昨日は買い物と外作業。外作業は夕方少しだけ。私が土の清掃、姉が土の清掃、石片付けでした。本日は外作業のみ。私が土の清掃、土の埋め戻し、土掘り姉が土の清掃、石片付けでした。
残暑が厳しい毎日です。昼間の暑いときに猫サマをエアコンの効いた部屋につれていっていたら、最近では自分から
「暑いから涼しい行こう」
と言うようになりました。けっこう大人になって知恵がついてきたようです。
昨日は買い物と外作業。外作業は夕方少しだけ。私が土の清掃、姉が土の清掃、石片付けでした。本日は外作業のみ。私が土の清掃、土の埋め戻し、土掘り姉が土の清掃、石片付けでした。
残暑が厳しい毎日です。昼間の暑いときに猫サマをエアコンの効いた部屋につれていっていたら、最近では自分から
「暑いから涼しい行こう」
と言うようになりました。けっこう大人になって知恵がついてきたようです。
本日は外作業のみ。私が土の清掃、姉が土の清掃、石片付けでした。
見る連続ドラマがとりあえず尽きたので、CDTVの録画を見ました。サザンが出ていて「ジャンヌ・ダルクによろしく」という歌を歌ってました。ジャンヌ・ダルクも人身御供みたいなもんじゃん? フランス国王に陥れられた、と思うわけです。でもって、パリ・オリンピックの開会式だかの映像が流れて
夜、セーヌ川で馬が女性騎士を乗せて走る
という演出があったらしい。だから、桑田君にはそれがジャンヌ・ダルクに見えたらしい。それとも、そういう解説があったのか?? と思ったわけですが、ともかくそれを見て
「げっ」
と思う。だって、いくらジャンヌでも、馬に乗って水の上を走ったりしないでしょ、と思う。ガリアで水妖である馬に乗って走るって言ったら
エポナ
でしょ、と思う@@。西洋では神話とか民間伝承で、馬はともかく水と関連があって、「水妖」扱いである。ケルピーとか。ポセイドーンとか。なんで「水妖?」と言われても困るわけですが、ともかく
東洋では水神の一種である龍は、馬と猪と蛇の合成獣だから
西欧では馬だけが何故か分離していても水神扱いされるのである。東アジアでは馬単独で水神扱いはないよね? 須佐之男はやや微妙だけど、と思う。てことで、中国の蚕馬を
マツケンサンサンバ1
と仮定すると、エポナというのは
マツケンサンサンバ2
に相当するみたいな、類話群なのである。謎な話ですが、ともかく、エポナは馬と一体化して豊穣をもたらす女神であって、西欧には蚕はいないから「蚕馬」にはならないんだけれども、麦の女神であったり、野菜の母女神であったりするところは
オオゲツヒメ
と同じなわけ。広く、植物などの豊穣の女神としては、東のハイヌウェレ、西のエポナってそんな感じである。しかも、三星堆遺跡では獣面神人像が「象牙」を持ってたんじゃないか、と推察されてましたが、これは西欧の
コルヌコピア(豊穣の角)
を意識しているのだと思う。で、コルヌコピアといったら、「月」あるいは「月のもたらす豊穣」で、女性の月経がもたらす豊穣と組み合わせて用いられるアイテムである。「ローセルの女神像」のように。馬には角がないけど、牛にはあるよ、ということで、ギリシャ神話には馬頭娘の変形である
デーメーテールとポセイドーンの神話(この神話のデーメーテルは文字通り馬頭の女神として現される-;)
だけでなくて、その牛版の
エウローペーとゼウスの神話
もある。西欧の人々には、「豊穣の父である獣」といったら、馬よりも牛の方が妥当だと考えられていたのかもしれないと思う。で、更にキリスト教に適当にかぶれてる日本の神話では
須佐之男が牛にも馬にもなる
ということで-;。ともかく、デーメーテール女神は、種をまく時期、収穫をする時期と、時間軸までもを含めて支配する豊穣の女神であるので、起源が太陰暦にまで遡る古い女神であれば、「月の女神」の要素の内包している。それに人間以外の動物はだいたい発情の時期も出産の時期も決まっているから。「月の女神」がそういう「時間」を取り仕切ると考えられたのも当然である。というとこで
「時間の流れと共に豊穣をもたらす女神」
