21年6月28日

 本日は外作業のみでした。外作業は、母親は土の清掃、土の埋め戻し、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土掘り、土の清掃でした。午後は丁度17時頃から雨が降ってきて、作業ができませんでした。

 テレビは、昨夜は「ニノさん」の録画の続きを見て、昼は「食宝ゲットゥーン」と「おしゃれイズム」の録画を見ました。

 昼寝をしている時に夢を見て。なんだかドライブをしていて、どこかの海岸みたいなところに行って。海辺にいろんな生き物?がいて、潮が満ちてきたら半分にちぎれている魚?みたいなものが生き返って泳ぎ出す、というような夢を見ました。

 ところで、阿弥陀如来というと、「阿弥陀三尊」で祀られていることが多いです。善光寺如来も「一光三尊」といって、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩が一つの光背の前で並んでいます。阿弥陀如来をローマ式にハーデス・プルートー(冥界神)とすると、観音菩薩と勢至菩薩は何? と思うわけです。観音菩薩は、本来は男性形ですが観音経に「女性に対しては女性に変身して説法することもある」ということで性がない、あるいは中国から日本では女性的な形と考えられることが多いようです。そして、観音菩薩は「慈悲が広く、優れた現世利益を持つ」とされているそうです(Wikipediaより)。そして、もう一方の勢至菩薩(せいしぼさつ)は単独で拝まれることは少ないのですが、「火途・血途・刀途の三途、迷いと戦いの世界の苦しみから知恵を持って救い、その亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせる菩薩とされる」そうです(wikipediaより)。で、阿弥陀三尊というときは見る側から向かって

勢至菩薩 ー 阿弥陀如来 ー 観音菩薩

と並んでいます。勢至菩薩の性質はプチ救世主という感じですし、男になったり女になったりする観音菩薩はキュベレーを彷彿とさせます。これは、

子 ー 父 ー 母

という組みあわせを元にした三つ組みなのではないでしょうか。古代エジプトで一番有名なのは

ホルス(太陽神・子) ー オシリス(冥界神・父) ー イシス(母神)

という組みあわせで有り、なんだかこういう地中海周辺的な家族的神々を彷彿とさせる気がします。善光寺では、本堂の正面には御三卿といって

本田善佐(子) ー 本田善光(父) ー 弥生御前(母)

という創始者家族の像が祀られているわけで、これもご本尊といえます。というか、この構成は

善佐(勢至菩薩) ー 善光(阿弥陀如来) ー 弥生(観音菩薩)

となぞらえているのではないでしょうか。善光寺の一番古い形は

彦神別神(子) ー 諏訪神(父) ー 八坂刀売(母)

で、元々の一番の中心的神は彦神別神だったと思われます。とすると、本当の中心的祭神は

彦神別神 = 善佐 = 勢至菩薩

なの?? と思われますが、4世紀には楽しい「三位一体論」がローマ教会の主導によって確立してますので、ローマ式には

善佐 = 善光

ということなので、善佐 = 善光 = 阿弥陀如来

で全然構わないわけです。全部「一体」で永遠のものらしいです。古代エジプト式に当てはめると

ホルス と オシリス は同じもの

と言ってるのと同じです。ギリシャ・ローマ的にいうと、ちょっと変則的ですが

アドーニス ー ハーデス・プルートー ー ペルセポネー

となり、多神教であった頃の、古代ユダヤであれば

アダム ー ヤハウェ ー アシェラ

といえたかもしれません。ともかく、古代の地中海周辺地域は、こんな感じの「父と母と子」の組みあわせの神々が信仰の対象となることが、あちこちで行われていました。そこに、更に色々な各地の神々が習合されて、「大家族」を形成された究極の姿がギリシャ神話だったのかもしれないと思います。古代エジプトにも大家族の神々が存在していました。でも、こういう家族的神々を「全部同じ物」としてひとまとめにしてしまったのは、ローマ教会だけなわけです。だから、本来「子神」であったはずの「善佐(彦神別神・勢至菩薩)」を「善光(諏訪神・阿弥陀如来)」と同じもの、として

彦神別神 = 阿弥陀如来

として縮めてしまうような思考回路というか考え方が「ローマ式」なわけです。で、その一方で、ご都合主義的に

諏訪神 = 本田善光

と暗示するようなことは全く示されていないわけで、何も知らない人から見れば、なんで善光寺の周辺に善光寺を守るように諏訪系の神社が大量にあるのかが分からないわけです。特に時代が下ると彦神別神は八幡神に置き換えられてしまうわけですから、八幡神を中心とする「三位一体」といったら

八幡神 = 仲哀天皇(でなきゃ日本武尊) = 神宮皇后(両道入姫命)

