21年7月30日

 本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土の清掃でした。最近、夏には珍しくハクセキレイがパンくずを食べに来ます。今年は子育ての時期にハクセキレイが雛を連れてこなかったので、どうしたのかなー、と思っていたのですが、どうやら高齢のため子育てはしなかった模様。若い頃のようにキビキビとした動きが少なくなったセキレイさんですが、残りの時間を少しでものんびりしながら過ごせてくれたらいいな、と思います。

 テレビは昼はけっこう前の「帰れマンデー」を見て。開いている時間に嵐のDVDを見ています。

 本日はのんちゃんのお誕生日でした。おめでとうございます<(_ _)>。

21年7月29日

 本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 今日は姉を病院に連れていって。先生サマから、「薬を5週間分出しておいたのに、1週早く来ましたね。」というようなことを言われました。そんなこと言われても、親の方は4週分しか出してないですよね?? とか思う。私は一人しかいないので、毎月家族が病院を受診する順番を決めているので、変則的なことをやられるとこちらの予定が狂うのですが-;。そのことも、その内に説明しておこうと思います。でも、今日は姉の前の患者さんの数が少なかったので。いつも、こちらが早めに行っても人が多いのに変だな、と思っていて。こちらが予定していない時に行ったので、邪魔を仕込めなかったのではないかと想像しています(笑)。だいたいこういうことの落差がどこでも露骨だから。それから、健康診断の結果をいただきましたが、私の血液検査は正常値の範囲でした。やはり痩せたのが良かったのだと思います。これからも体重管理に気をつけたいと思います。

 それから、昨日はようやく別所温泉の鉄橋復興記念の慎吾ちゃんの特番を見ました。北向観音は2回くらい行ったことがあって、1回は家族と行って、1回は職場の慰安旅行でした。Wikipediaによると「木曽義仲の兵火により焼失したのち、源頼朝により再興。」とありました。頼朝は善光寺も再興していますし、割と善光寺関連には縁の深い人なんだなー、と思います。

 で、昨日の夜、嵐のDVDを見ようと思ってテレビをつけたら、NHKのオリンピックのデイリーダイジェストをやっていて。オリンピックには全く興味がないのですが、ふと見たら翔ちゃんが映っていて。NHKでオリンピック関連のキャスターをやってるらしくて。その時、ふっと4番目の子が蟹みたいな感じで、両手でピースする絵を送ってきて。なんかちょっと変な絵? というか、何故そんな絵を? と思ったのですが。そうしたら、「木曽の石仏の千手観音が蟹みたいだ、って日記に書いたでしょ。」と言われる気がするわけで@@。そういや最近、蟹みたいなピースをする人が増えているような(汗)。それも私のせい?? とふと思ったのですが-;。ちょっと生放送で翔ちゃんを見れてうれしかったです。

 で、今日は昼は先週だかの「バズリズム」の録画を見て、夜は「VS魂」の録画を見ました。どうもトイレの下をきれいにしだしたら、敵の敵意が強くなっている気がします。

21年7月28日

 本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の正装でした。

 今日はお出かけする日だったので出かけて。松岡神社と川合墾田神社をお参りして来ました。松岡神社は境内にオナガの死骸が転がっていて。しかも、新しいものだったので、誰かが嫌がらせか何かでわざとおいて行ったのかと思いました。罰当たり、というか神サマに失礼だと思いました。

 で、あちこち回っている内に、犀川流域を開拓した安曇族の神社と、千曲川流域を開拓した信濃国造系の神社がなんとなく区別つくようになった気がするわけで。善光寺平らの平坦で良いところはやはり千曲系の人々で占められているのではないか、と思います。で、信州新町は犀川流域なので、普通に考えれば安曇系の神社がありそうな気がするわけですが、千曲系の神社があれば、信濃国造系の人々が入り込んでいた証拠といえないだろうか、と言われる気がします。町史を持ってるし、色々と調べてみようと思います。

