21年8月26日

 昨日、今日は色々なことが起こった・・・というか、「発覚した」日であって。個人的に気になることといえば、かなり前から「ブンブブーン」で剛君が紫っぽい服、光ちゃんが黒っぽい服を着ることが多くて「何か問題があるのだろうか。」と漠然と思ってはいたわけです。でもって、あちこち出歩かなければいけない、とかそういうことが続いていたわけですが、どうも某病院へ行くと「人身御供を求める神に注意」とか言われる気がするし。どうも家人の一人を指して「よく面倒みる気になるね」みたいなことを言われる気がするわけで@@。家族だから、できることをするのは当たり前ーー、と思うわけで。でも、夢見もなんだか良くなかったり、寝苦しかったりもするわけで-;。「どうしたものか」とは思っていたわけですが-;。

 どうも、昨日、私と母親が出かけている隙に、朝父親に飲ませている薬が「お膳に出ていなかった」と父親が姉に言って、姉が母親の薬を父親に渡して飲ませた、という話を聞いたわけです。だいたい今まで、父親の薬は前の日の夕飯後に、母親が用意して、お膳の上に出して、私が寝る前にそれを確認して、母親が忘れていたら私が薬を用意する、ということをやってたわけです。別に「薬が出てる」とか「出てない」とかいちいち声かけしたことはないですよ? でも、そうやってダブルチェックして飲み忘れがないようにしてたわけ。で、ここのところずっと母親も私も気をつけていて、薬の出し忘れなんてなかったし? それは人間だから、母親も私も忘れることはあるかもしれないし、絶対にないかもしれないし?? と思うのがまず第一である。

 で、飲ませる薬が分からなくて間違えたと思ったので、「飲ませる薬が分からなかったのなら、なんで私や母に電話で確認して薬を飲ませないのか?」と姉に聞くと「薬が出ていないって言われたから飲ませた」と言うわけです。で、「何を飲ませていいのか分からなかったら、私か母親に確認して。」と言ったら、「お前になんか誰が聞くか! 誰がお前のことなんか信用するか!」と言って激高するので「あれ?」と思う。だって、私たちが出かけている時だって、けっこうささいなことで電話してくるよねえ? なんで、父親に「どの薬を飲ませたらいいのか?」って聞くのがそんなに嫌なのか? 私が信用できないのなら母親には何故聞けないのか? と思うわけです。しかも、なんというか、「悪いことをした」という態度が感じられないわけです。

 で、母親が「もう父親の薬は自分は管理しない。当人にやらせる。」と言い出すので、元々飲み忘れる薬の多かった父親のことだから「それは絶対だめ」と私が言ったら、矛先が私に向かうわけで-;。「お前は命令するばっかりで何もやらない。」とか言われるわけです。「ダブルチェックしてますけど。」と言うと、「そんなこと言われたことはないし、チェックしてるとは思わなかった。」と怒られるわけで。「チェックした時に声をかけて欲しかったのであれば、そう言って。」と言うしかない。・・・そっちが思ってなくたって、こっちはこっちでできることはやってるんだから「何もやってない」なんて言われる筋合いはない、と思うけれども、そういうやりとりを聞いている姉が「全部お前が悪いだわ」とかって私に向かって叫び始めるから、もう収集のつけようがなくなるわけで-;。

 で、姉が理不尽な物言い出私に突き当たってくるので、こちらもきつい言い方になって言い返すと、母親に「お前が相手にしないで我慢しろ」と私が言われるわけで、正直「言論の自由の弾圧反対-」と思うわけですが-;。そうすると「お前が家長なんだから、度量ってものがあるだろう」とか言われるわけで-;。度量も何も、私を「家長」と言うのであれば、家長が決めた家の中の秩序を守るように協力してくださいな、と思うわけですが、どうもそういう意味の「家長」ではないようで。それは曰く「モラハラを許さない」「弱者の虐待を許さない」とそういうことなのである。だけど、うちはデフォルトがモラハラな家庭で、ともかく子供を平等に育てる、とかそういった理想はなかったわけではないのだけれども、姉が言いたいことを言う、私が言いたいことを言う、親が両方の言い分を聞いて客観的かつ冷静に「こうしましょう」って説得しながら話合うということをともかく「あんまりやったことがない」のである-;。親は親で「私の言うことを聞けないのなら、私に意見なんか聞くな」とか子供の頃はそういうことしか言われた気がしないわけで、自分の意見を言って、それに対する相手の意見を批判も含めて聞いて、一緒に考えてみようとか、そういうことってあんまりなかった気がするわけで、話がうまくはまらないと、誰も彼もがヒステリーしか起こさない、とかそういう結果にしかならないわけで-;。まあ、私が「家長」とやらになれば、あまり批判されずに、言ったことに協力して貰える、という点はものすごく助かっているわけですが、ときどきこういう「しっぺ返し」を食らうわけです-;。でも、どんなに私が横暴な暴君だったとしても、「家族の希望を察しないお前が悪い」って言われるのはひどいぞ、希望があったた通っても通らなくてもまずそれを口に出して言ってくださいな、と思う。コミュニケーションってそういうものじゃん?? とも思う-;。

