本日は外作業のみ。母親は土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。
テレビは昨夜も今日の昼も「The Music Day」の録画を見ました。
本日は外作業のみ。母親は土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。
テレビは昨夜も今日の昼も「The Music Day」の録画を見ました。
本日は外作業のみ。母親は土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。
昨日は埼玉椋神社、小鹿神社、龍頭神社、群馬宇芸神社、中之岳神社を参拝してきました。国道462号線周遊の旅、ということで。群馬と埼玉の県境付近にある両神山、八日見山は秩父では有名な山岳信仰の山らしいです。で、このあたりは群馬、埼玉、長野(佐久穂)の境界地域でもあって、ごくわずかに長野県と埼玉県の県境がある地域でもあります。で、少し前から「小鹿野にも何かある。」と言われる気がして、何か参拝しなければならない神社があるような気はしていたのですが、それが何なのか分からなくて。武蔵御嶽神社の宝物館を見学したときに、小鹿野に龍頭神社があって、「一説では狼信仰は秩父神社よりも古い。」とあったので、「これだ!」と思って。行ってきました。
で、さっと回って群馬に戻った後は、早めのお昼を食べて、こんにゃくパークに寄って、宇芸神社、中之岳神社を参拝して来ました。中之岳神社は碓氷峠の近くにあるのですが、長野県に近いので逆に今まで回る機会を逃していて。群馬の長野よりはそろそろ佳境ですので、姉の慰労も兼ねて遊びに行ってきました。曇っていましたが、雨がざーざー降ってこなくて良かったです。なので、佐久穂との県境の奥秩父と、碓氷峠との境の神社を回ってきたのでした。
両神山とほぼ同じ? な八日見山は、日本武尊が常陸から秩父に攻め込んだ時に、この山を八日見続けた、という故事があってそういう名前なんだそうです。でも、小鹿神社は古くは諏訪神社であったそうですし、秩父神社にも諏訪信仰があるし、そもそも秩父を開拓した人達は古代に諏訪から来た、という伝承があるわけだから、諏訪信仰は秩父では最古層に属する信仰と思われます。で、秩父の式内社は阿智系の神々を「祖神」として祀っていますから、諏訪方面から(おそらく)金刺氏系の人々が阿智族を連れて入植した、というのが秩父の始まりではないかと思います。北斗の星辰信仰が好きな人達ね。とすると「八日」というのは、元々日本武尊ではなく、「弥彦」に関する名前だったのではないか、と思います。諏訪発の「弥彦信仰」であり、長野では弥彦神社は中信と南信の境界にありますから、金刺氏・阿智族が持ち込むには妥当な神のように思えます。だから、「両神山」も元は「弥彦」を祀った神で、後に修験道とか熊野信仰が盛んになってイザナミ・イザナギに置き換えられたものなんじゃないのかなあ、と思います。だから、常陸から信濃国に攻め込んだんじゃないよね? 御坂峠→南信→中信(諏訪)→東信(佐久)→群馬・埼玉って攻め込んだんだよねえ? と思う。それを隠すために日本武尊の伝説とか作り出し、意図的に阿智族と秩父氏の繋がりも隠しているのか? と感じます。
で、その秩父氏は戦国時代に武田信玄に攻められて、壊滅的な打撃を受けるわけです。でもさあ? 武田の諜報部門の真田は東信のものじゃん? でもって、武田勝頼の母親である諏訪御寮人の母親は麻績の出って説があるじゃん? 麻績ってゆったらさあ、古代における金刺氏の本拠地の一つじゃん? しかも地名に「麻」がつくから麻薬の産地だよね、要はねえ? だから、下社金刺は上社に滅ぼされたといえど、その親戚の北信濃の金刺氏が上社の当主の側室になって、勝頼の母親を産んだわけじゃん? ってことは、真田を使えるだけのコネを持ってた、「北信濃の金刺氏」って勝頼とその母方のことじゃん? 勝頼が信玄の後継になったことはけっして偶然ではなく、忍びを通じて北信濃の金刺氏とその上位に来る「終わり」との意思疎通が円滑になるためなのではないかと思う。