 で、昨日は雅治君のDVDと嵐のDVDが届いたので、昨日は雅治君のDVDを見て、今日は嵐のDVDを見ています。久々にリーダーを見ると、やっぱりちょっと感無量です。

21年7月27日

本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、私は土堀り等でした。台風が来て雨っぽかったので作業は一時的で、近場の神社巡りなどをしてきました。

今日は芹田上・中・下神社に行ってきました。祭神は順に蓼科命(諏訪神の子神、八ヶ岳の神格化)、出(伊豆)早雄命、南方刀美命です。この三社はおまつりを一緒にやっていた、との口伝があるようで、おそらく同時期に祀られた神社なのだと思います。出早雄命は千曲川流域にまま見られますし、千曲川の源流の一つである八ヶ岳を祀っていることから、千曲川流域を上流から開拓してきた人達が入植して作った神社なのだと思います。千曲系の人々が「南方刀美命」という名前で諏訪神を祀っているのなら高田の芋井神社も千曲系の人々が作ったのか、と思います。安曇族(犀川系)の人々が作ったと思われる川合神社とは、やはりちょっと趣が違うかな、と思います。地域密着型の地区の産土神社も大好きです。

で、稲作と麻について。中国では稲作は紀元前1万年、あるいはもっと古く1万4000年くらいまで遡るかも、と言われています。稲作を始めたのは狩猟と漁労をしていた人達で、彼らは家畜を飼わず、タンパク源は狩猟でまかなっていたとのことです。中国では炎帝神農という神が農業と医薬の神とされ、農業を始め、薬草の効用を発見した、と言われています。稲作が一番古い農業であるならば、炎帝神農は稲作が始まった長江流域の神ではないか、と思われます。で、この神サマは大麻の効用も発見したし、ケシを食べて死んだ、と言われていますから、アヘンの摂取過剰で死んだ? ジャンキー?? という感じなわけで、実在性はともかくとして、古代中国でも麻薬の探求と効用の確認は、農業の歴史と同じくらい古いと考えられます。ということは、大麻の使用も長江流域から稲作とともに始められた、といえないでしょうか??

考古学的には、長江流域で麻織物が確認されるのは良渚文化からであって、BC3300年~BC2000年頃の文化ですので、これは5000年ほど前、といえます。その一方、こういう薬物は祭祀と密接な関係がありますから、祭祀の歴史も見てみたいと思います。長江中流域の彭頭山文化(BC7500年~BC6000年)では祭祀を行った、と思われる遺構が発見されています。ほぼ同時期の近隣の城背渓文化からは「太陽神石刻」という、石に太陽神の姿を刻んだと思われる神の姿が発見されていますから、太陽神に対する祭祀が存在した、と思われます。同時期、黄河流域で長江文明の影響を受けて稲作を行っていた賈湖遺跡からは「賈湖渓谷文字」という文字様の文様が出土し、太陽を重要視していたことや戦闘があったことが示唆されています。賈湖遺跡を含む裴李崗文化(BC7000年~BC4900年)からは麻の繊維が出土しているようですので、麻織物は黄河文明の方が先に発達したように思いますが、BC7000年頃には稲作に伴う太陽信仰に伴う祭祀が行われ、祭祀が盛んになる、ということはそれに伴う大麻等の薬物の使用も盛んになったのではないか、と推察します。少なくとも、祭祀が盛んになった時期に、古代中国の人々はもう麻の存在を知っていたのです。これがおおよそ9000年くらい前の話なのです。

古代中国には炎帝神農の他に伏羲という、八卦(占い)を確立したとされる神もいますが、城背渓文化の後継といえる大渓文化(紀元前5000年頃 – 紀元前3000年頃)からは「太極」らしき文様が発見されており、「占い」の歴史もそこまで古いことが示唆されます。そして、伏羲も炎帝神農と同じく長江文明の神であると示唆されます。「大渓文化の遺骨からモン・ミエン語族に関連するY染色体ハプログループO-M7が高頻度で発見されており、モン・ミエン系民族が担い手であったと考えられる。(wikipedia)」そうです。モン・ミエン語族の一派であるミャオ族には、雷神との争いや、伏羲の洪水神話(子供がひょうたんに乗って洪水を逃れる)の類話が伝わっていますから、これらは長江文明の精神文化と共通の文化といえます。