 だいたいグチグチグチグチと相手の嫌がることや相手の悪口を延々と言う行為というのは、「家庭内暴力」を振るう「夫」が普通やることなんだよね。そうしてまず妻を支配しようとする。で、次にその標的を子供に向けて、同じ事をする。子供が嫌がったり、反抗したりすると、母親は「お前が反抗しなければ家の中が揉めないから、お前が黙ってろ」と言う。子供が黙っても、父親は家族に嫌がらせを繰り返して、家族を支配することが目的だから、嫌がらせをやめるわけはない。子供を虐めることは、母親に対しては「次はおまえだ」というようなプレッシャーにもなり得る。だから「黙ってろ」と言われた子供は、黙ってることで、父親からも母親からも虐待されてるのである。で、だいたい殺されて両親が逮捕されて、「どういう母親なのか」って世間から言われる、とそういことになるわけですが。だいたい、母親の私に対する言動は、虐待されている幼児に、自分が虐待されたくない母親が取る言動と「同じ」なのである。そのくせ、姉の機嫌をとって姉を動かそうと思うわけで、そんなことでDV夫は操縦できないって教科書にあるんじゃ? と思うくらいである-;。ということで、我が家の家長が私であったとして、私に対する虐待を許さない家庭を作ること、私以外の弱者的家族に対する虐待を許さない家庭を作ること、弱者に対して誰かが「お前が黙ってればもめ事は起きない」と言って虐待へ協力することを許さない家庭を作ること、というのは、実のところ、「家長」としてものすごく重要で困ってる問題なんだけど、と思うわけですが(苦笑)。ともかく、まあ、私は「幼児」とは言えないので、親が何言おうが、言い返そうと思えば言い返すかどうかは自分で決めますが、ともかく体の弱ってきている両親に対する「虐待」はなんとかせねばならぬ問題である。そして、家の中の家族間の力関係というか、人間関係がどうなってるのかということも分かって貰いたいわけですが。でも、私が「何でも勝手に決めちゃう」とか言われるわけで-;。

 で、自分の部屋に戻ると、「何でも、自分の言ったことは自分の責任って責任を背負い込み過ぎないで、「誰それがやれって言ったことをやってるだけ」って正直に言えば。」と兄さん達に言われる気がするわけで。それはそれで、なんだかむかつく、と思うわけですが-;。しかし、私が「自分でこうしたい」とか「ああしたい」なんて思ってやってることなんて「ない」も同然だし。あるとすれば、家族間のモラハラを許さない、ってそのくらいのことである。というか、「真の家長」であるひいじいさんが「やれ」って言ってやってることをなんで「中間管理職」に過ぎない私のせいにして責められねばならないのさ、ってそれが私の本音であるので-;。・・・裁判に負けてショックだった時にも「大勧進に行ってこい」って言われて「かしこまりました」ってさっさと出向くようなことが板につきすぎちゃってるのよ、どうしてくれるの、誰のせい? ってそんな感じである。

 ・・・で、なんというのですかねえ? 今までは姉がモラハラ行為を私や母に執拗にする場合には、自分の部屋で食事を摂って貰うことにしたわけです。当人が理解できなくても、モラハラ行為は反社会的行為であり、繰り返すのであればペナルティーも止むなし、ということは、理屈で理解できなくても、経験で理解して貰わねばならないからです。でもって、私と母親はそれなりに平穏無事に過ごしてたように見えていたわけですけれども、モラハラ様は密かに、父親に母親の薬を盛る、という行為をして気晴らししてたわけだ-;。でも、特に最近顕著であったし、今後も続くと思うけれども、姉は母親にすりよって、機嫌を取ろうとすると思う。母親自身にも、「自分といれば姉はおとなしいけれども、妹がそこに加わると互いに険悪になる。妹がそれに配慮しないのが悪い。」と思ってると思います。私の方は、まあ、母親の機嫌をとって、自分に有利な方に話を姉はもって行きたいんだろうなあ、とは漠然と思う。というか、姉が母親の機嫌を取れば、その分私の方に突き当たってくるのは経験から分かってるので、配慮も何も、「まだまだ油断してはいけない」と、自分の身を守るために配慮するしかないわけですが。どうして、こういう現象が起きるのか、姉の思考回路が理解できない。それが今日の私の長風呂の理由だったわけで。

 そうしたら、「DV・モラハラをする夫は、いつも妻を追い詰めているわけではない。ときには優しくしたり、親切にしたりして相手の気を引くわけで、それは親切にしたいからそうしているのではなくて、相手を支配しているからそうしているに過ぎない。でも、妻は親切な夫が本当の夫の姿であって欲しいと思うし、そう思いたいから、「子供がいなければ夫は自分に親切にしてくれる」とそういう思考回路にすらなる。夫の側は、妻にそう思わせて妻も子供の虐待に協力するように仕向けるために妻に親切にする。」と言われる気がするわけで。

 でもって、風呂から上がったら、「洗濯の時は、姉にリビングにいてもらいたいから、姉にはここで食事して貰いたいと思う。」と母親に言われて、「あれ?」と思う。食事の時は私も姉も自分の部屋で、「それが公平・平等」だってあなたが言うから、その代わりに薬の管理は全て私がして、姉は一切さわらない、ということで了解しましたよねえ? 姉に薬のことをさわらせない、ということは、薬を利用して虐待を繰り返したい姉の行動を阻止する目的でもあるし、それが今回の騒ぎの彼女に対するペナルティーでもある。それで、今日は姉も少しは私に対してグチグチと嫌みを繰り返さず少しは遠慮している風であったので、まあ、家庭の平穏を守るためには、少なくともしばらくはなんとかなるかな。後は、姉の行動を監視して、家族の誰をも虐待しないようにどのようにして気を配っていくのか、できる範囲で母親とゆっくりと相談していこう、と思っていたら、なんか、私が一日も二日もかかって、誰のメンツも立つように気を配って取り決めた約束、できるだけ姉が気が狂ったようになって、手がつけられなくなって暴れたりするようなことを未然に防げるかということを、考えに考えた末に決めた約束を24時間も経たないうちに変えるの? あれ? と「目が点」になる。だから、姉を有利にするのではなく、私が留守番をする、ということなら良いですよ、と言ったら、要は「それは公平でも平等でもない」と言われる。いや、私が姉よりも若干優位で「上の立場」になりたいのは、いざというときに自分が踏んだり蹴ったりされて、あげくにあなたから「配慮が足りない」って言われるのが嫌だから、その予防手段としてやってるんで、相手が「自分よりも下」の立場だと見たら踏んだり蹴ったりして当たり前だと思ってる姉だって知ってるよねえ? 公平って平等って何? 姉が家族を毒殺しようとしたら、私が姉の口をこじあけて硫酸でも飲ませるのが公平で平等だって思ってます? お母様? と思うわけで、あきれかえって口もきけない。