となるわけです。東征を行った日本武尊=諏訪神とすると、

諏訪神(日本武尊) = 本田善光 = 彦神別神 = 八幡神 = 阿弥陀如来

と作り替えられていったのだと思います。でも、本田善光は伝承からは信濃国造の関係者で、先祖の建五百建命は諏訪神の婿的存在とされていますから、善光寺界隈の諏訪系神社の諏訪神とは、「建五百建命の代理(舅)」とみなすくらいが良いのではないかと思います。とすると

建五百建命 = 本田善光 = (彦神別神) = 八幡神 = 阿弥陀如来

となって、系図的にはかなりすっきりするのではないか、と思います。ともかく、本田善光とはお寺がほぼ官営であった時代にお寺の創設を認められたくらいの人物ですし、金刺氏の関係者であったと思われますので、何代目かの信濃国造その人であったとしても全く不思議では無いと思います。そして、代々の国造が「建五百建命」を襲名していったとすれば、善光も善佐も「建五百建命」であって不思議ではないのです。本田善光を彦神そのもの(この場合は建五百建命)とすると、その子供は彦神別神、すなわち本田別命、となって八幡神になってしまうわけです。あら不思議。ということで、何故か天皇家とはあまり直接の血の?がりがないはずの建五百建命が応神天皇と習合して皇祖神みたいになっているし、そう扱われていたわけです。どうしてそうなるのか、ということになります。

 日本の神々は、大雑把にいって、天孫系と出雲系に分かれる、と言われます。出雲系というのは、島根県を中心として大国主とか、主に地上で活躍して、かつ「天孫」が天から降りてきた時に国土を譲った神々、といえると思います。いわゆる「国譲り神話」というやつです。その一方、「天孫系」というと、代表的な「天孫」は天皇家であって、この場合の「天」とは天照大神のことを指します。でも、良く考えたら、「天の神々」とされているのは天照大神だけではありません。天照大神は、イザナギ・イザナミから始まる系図の神ですが、それ以前に造化三神といって、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)神産巣日神(かみむすひのかみ)」という神々に代表されるような「別天津神(ことあまつかみ)」というものがいて、彼らが一番最初に現れたというようなことになっています。こうやって「別」とかってつけてどんどん神々は増やせるんだなあ、と個人的には思います。で、この造化三神にも子孫がいるわけで、天照大神の子孫はまた別の「天孫」といえるわけです。そして、天照大神は造化三神の後に出現したイザナギとイザナミの子であって、造化三神からみれば、ぺーぺーの神サマに過ぎないわけです-;。

 で、造化三神の方には

高御産巣日神 → 天活玉命(性質はイザナギに同じ) → 建五百建命、宇佐氏

という系図があるわけです。だから、天活玉命をイザナギとすれば、これは皇祖神でもあるし、金刺氏の祖神でもあるし、宇佐氏の祖神ともいえるわけです。八幡神は元々、宇佐氏の祖神として祀られていたのですから、

天活玉命 = イザナギ = 八幡神 = 建五百建命 = 本田善光

とすれば、ローマ式数珠つなぎで、みんな「同じもの」といえてしまうわけです。それだけではなくて、信濃国造家は天皇家に対して

「あんたんとこの神サマはうちの神サマの下で働くぺーぺーの神サマ」

って言えてしまうし、八幡神は天照大神の上を行く「皇祖神」として祭りあげることも可能になるかもしれません。聖徳太子が、本田善光も同然の善光寺如来にわざわざ父親の供養のことについてお手紙差し上げた、というのも阿弥陀如来を先祖のイザナギの化身、本田善光を自分よりも格上の神から出た存在だ、と思っていたとしたらどうでしょうか。

 ともかく、応神・仁徳天皇の家系は、北九州初であって、海の向こうからやってきた後発氏族といえますので、日本の国にそれ以前から住む人々、それ以前から存在していた神々と無理矢理結びつけるために、色々な試行錯誤がされたのだと思います。その結果、表面上は単なる地方豪族、単なる国造家に過ぎない人々の祖神の方が、よくよく見ると天皇家よりも格上、という妙な系図が巧妙に産み出されたのだと思います。

 特に、多少の血縁関係はあったとしても、大元は異なると思われる景行天皇と仁徳天皇を、系図の上で無理矢理「直系」にするために、よくよく無理をしているし、それに関して、相当な軋轢があっったのではないか、と思われます。特に景行天皇の家系は出雲系と思われ、仁徳天皇の家系はそうではないと思われますので、出雲系の神々を「負け組」として皇祖神からはじき出しつつ、結局は取り入れざるを得ない、という矛盾を解消するのは大変だったのではないでしょうか。

