21年7月17日

 本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。今日は波トタンを掘り出しました。

 夜は「音楽の日」を見て。KinKi-Kidsを見ていたら、「木曽はよく頑張ったね」と言われる気がするわけで。でも、木曽ってなんというか、信仰的に露骨に俗っぽすぎません?? と微妙に思うわけで。「どう見てもキュベレー地蔵」だけでなくて、なんだか木曽の衆は石仏を奉納するのが好きなのだと思うのですが、なんだか素朴なのは良いのですけれども、千住観音が蟹みたいだったり、神社の参道周辺が全て墓だったり、なんだかいろんなものが露骨で神々しくない、と思うわけで-;。他の地域では、敵意みたいなのはあっても、それなりに品位がある気がするわけで-;。

 そうしたら、「それが、義仲の子孫の木曽氏と信仰を牛耳ってる下社系の社家の共通のセンスでしょ。」と言われる気がするわけで-;。どうも合わなくてねー、と思う-;。木曽行きの最後に

麻布廼 木曽路は全て 墓の中

という下手な句を作ったわけですが-;。「木曽路は全て猿の山でしょ。」と言われた気がします。猿が道路を我が物顔で闊歩してるんですよねー;。

21年7月16日

 本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。水道管の下からまた波トタンが顔をのぞかせてるのですが?? と思う-;。

 ここ3日くらい、「水源を整えるように」と言われる気がして、あちこち駆けずり回っていて。国の境を押さえたら、今度は水源を祀らないといけないらしい。だいたい、どこの水源にもイザナミとかがとりついていて「黄泉の国」の水にしてしまってあるからです-;。そうして、回って思うことがある。

「鳥居のない神社ってどうやって入るの? 入り口(鳥居)がなかったら神域に入れないですよねえ?」

と。入り口以外のところから入っても、神社の敷地の中には入れるけど、それは「俗界」であって「神域」にはならない気がするわけで。そうしたら、

「普通の人では、鳥居がなかったら神域には入れません。鳥居がない場合は、神様はそこに封印されているか、野ざらしにされて神様としての役に立たなくされているかどちらかです。よっぽど小さな路傍の祠とか石碑みたいなものは、そこまでうるさく「神域」とは言わないで使ってますけども。」

と言われる気がするわけです。でも更に言われるわけで

「飯綱の呪法に「ネズミ大明神の呪法」という邪法があります。この呪法を会得すると、いざというときに鳥居がなくても神域に入ることができる能力を身につけることができます。転じて、ネズミのように、他人の家にも自分の家のように自由に出入りできる、という呪法でもあります。飯綱とか戸隠は忍者の産地なので、忍術の呪法ですよ。だいたい、あなた自身が他人に我が物顔に家の中にさんざん入られて苦労したんじゃないんですか?」

と言われる気がするわけで@@。・・・もしかして我が家の周囲は修験道の忍者ばっかり住んでる? と思うわけですが-;。ともかく

「飯綱・戸隠関連で特殊な祈祷を受けると「死人の呪い」がかかります。その代わりに、飯綱・戸隠の修験道者の資格も手に入るので、あなたとお母さんは正規に修験道者の資格を持ってるんですよ。修験道者がネズミ大明神と結縁すると、呪法を会得できます。」

と言われる気がするわけで@@。「死人の呪い」はどーなったんですか? と思うわけですが、そっちは

「あんまり効果ないでしょ。堂内に押し入って神サマを取ってきちゃったし。おかげで御嶽山とか火山との相性も良くなったし。」

と言われる気がするわけで@@。それで思い出したけど、どうも飯綱へ行った後から、ときどき「押し込み泥棒が来た」って、失礼なこと言われる気がするんですけど?? と思う-;。というわけで、なんだか、鳥居がなくても神域に入れる能力を持ってるらしくて-;。でも、

「鳥居があれば、そこからちゃんと入らないとだめですよ。玄関以外のところから入ったら、それこそ「押し込み泥棒」みたいで神サマに失礼だから。」

と言われる気がするわけで-;。

 というわけで、今日は門前の熊野神社にお参りに行って。小さいけれども古社ですし、善光寺界隈では割と重要な神社であるので、本来なら鳥居があってもよさそうなものですが、ここにも鳥居はなくて。でも、神域に入れるから気にしないー、ということで-;。