 それで気がつくけれども、幼児虐待に協力する母親というのは、結局は子供よりも夫を取るのは、「夫の方が子供よりも自分の役に立つ」からなんだなあ、と今夜の母親を見て思う。姉が私よりも「役に立つ」と思う点では、いくら私が姉に虐待されかねないことになっても、お母様は「それが当然」と思うらしい。・・・というか、あなたが「リビングでいつもご飯を食べていい」って言ったから、露骨に数少ない自分の薬を旦那に飲まれるはめになったのに、なんで自分が姉に殺されるのが公平とか平等と思うのかが私には理解できない。こと私に関しては、母親が姉が私を攻撃する口実をあえて作るのなら、まずは「自分の身を守ることを最優先にさせて頂きます」と述べるしかない。公平とか平等とかは、あなたか私のどちらかが姉に毒殺されるか、暴力を振るわれて殺されるかして、あの世へ言ってから閻魔様にでも言えば、とそんな感じである。私が私の身を守ることは、家長も何も「私の権利」ですぞ? と思う。母親はリビングに留守番がいる状況も、私が有利である状況も、どちらも含めた状況を選べたし、敢えて「それは公平でも平等でもない」と言って自分から放棄しておいて、しかも、姉のいないところでいくらでも事前に私に相談できたのに、わざわざ姉のいる時に私の不利な状況にまた変えるように、と私に求めるわけで、あれえ? と言うしかない。私と母が、今日一日、よくよく頑張って相談して殺人未遂鬼から勝ち取った不完全な勝利を、その日が終わらない内に私が放棄しないからって、それは私のわがままではございません、と述べるしかない。

 「殺意」というものは常にあって、それは自分以外の自分に関わっている人全てに及ぶ。1mmでも気に入らないことがあればそれが「殺意」の正統な理由なのである。でも、人の機嫌を取ることもある。機嫌を取る相手を支配して協力させるためには、そうする。だからといって、機嫌を取っている相手に対する「殺意」がなくなってるわけではないの。私を殺すために母親を利用する、父親を殺すために母親を利用する、母親は年取って役に立たなくなったらどうする? とそう思う。そういうものは「殺意」を向けられた相手が協力しあって助け合って「予防」していく以外に対応のしようがない。露骨な殺意や暴力を暴走させる前段階で、まず家族に対して欲望をむき出しにするのではなく、遠慮をすることを少しは覚えて欲しい、と求めることは不公平で不平等なのですかね? とこうなる。

 というわけで、あまりにびっくりすることばかり起こりすぎた一日でびっくりする。・・・今日書いたことは全てフィクションである。

 で、なんだかんだあって、洗濯が終わった後、階下へ行ってみると、「別々に食事をしてくれた方が、姉にどんどん仕事をさせることができて良かった」と母親が言って機嫌良く喜んでいたので、「誰もが満足できる結果だったのなら良かった」と言っておいたのですが。父親の方は、その隙に台所に入りこもうとしてうろうろしていたらしい-;。よくよく元気なじいさんである-;。

 でもって、姉の方は、母親と私が少なくとも、表面的に円満であれば、おとなしくしていよう、という気分らしくて、うわべは明るくおとなしくしていたわけですが、まあ、洗ってるお皿はガチャガチャ音を立てているわけで、厳密に言えば、「物に当たる」のもDV(暴力)の内なので、「うわべだけだなー」と思うわけですが、姉は姉で、私と母の機嫌をある程度取るのは、私たちを支配して、父親に対する虐待に協力させたい、と、まあそういうことなのかなあ、と思うので。まああたくしは支配される気はないし、「支配されませんよ。今で食事を摂る人は私が決めます」というデモンストレーションをすることが「支配されませんよ」という意思表示でもあるので、私のことは忌々しいだろうな、と思う。というか、そもそも生まれた時から私のことを「余計なもの」だと思って「殺意」を持ってる相手なのだから、「殺意」を持つ点について配慮してくれ、と言われても、そもそも周囲に配慮しながら生まれてきたわけじゃないんで(苦笑)、となる。生まれる前に「配慮して生まれてくるように」と私と協議して了解を得てくれなかったそれは母親のせいだと思うので、私に関する「殺意」に関してはする配慮なんて存在しえないですよ、とそう述べるしかない。姉のやっていることは、幼児虐待を繰り返して、子供が死ぬまでやめない父親が自分を正当化する行為そのものなのだけれども、対する私の方もさすがに50の歳を過ぎて「幼児」というには育ちすぎている気がしてならないので-;。私も母親ももう50年若ければ、「あなたがやっていることは父親の幼児虐待に協力している母親の態度そのものですよ。」って言っていさめられるわけですが、さすがに私も母親も歳を取り過ぎているしなー、となるわけですし。幼児虐待をする「父親」であれば離婚しちゃえ、と言えるわけですが、やってるのは姉だから、結局は私が面倒みなきゃいけない相手でもあって、「離婚しちゃえ」とも言えないので、他の解決方法を大人として探すしかないわけで-;。ま、だから客観的に言って、父親から虐待を繰り返される2歳児に「父親に配慮しないおまえがわがままだ」って言う母親はどう思われるのですかね。それはご自分でよくよく冷静に客観的にお考えください。虐待を繰り返す父親と幼児の間にある「公平」とか「平等」というものはどういうものなのかを、逆に理解不可能な私に教えてください、と母親に対して思うわけで。