21年6月27日

 本日は外作業のみでした。外作業は、母親は土の清掃、土の埋め戻し、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土掘り、土の清掃でした。今日は、結局夕方はほとんど雨が降りませんでした。そして、だんだん清掃作業を始めた頃の位置に戻りつつあって、今日はトイレの下を久しぶりに掘りました。バケツに半杯ほど石が出ました-;。

 テレビは、昨夜は「SHOWチャンネル」の特番を見て、昼は「ニノさん」を見ました。翔君がMUSIC DAYのMCをして、アルトサックスを吹くって言ってた・・・。私もサカナ君のように中学の時は吹奏楽部に入っていて、アルトサックスをやっていて。(私は魚の水槽だと思って吹奏楽をやったわけではありませんがー;。)親が「偶然じゃないと思う」と言ってましたが、私もそう思いました。

 そして、金曜日は藤ヶ谷君のお誕生日でした。おめでとうございます<(_ _)>。

21年6月27日

 本日は外作業のみでした。外作業は、母親は土の清掃、土の埋め戻し、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土掘り、土の清掃でした。土掘りをする時は母親が助手をしてくれるのでとても助かります。今日は珍しく、夕方雨が降りませんでした。雷は鳴ったけど。

 テレビは昼は「ニュースな会」を見ました。夜は、偶然テレビをつけたら「世界一受けたい授業」に廉君が出ていました。

 死神信仰がなんでよろしくないのかというと、要はこれは来世、すなわち「死んだ後」のことだけ考えていろ、という宗教だからだと思うわけです。死んだ後に、天国に行かせて下さい、とか、極楽に行かせて下さい、と担当の死神に御願いする宗教といえます。そうすると、あれこれやりなさい、と言われます。そうしたら、人は普通、「やれ」と言われたことを心がけるようになると思います。それも、あんまり大変なことではなくて、持っているお金の内、少々をお布施で上げなさい、とか、南無阿弥陀仏と言いなさい、とか誰でもできるようなことを求められるわけです。難しくてできなさそうなことを求められれば、大衆はついていけなくなるからです。

 そうして人々が「来世」のことに気を向けて集中するようになると、当然現実の今の生活への不満とか不平から気がそれることになります。「今が辛くても来世が良ければそれでいいや」となる。そうすると、人々は不平や不満を我慢して、来世でいい思いをしよう、と思うようになります。個々の一人一人の不満は抑えられることになる。

 その一方で、人々が特定の「神サマ(この場合は死神)」に入れ込んで、来世で救われたい、と思うようになったとします。人々の、現実世界への不平・不満は抑えられます。その一方で、神サマが不満を持ったらどうなるでしょうか? 神サマは自分の不平や不満を解消するように、信者に求めます。そうすると、信者は来世で救われたいから神サマの不平や不満を解消しようとします。その上、神サマに協力すればちょっとしたお小遣いまで貰えるかもしれません。神サマというものが、精神的なもので観念的なものなのだとすれば、この場合の「神サマの不平や不満」とは、要は神の声を人々に伝える神官の不平・不満、また神官と結びついた政治家の不平・不満ということになります。だから、人々は自分の不平や不満は我慢するけれども、要は神官とか政治家とか、目上の権力者の不平・不満を解消するための道具として使われるようになります。だから、自分の不平・不満のために他者を攻撃したりはしないけど、上(神サマ)から他者を攻撃するように求めるとそれには従うようになります。一方では来世で救われたいし、現実にちょっとしたお小遣いも欲しいし、もう一方では自分が神に逆らう存在、と認定されて攻撃されたくないからです。

 例えば、古代から中世にかけてもローマ教会は、法皇はイタリア人の貴族であって、法皇が「神の命令」と言ったことは、要は貴族の政治に都合の良い内容だったのだと思います。人々は自らの不平・不満は我慢しなければなりませんでしたが、「神の命令」に従って、「異端」とされた人々を攻撃したり、拷問にかけたりしていました。それが正しいことだとされていて、「それはおかしい」といえば、そう言った人も攻撃の対象となったと思われます。この場合は、キリスト教は表向き一神教ですので、来世を約束する「冥界神(死神)」の役割もイエスが果たすことになりました。だから、イエスは状況によって、「天の父(ユーピテル)」と一体化したものであり、医薬神(アスクレピオース)でもあり、救世主(ミトラス)でもあり、冥界神(ハーデース・プルートー)でもあったわけです。でも、ご当人は死んでいるわけですから、そういうものに本人がなりたかったかどうかは見向きもされなかったわけです。