 で、何日か前から、諏訪神の子神とされる「出早雄命(いずはやおのみこと)」の「出(いず)」という言葉は「伊豆」のことでもあるし、「出雲」のことでもありますよねえ? と思う。で、松本あたりをうろついて思ったことですが、

出早雄命(いずはやおのみこと) = 穂高見尊(天之手力男神) = 泉小太郎

ですよねえ? と思う。安曇族と出雲族は元々「同じモノ」で、出雲族の一派が特に諏訪氏(神氏)を名乗っているだけで、どちらも同祖同族だし、氏によって神様の名前を変えているだけ、ってお互いに分かってるのだと思うわけです。だから、安曇族の側の穂高見尊と諏訪側の出早雄命は「同じモノ」で民間伝承で泉小太郎と呼ばれるモノだと、特に強く思うわけです。だから、その親神はというと

諏訪神 = 綿津見の神 = 八束水臣津野命

となるので、諏訪神の子神が出早雄命ですよねえ?

出早雄命(いずはやおのみこと) = 穂高見尊(天之手力男神) = 大国主命

ですか? 分家の神サマの方が、本家の神サマの大国主に対して、「自分の方が親だ!」って言う? と微妙に思うわけで。こういう構図を考え出した人は、ものすごーく気が強いと思う、と思うわけですが。しかも、諏訪大社の神紋は「梶の葉」であるので。それは出雲的には天御梶日女命(あめのみかつひめのみこと)という女神に相当すると思う。というか、本来の形としては天御梶日女命は八束水臣津野命の妻神とするとすっきりすると思うわけですが。ま、だから上社の方は、天の女神である天御梶日女命をそのまま「天の女神」として最高神にしている神社、下社の方は「八坂刀売」が境界神であるとおり、天御梶日女命を八坂刀売と習合させて「黄泉の女神」にしてしまえ、という神社かしら? とそう思うわけで。木曽の水無神社には、神サマの乗っている神輿を谷底に落として壊してしまえ、という趣旨のお祭りがあるそうで。神輿は神そのものでもあるのだから、壊す、ということは神を殺す、ということでもあるのでは? と思うわけで。水無神社の祭神は高照姫という出雲の太陽女神の一柱と思われます。それを墜落させて殺すの? 蚩尤? それとも首なしキュベレー地蔵? と思うわけで-;。木曽の信仰は、下社からの社家が義仲の子孫と組んで絶大な権力を握っていたそうなので、水無神社とか重要な神社の祭祀には、起源にけっこう関わっているはずだよねえ? と思う。ともかく、諏訪でも木曽でも、「太陽女神を墜落させて黄泉の女神にしよう」ってそういうのが下社で、善光寺門前の熊野神社ですか? と思うわけですが-;。

 熊野神社の本家本元は出雲の熊野大社である。これは元は熊野山(水源の山)の神を祀ったものであるし、縄文系の神は女神であるので。熊野山の水源の女神が本来の祭神であったと思われます。記紀神話的には、奇稲田姫、天照大神、出雲的には天御梶日女命あたりが祭神であった方が妥当であると思う。でも、出雲系の人たちは、あんまり原住民に自分の祖神を押しつけないので、一番最初は「熊野明神」みたいな形でお山の水源の女神を祀っていたものと思われます。

 というわけで、熊野神社に参ったら、近くの紙屋さんで

「熊野の紙(神)」

を買うように、と言われる気がするわけで。「会津木綿柄」の折り紙というものを買ってきました。「会津」とは「出雲」のこと。織物は、太陽女神のものだから。それが、天御梶日女命の象徴で、出雲の熊野神社の本来の祭神では? と思うからです。別に自分の選択が間違ってるとは思わない。

 あと、もう一つは、美濃の古川さんとこの和紙を買って。今回の旅も上州の布留主(香取の神)のかなりお世話になったわけですし。太陽女神と香取の神の組み合わせも、美しいかな、と思って。夫婦だものね、たぶんね。