 あたくしに対して「家長」というのであれば、家長としては家の中から、殺人鬼も非殺人鬼も出さないように努力するしかない、加害者も被害者も出さないように心を砕くしかない。だけど、いよいよ極限状態になれば、「自分の身を守ること」を最優先に配慮しますので、それはわがままでも何でも、ご自由に定義してくださってかまわない。あたくしの方だって、「生きていてこその物だねだから」と思うしかない-;。「公平」とか「平等」と言うのであれば、犯罪者は刑務所に、患者は病院に、一般人は一般社会に、というのが、一般的な「公平」であり「平等」である、と思うわけですが、母親の言う「平等」とは、父親に対しては「犯罪者なんだからいつ死んでも良いと公言する」のが「公平」であり「平等」であって、姉に対しては「犯罪者なんだから妹から配慮されるのが当然であるとする」のが「公平」であり「平等」なのですかねえ? まあ、お母様がそういう基準をお持ちでも思想は個人の自由ですけれども、その「公平」と「平等」の基準はもっと明確にしてくんないと私みたいに単純な人間には良く分からないわけで-;。「加害者も被害者も出さない」ということが最大の命題で、かつ悲願でもあるあたくしには、家族の中に公平も平等も求める気持ちはあんまりありません-;。個人的な「核」の家族の中にも、もっと広い一族郎党の中にも、「公平」とか「平等」とか求められるような人格の人間が誰かいたっけ? とそんな感じである。だいたい、一番まともなひいじいさんに対してすら、「妻に対して公平でも平等でもない」といってあからさまに非難する人とか何人もいるわけだから、他に誰かまともな人なんかいたっけ? ってそんなものである-;。

 父親に関しては、ともかく、「生きていればお金になるんだから、未来永劫、生きていてくんないと困る」と姉にすり込むしか、守る手がないのである。母親が「いつ死んでもいい」とか、「薬の管理を本人に任せる」とか、母親が父親を「生かしておきたくない」と受け取れるような発言をすれば、それは「隙」となって、姉の虐待が進むだけ、ってそういうことなのである。父親は少なくとも私に関しては、医者としての信頼感があって、私のことを利用したいと思う点があるので、私に対して直接露骨な殺意を向けることはない。母親に対しても、直接は面倒を見て貰わないと困るので、現在のところは突き当たることはない。だから、じいさんに気をつけなければいけない点は、勝手に台所に入り込んで・・・・入り込んでまあボルジアとか、ってことさえ、させなきゃいいのである。

 姉の方は、今までは父親の殺意を利用して・・・利用したい気分、便乗したい気分もあったのかもしれないけれども、「自分の入れ歯」が標的にされちゃったので、怒り心頭、ということで-;。父親に便乗して私や母親を殺そうって、そういうことを内心思うから「人を呪わば穴二つ」の穴に自ら落っこちたわけで、私から言わせれば、まさに「人を呪わば穴二つ」で、自分から落とし穴を掘って、自分で落ちるような人に対する配慮って何? とは思うわけですが、自分で掘った穴に落ちたとしても「被害者」は「被害者」なので-;。そういう被害者も出さないように努力するのが家長だと思ってる、ってそれだけである-;。で、逆恨みしてじいさんの虐待を始めたので、それに気がついて、阻止しようとしたら、「なんでも妹が命令したからやっただわ」と騒いで、「あれー?」なことになったのが今朝のことである。姉がじいさんに直接薬を渡してたって、私は昨日初めて聞いたし、「飲ませる薬が分からないなら電話で確認して」って言ったし。だいたい、毎晩私と母親がチェックしてるのに、姉が薬に関して出張る隙がどこにあったのか、ってなる-;。しかも色々話を聞いてみると、同様のことは何度もあったし、直近の4回くらいは、母親の薬の一部を意図的に父親に飲ませていた、と疑われる形跡がある。飲ませる2錠の薬のうち、一錠を母親の薬をすり替えて飲ませてたらしいのだけれども、今回2錠とも母親の薬を飲ませたので、薬が足りなくなった母親が追求して事がばれたのである。・・・どう考えても、知れば知るほど「真っ黒な確信犯」にしか見えないのだけれども、そんなんでも「加害者も被害者も出さない」というのが、私の家族に対する最大の配慮であって、次の標的が自分だって分かってるのに「じいさんはじいさんで死んだって構わない。」って言って殺人未遂行為を正当化することに配慮するのは、少なくとも私の「配慮」じゃないから、と言うしかない-;。どちらかというと、「人に毒を盛ったらペナルティーを受けなければならない」ということを教えることを続けることの何が問題なのですかね? ペナルティーって言ったって、一人で飯を食うだけなのに? どうしてもみたいっていう、伊野尾チャンのドラマくらいは見せてやってもいいとすら思ってるのに? という気分である。父親が死んで母親が死んだら、次の標的は私しか残ってないのに、せめて親が生きている内に、社会的に最低限の常識をなんとか教え込み続ける努力をしようとすると、わがままで自分勝手だって非難されて、自分がかわいそう、というよりも「目が点」になってばっかりの私である-;。ともかく、私の本音を言えば、「あなたが配慮の足りない行為をしたのだから、私と家長が良いというまで、部屋で一人で食事を摂りなさい。私と家長はこれまでと同じように一緒に食事をします。」と当たり前に母親に言って欲しいわけですが、何故か姉が毒をもって罰を受ける場合には、毒を盛ってない私も姉に配慮して一緒に罰を受けるのが公平で平等だ、と母親が思っているので、では代替としてペナルティーには「今後は姉は薬に触らない、ということにしましょう」と決めたのが今朝であって。母親の言う「公平」とか「平等」とは私には理解できないので、私から見れば100%、母親の顔を立てるための配慮である。それをまたあっさり反故にして私の顔を徹底的に潰そうと母親がするとは全く思ってなかったわけで。まあ、結果オーライだったから良かったわけですが-;。