である「原初月女神」ともいうべき存在は、西欧では「豊穣の女神」で、特に植物の成熟と収穫に関連するので、植物生育の基盤となる「大地の女神」としての性質が強くなって「地母神」としての方が有名になってしまうわけですが、土だけあっても季節がなければ植物は育たないので、月女神としての性質も持っていて当然なのである。でも、太陽暦が盛んになると、太陰暦の時間(月)の女神としての性質は重要ではなくなってしまうから大抵は消えてしまう。でもって、文明が進むにつれて、彼女のもたらす豊穣は「王権」にまで拡大されるわけで、その究極の形が
ネミの森の、馬神と金枝、である。
金の枝とは、月女神のディアーヌ女神のことで、馬は文字通り彼女を切り落として食らうが、そのおかげで王権の豊穣が生まれる。
まさに、女を食い物にしてローマ皇帝の永遠を手に入れよう
ということで。これが西欧の馬頭娘の究極の形といえると思いますが。「時間を司る月の女神」が殺された、といっても殺されたままでは困るので、
「月の神は男だった」と、時間の神を男に変えてしまった人たちもいるし
「殺された女神は月の女神とは別の神(娘神)だった」と、デーメーテールとプロセルピナ、サテネとハイヌウェレを分けてしまった人もいるし、
日本海沿岸の人々のように、月の女神は死んだけれども、娘の狭姫は生きていて母親の後を継いだ、とした人達もいたし
エポナのように、現世と冥界を行ったり来たりする女神、になって生きてるのか死んでるのか曖昧になった女神にしてしまった人達もいた
ということで。だから、三星堆遺跡で、獣面紋神が「コルヌコピア」といえる象牙を持っていたならば、この獣面紋神は月神としての性質も持っていて、月がもたらす豊穣を支配していた可能性もある。日本でいうところの「月夜見」である。
だから、
植物を殺して、それを収穫して、また次の時期に種をまいて増やす
という「月の神」の役割は、本来は女神のものだったと思われるわけです。デーメーテールやエポナ、それから旦那を収穫してしまうメソポタミアのニンフルサグの神話にその名残がみられます。一方、ひげが木である須佐之男、木の番人である中東のフンババ、死して植物に変化した后稷、ネミの森の「王」である馬神の姿の中にすら
かつては男が植物であった片鱗
がみられます。でも男が月神に変更されると、男神が「植物(女神)を殺す神」になってしまって、獣神として現されるようになるので、
「あれ? 須佐之男は植物である木の神なの? それとも牛とか馬なの?」
という整合性のない混沌としたことになってしまいました。これは全て「月の女神」をむりやり「月の男神」に書き換えてしまったから起きたことなのだと思うわけです。
ということで、最近は動物愛護の精神が盛んで、「動物にも権利を!」みたいな時代じゃん? 人間に馬や牛を食べる権利があるなら、馬とか牛にも人間を食べる権利があって当然、というのが最近の西欧デモクラシーの思想かもしれない。となると
明治の馬頭娘は時代にそぐわないあるまじき思想
であって。セーヌ川を爆走する水妖とエポナは
馬に人間を食べる権利があって、馬の方が人間よりも偉いと思うほど人間は謙虚になって馬に食われなければならない
という最新の西欧式権利意識に基づく、半周回って超シュールな「民主主義」ならぬ「馬主主義」だ、馬券が一番大事、ってそういう妥当性のある演出だったのかもカモ?
と思ってしまったあたくしでした。ギャンブルが盛んになると馬主ももうかるし?? 馬券と馬権が人権よりも大事、と。最近のオリンピックってそんなもんかもなー、と逆に意味不明に納得してしまったあたくしでした-;;。(というか、オリンピックとかトトカルチョをやる人だけが楽しい、とかそういう祭りなんじゃないの? と思う偏見の強いあたくしでした-;。)
本日は買い物と外作業のみ。私が土の清掃、姉が土の清掃、石片付けでした。
「笑うマトリョーシカ」の最終回を見ました。人気者の政治家である清家君を背後で操る真のハヌッセンとは・・・「存在しない」という衝撃の展開でした。でもって、道上女史に
「見くびられたくない」
と、いつも清家君を見ているマトリョーシカを並べながら熱く語る清家君だった・・・わけですが・・・。でも
「ハヌッセンは存在しない。」
と言いながら、何故清家君は「マトリョーシカ」を前にして、その中心にある小さな人形について語るのでしょうか? その人形も清家君自身ではないはずです。その姿はまるで、私には清家君が「ハヌッセンは存在しない」という芝居を続けながら、道上氏には「中心にいるハヌッセンを見抜いて欲しい。」と訴えているように見えました。ではドラマには出てこない「ハヌッセン」とは何のことなのか、「神話的」に見ていきましょう。だって清家君は私には諏訪神がモデルのように見えるからです。上社と下社の間で振り回される諏訪神は、室町時代にはかなり「須佐之男」と習合させられて、あんまり独自の神としては機能しなくなりました。