 で、出雲の熊野大社の神紋は「亀甲に大の字」なわけで。亀甲紋はいかにも出雲系の紋に見えますが、「大」の字のつくところは出雲系ではないでしょ、と思うわけで-;。私の知っている限り、「大」の字が好きなのは建五百建命の家系であると思う。だいたい、なんで自分ばっかり大きくなるのが、自分ばっかりが一番になるのが好きなのか? と思うわけですが-;。信濃国では諏訪神を隠れ蓑にして諏訪関連の氏族みたいに見せかけているけど、出雲では出雲の神サマみたいなふりをしてるのか?? と思うわけで-;。熊野信仰を作ったのは「大」の字のつくところであると思う。木曽御嶽信仰を作ったのは下社関連であると思う。どっちも建五百建命の関係者では?? と思うわけで-;。

 で、今日Mステを見たら、「元気が出るソング特集」みたいなものをやっていて。1位はZARDの「負けないで」だった。槻井泉神とは九頭竜のことだけれども、「槻」という木に降りて依り付く神でもあるわけだから、「槻」は神界と人界をつなぐ「境界」でもある。また、「黄泉平坂」という通り、あの世よこの世の境界は「坂」という言葉でも表される。「坂井泉」とは「槻井泉」という意味だし、「九頭竜」という意味でもありますよねえ? と思う。彼女が生きている間に気がついてあげられなくて、ただただ申し訳なかった、と思うのです。太陽女神を墜落させて殺そうとする者は何者ぞ? と思う。

 それから、木曜日ははっしーのお誕生日でした。おめでとうございます<(_ _)>。

21年7月13日

 手短に・・・。木曽のどさ周りをしております。

 「岩戸権現」って天手力男神のことですか? (思金神には見えないわけですが・・・) 龍頭瀧の「龍」って九頭竜のことですか? 戸隠?? と思う-;。社家の滝宮司はもしかして安曇族関連の方?? と思ってしまったりして。それはともかく、下社系にはあんまり関心がない私ですので。長の年月、水源の水守りをされていて、素晴らしい、と思います。

21年7月12日

 本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。午前中は父親を市民病院に連れていって。午後は少し雨が降りましたが、作業はできました。

 それにしても、岡宮神社に熊野のイザナミが祀られている、ということはかなり「黄泉の国」の性質が濃くなってくるし、八坂社の祭礼が盛んということは、午頭天皇は医薬神であるし、熊野の主祭神でもあるので、岡宮神社があの辺りの総鎮守ということは、信州大学医学部の鎮守でもある、ということ? と思う。どうも若い頃は、神サマとか興味はあっても、入れ込むことは「迷信」くらいにしか思っていなかったのですが、最近では医学というのは「呪術>>>>>科学」くらいにしか思っていないので。医学部の鎮守が黄泉の国ではどうなの? とかそんな気しかしないわけで-;。医学部関聯の怨霊とか何かとりついていたのなら、お祓いできたのなら良かったなあ、とか思うわけで。恩師?も心迷うことなく浄化していただければ、とかそんな感じである-;。

 で、松本に行ってきた次の日に、「帆布」が届いて。「淡島神の呪いを解くためには帆布を買うように。」と言われた気がしたので買ったわけです。そうしたら「木曽義仲はどこにいる?」と聞かれる気がするわけで。清水関連は巴御前&義高ですし、義仲は直接「居た」とか祀られている、とかなかったですよねえ? と思う。まあ、「御嶽」の石碑がたくさんあったので、これが「みたけ」の方ではなくて「おんたけ」の方だと、ちょっと義仲っぽくもありますが?? と思う。そうしたら、「誰か木曽で働いていた奴がいるでしょ。」と言われる気がするわけで@@。「え? それ?」と思う-;。でも、そうしたら義仲は「怨霊」としては使えないのでは。「生まれ変わる人」は死んで幽霊みたいにならないんじゃないの? と思うわけで-;。そうすると、「巴御前になぞらえて清水に追い込まれたのは誰?」と言われる気がするわけで@@。「え? 結局そういう事情で清水に住むことになったわけ??」と思う-;。そういや、留年してた時に、なんだか友達ヅラしてた人たちに誘われて木曽に行ったけど、それもなんか義仲関連と結縁させるためだったわけ?? と思う@@。で、更に追い打ちをかけるように「片方が義仲ならもう片方が誰だか分かるよね?」と言われる気がするわけで@@。・・・もう片方は「頼朝」ですか? その人、自分は動かないで、他人を働かせる達人でしょ? と思う-;。(ついでにおまけに「自分が頼朝なら義仲は誰か分かるよね?」と言われる気がするわけで-;。学生時代の私の周囲は変な人ばっかりだった気がするわけですが-;;。)