 で、阿弥陀如来は冥界神ですので、ハーデース・プルートーだったとします。大乗仏教は紀元後にインドの北西で成立した宗教ですので、ギリシャ神話等、西欧の神話の影響を受けていたと思われますし、ギリシャ神話はローマ神話と同一視されていましたし、当時のローマは、ローマの神々をイエス・キリスト一人の名前にすり替えて、ローマのために利用する方法が確立されていました。ローマは武力で外国を征服して支配するだけで無く、キリスト教を外国に布教することで、ローマの政治家の意思に反する者を「異端」として排除することで、宗教の側から外国を征服しようとしていたのではないでしょうか。ヨーロッパ内では、なんだかんだ言って、どこもローマ・ギリシャと似通った多神教を信仰していましたので、それをキリスト教に置き換えることは簡単だったのだと思います。各地の神々を、キリスト教の聖人に仕立てて、キリスト教に取り込んでしまうということもありました。でも、離れたアジアでは、神々の性質も、人々の思想もヨーロッパとは異なってきますので、それなりの工夫が必要です。インド付近で、小乗仏教と出会ったので、仏とか菩薩とか、神々の数をやたらと増やして、ローマ式の多神教とまぜこぜにして作り上げたのが大乗仏教なのではないでしょうか。だから、ローマ人が主に好む「天の神(帝釈天=インドラ)」とか、ハーデース・プルートー(阿弥陀如来)とか、アスクレピオース(薬師如来)とか、ミトラス(弥勒菩薩)とか、一通り揃っていたわけです。

 ついでに言うと、盧舎那仏とは、インドラの敵対者のアスラの名前ですので、ギリシャ神話的にはウラノス・クロノス、ローマ的にはウラノス・サートゥルヌスが相当する神なのだと思います。アフラ・マズダではなく、ウラノスといえば? と個人的には思います。まあ、子音的にはどちらも同じ「ヴァルナ」から派生した神と言えます。ローマの神々を大乗に当てはめた人達も、インドの神々と、ローマの神々が元は同じ印欧語族の神であることを百も承知してやってたのだと思います。

 ということで、古代のローマ教会とは、要はローマの神々をひとまとめにして、イエス・キリストに取り憑いたものといえる、と個人的には思うのです。これをなんと言うか、「ヤドリギ理論」と呼びたいと思います。ローマの神々が、イエスという木にヤドリギのように取り憑いて、栄養を吸い上げているわけです。だいたい、ヤドリギそのものが印欧語族の間では広く「神聖なもの」とされていました。特に「神聖な木」に宿るヤドリギは特別なものとみなされていたようです。それは、「神に取り憑くもの」こそが最大の権力者である、という暗喩のようにも私には思えます。

 フレイザーの「金枝篇」はあまりにも有名ですが、冒頭にはネミの森の祭祀が書かれています。「ディアナ・ネモレンシス(森のディアナ)神をたたえたこれらの聖所には、「森の王(レックス・ネモレンシス)」と呼ばれる祭司がいた。逃亡奴隷だけがこの職につく事ができるが、「森の王」になるには二つの条件を満たさねばならなかった。第一の条件は金枝を持ってくる事であり、第二の条件は現在の「森の王」を殺す事である。」とWikipediaにあります。「森の王」はディアナ女神の夫であり、祭司であるといえます。何故「森の王」になるためには、金枝(ヤドリギ)を手に入れる必要があるのでしょうか? それは、「森の王」自身がディアナ女神の木に取り憑くヤドリギであり、先代の王に取り憑いて殺すヤドリギだからではないでしょうか。そして、印欧語族の多神教の神々が、各地で似通った神話、似通った構成を持っているのに、それぞれが異なる、というのは、それぞれに展開した地で、各地の土着の神々にヤドリギのように取り憑いて、食い殺したり、変形させてしまった結果なのではないでしょうか。征服した各地の神々に取り憑いて「ヤドリギ理論」で、印欧語族の神が一番偉い、ということにしてしまった結果といえます。

 というわけで、上座部(小乗)仏教にローマ的多神教が取り憑いて、大乗仏教として東アジアに広まります。で、多かれ少なかれ、各地の土着の信仰と習合しますが、特に中国と日本では、「仏教が最優位」という展開はできなかったように思います。中国では、先祖崇拝が盛んですし、関羽廟とか孔子廟とか、現実に生きていた英雄や偉人を神として祀る習慣も盛んです。だから、大乗仏教とは、仏教に取り憑いたローマの神々だったとしても、ローマの神々が全てを支配することはできなかった国といえます。日本は日本で仏教はまた独特な展開をみせます。

