23年9月3日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 昨日は東京青渭神社,大麻止乃乃天神社、瀧神社を参拝してきました。行くときになんだか道に迷って吉祥寺方面に呼ばれる-;。地図を見たらジブリ美術館が通り道にあって、「こちらに来ることはしばらくないので、前を通って挨拶していくように。」と言われる気がするわけで。東京に住んでいたときに行こうとしたことはあるのですが、邪魔が入って行けませんでした。それきり行けていないわけですが。

 で、大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのてんじんしゃ)。この神は天香山の神と同じ、とされているらしい。ということは、新潟方面の「弥彦」と同じ神? と思うわけですが。豆乃(つの)とつくのは「角」のことで、この神が元は「角のある神」とされていることが分かる。しかも賀茂系の神なので、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と同じ神なのではないか、と個人的には思います。で、多氏系はこれを少彦名命と名を変えて祖神にしてたのではないか、と思います。角が生えていて、角が生えていて、麻を取り扱う大麻(悪魔あるいは大魔)の神って、本気で我が家の先祖であるところの中国東北マフィアの神で、中国では伏羲という神かと-;。

 どうも、天香山(あめのかごやま)というと、籠神社(かごじんじゃ)(海部氏の神社)とどう違うの、と言われる気がするわけで。どうって言われましても、籠神社の祭神はニギハヤヒですので、天神の一種であると思う。要は、天香山から分けて海部に割り振ったのがニギハヤヒ、物部氏に割り振ったのがウマシマジと想像します。

 で、瀧神社。かつては大國魂神社の祭祀の際に、ここの湧き水? で身を清めたらしい。そういや、埼玉の北の方でも、祭祀に使った湧き水を史跡として保存してたところがあったっけ、と思い出す。小さな泉に女神を配するのはイラン系を始めとした印欧語族の文化って教わったし、大國魂神社もあんまり出雲系の匂いが乏しい神社だとは、かねてから思っていたわけですが、出雲らしいところを見つけたー、と思う。ほぼイラン系で、小さな湧き水に女神を配するのであれば、それはアナーヒタ女神ではなかろうか、と思う。だいたい現在は小さな神池には弁天様(サラスヴァティー)が配されていることが多いわけですが。こちらでは賀茂の3神(賀茂建角身命、玉依毘売、賀茂別雷命)が祀られていたわけで、大國魂神社は出雲系の重要な神社であるにもかかわらず力関係が変えられていることが分かる。

 だいたい、いろんな人の「声」を総合するに、イエス・キリストにはローマの植民地化となったユダヤの先が見えていたらしい。ローマは「君臨すれども統治せず」という主義で植民地に傀儡の地元政府を作るわけですが、それは要は重税を絞り取るためのものである。また、ローマは地元の宗教勢力とも結びついて、彼らが祭祀に高額なお布施を求めることも容認していたと思う。そうすると、人々は政治と宗教の両方にお金を絞り取られて、どんどん貧しくなっていき、賤民となってしまう。そうして、よくよく抵抗ができなくなるまでに追い込まれたら同化かあるいは殲滅で潰されてしまうことは目に見えている。実際、イエスの時代はローマに対して一かバチかの武装蜂起が試みられようとしていた時代でもあるけれども、放棄したら圧倒的な武力差で滅亡に追い込まれることも目に見えている。だから、イエスは「一人一人が祭祀者であれ。」として、小さなコミュニティーでの質素な祭祀を勧め、人々にはつつましく暮らして互いに助け合うように、と求めた。特に未亡人と孤児には手厚かったことと思う。政治でローマに抵抗・対抗すれば、それも滅亡の原因になるので、まず人々の生活を立て直すために祭祀の改革を求めたものと思われます。その結果、祭祀者とその背後にいるローマに敵視されてイエスは殺されました。しかし、「小さなコミュニティー」が自分たちの祭祀を独自に行うことを認める、彼らは信仰の内容に関わらず政治的には平等である、というイエスの思想は広まって、敵も味方も利用するようになりました。敵の方は、ローマの貴族が(彼らは要は2次機能に属するので祭祀に関わるべき人達ではないのだけれども)、キリスト教に入信し、自分たちの都合のよい祭祀を勝手にやるようになりました。彼らは自分たち以外の「キリスト教」を異端として弾圧すると共に、ローマが囲っていた多くの神々はもう用がなくなったので廃止しました。神職にあがるお布施を2次機能が横取りした方が儲かるじゃん。