 ということで、「ようやく話がここまで進んだ」と喜んでくれる人もいそうな気はするわけですが。なんだか、医学部関連の「呪い」を解くと、誰が誰の生まれ変わりか分かるようになるらしい、というか、そういうことを隠して気づかれないための「呪い」だったらしくて@@。やっぱ医学なんてオカルト、と思うわけですが-;。で、「義仲なんて、いくら頭が良くても殺すしか能のない男でしょ?」と言われる気がするわけで><。でもって、鶴ヶ丘関連の「八幡宮」は頼朝が祭神も同然であるので積極的に結縁しても良い、義仲関連の八幡宮は義仲が祭神であるも同然なので、取り扱いは注意するように、と言われる気がするわけで。・・・でも、なんだか誰が「頼朝」なのかについては釈然としない気がするわけですが-;。そう思って市民病院辺りに行くと、「いーじゃん、味方同士なんだからもっと仲良くすべき。」と言われる気がするわけで(汗)。誰と? 事代主で頼朝でもある者と? と思うわけですが-;。なので、ともかく、木曽のことについてちょこちょこと調べたわけですが。県立木曽病院って御嶽山のど麓にあるだけでなく、近くには義仲関連の施設がけっこうあるんですねえ、と思う-;。御嶽山は疫病がはやったときに、頂上に大国主とスクナビコナを祀って祭神となした、とされているので。その辺りに牛頭とか熊野とか出張る必要ないよね? 信濃国の医薬神には大国主とスクナビコナがいれば十分でしょ、ということらしくて-;。事代主でもあり、スクナビコナでもある者が信大医学部の鎮守で丁度いいのではないかとあたくしも思うわけですが-;。

 でもって、ついでに「信濃国の安曇族はどこへ行ったのか?」と聞かれる気がするわけで。安曇野に名前を残した人たちは安曇族の中でも「安曇犬養氏」という人たちだったらしいです。「安曇」という姓を名乗っていないなら、「犬養」さんになっているのでは? と思う。松本には「犬飼」さんという名字がけっこう住んでいるのです。そして、「犬甘(いぬかい)氏」という人々が作った「犬甘(いぬかい)城」というお城があったらしいです。そして犬飼山という山もあります。戸隠神社は「社伝によると、ここも天の岩戸に 関わり、手力男神が天の岩戸を引き開けようとしたら力余って岩戸を飛ばして しまい、降った処が戸隠山という天の岩戸の飛来伝説だそうです。これを祀っ たのも阿曇犬飼という祖神綿津見神を奉じる阿曇氏を父系にもつ犬飼族でした。 阿曇氏は南アルプスの穂高山とその麓の安曇野に穂高神社を祀り、犬飼氏は紀伊国高野明神の祝と云われています。(https://tokyox.sakura.ne.jp/wordpress/%E6%89%8B%E5%8A%9B%E7%94%B7%E7%A5%9E/)」だそうですので、犬飼さんという方々が安曇族の子孫らしいです。というか、戸隠に関連するなら、長野と松本の「犬飼さん」が安曇族の子孫なのだと思います。・・・高野明神って金剛峯寺の鎮守なような@@。犬飼氏は天手力男神が祖神である、ともしているらしいです。)」だそうですので、犬飼さんという方々が安曇族の子孫らしいです。というか、戸隠に関連するなら、長野と松本の「犬飼さん」が安曇族の子孫なのだと思います。・・・高野明神って金剛峯寺の鎮守なような@@。犬飼氏は天手力男神が祖神である、ともしているらしいです。

