23年8月27日

 昨日は埼玉所沢熊野神社、所澤神明社、東京東村山八坂神社、尉殿神社、東伏見稲荷神社、三鷹杵築大社、野崎八幡社、虎珀神社、布多天神社を参拝してきました。本当は府中方面を回る予定だったわけですが、所澤ICから降りて一般道で府中まで行くので、「道中の神社も寄るように。」と言われる気がして。式内社は虎珀神社、布多天神社でした。

 所沢熊野神社、所澤神明社は所澤では有名な神社らしくて。熊野神社は「大蛇が出没して悪さをしたため、祀って祟らないようにした。」という伝承があるそうで、鳥居に大蛇(龍)の注連縄が巻かれていて。「うーむ」と思う。そもそも、かつての武蔵国が主に埼玉県と東京都(一部神奈川)に別れてしまっているのも不思議でしたが、武蔵国を開拓した武蔵国造家は出雲系と言われていて。実際、彼らの中心的神社である氷川神社には「出雲の神々」と言われる神々が祀られているし、賀茂系に比べれば女神信仰も微妙だけれども残されている。だけど、私が思うよりは「出雲らしさ」が少ない気がするわけです。私の思う「出雲らしさ」とは乙子狭姫のような「女神+鳥神」あるいは「天女」が活躍するような伝承であって、出雲らしい、というか、日本海文化圏の女神信仰的な文化を指すわけです。一般的には「出雲らしい」とは必ずしも言わないかもしれないけれども、そもそも出雲は日本海側にあるのだし? と思う。そして、あんまり出雲らしさは感じないけれども、東海地方的な「とりあえずなんでも捕まえて殺しとけ」みたいな、凶悪な人身御供文化の「どう見ても祟り神」な大国主命を始めとした出雲の神々とも何か違うわけで。女神についての細かな伝承もちょいちょい残っていますし、そういうものに対する敵意も東海地方の出雲系の神々ほど強くはないわけです。だから、出雲系の「出雲らしさ」とは、出雲>武蔵国>東海地方、と感じるわけで、普通本国を離れるほど「らしさ」は失われるものなんじゃないの? と思うと、関東のほうが、まだ「出雲らしさ」が残っているのが、それもまた不思議な気がするわけです。

 で、「蛇神が出没して悪さをする」というのは、若干「ヤマタノオロチ」的ではありますが、これが「出雲的」かといえば必ずしもそう感じないわけです。というのは、武蔵国造家の本拠地である鴻巣の鴻神社には、「コウノトリの女神が子供を守るために邪悪な蛇を倒した。」という伝承があるからで、「悪者を倒すものを祀るのが正しいのか」、それとも「悪者を直接祟らないように祀るのが正しいのか」という相反する思想的な問題があるからです。所沢熊野神社は中氷川神社に関連するらしくて、武蔵国造家の影響があったことがうかがえるわけですが、武蔵国造家の勢力下に思想的に対立する2つの思想がある、というのは奇妙に感じるわけです。

 というか、そもそも鴻巣の「母女神であるところのコウノトリの伝承」は、個人的には「これこそが出雲」と思ってるわけで、回りに賀茂系のわけのわからん祟り神とか、東国で盛んだった怨霊とかゴロゴロいるのに、「なんでここにだけ中央アジア?@@」と思うわけで、これはイラン・インド系のごく古い「母なるシームルグ」の伝承そのまんまであって、中央アジアのイラン・インド系の少数民族であったら、今でも語り継いでいるかもしれない、という部類の話なわけです。そして、イラン系とインド系の文化が分裂するよりも前にその起源は遡るわけで、これがイラン・インドに別れる時代になると、イランはイスラム化されますので、シームルグは「母女神」としての性質を失い、雌でもなくなり、「英雄を助ける霊鳥」のような存在になります。「王書」とかでは。で、インドの側では悪しき蛇と戦う鳥神ガルーダへと変化するように思いますが、こちらでも女神では雄の鳥になります。でも、その大元の起源は回り回って、うっとこの嫦娥娘娘じゃん? と思う。ともかく「出雲族」と呼ばれる人達が、ごく古いイラン・インド系の文化を持つ人々であった、その文化はイスラムよりも古いことは言うまでもなく、ゾロアスターよりも更に古いイラン・インドの文化に起源があるもの、なわけで、武蔵国造家の本拠地にその伝承がある、ということは、それが武蔵国造家の出自である、ということなのだと思うわけです。しかし、「シームルグが英雄を助ける母女神(日本神話で述べるところの倭姫のような女神)」である、という部分は失われたのか、あるいは意図的に削除されたのか、と思います。たぶん、性質が賀茂系が造った神話の「倭姫」と競合するので、強制的に削除させられたのかなあ、と思う。うっとこの先祖は自分の都合に併せて、そのくらいのことは平気でやりそうじゃん? と思う。