ドラマの中では清家君の父親も、汚職事件のもみ消しとか、殺人教唆とか悪どいことをしてますが、基本的には主体性のない人でした。諏訪神の父神である大国主命も、地方や状況によって性質がかなり違って、実のところ主体性がほとんどない神です。確か
記紀神話の大国主命は、少彦名命の悪事を隠蔽して隠れ蓑になっている神である
と少し前に書いた記憶があります。少彦名命は東国では、「天神」として祀られていて、どうも我が家ではキリスト教に半分かぶれてあれこれ言い出す前は、
天神である少彦名命が祖神だった
と言っていた節があります。これがどういう神だったかというと、弥生時代の更埴の遺跡から、ひょうたんを祭祀に使った形跡が出土しています。ひょうたんといえば、ひしゃく、ひしゃくといえば「北斗七星」、そして更埴も金刺氏の拠点の一つです。ということで、少彦名命って何かというと、
中国で言うところの「天帝」あるいは(かつ)北斗星君
のことと思われます。日本の民間伝承では一寸法師で良いと思います。古代中国と日本で見られる「獣面紋」、日本でいうところの「須佐之男」あるいは(かつ)牛か馬か猿か熊などの獣神は、単独で描かれて
背後にいるハヌッセン
の存在が明らかにされていません。でも、良渚文化における獣面紋には、彼の目に触れている小人の存在が描かれています。良渚文化は男系の王権文化が台頭した最初の文化であり、獣面紋と小人は「王権の保護者」として重要な神なのです。獣面紋は最初の神の言葉を伝える中継ぎ的なシャーマンと、神に生け贄を捧げるシャーマンの2面性を持った神であり、代々の「王」を神格化したもの、ともいえなくもありません。古代中国の皇帝たちは、独裁的な専制君主であり、神と人々の中継ぎともなるシャーマンでした。彼は天帝の忠実な部下だったのです。そして、男系の理論では、皇帝とその跡取りだけが「特権階級」で、それ以外は誰でも蚕同然ですから、そうやって天帝の定めたことに従って人々を蚕のように管理するのも獣面紋の仕事でした。人々から見れば、いつ殺されて食べられてしまうか分からないわけですから、恐ろしい存在です。獣面紋はそうやって少彦名命の殺人教唆の実行犯になり、更に大国主命や諏訪神を隠れ蓑にして隠れているわけです。要は、誰も自分が
「殺人者」
になりたくないから、下っ端のものに嫌なことを実行させる、罪をなすりつける、とそういうことです。だから下っ端にヒトラー(仮)とかムッソリーニ(仮)とか東条(仮)とか何人もいて、それがあちこちで大量虐殺を引き起こしていても、「真の殺人者」は天帝である少彦名命のみ、そしてそれを命じる饕餮(須佐之男)は共犯者(というか幇助者)という立ち位置になります。
で、ドラマの清家君は、ふだんはおとなしい人なのだけれども、腹を立てると、母親を非業の死に追いやろうとするし、恋人を切るし、自分と一体も同然であった親友も切ってしまうと。でも、道上女史には自分を見抜いて欲しい、という。
普段はおとなしいけれども、腹を立てると暴君、って、それは神話的には天若日子とアジスキタカヒコネじゃないですか。それを見ぬく道上女史は「下光比売命」なんじゃん? 旦那があんなさえない人でいいのか、その設定は?? と思うあたくしである-;。それはともかく、清家君は腹を立てて、アジスキタカヒコネすなわち須佐之男になっちゃった諏訪神であるらしい。
でも、上社的には諏訪神の「後戸」にあるのは守屋山の物部守屋であるので。これは下社的諏訪神、でなきゃ善光寺的諏訪神の姿なわけです。善光寺も下社も金刺氏の管轄だから。だからさあ、母親に対して「見くびるな」とか「俺が一番だ」って思うのはいいですよ? 思うだけならさあ? と思う。だけど、本当に
「見くびるな」
って思って、母親を焼き殺して、その権力と財産を横領したの? それを正当化するために、子孫に「女なんか殺していい」って正当化させる世界を作らせようとした? それ本人から聞いたの? 霊媒師とか使って幽霊でも呼び出したの、翔ちゃん??