 ・・・だいたい、「力持ちの神様」である天手力男神ってなんなのですか? と思う。そうしたら、安曇氏の祖神である綿津見神は海神です。出雲でいうところの八束水臣津野命と同じものです。八束水臣津野命も「力持ちの神様(国引き神話の神サマ)」です。だから、八束水臣津野命、綿津見神、天手力男神はみな元は「同じもの」でヴァルナですよ、と言われる気がするわけで@@。松本では薄川の上流に天手力男神に関する伝承があって、薄川沿いに御船祭のある神社が点在するから、薄川流域も安曇族の居住地だったところです。でも、その辺りの神社は祭神がはっきりしない、か諏訪系の神が中心になっていて、安曇族の神の名が残っていません。で、阿智氏が祀っている「知恵の神」である思金神は、出雲でいうところのスクナビコナ、要はミトラに相当します。だから、戸隠は天手力男神(ヴァルナ)、九頭竜(アナーヒタ=アマテラス)、思金神(ミトラ)の聖地としていたところであって、なんでその出口にわざわざ善光寺を作って居座らせたり、飯綱権現とか妙なモノ作ったり、戸隠そのものにおかしな修験道とかはびこらせて呪いをかけてるのでしょう? と言われる気がするわけで@@。

 というか、高野明神がヴァルナなら、丹生明神はアナーヒタですよねえ? 丹生女神を淡島神にしようとした神社がどっかにあったっけねえ? と思う-;。ということは、空海は味方の側の人なわけだ。で、その逆にアナーヒタ女神を淡島神(生け贄)にしたり、呪ってる人々もいる、と-;。

 というか、安曇族の末裔は今でも薄川流域とか、島内とか、渚の辺りにお住まいになってるのでは? と思うわけで。松本の呪いを解いたら、安曇族の「声」が届くようになったらしくて-;。安曇犬養氏の知り合いもいたように思う。この期に及んでですが、ようやくことここに至って彼も喜んでいてくれれば、と思います。

21年7月11日

 本日も家で外作業をしていました。母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。午後3時くらいからけっこう激しい夕立が降りましたが、夕方には晴れて、また作業できました。

 で、松本紀行では、槻井泉神社に行って帰ってくる予定、だったわけですが、帰り際に「昔、住んでいたところの神社にも寄っていきなよ。」と今蚩尤に言われる気がするわけで@@。学生時代に、一番最初に1年だけ住んだアパートの隣に、なんだかちょっと大きな神社があるなあ、とは思っていたわけです。でも、当時は今ほど寺社仏閣に興味がなかったので、参拝するどころか、敷地の中にも入ったことがなくて。どの神が祀ってあるのかにも興味がなくて。ただ、ちょっと知っていた人が、そこの神主をやっている、ということはちょっと聞いたことがあって。アパートの隣に暗い神社があって、帰りが遅くなった時にちょっと怖くて嫌だなあ、くらいに思っていて。で、場所を探して行ってみたわけです。町並みも25年前とは少しづつ変わっていて、ちょっと分かりにくくて。

 で、行ってみたら、「岡宮神社」という神社で、県社でした。県社ってことはけっこう古くからの大きな神社なんじゃん? と思う。今の私だったら、住んでいるところの土地神サマなので見逃したりはしない、と思ったわけですが。で、祇園祭が近いとかで本殿の門が開いていて。それで呼ばれたのかなあ、と思う。で、立て札がないので、祭神がよくわからなかったわけが、本殿をお参りいて、隣にも鳥居が建った建物があったので、中を見てみたら、小さな社がたくさんあって、その辺りの小さな神々を祀っているのかなあ、と思う。ともかく、真ん中に「八坂社」があって。家に帰ってきて調べてみたら、梶の葉の神社だけど、何故かイザナミと誉田別命が一緒に祀られていて。しかも、隣の建物は「事代主社」とあって。事代主っていたっけ? と思う。事代主社の真ん中に八坂社が威張ってる神社とか。もっと早くに来たら良かったんじゃないのか、と思ったのでした。