 というわけで、「祟り神を祀って誰が儲かるのか。」と言ったら、祭祀者である。しかも、「祟りを軽減するために人身御供を捧げろ。」って言いやすくなるし。所澤の熊野神社は武蔵国造家の関連施設であるにも関わらず、「賀茂の一次機能(祭祀階級)」によくよく遠慮している伝承が残ってるし@@。ごめんよー、というのが本音である-;。

 で、関東は比較的新しい開拓地であるので、中世以降の領主などが招いた新しい神社も多く、村山八坂神社、東伏見稲荷神社、三鷹杵築大社はむしろそっち系である。だからあんまり古氏族の文化は感じない。だけど、村山八坂神社だけ境内内の空気が「外」と何か違う、と感じる-;。この日疲れたのは、暑さのせいではなく、ここのせいだと思うくらいであるー;。

 で、府中ではなくて「布多・田無関連」。田無神社はそもそも「尉殿大権現」といったらしい。所澤神明社にも似たような名前の神が「地主神」としているわけです。で、尉殿神社は田無に近い神社なわけですが。「尉殿」って何だ? と思う。他の地域では聞いたことないですし。しかも水神だの風神だのと言って、あまりその本性が定まっていないのは、本来は祭神がシナツヒコではないから、だとしか思えない。で色々な情報を総合するに、「尉殿」とは「十殿」のことで、それは弥生のイタリアン・秦・マフィア・オブ・ローマン・カトリックのことではないか、とと思う-;。・・・イタリアン・マフィアの神サマがこんなとこにいるし。「十」であることも露骨に隠してないし、隠す気もなしだねえ。これはキリシタンとして捕まえて火あぶりにしないといけない案件では、とふと思ったりするわけですが。古代の武蔵野はよくよくのど田舎だから正体を隠す気もなかったらしい-;。

 で、布多。本来の祭神は「天神としての少彦名命」である。それは、そこにいたのが多氏とかうっとこの一族郎党に近い人達であったことがあ分かる。だって、それはうっとこの「祖神」である。でもこの神社は古くは「古神社」といったらしい。しかも「ふる」が転じて「ふだ」というようになったと思うのが普通である。というか、「古主」転じて「布津主」を奉じるのは物部氏なわけで、それは本来は石上系(東国では香取系)の神社であったと思われるけれども、多分時代が下ると多氏と秦氏が入りこんできて、権力を横取りして麻を作って麻薬の一大生産地にしてしまった名残であると思う。そして、最初から「天神」として「少彦名命」が祀られていたのであれば、多氏と物部氏は同祖であり、「同じ天神」を祖神としていたけれども、後に上位の多氏が「少彦名命」をとり、下位の物部氏には「ウマシマジ」が割り振られたものと分かる。ということで、所澤の西にある「北野天神」には物部の天神であるウマシマジの名が残され、「布津」の名を擁する「布多」の方には少彦名命が残されたけれども、どちらも最初に創設したのは物部氏であり、上の都合であれこれ書き換えられたものと思われる。