と思うわけで。100歩譲って母親との確執は「個人的なこと」といえても、とんでも理論で世界中に何千年も迷惑をかけてきたことは正さねばならないのではないの? と子孫のあたくしは思うわけです-;;。
で、一方、父親が清家君の父親(大国主命)に殺されたことを知った守屋君というか、鈴木君は、清家君からは離れて、自分が真に行きたい道を妻と一緒に進むことになりました。というか、この場合は、鈴木君は物部一族の象徴であって、「殺された父親」というのが守屋のことなのだろう、とあたくしは感じました。守屋を殺したのは迹見 赤檮(とみ の いちい)だし、大和の迹見氏って出雲系の氏族じゃん? と思う。
あとは、清家君が尊敬する「タケチ先生」というのは、まあ名前からしてちょっと変則的ですが高市皇子のことをさすのかなあ、と思います。彼の登場はリップサービスかも? と思う。それを殺した性悪ミワコちゃんは、たいがい八坂刀売、ミワコちゃんに似た性格だけど悲嘆に暮れるママは大宜都比売であろうと思います。道上女史は下光比売命でもあるけれども、物部系氏族の願いとしては天道姫も入ってるのだと思う。
かくして、守屋・鈴木君は、なんか性格的に意味不明な清家君から離れて、自分の理想を目指すことになりました。「これ大事なところだから」と言われる気がするわけですが。正直
「田舎にひっこんでおとなしく暮らせば良かったのに。」
と思ったあたくしです-;。色々な前途は長いなーー;;。
で、あと、あれこれ書いてもあんまり報われない道上女史ですが、それでも頑張っているわけで。あたくしも神話とか民話のことはあれこれ書きますが、まあ、報われていないかも? しれません?? というか、龍と女神についてあれこれ書いたら
買い物に出かけたときに、龍と女神の絵が描かれているデコトラがこれみよがしに周囲をウロウロしていました@@
「懲りてねーなー」と思うというか、報われるとか報われないじゃなくて、書いたことにこういう反応はしこたまございます。報い? といえば報いなのかもしれませんが-;。
ということで、須佐之男化した清家君の真の黒幕は少彦名命だったのでした。今日はあたくしは雅治君のビデオを見ながら日記を書いてみました。
本日は外作業のみ。私が土の清掃、土の埋め戻し、土掘り、姉が土の清掃、石片付けでした。
テレビは昨夜は「A studio+」の録画など、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。
昨日は姉の病院と外作業。私は土の清掃、埋め戻し、姉は土の清掃、石片付けでした。本日は外作業のみ。私は土の清掃、姉は土の清掃、石片付け。残暑が厳しくて夜になっても暑い一日でした。
一昨日の前の日、社子神社、飯縄天合祀神社、返目神社を参拝しました。返目神社はさほど有名ではない? 神社ですが、立派なケヤキの木があって、吉田神社とか美和神社にも同じくらいの太さのケヤキがあるとのこと。美和神社や吉田神社は延喜式にも出てくる古い神社なので、返目神社も起源はかなり古くてケヤキは平安末期か鎌倉初期にまで遡るものなのか、と思いました。
が、それどころではなくて、境内に「蚕神」が祀ってあって、「蚕と馬の一体神」というのが祀ってあって、しかもこの辺りに特有の「2頭の馬」が台座にありましたとさ。こういう「蚕神」を見たのは、3例目、というか、これは「蚕馬神」ですか?? と思うわけで@@。思わず取り乱して
「頭にマツケンがついてて欲しい」
とか意味不明なことを思ってしまうわけですが-;。蚕馬(さんば)って言ったら、露骨に馬頭娘じゃん、オシラサマでもないんですか? タコって地名まであるのに?? と思う。(東北ではオシラサマの本名はタコという娘なのである・・・・-;)しかも、「蚕の母」扱いですから、この辺りでは当然「オオゲツヒメ」のことである。「父なる馬」は当然、須佐之男のことになる。でも善光寺周辺には諏訪系の神社が大量にあって、八坂刀売も松本方面では「蚕の母」扱いされるので、
オオゲツヒメと八坂刀売は習合してる
ということは芋づる式に
須佐之男と諏訪神は習合してる。善光寺ではとどめに
須佐之男の子神・御歳神と諏訪神の子神・彦神別神は習合してる
となるわけで。蚕馬っていったら、中国では誰になるかはともかくとして、日本の水内郡ではオオゲツヒメか八坂刀売のことで、しかも、馬との間に
子神
までいるのである。そんなこと古事記にも書いてないよ?? と思う-;。蚕馬を祀るようになったのは、明治以後だとしても、こういう神様を考え出した人は
日本の古典にも中国の古典にも精通した知識人