 ちなみに姉が前回追放されたのは、私に対してグチグチとモラハラを続けて「やめて欲しい」と言ったにも関わらずやめなかったから追放されたのである。でも伊野尾チャンのドラマが見たい、というので、「そのくらいは見せてやろう」と思ったら、何を考えているのか、そのままリビングに居座り始めたわけで、なんで母親が止めないのかと思ったら、「テレビを見るならいていいと言った」って母親が勝手に許可したことが発覚したわけで。事前に私に一言もなく、なんでそんな勝手なことをしたのですかね? これからは私にも一言言ってください、と言ったら、母親とも揉めたのが今朝のことである。ともかく、姉の前で、私と母親が揉めれば、その状況を利用して、両者を支配しようとしか姉は動かない。私に対しては、極端に高圧的になる。そうして私を虐待することを正当化する。母親に逆らう私が悪いのである。母親に対しては、「妹の言うことばかり聞いている」と言って責める一方で、役に立とうとすり寄る。母親が私も父親も嫌っている隙に、母親を味方につけて私と父親に対する虐待に協力させたいからだし、事私に関しては、子供の頃から何度でも成功していて味をしめているからである。姉が私を虐待しても、母親は私に「お前が黙って我慢してなさい。姉と喧嘩をするお前も悪くて、喧嘩両成敗である。」としか言ってこなかった。だから、姉が妹を虐待すれば、妹は虐待にただ我慢するか、虐待に抵抗して抵抗したことを理由に罰を受けるかどっちかである。え、でも、母親がですよ、姉が妹を虐待して、妹が罰を受けることを「公平」とか「平等」であるって主張して、しまいには自分まで毒を盛られるようなことになった場合でも、まだ自分が毒を盛られることが姉と妹に対しての「公平」とか「平等」であるっていうことを言い続ける場合にですねえ、私ももういい大人なのだけれども、いったいいくつになるまで、そういう母親の言動を立てなければいけないのですかね? 私もそろそろ社会的な公平とか平等というものに関心を持っても子供過ぎるお年頃ではない気がするのですけれども? とそういうことである-;。

 ということで、こういうことを言おうとすると、「お前だって自分勝手なことしか言わないし、自分たちは我慢して従ってる」と言って責められる。で、よくよく考えて私が自分の意思で言ってることって何? となるわけですが、私は私で「空耳」の言ってることに従ってるだけなんだけど? 家長の言うことに従うのが義務だって言われるし、指定された人を家長と認めねば自分を守っていけない、という瀬戸際なんだけど? なんか私が個人的な好き嫌いで言ってるのがは「弱い物いじめは許さない」とかそのくらいしかないんだけど? と、KinKi-KidsのDVDを見て思う。いくら「空耳」に、「自分たちに言われてることをやってるだけ、って言っていい、って言われてもですねえ? オカルトなんですけどねえ?」と思う-;。しかし、今回分かったことが一つある気がする。家の中に明確な「殺意」がある場合、それを示すのは特定の「二人」だということである。なぜなら、その内の一人にも、家の中のことについて「家長」として責任があるからである。でも、結局、「家の中から加害者も被害者も出さない。誰もが天寿を全うする。」という方針も「二人の家長」の方針ですよねえ、と思う。

 というわけで、今日は家にいるときは、大部分、桓武天皇を降霊して、「いただきハイジャンプ」を見ながら、家の中の半分はボルジア毒殺魔で、1/4は虐待されたら黙って我慢するのが公平で平等だと思っていて、そういう複雑怪奇な「家庭」で、家長はどうやって家族を守っていくべきか、ということをよくよく協議する。桓武天皇も桓武天皇で複雑怪奇な家庭環境で育った上に、そういう家庭を整えるために、邪魔者を全部「御霊」にして整理整頓してしまったという強者であるので-;。そういうやり方そのものは現代社会にはちょっと向かない気がするわけですがー;。(人の命が現代よりは軽かった平安初期でもそこまでやる人はあんまりいなかったと思うわけですが-;)ともかく、協議する。姉と父親はそれぞれできるだけ気を配って、毒を盛らないように、盛られないように見ていくしかない。だけど、特に姉は激高すると、止めようがなくなるくらい暴走して、暴力をふるったりするので。「公平」とか「平等」とかではなくて、どのように暴走を未然に防ぐのか、自分でも暴走してはならない、ということを自覚させるのか、ということを一緒に考えて欲しい、と母親に対して根気強く説得してお母さんにも自覚を求めるしかない。これが戦争であって、攻撃される側に「お前が黙っていないのが悪い。お前が我慢していれば、揉めないのに。」って言ったらどうなりますか? チベットですよ? と言われる気がするわけで。ちなみに、桓武天皇はお母さんをどうやって説得しましたか? とおたずねしたら、「そんな、やっても無駄なことなんかやるわけないでしょ。」と言われる気がしてならないわけだがー;。なんだかんだ言って、あなたは私よりも立場が恵まれていて良かったですねえ、と思う-;。

 というわけで、全部妄想ですとも。全部フィクションですともさ、オカルトですもの、と思う日記なわけです。でも、家族の中から「加害者も被害者も出さない」というのは、私の信念であって妄想ではないです。

21年8月26日

 昨日、今日は色々なことが起こった・・・というか、「発覚した」日であって。個人的に気になることといえば、かなり前から「ブンブブーン」で剛君が紫っぽい服、光ちゃんが黒っぽい服を着ることが多くて「何か問題があるのだろうか。」と漠然と思ってはいたわけです。でもって、あちこち出歩かなければいけない、とかそういうことが続いていたわけですが、どうも某病院へ行くと「人身御供を求める神に注意」とか言われる気がするし。どうも家人の一人を指して「よく面倒みる気になるね」みたいなことを言われる気がするわけで@@。家族だから、できることをするのは当たり前ーー、と思うわけで。でも、夢見もなんだか良くなかったり、寝苦しかったりもするわけで-;。「どうしたものか」とは思っていたわけですが-;。

 どうも、昨日、私と母親が出かけている隙に、朝父親に飲ませている薬が「お膳に出ていなかった」と父親が姉に言って、姉が母親の薬を父親に渡して飲ませた、という話を聞いたわけです。だいたい今まで、父親の薬は前の日の夕飯後に、母親が用意して、お膳の上に出して、私が寝る前にそれを確認して、母親が忘れていたら私が薬を用意する、ということをやってたわけです。別に「薬が出てる」とか「出てない」とかいちいち声かけしたことはないですよ? でも、そうやってダブルチェックして飲み忘れがないようにしてたわけ。で、ここのところずっと母親も私も気をつけていて、薬の出し忘れなんてなかったし? それは人間だから、母親も私も忘れることはあるかもしれないし、絶対にないかもしれないし?? と思うのがまず第一である。