 でもって、日本の国ではどうなったかというと、1次機能(多氏)が牛耳っていた祭祀権をがコミュニティーに移りました。だから、2次機能であった物部氏や海部氏の先祖も直接自分たちの祭祀を行えるようになりました。おそらく出雲大社なんかは古い形式が残っていて、祭祀は天孫系(ということは賀茂系)の千家が握っているのは、よくよく古い時代には各氏族がそれぞれの祭祀を直接行うことが認められなかった名残ではないか、と思います。だけど改革の波は日本にも押し寄せるので、女王卑弥呼は内紛の多い国内をまとめるために、各氏族の祭祀も含めた自治機能を強め、要は一次機能(多氏)の権力を強く押さえる政治を行ったのだと思う。

 ということで、多氏の側は女王を自分達の側に取り込みたかったわけですが、2次機能以下その他は、彼女を取り戻したい、ということで。そのすったもんだが現在まで続いていると見える。ということで、ウマシマジの名は槃瓠ちゃんに割り振ったわけですが、ニギハヤヒはどうするのか? と問えば、「丹後の蛙」を名乗る人に「me too(以下同文)」と言われる気がするので、まあまあそちらも槃瓠ちゃんでよろしいかと。

 で、帰り道。どうも一般道で松山方面に行きたかったのに、鶴ヶ島に呼ばれる-;。なんで? と思うけれども、長良大臣が強く呼ぶから、と言われる気がするわけで-;。長良大臣は強力な怨霊で、あたくしと相性が良いので、鶴ヶ島に配して道を見張らせております。たぶん。ということで、近くを通ると「ラブラブ大好きー」と言って呼ばれます-;。行きも帰りもいろんなところから声がかかりまくりです-;。

 で、話は変わりますが、滝沢君が独立して、新しい事務所からIMP.というグループが誕生してデビューしたわけです。オリコンでも1位だし、動画の再生回数も抜群によろしいらしい。どピンクのスーツがトレードマークの若い人たちなわけですが。それに比べてジャニーズ事務所の方は? みたいな昨今で。これも「なんで?」と思う。それは天若日子の死と、アジスキタカヒコネの再生に引っかけてるんじゃないの? と言われている気がするわけで-;。でも、その元ネタはイエスの死と復活に引っかけてるんじゃん? と思う。思うだけです。

 しかし、ともかく、あたくしは今は1次機能のお偉いさんの家の中に紛れ込んでいるので-;。誰が誰を祭祀するのか任命権がある、と思う。別に能力さえあれば、1次機能の人間だけが祭祀を独占する必要性なんてないじゃん? よって、そのような任命もする気はありません、となるわけですな-;。だからあたくしは「女王卑弥呼」であり「イエス」である、と言われる気がするわけですが-;。ここのところ、外へ出るとそんなことしか言われない気がします-;。

23年9月1日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

23年8月31日

 本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 昨日は埼玉塚田三嶋神社、赤浜出雲乃伊波比神社、小被神社、壱岐天手長男神社、波羅伊門神社、稲乃比売神社、宗像神社、児玉神社、群馬野栗神社、一幡神社を参拝してきました。寄居の辺りは、古くは出雲系と思われる神社があるのですが、後に九州方面から移住した人が多いのか、壱岐天手長男神社は壱岐国(長崎)の一の宮からの勧請、宗像神社も北九州から勧請されたとのことです。群馬の神社は帰り道に寄ったのですが、稲含神社という古社があって、その辺りには独特の修験道的伝承があるようで、貫前神社も関連するようです。荒船山もそうだったけど、インドから来た姫君が産業を持ってきた、という伝承があるようで。山を越えて長野県の方にも微妙に影響がある伝承なので、金刺氏がそもそも最初に持ってきた仏教から、そういう話を作り出したのかなあ? と思う。自分たちはインドから来た、と言っていたのでしょうかー;。