ということで、「終わり」の犬も同然の信玄は東信と秩父の古代氏族を壊滅状態に追い込む・・・、けれども同族のそういう悲惨な憂き目を余所に見ながら、善光寺周辺の金刺氏と「終わり」はのうのうと生き残ったんじゃないの? 古代氏族の中では「一人勝ち」という状態である。共に東国を開拓して苦労を共にした身内を真田と武田を使って滅ぼして、自分たちだけ麻薬の「上がり」を独占しようとした? 江戸時代の善光寺門前ってゆったら、日本で一番栄えている町というくらい栄えていたと小林一茶がゆってるしねえ? と思う。で、そういうえげつないことをしていることを隠すために、信濃国と群馬・埼玉は「自分たちが入植して開拓した」んじゃなくて、日本武尊がどうのこうの~、って伝説を作ったのですかねえ、と思う。要は最初から、親戚一同は利用した上に、いずれ潰す気で信濃国に来たわけだし、そのためのアイコンが日本武尊なわけだ。狼信仰って言ってもだねえ、東国の人々にとって全てを食い散らかす「狼」とは、まさに「終わり」のことであることよ、と思ったあたくしである。「終わり」とはあたくしの先祖のことと思われる。要はあたくしのことでもある-;。おかげであちこちで先祖の所業について苦情が出た気がするわけですが-;。
本日は買い物と外作業、姉の歯医者でした。母親は土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。
昨日は武蔵御嶽神社、奥氷川神社、桂川神社、入間三輪神社を参拝してきました。武蔵御嶽神社は関東の蔵王信仰の中心地だったらしいです。ともかく、歩いて、歩いて、歩き回って疲れ果てました。武蔵御嶽神社は宝物殿にも寄ったのですが、参道の社家の中に秦氏の末裔らしき名前があったり、胴に「8」のような文様がでかでかと入った具足があったり、奉納された弓の道具の中に「梶の葉?」と思われる紋があって興味深かったです。他に「同じ狼信仰の神社」ということで、静岡の見附天神や山住神社のお札も展示されていて。やはり、どことなく下社の影がちらつく武蔵御嶽神社だったのでした。
本日は雨で外作業はお休み。出かけるのもお休みしました。母親のみ土の埋め戻しの作業をしました。
肝臓の値が微妙に悪いのは、もしかしたら「猫ひっかき病」のごくごく軽いやつの可能性もあると思います。「猫ひっかき病」といえばリンパ節が腫れて熱が出る病気ですが、肝機能に悪化が来ることもあるらしい。だいたい、今回検査を受けたのも、お猫様から何か寄生虫でも貰ってないか心配だったからであってー;。普通は軽度の肝機能異常なんて自覚症状がないので病院にも行かないわけですが、今回はたまたま兼行診断に引っかかったのかも-;。経過観察したいと思います。
テレビは昨夜は「ラスト万」の録画を見て、今日の昼は「それスノ」の録画を見ました。海上保安官の学校なんて珍しい、と思いました。
本日は買い物と外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私はお休みでした。明日から雨が降る、ということで昨日も暑かったけど、今日も暑いです。
昨日は雨が降ったら平地回り、降らなければ少し山へ行こう、と思っていて、幸い降らなかったので再び秩父へ行ってきました。吉井ICで降りて県道を行こうと思ったら、私がぼーっとして出口を間違えて藤岡ICまで行ってしまったので、そこから行きました。群馬県道13号線を南下して、少しだけ国道に入って、また埼玉の県道を南下すると、かなり分かり安い道で秩父に至ることができて、群馬から秩父って近いなあ、と思いました。私は割と県道とか通るのが好きなので、出かけるたびに「県道マニア」と言われる気がするわけで。多少の山道は苦になりません。
昨日は鬼石神社、稲聚・丹生神社、椋神社x4(吉田、野巻、皆野他)、宝登山神社・同奥宮、高崎小祝神社、上中居諏訪神社、進雄神社、五霊神社、二ノ宮神社を参拝してきました。秩父の式内社は秩父神社と椋神社しかないのですが、椋神社は現在論社が6つあって、その内5つを参拝しました。いずれも日本武尊に関する神社ですが、椋神社には猿田彦(日本武尊の道案内をしたらしい)が祀られていることが多くて。秩父には狼と猿しかいないの? という感じでした-;。秩父は私みたいな山育ちの人からみると、それほど険しい山という印象ではないのですが、関東平野に住む人たちから見たら相当な山なんだろうなあ、と思います。