ではあるのである。だって「馬頭娘」を知らなかったら、馬から蚕が発生したなんて考えつかないはず。そして古事記を知らなければ、須佐之男とオオゲツヒメの妻問いから蚕が発生したなんて知らないはず。で、100歩譲っても、明治期に古典の故事から
古典にはない話を作って蚕神を作り上げる
なんてことは新しく始めるはずがない。古典に精通していて古典を愛しているのであれば、元ネタの通りに祀ることにむしろこだわるはず。というか、
須佐之男と諏訪神を習合させる
というのは、諏訪大社の縁起からみて、室町時代には公然のこととされているわけで。オオゲツヒメと八坂刀売の習合もその一環と思われる。でなきゃなんで権威の高い善光寺が、母であるオオゲツヒメと子神である彦神別神(あるいは御歳神)を一緒に祀っているのか。「母神と子神」を同じところで祀る(父神は一緒ではない)という構図は母系の文化の流れを組む構図で、私は他には尾張・真清田神社ぐらいでしか見たことないんだけど??? と思う。そして、真清田も「母である織り姫」と息子神の神社である。
でもさあ、真清田は尾張氏の公式の祖神を祀る神社であって、例えば明治期になって氏子が
「真清田の母神は馬頭娘(オオゲツヒメ)と同じである」
って突然言い出したりしないだろうと思う。母神がみじめに殺されたなんていったら、日本武尊を誇る栄光ある一族の恥なんじゃん? そういう当たり前の感覚を持ってる
尾張物部氏
と、明治時代になっても
「女なんて蚕も同然の食い物」って言って恥とも思わない
信濃尾張氏 であるところの 金刺群
ってのがいるわけですな。明治時代になって言うようなことかよ?? とやっぱりセンスを疑うあたくしでした-;。(ちなみに蚕のさなぎは食べられます。食べる地方もあるんじゃないのかな??)
あと、「馬が兄弟」っていいながら馬刺しを食べるなんて、本当に「我が子を食らうサートゥルヌス」なんじゃん? って突っ込みが来る気がします@@。・・・私だけ仲間はずれにして、馬刺しを自分だけ食べたのがいたねー、そういえば。むしろ、「食べ物の恨み」は私は忘れない。私だって執念深い一族の一人なんだからーーー、と思い出した私でした-;;。
そして、尾張真清田では、織り姫が殺されないかわりに、「殺される龍」の伝承があるわけで。おそらく、この「殺される龍神」は元々母の織り姫のことを指していたものを分離したものと考えています。
母女神が龍女である・母女神が織り姫である
というのは、中国というよりは極東アジアに強い思想で、新羅の王家の始祖神話がこうなのです。朝鮮の人は母女神を大切にして
殺したりとか蚕にして食べてしまえ
とか言わないわけですが、日本ではまず尾張で母女神と龍女を分離して龍女を殺してしまい、善光寺平では更に進んで母女神を蚕にして食べちゃってるわけ。龍女の方は犀川を開拓させられて殺されたり、九頭竜で戸隠に封印して殺してしまったり、もう殺戮の限りです(呆)。
面白いことに、中国では、蚕馬は普通の娘で、せいぜいが「いいとこのお嬢さん」くらいの扱いなのですが、極東では蚕馬あるいは織り姫はれっきとして「国母」であり、「女神」であるわけです。古代中国でも養蚕に関する祭祀は皇室の女性達の重要な仕事ですから、本来は中国でも
蚕馬は高貴な(母神といえるような)女性
だったのだと考えます。でも、養蚕を庶民が広く行うようになると、「高貴な人の技」という思想が薄れて、蚕馬は普通の娘になってしまったのかもしれません。古代中国でだって皇后とか皇女の身分の人が誰かに惨殺されたら、それはやっぱり一家の権威を損なうものなんじゃんねえ?? ということで、「殺される女神」は庶民化されてしまったのかも。
で、面白いことに、新羅では王家の母女神で龍女である娑蘇婦人は中国から来た、と言っている。
でもって、日本では賀茂の祖神のことを「八咫烏」というわけですが、新羅には「烏の夫婦が日本に渡っていって日本の王になった」という伝承がある。
で、日本には須佐之男と五十猛は新羅から日本に来た
って言われている。賀茂の一派の金刺は須佐之男と変形五十猛(あるいは御歳神)を祖神と言っている。
ということは、うちの先祖は新羅から来て、新羅には中国から来たんじゃん? 織り姫である龍女を母女神に持つのは、我ら「多氏(王氏)」のステイタスじゃん?
となります。しまいには蚕にして食べちゃったんだけどね。多氏とは、かつては「王氏」と名乗っていたのだと思います。タコっていうのは、しまいには口寄せを行う巫女みたいになっちゃってますが、母女神の代理の斎宮的皇族のことを指す言葉だったんじゃないの? と思います。その女性が詰めていた土地に地名として「タコ」という言葉が残っているのでは? と思います。