ということで、人と雷神との争いの神話、洪水と人類の始祖神話は、稲作と大麻を扱う祭祀とともに各地に伝播した、と思われます。でも、麻の使用が最初に盛んになったのは黄河文明側でした。そして、人を生贄に捧げる習慣が生じて常態化していくのも黄河文明側です。そして、若い娘を生贄に捧げる習慣が生じたのも黄河文明側です。麻薬を祭祀に使用すると、人々は理性を失い、仲間を殺すことを何とも思わなくなる。黄河文明の側はそのようにして、しまいには殷のように大量の生贄を捧げるような国家を作り上げていくことになります。

一方、長江文明の側では、良渚文化の時代になるまで麻織物の使用は顕著でなかったようですし、祭祀に人の生贄を用いたこともよくよく少なかったと思われます。すなわち、長江文明の側の人々は、大麻の効果を知っていても、それを自分たちでは使用せず、よその人達に売りつけて、かつ麻薬の力で良心や理性を失わせて、よその人達が祭祀にかこつけて仲間同士で殺し合うように仕向けてたのではないのか、と思うのです。そうすれば、自分たちが襲われる心配が減るからです。それは太陽神の祭祀が盛んになった彭頭山文化(BC7500年~BC6000年)の頃に始められ、大渓文化(紀元前5000年頃 – 紀元前3000年頃)の頃には確率したのではないか、と思われます。占いは祭祀の重要な側面であり、伏羲による占いの確立が大渓文化(紀元前5000年頃 – 紀元前3000年頃)の頃にはもうあったと思われるからです。

でも、仲間がジャンキーにされて、人としてどうしようもない状態にされれば、その原因を突き止めてなんとかしよう、と思う人もいるはずです。すなわち、それが黄帝と蚩尤の戦いであったのではないか、と思うわけです。黄河文明と長江文明の衝突です。良渚の王権の鉞には首だけの「饕餮」が現れますので、この戦いは良渚文化よりも古い時代にあった、と思われます。大渓文化にも人面を掘った斧が発見されているようですし、大渓文化に属する城頭山遺跡では城塞がみられるようですから、戦いの準備の萌芽がみられます。おそらく大渓文化の古い時代、紀元前5000年頃(あるいはもっと早く)に衝突があったのだと思われます。それはたぶん長江文明の側が負けてしまったのでしょうが、その後も彼らは懲りることなく大麻を作り続け、シャーマンの象徴である「マサカリ」に殺された神の首を掘って、大麻布教教のシャーマンは「自分は殺された神のお告げを告げる者である」と言い続けたのだと思います。こうして、人類の間で、果てしのない「麻薬戦争」が始まったのだと思われます。

ということで、大麻布教教の人々は稲作の人々ですので稲作と麻作を持って、そして本隊は正体を隠しつつ布教を続けたのだと思われます。正体を隠すのは、本隊が攻撃されたら困るからで、分家を出しては攻撃の矛先が分家の方に向くように、としながら生き残ってきたのだと思われます。で、木手は人類を薬中にすることなので、「宗教」とか「祭祀」の内容は何でも良かったのではないでしょうか。というか、以前からのものと同じ神サマを扱っていると怪しまれるので、新しい神サマをどんどん作る、以前からの神サマもどんどん作り替える、ということをやったのではないか、と思われます。だから、大麻布教教の人々は米と麻と新興宗教を作る人々になってしまった、のだと思うわけですが-;。

で、稲作ってどこに伝播したんだっけ? と思う。というか、麻のバイヤーで繁栄してきたのは誰? とも思う-;。火雷神が饕餮で、天香語山が蚩尤だったら、賀茂建角身命(金鵄)が伏羲ですか? 誰が勝つのかを決める存在だから? と思う。しかも賀茂建角身命は天活玉命(生魂命)の子孫とされていますから、その子孫は天活玉命(生魂命)を祀ってる可能性があります。生島足島とかー;。