 で、飲ませる薬が分からなくて間違えたと思ったので、「飲ませる薬が分からなかったのなら、なんで私や母に電話で確認して薬を飲ませないのか?」と姉に聞くと「薬が出ていないって言われたから飲ませた」と言うわけです。で、「何を飲ませていいのか分からなかったら、私か母親に確認して。」と言ったら、「お前になんか誰が聞くか! 誰がお前のことなんか信用するか!」と言って激高するので「あれ?」と思う。だって、私たちが出かけている時だって、けっこうささいなことで電話してくるよねえ? なんで、父親に「どの薬を飲ませたらいいのか?」って聞くのがそんなに嫌なのか? 私が信用できないのなら母親には何故聞けないのか? と思うわけです。しかも、なんというか、「悪いことをした」という態度が感じられないわけです。

 で、母親が「もう父親の薬は自分は管理しない。当人にやらせる。」と言い出すので、元々飲み忘れる薬の多かった父親のことだから「それは絶対だめ」と私が言ったら、矛先が私に向かうわけで-;。「お前は命令するばっかりで何もやらない。」とか言われるわけです。「ダブルチェックしてますけど。」と言うと、「そんなこと言われたことはないし、チェックしてるとは思わなかった。」と怒られるわけで。「チェックした時に声をかけて欲しかったのであれば、そう言って。」と言うしかない。・・・そっちが思ってなくたって、こっちはこっちでできることはやってるんだから「何もやってない」なんて言われる筋合いはない、と思うけれども、そういうやりとりを聞いている姉が「全部お前が悪いだわ」とかって私に向かって叫び始めるから、もう収集のつけようがなくなるわけで-;。

 で、姉が理不尽な物言い出私に突き当たってくるので、こちらもきつい言い方になって言い返すと、母親に「お前が相手にしないで我慢しろ」と私が言われるわけで、正直「言論の自由の弾圧反対-」と思うわけですが-;。そうすると「お前が家長なんだから、度量ってものがあるだろう」とか言われるわけで-;。度量も何も、私を「家長」と言うのであれば、家長が決めた家の中の秩序を守るように協力してくださいな、と思うわけですが、どうもそういう意味の「家長」ではないようで。それは曰く「モラハラを許さない」「弱者の虐待を許さない」とそういうことなのである。だけど、うちはデフォルトがモラハラな家庭で、ともかく子供を平等に育てる、とかそういった理想はなかったわけではないのだけれども、姉が言いたいことを言う、私が言いたいことを言う、親が両方の言い分を聞いて客観的かつ冷静に「こうしましょう」って説得しながら話合うということをともかく「あんまりやったことがない」のである-;。親は親で「私の言うことを聞けないのなら、私に意見なんか聞くな」とか子供の頃はそういうことしか言われた気がしないわけで、自分の意見を言って、それに対する相手の意見を批判も含めて聞いて、一緒に考えてみようとか、そういうことってあんまりなかった気がするわけで、話がうまくはまらないと、誰も彼もがヒステリーしか起こさない、とかそういう結果にしかならないわけで-;。まあ、私が「家長」とやらになれば、あまり批判されずに、言ったことに協力して貰える、という点はものすごく助かっているわけですが、ときどきこういう「しっぺ返し」を食らうわけです-;。でも、どんなに私が横暴な暴君だったとしても、「家族の希望を察しないお前が悪い」って言われるのはひどいぞ、希望があったた通っても通らなくてもまずそれを口に出して言ってくださいな、と思う。コミュニケーションってそういうものじゃん?? とも思う-;。

 だいたいグチグチグチグチと相手の嫌がることや相手の悪口を延々と言う行為というのは、「家庭内暴力」を振るう「夫」が普通やることなんだよね。そうしてまず妻を支配しようとする。で、次にその標的を子供に向けて、同じ事をする。子供が嫌がったり、反抗したりすると、母親は「お前が反抗しなければ家の中が揉めないから、お前が黙ってろ」と言う。子供が黙っても、父親は家族に嫌がらせを繰り返して、家族を支配することが目的だから、嫌がらせをやめるわけはない。子供を虐めることは、母親に対しては「次はおまえだ」というようなプレッシャーにもなり得る。だから「黙ってろ」と言われた子供は、黙ってることで、父親からも母親からも虐待されてるのである。で、だいたい殺されて両親が逮捕されて、「どういう母親なのか」って世間から言われる、とそういことになるわけですが。だいたい、母親の私に対する言動は、虐待されている幼児に、自分が虐待されたくない母親が取る言動と「同じ」なのである。そのくせ、姉の機嫌をとって姉を動かそうと思うわけで、そんなことでDV夫は操縦できないって教科書にあるんじゃ? と思うくらいである-;。ということで、我が家の家長が私であったとして、私に対する虐待を許さない家庭を作ること、私以外の弱者的家族に対する虐待を許さない家庭を作ること、弱者に対して誰かが「お前が黙ってればもめ事は起きない」と言って虐待へ協力することを許さない家庭を作ること、というのは、実のところ、「家長」としてものすごく重要で困ってる問題なんだけど、と思うわけですが(苦笑)。ともかく、まあ、私は「幼児」とは言えないので、親が何言おうが、言い返そうと思えば言い返すかどうかは自分で決めますが、ともかく体の弱ってきている両親に対する「虐待」はなんとかせねばならぬ問題である。そして、家の中の家族間の力関係というか、人間関係がどうなってるのかということも分かって貰いたいわけですが。でも、私が「何でも勝手に決めちゃう」とか言われるわけで-;。

 で、自分の部屋に戻ると、「何でも、自分の言ったことは自分の責任って責任を背負い込み過ぎないで、「誰それがやれって言ったことをやってるだけ」って正直に言えば。」と兄さん達に言われる気がするわけで。それはそれで、なんだかむかつく、と思うわけですが-;。しかし、私が「自分でこうしたい」とか「ああしたい」なんて思ってやってることなんて「ない」も同然だし。あるとすれば、家族間のモラハラを許さない、ってそのくらいのことである。というか、「真の家長」であるひいじいさんが「やれ」って言ってやってることをなんで「中間管理職」に過ぎない私のせいにして責められねばならないのさ、ってそれが私の本音であるので-;。・・・裁判に負けてショックだった時にも「大勧進に行ってこい」って言われて「かしこまりました」ってさっさと出向くようなことが板につきすぎちゃってるのよ、どうしてくれるの、誰のせい? ってそんな感じである。