 物部氏と蘇我氏が仏教の導入に伴って対立した、という事実は有名ですが、その後は仏教と神々は「神仏」というとおり、同じように祀られて、同一視されていきます。大乗仏教が「ローマ」と同じものだとしても、日本の場合、ローマ一色に染まった、ということになりません。何故なら、記紀の中でユーピテルに相当する建御雷神は主神ではなくて、イザナギや造化三神よりも下位の神に過ぎません。「ヤドリギ理論」からいえば、イザナギや造化三神の方が、ユーピテルに取り憑いている「ヤドリギ」といえます。だから、仏教がいかに「ローマ」そのものであっても、それに取り憑く日本固有のヤドリギがある限り、ローマの神々は「ヤドリギに取り憑かれたヤドリギ」として、寄生される存在でしかなくなるのです。ローマの神々がどんなに偉大でも、親であるイザナギとか造化三神に逆らったら、「親に逆らう親不孝者(異端)」とされて、イザナギや造化三神に支配されている人々から攻撃されてしまうわけです。死にたくなければ言いなりになるしかない、のはローマの神々も同じ、ということになります。記紀神話の成立と体系化は仏教が入ってきたよりも後ですので、これは大乗仏教の性質を良く理解した人が、「ヤドリギ」として大乗仏教に取り憑くために記紀神話を造ったし、それに基づいて神仏習合を進めた、とみるしかありません。だから、日本の古来の宗教は「神仏」が揃っていてこそ正しいのであって、どちらか片方だけでは「片手落ち」に出来ているのです。日本固有の神々は、イザナギ>建御雷神という構成以外は各氏族の祖神を主に取り扱っているわけで、そういう点は中国の祖先信仰と似通っています。でも、それだけだと名のある氏族は神々の序列に組み入れられるけれども、名もなき庶民が属する位置がなくなってしまうのです。庶民には良く分からないご先祖様よりも、豊穣をもたらしてくれる神、病気を治してくれる神、世直しをしてくれる神等、普遍的な神々が求められます。結局、仏教は歴史の過程で、その位置に入り込むことになります。そうすることで、日本の国は、「先祖の神が分かってる身分の高い人々」と「先祖が良く分からない庶民だけれども仏様を拝んでいる人々」という身分秩序というか、階級みたいなものが全ての人々を網羅して成立することになったのでした。だから、日本の国ではローマの神々が取り憑いて支配するどころか、「ローマの神々(大乗仏教)」=「身分の低い人のための神々」と決められて、ローマの神々の方が支配されてしまっているわけです。

 逆に言うと、「身分の高い人」に対して、わざと先祖の神を隠して、「お前なんか仏でも拝んでる賤民になってろ」と言っていやがらせをすることもあったと思います。・・・というか、こういう嫌がらせは現在進行形であることなんじゃん? と思う。

 それはともかく、結局、そうやってつきつめていくと、印欧語族の神々のほとんどは、ヤドリギに取り憑かれて操られている「操り人形」のようなものに過ぎないのです。より、「身分が低い」と決めつけられた人々を支配するための操り人形です。では、そもそも、神々を適当に作り替えては、土着の神々に取り憑いて支配する「ヤドリギ理論」の元締めは誰なのですかね? ということになります。それは明確に「ローマの神々は下々のための神々」と定義して当然と思っている人なのではないのですかね? と思う。

 曰く、イザナギ、天御中主、生国魂といえば、人としては武五百建命か? となる。最近碓氷峠熊野神社というところに行ってきたわけですが。上州の側にはイザナギ、天御中主が祀られていて、イチイの木のご神木にはヤドリギがついていたような気がするわけで。なんだか、象徴的だー、と思って。ご神木はご神木である。神に取り憑いたヤドリギ、祭司とは何者のことなのだろうか? と思ったのでした。(というか、ネミの森の祭祀者って要は「ヒモ」ってことなのですかねえ? と思う。皇帝の王権の象徴である祭祀者は「ヒモ」であるらしい・・・。アッティスですか? というか、西の方には往々にしてアッティスのように「ヒモ万歳」みたいな信仰がある気が・・・-;。)

21年6月25日

 本日は私は、出かける用事がなかったので外作業のみでした。外作業は、母親は土の埋め戻し等、姉は土の清掃、石片付け、私は土の清掃でした。今日も夕方は夕立で大雨が降りました。