 ・・・・となると、武蔵国造家は埼玉北東部から南西部に至るまでの勢力を有していても、弥生時代には、その南に中国東北・多・マフィア+イタリアン・秦・マフィア・オブ・ローマン・カトリックの一大麻薬生産拠点があったわけで、マフィアのやっていることが悪事だと分かっていても妥協も協力もせざるを得ない。だって中国東北マフィアの多氏の方が身分が高いし、同族の物部氏にも容赦ない連中だし、協力をせねば武蔵国造家が危うい、ってそーゆーことだよねえ? ねええ?? と思う-;。それでもなおかつ、鴻巣にだけ「何が悪事で何が正義か。」という彼らの古くからの根源的な思想がポツンと残された、それを残すことに武蔵国造家は全てをかけてきた、とも想像してしまうあたくしであった。でも、「悪しき蛇を倒す英雄」の伝承は残せなかった。その英雄をうっとこの一族郎党のお偉いさん達はよくよく邪魔に思っておって、あちこちに「二度と生まれ変わってくるな」っていう呪いがしこたま残っているように思うからであるー;。・・・ご先祖様だぜ? ・・・ご先祖様の槃瓠ちゃんがいなかったら、お前らもいないんだよーーー、とむなしく思うあたくしなわけですが-;。ともかく、シームルグが助けた英雄の伝承を残しているのは東国では武蔵国造家じゃないのである。それはむしろ物部系、ということで。カモカモさんたちの一次機能の多氏系と二次機能の頂点にある物部氏系では、元は同じ祖神を擁していたにも関わらず、その後の「血で血を洗う」ような対立っぷりと憎悪がすごいぞ、と西東京の古社を巡って思ったあたくしである。でも、ともかく物部氏系の人々は、ご先祖様の槃瓠ちゃんが大好きで、かつ聖徳太子が大嫌いな気がしてならないので、あたくしが聖徳太子と敵対している限りあたくしの応援をしてくれそうである。ということで、「ウマシマジ」の名前を槃瓠ちゃんにあげてもいいよね? と聞かれる気がするわけですが。ほほほほほ、あたくしが反対するわけないじゃん、ということで。旅はまだ続きます。
 

 本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 テレビは昨夜は「VS魂」の録画、今日の昼は昨夜の「夜会」の録画を見ました。

23年8月25日

 本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 テレビは昨夜は「VS魂」の録画、今日の昼は昨夜の「夜会」の録画を見ました。

23年8月24日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘りでした。

 昨日は埼玉黒石神社x3、阿和須神社、大雷淡洲神社、淡洲神社、大行院神明殿、滑川諏訪神社、羽尾神社、手白神社、矢弓神社、八宮大神神社、八宮神社を参拝しました。比較的遠い方から長野県に向けて近い方を回って。有名な大神社はありませんでしたが、古社の中には個性的な神を祀るものも多く、興味深く感じました。

 実は前日からちょっと目眩とかあって、「体調は大丈夫?」と自分でも思うところがあったのですが。走り回っていたら、鎌形八幡宮(義仲の生地と言われる。)の近くを通ったら、「義仲」とか「義賢」と書かれた大きな看板があって。「まだ行ったことないかも? 義仲関連の史跡なら行かなきゃ。」ということで、行ってみたら大行院神明殿というお寺? というか、神仏習合的な寺社があって。修験道系の寺社らしいのですが、狛犬さんが狼であって。村社の諏訪神社も含まれていたので、地元のローカルな神社も併せてお祀りしているような? なんだか不思議寺社でしたが。諏訪神社があるならお参りしなきゃー、義仲も関連しているならお参りしなきゃー、ガネーシャ(歓喜天か?)がいるぜ、やってくれるぜ埼玉! という感じで参拝させて頂きました-;。関東を中心に名高い山岳信仰の神々を集めた、という印象でしたが、お墓なんかもあって、なんというか、両面宿禰の説く「理想的な聖地」みたいな印象を受けました。お寺自体はかなり古くからあったものらしいですが、今の住職さんが個性的な方らしくて。霊験あらたかなので、全国各地から相談に人が訪れるらしいのですが、紹介性でかつマスコミ嫌い、ということで知る人しか知らないらしいです。・・・あたくしも霊能力者の端くれ・・・たぶん・・・ネズミってれっきとした疫神だよねえ? で、なんで唐突に九頭竜がいるの? 箱根の九頭竜? 戸隠の九頭竜? とかそんな感じでした。長野県以外ではっきりと「九頭竜大権現」って祀ってあるのはあまり見ないので、どうして唐突にいるのかな?? とは思いました。 でも九頭竜絡みで中日ドラゴンズの関係者が参拝したりということもあるらしいです。不思議なことだが、あたくしがあちこちに出かけると、だいたいおまけについてくるみたいに、一緒に参拝する人(全然知らない人)が良くいるのですが、大行院神明殿では他にも何人かいらっしゃったのですが、私の回りには何故か避けるみたいに人がいなかった、というか。飛行機はガンガン上空を飛んでいるし、不思議な寺社でした。地図にも載っていないのに、ナビの兄さん達はよくそこに引っ張っていったなあ、と思います。

 先週は慎吾ちゃんがバズリズムに出ていたので、「ワルイコ」のスペシャルと併せて慎吾ちゃんを見る機会が多くて。で、なんだか行かなければならないところを教えてもらえる気がして。