で、神社巡りについては、いろんなことが絡むわけですが、何というか「目の力」で敵も味方も言いたいことを言ってくるわけで、敵は「やらなければいけないことを嫌だと思え。」とか「忘れてしまえ。」みたいなことを言ってくるわけで。インターで出る口を間違えたり、道を間違えたりするのは敵の声によるところが多い気がします。で、敵は二番目の子のことを「偉いと思え。」とか「好きだと思え。」とかって頻繁に言ってくる気がするわけです。というか、そういうことは昔から日常茶飯事だった気がするわけで。だけど、最近、どうもその人のことを「ウジ虫君」という声が聞こえてくる気がするわけで-;。・・・どうも味方はそう呼んでいるらしい。ということは、味方の声が届くようになってきたらしい。・・・まあ、ウジ虫君かも知れませんが?-; でも、敵と味方で言ってくることが両極端過ぎませんか? と思うわけで-;。どうも病院へ行ったり、テレビでさんまちゃんを見たりすると「偉いと思え。」と言われる気がする-;。うちの若い軍師とかは口が悪いので「ウジ虫君」と言う気がするわけで-;。ころころ入れ替わる気がしますー;。でも、これで味方の思いが伝わってくるからこそ、神社巡りをする価値があると思う。親は「本が1冊書けそう。」と言いますが、「聖徳太子の真実」という本は書けそうな気がします-;。
で、吉田の椋神社。農村の花火で有名らしいのですが。境内ではなんだか好意的な声というか、米米の「プルルンじいさん」を歌ってる声が聞こえる気がするわけで@@。「そんな曲あったね。」というか、何故に「プルルンじいさん」? 他にも迷曲はあるはずーー、と思う-;。道の駅ではラピュタの主題歌「君をのせて」のインストがかかっていて、「ちょっといい感じだー。」と思ったら「そこは「君をのせて」じゃなくて「君を連れて」って思わないと駄目でしょ。」と説教される@@。「君を連れて」はラピュタの替え歌というか、石井竜也が新たに詩を書いて歌った曲である。なぜ、それをここで突っ込む? と思うけれども、カモカモさん達は押しが強いから、自分たちの「推し」しか推してきません。秩父吉田は雷公一色である-;。
宝登山神社は、どうも「ホト」という名前からして元は女神信仰の山だったのではないか、と思うわけですが、今ではその名残はほとんどなくて日本武尊一色である。というか、日本武尊がこの辺りを通ったら、急に火に巻かれたけれども、狼が現れて助けてくれた、という話があるそうで。焼津でもそんなような話があって、草薙剣で消火したとかなかったっけ? と思う。私が思うに、日本武尊というのは、軻遇突智になぞらえられていて、山で火に囲まれたりしているのは、山の女神が日本武尊を産むということを暗示しているのではないか、と思う。だから、日本武尊は「母親を焼き殺した祟り神」だし、山の「母女神」は、万物を生み出す母である山岳信仰の女神から、「火傷で死んだ女神」に書き換えられて、信仰の対象から消されてしまったのではないか、と思います。その一方で消火に務めた狼は氷や水の神、ということで、軻遇突智が母親を焼いた火を消火して世界を鎮めた、ということが、氷の女神である白山の信仰へと結びつけられているし、氷川とか氷飽とか、やたらと氷のつく地名にも結びつけられているのではないか、と思う。その結果、宝登山は「女神の山」から、白山的「氷の火消しの(狼女神の)山」に書き換えられているし、そのための存在なのが日本武尊なのだと思う。そして、東国に「氷」のつく地名をばらまいたのが聖徳太子だとすれば、聖徳太子は日本武尊信仰に関係しているし、「母女神は焼け死んでしまえ」という思想を暗に持っていた、といえる。その火を消すのが氷なのだから、まずは汚れた火があることが前提である。
後は、時間があったので午後は高崎を回って五霊神社。利根川流域ではポピュラーな鎌倉五郎とか参拝してきました。