22年6月18日

 本日は外作業の日。母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは後身頃の作成、シャツはボタン付けでした。

 テレビは昨夜は「Mステ」と「少クラプレミア」の録画を少々。今日の昼は先週の「夜会」と「少年倶楽部」の録画を見ました。

 昨日は、飯田、喬木村、豊岡村へ出かけて、富士山稲荷神社、伴野神社、小野神社、韓郷神社、大和社、宇治三柱神社、鬼ヶ城神社前宮、元善光寺を参拝してきました。元善光寺は前回行った時には改修中で宝物殿も見られなくて残念でしたが、今回はご開帳の期間なので、隅々まで見ることができて良かったです。ご本尊が乗っていた、という臼も見ることができたし。

 一昨日くらいになんだか夢を見て。自分がマンションみたいなところに住んでいて、家を出たら後ろで鍵が閉まって、しかも家への入り口がどこだか分からなくなる夢で。で、帰る道を探そうとしてうろうろしていたら、道の向こうからお祭り? というか衣冠束帯を着た神サマの列が歩いてきて。で、なぜか自分はパンツも履いていなくて、お尻が丸出して。「こんな格好で人に会ったら恥ずかしいー。どこかに隠れなきゃ。」と思って目が覚めて。「どういう夢だったんだろう?」と思ったのですが。なんだか蛇の兄さんから「長野からお尻を叩いてでも追い出してやる」って言ったでしょ、と言われる気がするわけで@@。で「迎えに行くから、お尻を出して待っているように、という夢でしょ。それくらい察してくれなきゃ。」と言われる気がするわけで@@。察して欲しければ、もっと分かりやすい夢にしてください、と思ったわけですが-;。神社巡りと穴掘りはまだまだ続きます。富士山稲荷神社では、丁度参拝が終わったところで、火事の放送があって消防車が走り回っていたので、思わず「何か自分と関係ある?」と思ってしまいました。この神社は飯田城の鬼門にあって、お城を守っていたらしいのですが。

 6月10日はここたんのお誕生日でした。そして昨日はニノさんの誕生日でした。二人ともおめでとうございます<(_ _)>。特にここたん、おめでとうが遅くなってしまってごめんなさい。

22年6月16日

 本日は外作業の日。母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは後身頃の作成、シャツは見頃の仕上げでした。

 テレビは昨夜は「ブンブブーン」と「いただきハイジャンプ」の録画を見ました。今日の昼は「正直不動産」の最終話を見ました。

皇足穂命神社は、「創建当時は山穂刈の皇足山に鎮座、万寿4年(1027)大風雨で皇足山の東南が崩落、長元元年(1028)8月現在地に遷祀」という伝承があるようです。万寿4年とは後一条天皇(平安時代)であるそうな。『信濃史源考 第2巻』小山愛司編 歴史図書社 1976 【N208/45/2】p.356-357には皇足穂命神社について、「伝説には、往古虚空蔵山に鎮座せしが、万寿四年山崩れにて社宇壊滅し、長元元年八月、穂刈平に遷し再建したり。降りて天正十二年、犀川出水により社宇流失し、直に再建せしも旧記社宝を失ひ、只「天元四年巳年十二月吉」の十字ある古鈴を存せり。」との記述あり。(https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000313250)とのことで。山穂刈ということで、本来の皇足穂命神社のあった皇足山とは単純に蟻之尾のことではないのか、と思うわけですが。でも、こちらはこちらで、やはり山崩れがあって、元の場所から移した、という伝承があるようですので、少しずれた場所ではあったのかも。蟻之尾だけでなく、津和のかなりの範囲の神々を合祀しているらしいのですが、今の有様は・・・-;。皇足穂命神社は延喜式の神社ですので、山穂刈にあるものが元々の「奥宮」で吉田にあるものが「里宮」だと思うのですが。「又田羅」という地名も「摩多羅」に通じる地名かも、と思います。里穂刈の神社、又田羅、蟻之尾の神社と、ちゃんと里から山に向けて道があります。里が頭で、蟻之尾が尾となるような、大蛇の呪法でもかかってるのかもしれないと思います。小菅が摩多羅の頭で、斑尾が尾であるのと同じようなものです。そうすると「穂刈」という地名にも意味があるように思います。「皇足穂命(すめたるほのみこと)」という名前の「穂」に住んでいる神を刈り取って「穀物」とか「米」にしてしまうわけだ。それは女神を殺して穀物を得る、というのと同じことなのではないでしょうか。奇稲田姫を刈って「穂」と「櫛」にしてしまうのはスサノオなので。「穂刈」とはスサノオの別名のようにも思えます。