 テレビは昨夜は「VS魂」を見て、今日の昼は「夜会」の録画を見ました。

 盧遮那仏は大乗仏教特有の神、と書きましたが、阿弥陀如来も大乗仏教特有の神です。というか、仏教は本来の仏教の形式を伝える上座部(いわゆる小乗)仏教と大乗仏教に別れ、上座部仏教の方は、原則として「仏」とは釈迦牟尼仏のことのみで、例外的に少数の「仏」が存在するのみです。大乗の方は、やたらと多くの如来や仏が存在して、しかも観念的なものが多く、何が由来なのかはっきりしないものが多いのです。梵天(ブラウマー)や帝釈天(インドラ)のように、バラモン教由来の神々であることがはっきりしているものもありますが、そうでないものの方が多いようです。上座部仏教は「自らが修行して悟りを開くこと」を目的としていますが、大乗仏教は「出家者に限らず在家者を含めた一切の衆生の救済」を目的としており、自己救済よりも他者救済を解きます。そのため、上座部仏教からは「異端」とされています。個人的には、それでも「自力本願」を謳っているうちは、本来の仏教的な要素がまだ残っていた、と感じますが、「他力本願」と言いだして「修行」とか「悟り」ということをよくよく形骸化してしまった(「南無阿弥陀仏」と唱えれば良いだけの修行)以降は、良くも悪くも本来の仏教の思想からはかけ離れてしまった、と思います。そして、本来の仏教の思想は、「一人一人が修行しなさい」ということですので、「個人の救済」というものを重要視しているように思えますが、「誰でも救済」ということになると、必ずしも個人の救済、ということは意味しなくなります。古代の北東アジアの仏教の思想では、「救済」されるのは国家であって個人ではありませんでした。正式な修行者である僧侶ですら、国家鎮守のために存在するのであって、自らが悟りを開くために修行していたのではない、といえます。各種仏や菩薩も「国家を守る」ために存在していたのであって、「自ら悟りを開いた仏」であるから尊重されていたわけではありません。そもそも、お釈迦様自身が、王子としての地位や国家を捨てて、自らの悟りのために出家しているわけですから、国家鎮守を主な目的とする古代北東アジアの仏教なんて、お釈迦様の思想からは完全に「逆を向いている」わけです。別にそれが必ずしも悪いこととは言いませんけれども。でも、どんな宗教でもそうですが、大衆化・一般化するほど、宗教的な深遠な意味を追求するのではなく、凡庸化・平易化が求められると思います。でないと、一般庶民はついていけないからです。でも「平易化」されて「南無阿弥陀仏」の一言で良い、とされてしまうと、それがそもそも何を意味するのか、何を目的とするものなのかがはっきりしなくなって、要は形式を繰り返せば良い、ということになって「意味を理解する」ということは乏しくなります。「悟り」とまでいかなくても、人々が自分の頭で意味を考えて理解する、ということはどんどん希薄になっていく。そうして、「何かを信じていれば救われる」とか「天国へ行ける」とか、そういう本当かどうかも分からないことについて、何も考えることが求められない「宗教」ができあがって行く気がします。でも、仏教だって、本来のキリスト教だって、元々は、色々と問題のある世の中に対して、「自分の頭で考えて行動しなさい」ということが求められるものだったのではないのかなあ? と個人的には思うのですが。でも、誰かそれをねじ曲げてしまう者がいる気がします。

 個々の人が「悟りを開くこと」を重要視する仏教は、それまでのインドが階級社会で、しかも悟りを開いているのかどうかも怪しいようなバラモン(いわゆる神官階級)が一番偉い、とされていたことに対抗して、身分の低い階級の人でも、自ら悟りを開けば尊敬されるべき立場になることができる、という、一種の「生まれながらの階級否定」という性質がありました。お釈迦様が国を捨てたのも、「国を治めるような俗世の階級から抜け出た者」という意味があったのかもしれないと思います。それが観念的な神々、いわゆる如来とか菩薩を大量生産するように変化したのは、仏教を余所に広める際に、大抵の地域は素朴な精霊信仰も含めて多神教であって、大抵の神々には職能があって、人々に施す恩恵も神によって役割分担がある、という状態だったので、それに対応する形で仏教的神々が整備されたり、仏像に対する崇拝が生まれたものと思われます。初期の大乗仏教はインド北西のガンダーラ地方(現在のアフガニスタン~パキスタン)で発達しましたが、そこは古くはアケメネス朝、アレクサンドロス大王(ギリシャ人)、パルティア(イラン系民族)と支配者が入れ替わったので、ギリシャとかイラン系の文化が根強い地域でした。初期の仏教遺跡にはギリシャの神が現されたりしていたのです。ギリシャやイラン系の多神教の影響を受けて、仏教も多神教化し、神々の職能も整備されたのでした。そういう状況ですから、薬師如来がアスクレピオス(ギリシャ神話の医薬神)を元にしたものであっても、全然不思議ではなかったと思うのです。