賀茂建角身命(金鵄)が伏羲で、建五百建命であるなら、それは役小角とも同じモノと申し上げて良いかと思います。役小角は修験道の開祖とも言われる伝説的な人物ですが、修験道では麻の葉とか焚いて加持祈祷をするんじゃん? と思う-;。鬼無里は麻の産地ですが、中世においては麻は善光寺門前の桜枝町というところに集められた、とも言われているようです。桜枝町は中世は遊女が住んでいたところ、と言われています。中世における「遊女」というのは近現代とはちょっと意味が違って、彼らは「本地を持たない巫女」といえます。教養もそれなりにあって、旅をする貴人を泊めたり、交流したりする役目も負っていました。確か十六夜日記かなんかに、旅する尼さんが地方の遊女宿に泊まって、遊女と文化的に交流する記述があったはず。現代の感覚からいえば、尼さんが遊女宿に泊まるってどういうこと? となりそうですが、中世の「定住遊女」はむしろ、宗教的に旅人をもてなすのが役目であって、夜のお相手もその一部だったといえます。だから、お客の要望に応じて、加持祈祷のまねごととか、巫女舞の披露とかもしていたと思われます。まあ、そういうところで使われるのはきっと「マリファナ」ということで-;。桜枝町とか遊女とか修験道の行者とかは、マリファナの使用、運搬、拡散に非常に貢献したのではないのか、と思われるわけですが。

それで、結局御嶽山を思い出すわけです。御嶽信仰が一般に広く普及したおかげで、木曽の住人は経済的に潤ったと思います。それと同じで、葉っぱと善光寺信仰が広く普及すれば門前町は確かに潤って豊かになったと思う。だけどもさ、

善男善女をマリファナで極楽浄土に送って

それで、自分たちだけ豊かになったらそれでいいの? そーゆーもの? と思う。というか、これが大麻を発見してから、1万年の間、人類に突きつけられてきた問題といえるのだと思うわけです(呆)。

21年7月26日

 本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 で、今日は今日でお出かけなので、ちょこっとあちこち回る。というか、義仲の息子が開基したと言われる称名寺、と九頭竜大権現をお参りする。でもって、今日はプチオカルトというよりは、(たぶん)飯綱使いとの勝負? という感じであって。まあ、どことは言いませんけれども、「断りもなく勝手にお参りに来るのは失礼だ」みたいに絡まれたわけです。だけど、普通寺社は、誰がお参りに来るものかわからない、氏子とか檀家とか縁の深い人が行くこともあれば、ものすごーーくうっすい縁をたどって1回しか来ない人だっているかもしれない。なのに、お参りしたかったらいちいち管理人連絡して住所氏名連絡先を述べて許可していただかないといけない寺社なんてあるの? そういうところは普通、「一般の拝観は受け付けていません」とか「禁足地につき立ち入り禁止」とかって書かれて入り口が閉じられているし、HPとかでも告知しとくもんじゃないの? と思う。でも、別にお参りしに行っているのであって、喧嘩しに行っているのではないので、「まあ、失礼な人間ですみません~。お参りさせていいですか?」という感じで、とっととお参りしてくる。・・・でも、これって「相手に、「自分が悪い」と思わせて嫌がらせする常套手段ですよねえ?」と思う。要はあとになって、自分の悪口を書かれないためのいやがらせ手法というか。そうしたら、「それも飯綱の呪法の一つでしょ。長野市は飯綱の呪法のメッカでしょうが。」と言われる気がするわけで@@。それで市内が一番こうるさいのかー、と思う。私も、在家の飯綱の行者の一番下っ端の資格を持っているらしいし?? 信濃国の各地の霊山で修行?してきたから、ちょっとやそっとじゃ負けないわー、と思う-;。