 それから先週なんだか夢を見て。ジャニーズJrの楽屋に入り込む? ような夢で、若い兄さんたちがジャージを着て走り回っていて。それを見ていたら、菊池風磨君がいて「さっさとやらないと中丸に怒られちゃう。」とかって言っていて。「あー、ジャニノだー。」と思って。で、その中に佐藤新ちゃんもいて。IMP.は滝沢君のところに移ってしまいましたが、新ちゃんの立ち位置は変わらないってことなんだろうなあ、と思いました。

23年8月20日

 昨日は東京乞田八幡神社、貝取神社、穴澤天神社、国領神社、青渭神社、深大寺、田無神社を参拝してきました。穴澤天神社と青渭神社が式内社です。青渭神社の伝承から見るに、古く縄文時代には「水神」として龍蛇女神が祀られていたけれども、少彦名命を擁する多氏系の氏族が入ってきて、ある意味「自分たちの龍神信仰」に置き換えてしまったのではないか、と思われます。その最終の究極形態が田無神社かなあ、と思う。貝取神社の祭神の一つはオトタチバナヒメなので、古くは日本武尊の伝承があったのではないか、と思われます。

 東京西部の南の方は長野からは遠いので、田無神社まで参拝する気はなかったのですが、帰り道に田無で迷って、少しうろうろとしていたら丁度神社の駐車場の横に出たので。「これも運命だー。」と思って参拝して来ました。夕方5時過ぎに参拝したのですが、祭神のシナツヒコというのは竜田の神のことであって。田無神社では「龍神」として祀っているらしいです。で、なんだか「知る人ぞ知るパワースポット」らしくて。霊気を感じる人も中にはいるらしいです。ともかく熊手が売っていて、「熊手を買え-」と言われる気がするので、参拝後社務所に寄ったらもう熊手だけしまわれていて@@。「あれー」と思ってわざわざ声をかけてお願いして売って頂きました。霊ねえ? 楠某の怨霊はいたような? と思う。

 多磨方面から西東京にかけて。少彦名命が祭神の古い天神があったり、麻のつく地名があったり、遠い同族の痕跡を感じる気がします。田舎で麻をこっそり作って売りさばく弥生のマフィアですなー;。多摩川でもきっと人身御供とかじゃんじゃんやってそうだー、と思いました-;。

 今日は外作業で、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 西東京方面はもう少し洗う必要がありそうです。北埼玉に行くと「また行こうな」と言われる気がします-;。

23年8月18日

 一昨日は埼玉天神社、天神地祇一神宮、東間浅間神社、伊奈比神社、久米田神社、横見神社x2、石戸神社を参拝してきました。伊奈比神社の祭神はおそらく須佐之男、久米田神社は倭文、横見神社も須佐之男(と奇稲田姫)と思われます。出雲? かもしれませんが、賀茂系、秦系の匂いがちらほらと・・・。吉見町は源範頼の領地で、子孫の吉見氏が治めたところ、ということで範頼の伝説があるようです。関連の御霊信仰もありますが、群馬の鎌倉五郎ほどの人気? はないように感じました。

 昨日は外作業で、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘りでした。

 今日は外作業と買い物で、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 一昨日は家にいるときから、なんだか東京方面に映画「ロード・オブ・ザ・リング」の「サウロンの目」のような黒い「邪悪な目」を感じるわけで、「そんなたいした神社に行く予定があったっけ?」と思って。で、埼玉に入るとひいじいさんが弓を持って「黒い目」を射る絵をみんなが送ってくるわけで。・・・そんな邪悪さを感じる神社なんてあったけかなあ、ということで。予定していた式内社もいくつかは回れましたが、例によって「あっち行け、こっち行け」と言われて、予定外のところもしこたま回った一日でした-;。

 あとは、何というか、「解脱」というのは仏教他の用語であって「仏教における解脱は、本来は涅槃と共に仏教の実践道の究極の境地を表す言葉」だそうで。で、解脱に至ると「生は尽きた。梵行は完成した。なされるべきことはなされ、もはや二度と生まれ変わることはない」と了知するのである、だそうで。要は人は煩悩の塊で六道を輪廻転生しながらさまよう、というのが仏教の考え方なら、解脱するともはや煩悩とはさよならして輪廻転生も止まるものであるらしい。「生まれ変わる能力のある人」に「生まれ変わってくるな」って呪いをかけたら? 高松塚古墳とか? とふと思ったあたくしでした。例えば天手力男神が生まれてこなかったら天照大御神を岩戸から引き出す神がいなくなっちゃいますわね、おほほほほー、となんだかそんな気がいたしましたとさー;。