 では阿弥陀如来って何でしょうか? 阿弥陀って極楽浄土の神サマです。要は、冥界の神ですから、元はギリシャ神話のハーデース、ローマにおけるプルートーだと個人的には思います。「ハーデースは全ての者を受け入れる神としても信仰されていた。神々に寵愛されるほどの英雄は除いて、金持ちも貧者も死後は等しく冥界へと下るからである。」とWikipediaにありますので、善光寺の趣旨にはぴったりの神サマであると思います。仏教の趣旨には合わないけど、となる-;。また、ハーデースについては「軍神アレースと密接に繋がりがあり、アレースが戦争を巻き起こすと、戦死者の魂が冥界に多く下ることになり、ハーデースの地下の王国は巨大になるとされた。」とありますので、これは阿弥陀如来と同一視された八幡神と同じ関係といえます。軍神である八幡神が頑張って戦争を起こせば起こすほど、阿弥陀如来の国は住人が増えて栄えるわけです。一方ハーデースは「富める者」でもありました。地下の鉱物資源の神ですし、穀物は大地から生えますし、ともかく死に神は一度自分の内側に溜め込んだ物を話さないので、富むしかないからです。だから、ハーデース信仰といったら、死に神信仰であって、死後良い思いをしたい、という信仰でもあるし、現実でも富貴を得たい、という信仰でもあると思います。死神の手先になる代わりに、生きていくのに最低限必要なお金だけは恵んで貰える、とそういうことは良くある話のような気がします。日本では本地垂迹により、八幡神、イザナギ、月読等が阿弥陀如来と習合しましたが、これらの神々は全て冥界神としての性質を持っていたといえます。誰かを殺す手伝いをすると、小銭を支払ってくれる冥界神ですな-;。だから、「冥界神信仰」というと、誰かを殺す手伝いをする代わりに、小銭を下さい、という信仰ともいえます。そういう汚い仕事を手伝いたくない、なんて言ったら、小銭が貰えなくなってドライアップさせられ、自分が殺される側になってしまうのが「黄泉の国」なのではないでしょうか。

21年6月24日

 本日も出かける予定があったので、姉と出かけてきました。用向きは多くなかったので、早めに帰ってくることができました。

 外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土の清掃でした。最近は午後に夕立のような雨が降ることが多いです。

 平安時代中期以後に

武塔天神(ミトラス)=牛頭天王=素盞嗚(すさのお)=薬師如来(本地垂迹)(イエス)

という習合が進む以前、奈良時代に薬師信仰が流行しました。各地の国分寺、国分尼寺で薬師如来が本尊として祀られたそうですから、この場合の薬師如来は病気平癒という本来の役割を越えて、国家平癒(災害除け等)の役割も持っていたことと思われます。時代は聖武天皇から称徳・孝謙天皇にかけて、と思われます。この時代に「八幡神」というものも登場して、応神天皇と習合し、これもあっという間に普及して、「天皇家の祖神」と公式にみなされることになります。孝謙天皇が道鏡と結婚したくて宇佐八幡宮に神託を仰いだのは有名な話です。

 国分寺、国分尼寺の総元締めとも言うべきは、聖武天皇が建立した東大寺だと思います。ところが、東大寺の本尊は薬師如来ではありません。東大寺の本尊は、有名な大仏で、盧舎那仏(るしゃなぶつ)といいます。「宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。」と言われているそうです。密教においては大日如来と同一視されるそうです。盧舎那仏(るしゃなぶつ)の起源をゾロアスター教のアフラ・マズダに求める学説もあるそうです。でも、ヒンドゥーの盧舎那仏(るしゃなぶつ)に相当する神は「ヴァイローチャナ」と言って、インドラと対立する神ですので、ゾロアスターに起源を求めるのであれば、「アシャ・ワヒシュタ」の方が相応しいのでは? と思います。ゾロアスターでは「火の守護神」とされ、聖火そのものとも見なされたそうですので、お水取りの行事等には、アシャ・ワヒシュタの方が相応しい気がします。アシャ・ワヒシュタは、アヴェスター語で「最善なる天則」を意味するそうですので、盧舎那仏(るしゃなぶつ)とは「天の法則」を司るような神とみなされていたのかもしれません。要は、この神が国分寺・国分尼寺で祀られていた薬師如来よりも「格上」に置かれていたのだと思うのです。