22年6月15日

 本日は外出の日でした。ついでに、信州新町蟻之尾の豊受神社の参拝を試みたり、大町へ行って大町ダムで竜彦ちゃんの碑に手を合わせたり、豊川稲荷、皇大神社・西宮神社、国立神社を参拝しました。それから大町ー八坂の県道を通って山清路へ抜けてみたり。長野県の各地を回って、もう行くべき所はあとわずかだという気がします。完了したらほっとすると思います。

 お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは前身頃の作成、シャツは見頃の仕上げでした。

 テレビは昨夜は「News Zero」と「それスノ」の録画を見ました。

22年6月14日

 本日は外作業の日。母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。裏口の辺りから径30cmほどの、最近では珍しい、かなり大きめの石が出土しました。ゴミを捨てに行って来ました。

 お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは前身頃の作成、シャツは見頃の仕上げでした。

 テレビは昨夜は「ミタゾノ」の録画、今日の昼は「News Zero」の録画を見ました。「むすび家政婦紹介所」(だっけ?」の「むすび」とは熊野でイザナミのことを指す言葉です。で、ゲームとか、人を振り回すだけで役に立たないことばっかり考えている大会社の社長も「イザナミ」だという暗喩なのだと思うわけで-;。ともかく「鴨」でも「賀茂」でも、この人達の困ったところは、特定の祖神を持たず、まるで一族を区分するみたいに複数の祖神を持っているわけで。だから、神話的系図を見ると同族のはずが他人に見える、ということになっていて。少なくとも「雷神+下照姫他」の組み合わせだけでも3組くらいあるよねえ? と思う。だから、どこかで「イザナミ+スサノオ=熊野」という祖神を持っているはずなのだけれども、それが私にはなかなか見つからなくて。おそらく日前(と書いて「ひのくま」と読む)を擁する紀氏も賀茂の一派だろう、と思うわけです。個人的には日前とはアマテラスではなくスサノオのことだと思う。それがそのまま紀州の熊野信仰へと発展するのではないか、と思います。で、日前は名草戸部を倒しました。これが飛騨に移植されると、タケクマが両面宿儺を倒しました、ということになるのだと思います。要は、両面宿儺の伝承は、紀州から飛騨に移住した人々が持っていた「鬼退治」の伝承を投影・重層化したもので、飛騨における歴史的事実とは関連しない、とそれがあたくしの結論です。だから、3~4世紀に入植した紀国造関係者(賀茂関係者)の子孫がずっとそのままそこで暮らしてきたのに、後世に両面宿儺の歴史的時期を勝手に作り上げたから、そのまま暮らしていた人達が途中で討伐されて、で、その後もそのまま平穏に暮らしてた、みたいな変な物語が生じているのだと思う。だから、両面宿儺の物語はいわば「熊野神」の英雄としての側面を示したもので、熊野信仰とも関連するものと思います。・・・ということは八面大王もそうなんじゃん? と思うわけですが、そういえば安曇野にもけっこう大きい熊野神社がありましたし。八面大王は乗鞍の安曇野側の話にしたかったのかもしれませんが、それこそ梓水の竜神を守りたい、と考えていた人達に妨害されてできなかったのかも、と思います。飛騨川の竜神は両面宿儺に倒されてしまったようなので-;。というわけで、不思議な現象ではありますが、「両面宿儺」には、「鬼退治の熊野神」の側面と「鬼」の2つの側面があり、そのために、乗鞍の竜女女神が完全に消されてしまって、五十猛が乗鞍を乗っ取るのに大きな役割を果たしている、といえると思います。というか、そうするための「両面宿儺」なのだと思うくらいなわけですが。

 今日も昼寝の時になんだか夢を見て。まー君がいきなり家にやってきて、結婚式の打合せをする、という夢でした。なんで? 裏口の石を掘り出したから? と思いました。

22年6月13日

 本日は外作業の日。母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。今日は石と刈った草を捨てに行ったのですが、道路がものすごく混んでいて、かなり時間がかかりました。

 お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは前身頃の作成、シャツは見頃の仕上げでした。

 テレビは昨夜は「ニノさん」「食宝」の録画、今日の昼は「SONGS」の録画を見ました。

 今日は昼寝の時になんだか夢を見て。なんだか、出かけた後に、どこかのお寺に寄って、わざわざお坊さんの話を聞く、みたいな夢で。仏教関係者でも良い人達はいるわけですが。