 で、あとはオカルト。先に、ちょっと自分では知らなくて、四国の霊場関連と結縁していて。だいたいその時に「四国が食われた!」ってなんか言われる気がするわけですし、「四国から送られてきた霊関連を全部一度に処理するのは荷が重いので、取り憑いてきちゃったものをどっかで処理しないといけないねえ。」とは言われてた気がするわけですが-;。御嶽も巨大な霊場ですが、四国も全体が巨大な霊場といえる。そういうものをいちいち私にどうしろと? と思うわけですが-;。ともかく、どっかを参拝したら「四国の怨霊をうちにおいていくんじゃないー。」となんだか後で言われる気がしてならないわけで(汗)。私、無意識になんかした? というか、私も遠隔操作? されてる身なので-;。怨霊の倍返しの呪い返しとか得意な人もいるし?? ということで。その後、別のところから、「そこからうちに来て、霊道を開いてくれれば、後はこっちで預かるから。というか、結局うちで預かることになるのねー;。」と言っていただいた気がするわけで-;。私も神社をちょこちょこと巡るプチオカルトな旅、が専門なので-;。それ以外のことは苦手です-;。

 そして、後は「麻まみれ」な信濃国を思う。そして、世界的な「大麻」の歴史とか調べてみたわけですが。大麻というのは、「ハシシ」と言って、中近東とかインドとかでむしろ中心的に使われてきたものであるらしいです。古代ギリシャとかローマでもある程度は使用してたらしいですが、少なくともその後ヨーロッパにおおっぴらに広まった形跡はなく、ヨーロッパではむしろローマ式がさかんに力を入れてブドウ畑を作ったので、精神に作用するモノはワインが盛んだった気がするわけで。兄さん達には「古代世界に広く普及していた大麻が、ヨーロッパで一時的に陰を潜めたことは、キリスト教と関係しない、とは思わないように。」と言われる気がするわけで。キリスト教が広まらなかったところではハシシは広く普及してるわけだ。要するに誰も何も言わなくてもイエスは祭祀に使う麻薬が人々の精神を荒廃させることを知っていて、それを止めようとしたのが「キリスト教」ということ? と思う。そうすれば、神官に高い金を払って薬物を手に入れる必要性もなくなるし? って、あれ? これって「宗教」の話? それとも「アンタッチャブル」な話? と思う。

 祭祀に薬物を使いたい人達と、使わせたくない人達がいたら、両者の対立は文字通り「死闘」になるよね? だって「使いたい人達」は、それを使って金儲けしたり、人々を支配したいから使いたいのであって、それを邪魔されることは、権力を失うことにつながる。なんで、信濃国って麻だらけなの? 信濃国造家ってマリファナカルテルの元締めだったの? アル・カポネとエリオット・ネスの対決、ならぬ「アル・カモネギ?」と「イエス・キリスト」との対決ってそういうこと?? と思う@@。なんだ、この古代史は? と思う。そして、信濃国造は義仲をマリファナと酒漬けで育てた? それで思い通りにあやっつてた? と思う。なんだ、この中世史は? と思う。そして、あるところに、自分の総本家と全然付き合ってないし、子供達にもどこが総本家なのか教えなかったじいさんがいたと思いねえ。じいさんがそれを知らなかったはずはない。だって、総本家って隣の家だしさあ? となる。なんで、そんなことした。じいさんは戦前、麻商人をやってた。子供達に親戚関係を隠す代わりに、商売を始める資金と、つてとコネを手に入れた? 誰に口をきいてもらった?? そういうことを家族に一切言うなと口止めされてた? と初めて思った。で、なんだこの現代史は? と思う。なんで家族に隠すの? どっかから「イエス・キリストがわいてくるかもしんないから?」ということで-;。なんだか、トリプル・パンチの妄想で2日くらい日記を書く元気が出なかったわけですが。またちょっと復活しました<(_ _)>。

 で、ワニの女神に関連して。古代豪族に和珥氏(ワニシ)という人達がいるわけです。彼らから「春日」という氏族が出ているらしいです。系図を見る限り、色々と考察するに、葛城・賀茂氏の同族な気がするわけですが。こういう名前の人にも複数いろんな知り合いがいるかもー、と思うわけで。世の中、色々とありそうです。