 ・・・で、なんというのですかねえ? 今までは姉がモラハラ行為を私や母に執拗にする場合には、自分の部屋で食事を摂って貰うことにしたわけです。当人が理解できなくても、モラハラ行為は反社会的行為であり、繰り返すのであればペナルティーも止むなし、ということは、理屈で理解できなくても、経験で理解して貰わねばならないからです。でもって、私と母親はそれなりに平穏無事に過ごしてたように見えていたわけですけれども、モラハラ様は密かに、父親に母親の薬を盛る、という行為をして気晴らししてたわけだ-;。でも、特に最近顕著であったし、今後も続くと思うけれども、姉は母親にすりよって、機嫌を取ろうとすると思う。母親自身にも、「自分といれば姉はおとなしいけれども、妹がそこに加わると互いに険悪になる。妹がそれに配慮しないのが悪い。」と思ってると思います。私の方は、まあ、母親の機嫌をとって、自分に有利な方に話を姉はもって行きたいんだろうなあ、とは漠然と思う。というか、姉が母親の機嫌を取れば、その分私の方に突き当たってくるのは経験から分かってるので、配慮も何も、「まだまだ油断してはいけない」と、自分の身を守るために配慮するしかないわけですが。どうして、こういう現象が起きるのか、姉の思考回路が理解できない。それが今日の私の長風呂の理由だったわけで。

 そうしたら、「DV・モラハラをする夫は、いつも妻を追い詰めているわけではない。ときには優しくしたり、親切にしたりして相手の気を引くわけで、それは親切にしたいからそうしているのではなくて、相手を支配しているからそうしているに過ぎない。でも、妻は親切な夫が本当の夫の姿であって欲しいと思うし、そう思いたいから、「子供がいなければ夫は自分に親切にしてくれる」とそういう思考回路にすらなる。夫の側は、妻にそう思わせて妻も子供の虐待に協力するように仕向けるために妻に親切にする。」と言われる気がするわけで。

 でもって、風呂から上がったら、「洗濯の時は、姉にリビングにいてもらいたいから、姉にはここで食事して貰いたいと思う。」と母親に言われて、「あれ?」と思う。食事の時は私も姉も自分の部屋で、「それが公平・平等」だってあなたが言うから、その代わりに薬の管理は全て私がして、姉は一切さわらない、ということで了解しましたよねえ? 姉に薬のことをさわらせない、ということは、薬を利用して虐待を繰り返したい姉の行動を阻止する目的でもあるし、それが今回の騒ぎの彼女に対するペナルティーでもある。それで、今日は姉も少しは私に対してグチグチと嫌みを繰り返さず少しは遠慮している風であったので、まあ、家庭の平穏を守るためには、少なくともしばらくはなんとかなるかな。後は、姉の行動を監視して、家族の誰をも虐待しないようにどのようにして気を配っていくのか、できる範囲で母親とゆっくりと相談していこう、と思っていたら、なんか、私が一日も二日もかかって、誰のメンツも立つように気を配って取り決めた約束、できるだけ姉が気が狂ったようになって、手がつけられなくなって暴れたりするようなことを未然に防げるかということを、考えに考えた末に決めた約束を24時間も経たないうちに変えるの? あれ? と「目が点」になる。だから、姉を有利にするのではなく、私が留守番をする、ということなら良いですよ、と言ったら、要は「それは公平でも平等でもない」と言われる。いや、私が姉よりも若干優位で「上の立場」になりたいのは、いざというときに自分が踏んだり蹴ったりされて、あげくにあなたから「配慮が足りない」って言われるのが嫌だから、その予防手段としてやってるんで、相手が「自分よりも下」の立場だと見たら踏んだり蹴ったりして当たり前だと思ってる姉だって知ってるよねえ? 公平って平等って何? 姉が家族を毒殺しようとしたら、私が姉の口をこじあけて硫酸でも飲ませるのが公平で平等だって思ってます? お母様? と思うわけで、あきれかえって口もきけない。

 それで気がつくけれども、幼児虐待に協力する母親というのは、結局は子供よりも夫を取るのは、「夫の方が子供よりも自分の役に立つ」からなんだなあ、と今夜の母親を見て思う。姉が私よりも「役に立つ」と思う点では、いくら私が姉に虐待されかねないことになっても、お母様は「それが当然」と思うらしい。・・・というか、あなたが「リビングでいつもご飯を食べていい」って言ったから、露骨に数少ない自分の薬を旦那に飲まれるはめになったのに、なんで自分が姉に殺されるのが公平とか平等と思うのかが私には理解できない。こと私に関しては、母親が姉が私を攻撃する口実をあえて作るのなら、まずは「自分の身を守ることを最優先にさせて頂きます」と述べるしかない。公平とか平等とかは、あなたか私のどちらかが姉に毒殺されるか、暴力を振るわれて殺されるかして、あの世へ言ってから閻魔様にでも言えば、とそんな感じである。私が私の身を守ることは、家長も何も「私の権利」ですぞ? と思う。母親はリビングに留守番がいる状況も、私が有利である状況も、どちらも含めた状況を選べたし、敢えて「それは公平でも平等でもない」と言って自分から放棄しておいて、しかも、姉のいないところでいくらでも事前に私に相談できたのに、わざわざ姉のいる時に私の不利な状況にまた変えるように、と私に求めるわけで、あれえ? と言うしかない。私と母が、今日一日、よくよく頑張って相談して殺人未遂鬼から勝ち取った不完全な勝利を、その日が終わらない内に私が放棄しないからって、それは私のわがままではございません、と述べるしかない。