 あと、寄居SAの近くの神社に児玉神社というのがあって。最初は行く予定になかった神社だったのですが、「土地の名前のついた神社は重要かもしれない。」と言われる気がしたので行くことにして。そうしたら、なんだか「義民」がどうの、という道路標識が出てきて「むむ?」と思う。そうしたら遠藤某という義民が児玉神社に祀られていて。業績も石碑に残されていて、なんでも2月13日に処刑されたとあって。だいたい、なんで処刑された日をわざわざ書くのか?? と思うわけですが-;。・・・どうもその御霊は須佐之男のように泣きわめく御霊ではないのか、とふと思う。だから呼ばれたのではないでしょうか。

23年8月29日

 本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 どうも、「印欧語族の文化といえば、埼玉北西部には泉(湧き水)と女神を関連付けている神社がちょこちょこあるでしょ。小泉と女神を関連付けるのも印欧語族の文化の特徴だよ。」と言われる気がするわけで。言われてみればそーだ、カモカモさんたちは犀竜のように比較的大河川や大きな湖と竜蛇女神を関連づけしたがる傾向があるけれども、小さな泉の女神に対する信仰はそれとは対照的である。泉の女神信仰はアジアというよりはヨーロッパの印欧語族の信仰で非常に盛んだった印象があるわけで、現代の「ルルドの泉」に通じるものじゃん? と思う。でも、その信仰の源流は印欧語族がアジアとヨーロッパに別れる前から持っていたものなんだなあ、と思う。アジア方面ではゾロアスターのアナーヒタ女神とかインドのサラスヴァティーとか、結局、大きな川の女神へと変化していきますものね、と思う。細かいところにも探せば「出雲らしい文化」は田舎に残っているんだなあ、と思う。

 あとは、旅もそろそろ大まかには「締め」の段階なので。最終目的地がどこなのか、あれこれ調べております。古い式内社を巡る理由は、そういうところを最初に開拓して、最初に神社を造った人達が物部氏系の人達が多いので、彼らに結縁するという目的が大きいんじゃないか、と最近思うようになりました。

 ・・・だいたい、未開の土地を開拓して、原住民ともそれなりに仲良くして、祭りと政治の形態をようやく作り上げた、と思ったら、上の方が「仏教」とか持ち込んで、「今度はこれを拝め。」とか言い出して、なにもかもぶち壊しにしようとするわけだから、揉めないわけがない。どうみても、「仏教」とは物部氏を弱体化させるための方便だし、だいたい「修行して死んだら仏になる。」のではなくて、「修行して死んだら天狗になる。」とかっていうわけの分からないものじゃん?? この国にそんなのを持ち込んできたのが誰かって言ったら金刺氏じゃん? と言われる気がするわけで。・・・だいたい、信濃国水内郡の金刺氏、たぶんうちの先祖か、それにとっても近い人物だねえ、と思う-;。しかも、自分が直接戦うのではなくて、聖徳太子とか利用して物部氏の頭領を倒させたわけだ。

 ・・・思えば、あたくしの神社巡りの旅の最初は、海部氏の籠神社(と宇良神社)、その次が石上神宮だから、最初っから2次機能の頂上の2つの神社に呼ばれてたのねえ、と思う@@。結局東の果てで私が古社を漁って、古い神々を掘り出す旅をするのも、その時からの運命だったんだなあ、と思うわけです。だいたい「いろんな声」が聞こえてくるようになったのは籠神社の摂社である真名井神社に行ってからだもんね-;。

 テレビはかなり昔の「FNS歌謡祭」の録画を見ています。

23年8月28日

 本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私はお休みでした。

 買い物は通常の買い物の他、ちょっと遠くに買い出しに行ったり、車の十二ヶ月点検に行ったりでした。

 テレビはかなり昔の「FNS歌謡祭」の録画を見ています。