 インド・イランの神話、そして文化は「善悪の二元論」とか「光と闇の二元論」などと言われがちですが、大雑把に言うと、その大元は彼らの多神教の構成にあります。一方に、大女神アーデティーヤから生まれた、とされるヴァルナ・ミトラを頂点としたアスラ神群と、天の父神ディヤウスと地母神プリティヴィーから生まれたインドラ・アグニ等を要するデーヴァ神群という二つの神々の部族が存在し、アスラ神群とデーヴァ神群が対立しているのです。イランの側ではアスラ神群が「善」とか「光」とされ、デーヴァ神群は「悪」とか「闇」とされます。インドの側では、デーヴァ神群が善、アスラ神群が悪とされて、イラン側の神話と神々の立場が逆になっています。東大寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ)の起源がゾロアスターの「善なる神」だとすれば、バラモン教を起源とするインドの側では、逆に「悪い神」となってしまいます。だいたい、仏教の神々はバラモン・ヒンドゥーと共通していることが多いのに、なんで盧舎那仏(るしゃなぶつ)だけゾロアスター? となります。しかも、これも大乗仏教固有の神ですので、意図的に合成された神である可能性もあります。表向きはアスラ神族の悪い神をわざわざ盧舎那仏(るしゃなぶつ)として「宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。」と変えてしまうことは、神の意味するところを「逆向き」にしてしまっているのです。本当は、人々にとって「悪い神」であるものを、無理矢理「良い神」である、と言って人々に強引に押しつけているのではないでしょうか。まあ、あれだけの大仏を造って人々を強制的に働かせる事業そのものが、悪神に相応しい所業ともいえなくもありませんが。ゾロアスターの側からいえば、盧舎那仏(るしゃなぶつ)こそがインドラやアグニと対応する神として相応しいと言えるかもしれません。デーヴァの神々は基本的に、階級制と搾取を肯定する神々だからです。

 西欧社会は階級社会と言われますが、彼らの本来の異教の多神教の主神であるユーピテルとかゼウスはディヤウスと同語源ですので、西欧のキリスト教化前の多神教はデーヴァ神群の多神教といえます。別系統のヴァルナ・ミトラに対する信仰そのものは、非常に古い時代に印欧語族の大部分の中で廃れてしまっていたのでした。おそらく、その理由は、ヴァルナ・ミトラは「男と男」の組みあわせであって、自然の摂理からいえば「男と男」からでは子供は生まれないから、とか、そういう単純なものだったのではないか、と想像します。だから、ミトラをプリティヴィーに書き換えて、「男と男」の組みあわせを「男と女」に書き変えてしまったのが、デーヴァ神群の神話だと思うのです。でも、この「書き換え」が良く無かったわけです。おかげで「女」とは「男の一部から作った物」みたいな神話ができあがってしまって、女性はできそこないの男性、みたいになってしまい、女性差別の大きな原動力となりました。古いヴァルナ・ミトラの組みあわせの神々は、イラン高原の印欧語族の間に残り、ゾロアスター教の中で「契約と友愛の神々」として再生されました。スラブ系の人々の間には、ペルーンとヴォーロスという組みあわせで天空神ヴァルナが残されました。ヴォーロスは「大地の神」とされていますが、デーヴァ神群のプリティヴィーとは異なり男性です。これを見るに、印欧語族の古い神々は

天空神ヴァルナ・ミトラ → 天空神ペルーン・大地の男神ヴォーロス → 天空神ディヤウス・地母神プリティヴィー

と作り替えられていったことが分かります。で、その行き着く先に、和製の

天の神イザナギと大地(黄泉)の女神イザナミ

があるわけです。イザナギとイザナミの組みあわせは、元々印欧語族の「女性蔑視」の神話から生まれた神々だから、階級制と女性差別を肯定する神々、ということになるのです。もっと、本質的な「饕餮と蚩尤」のままにしておけば良かったのに、と思うけれども、それではお里がばれてしまうから嫌だったのかもしれません。でも、全部、大元は「饕餮と蚩尤」なのです。女が必要ない、と言うのであれば、それこそ男同士で子供を作れば? と思う。

 ま、それはともかく、「東大寺」です。聖武天皇の娘の孝謙天皇は東大寺に対応して「西大寺」というお寺を造りました。彼女は八幡神を祖神と考えていました。西大寺は創建当時、中心に薬師金堂と弥勒金堂がありました。要は、薬師如来と弥勒菩薩を主に祀る寺だったのではないでしょうか。で、当時の朝廷の家系としては

応神天皇 > 聖武天皇 > 孝謙天皇

という順でした。だから、神仏的には

イザナギ > 八幡神 > 盧舎那仏(東大寺) > 薬師・弥勒(西大寺)

という順列を、これは現していたのではないでしょうか。薬師信仰は、広く普及していたにもかかわらず、薬師の地位はお偉い神々よりも低く抑えられていました。薬師は、身分の低い人達を従わせるための神に過ぎなかったのではないでしょうか。南都七大寺(東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺)は、この構成を擁護する側だったと思います。こうやって神仏に序列をつけ、人々を搾取することを正当化する道具に使うことを非常に嫌っていた真面目な人物がいました。