 「殺意」というものは常にあって、それは自分以外の自分に関わっている人全てに及ぶ。1mmでも気に入らないことがあればそれが「殺意」の正統な理由なのである。でも、人の機嫌を取ることもある。機嫌を取る相手を支配して協力させるためには、そうする。だからといって、機嫌を取っている相手に対する「殺意」がなくなってるわけではないの。私を殺すために母親を利用する、父親を殺すために母親を利用する、母親は年取って役に立たなくなったらどうする? とそう思う。そういうものは「殺意」を向けられた相手が協力しあって助け合って「予防」していく以外に対応のしようがない。露骨な殺意や暴力を暴走させる前段階で、まず家族に対して欲望をむき出しにするのではなく、遠慮をすることを少しは覚えて欲しい、と求めることは不公平で不平等なのですかね? とこうなる。

 というわけで、あまりにびっくりすることばかり起こりすぎた一日でびっくりする。・・・今日書いたことは全てフィクションである。

21年8月24日

 どうも、色々と物事が動きそうで、家の中も外も不穏です-;。とりあえず、引っ越しの片付け関連と、神社巡りで邪魔がある感じなので、この2つを続けたいと思います。越智関連の神社に来られたくないのが多そうですが、こちらもそこに行く段階にまだなりませんー;。

 で、親と色々と話をして、12時過ぎに部屋に戻ったら、「今日はお手紙を書く日」と言われました-;。

 最近では、「見るだけで御利益がある」という感じの、神社参拝の動画を上げている方がいるので、暇なときに流してみています。長野県外の神社には原則として行けない立場なので、「行けないところは適当に見とけ」と言われる気がするわけで。石清水八幡宮の動画とか見てると、「そこの値段は1円」とかって言われる気がするわけで-;。今日もオカルト、明日もきっとオカルトな毎日なわけです-;。

21年8月23日

 昨日も一日家で作業しました。外作業は、母親は土の埋め戻し、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土掘り、土の清掃でした。24時間テレビをやっていたので、ときどきテレビをつけてキンプリを見ていました。そうすると、どうも、「怪談を読め」とか言われる気がするので、なんとなくインターネットで怪談話を拾って読んで。で、夕飯の時に何を見ようかな、と思う。夕飯の時には24時間テレビも終わっていましたし。で、なんとなく先週の金曜日放送のモニタリングを見たら、利兄さんが「ゲゲゲの鬼太郎」を歌ってた・・・・・これもオカルト?? と微妙に思う-;。

 今日は姉を小谷医院へ連れていって、買い物をして、午後は少し外作業をしました。外作業は、母親は土の埋め戻し、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土の清掃でした。小谷医院はワクチン希望? と思われる人も来ていて、受付にも頻繁に電話がかかってきていて、なんだか全体にバタバタしていた、という印象でしたが、まあまあ良く見て頂いたような気がします。というか、患者の基本的な検査をお願いしたら、尿検査を忘れられた?体でしたが、「受付で尿検査のことを言って行って。」と言われた気がしたので、「尿検査もお願いしてありますが・・・」とお願いしてやって頂きました。・・・どこへ出歩いても毎日がオカルトな気がするわけですが。病院関連はまずまず平穏でした。小谷先生はまずまず良い先生だと思います。

 で、火雷神、カグツチはほぼ同じ神であり、大山津見(山の神)は鉱山の神でもあって「同じ物」、金山彦・天目一箇神は鍛冶の神であって「同じ物」、建御雷神は武器と戦争の神で「同じ物」、でカグツチと飯綱三郎も「同じ物」なので、これらの神々は「火雷神と鍛冶の神」で一括りに「同じ物」とできるもの、と言われる気がするわけで。「山の神」とは田植えの際に、人の生贄(若い娘)を求める神ではなかったっけ? でなければ下社の御船祭の爺婆では? という気がするわけで。大山津見が「人身御供」を求める神であるとすれば、カグツチも建御雷神も「同じ」ということなのですかねえ? と思う。そうすると、怨霊が生まれることになるので、彼らは怨霊を生産する祟り神ということになるのでしょうか? と思う。

 そして、なんだか急いでやらなければいけないことがある気がするわけで。兄さん達には「やって良かった、と思うようになるから。」と言われる気がするわけです。でも、なんだか覚悟はしていたけれども、ちょっと唐突というか突然な気がするわけで。少し気が滅入る感じもするわけです。そうすると「マリッジブルーってやつでしょ。」と言われる気がするわけで@@。暑いだけにオカルトなネタばかりなわけですがー;。

 で、色々な幽霊の話とかを読んでいると、最近流行の「事故物件」とかも出てくるわけで。「そういうのも、あんまりひどいものは、そのうちに呼ばれるようになるかもねえ」と言われる気がするわけで@@。私の専門は、合戦で非業の死を遂げて怨霊になってる昔の人とかではないのですかね? と思うと、「あなたの得意分野はむしろ新しく亡くなった人でしょ。医者をやってた時に死んだ直後の人の解剖ばっかりやっていたわけだし。」と言われる気がするわけで@@。え? でも、怪談になって出版されちゃうような幽霊の出るようなところへは行きたくないんですけど? と思う-;。そうしたら、「どうせあなたには見えないんだし、大抵は向こうの方が逃げ出すか、浄化されて消えてしまうか、おとなしくなってしまうわけだから別にいいでしょ?」と言われる気がするわけで-;。・・・なんだか、私が触れると幽霊はおとなしくなってしまうらしい・・・というか、それが「鎮める」ってことでしょ? と言われる気がするわけで@@。なんだか、そういう才能がある? みたいですー;。「庭に行け」って言われたりするのは、そういうのを期待されているらしい-;;。「まだお籠もり期間中だって分かっているのに、それを押しても来てくれ、って言われると言うことは、それだけ才能があるということ。」と言われる気がするわけで-;。どんどん方向性がオカルトな沼にはまっている気がするわけですが-;。

21年8月21日

 外作業は、母親は土の埋め戻し、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土の清掃でした。出かける用事がなかったので、一日家で作業をしました。
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 1杯目。トイレの基礎の下。1/2弱が石分。
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 2杯目。1/3弱が石分。
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 3杯目。1/5程度が石分。