるようになったことが、こちらが良くなっている証拠のようにも感じます。

 ・・・で、本日の「オカルト」・・・・。・・・キンプリのYouTubeチャンネルが開設されたので、ここのところ毎日見ていて。それに昨日はP様のインスタが更新されて動画がアップされていたので、何度もそれを見ていて。山下君もクールで色気があって、気品すらも感じるたたずまいであって、よくよく「いい男だ-」と思う。で、今日の帰りは、古い家に置いてあった朋ちゃんのCDを「懐かしいな-」と思って聴いていて。そうすると、なんだか「古戦場へ行って釜飯を買うように」と言われる気がするわけで@@。・・・だいたい、釜飯とどういう関係が? と思う。そうしたら、「名前には偶然に見えて、みんな意味があるんですよ。荻野の千尋さん?」と言われる気がするわけで@@。荻野とは、鎌倉時代頃の信州新町の地名である。今でも津和野山奥にそういう地名が残っているらしいし。というわけで、なんだか市尾は食べた方が良さそうな気がするので、古戦場まで行く。そうしたら道路沿いに市立博物館があって、その敷地の中に神社らしきものが見えて。しかも地名は「八幡原」だから、神社は「八幡神社」なのだろうか、と思う。そうすると、「古戦場とは大勢の人が普通でない死に方をしてるところなので、死霊がたくさんいるところです。昔は小松原の方まで戦場で、死体が多く出て人魂が飛ぶ、と言って嫌がられたくらなんだから、と言われる気がするわけで@@。で、「八幡神社とは、古戦場の死霊を集めて、八幡の名前で使って、境界(結界)を作って東京方面からの人の出入りを管理するものでは?」と言われる気がするわけで@@。行ってみたら、境内の中に「首塚」があって。武田方の武将が、敵も味方もなく、埋葬したもの、と書いてあって。「首塚」とは元は、「首を境界に埋めて、土地を清めた」という思想に基づいたものなのでは? と思う。建御名方富命も共に祀られていたので、元は治水のための諏訪大明神が祀られていた聖地に塚を作って、八幡を祀ったものなのでは? と思う。・・・本当に「境界」を設定するための「首塚」があったよ@@、と思う。そこで、結界を解くためにお参りしました。