本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は、土掘り、土の清掃でした。
昨夜は「SHOWチャンネル」の録画、今日の昼は「それスノ」の録画を見ました。
本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は、土掘り、土の清掃でした。
昨夜は「SHOWチャンネル」の録画、今日の昼は「それスノ」の録画を見ました。
本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。
昨日は岩槻久伊豆神社、三郷香取神社、流山三輪茂呂神社、諏訪神社、栄寿稲荷神社、赤城神社を参拝してきました。埼玉東南部を回っているわけですが、千葉の方にも大きな諏訪神社があるので行ってくるように、と言われる気がするわけで。
三輪茂呂神社は式内社で、国府宮の「裸祭り」の人身御供役の男を餅に変えただけ、のような祭りをやっているらしいです。男が裸でやる祭りは要注意だーー、と思う。そして、名古屋、静岡見附ときて、流山に賀茂的、そして下社的? という祭祀が何故ある? とふと思うわけです。
で、諏訪神社。神紋の「三枚梶の葉に5つ根」を見た瞬間に「あー、下社の紋だー。露骨に下社系だー。」と思う。で、どうも現代の全体の社の構成をみるに、本殿の諏訪神を賀茂の角の神、隣の八坂刀売を玉依比売、でその隣に別雷と、むしろ賀茂の三神を意識した構成になってないですか? と思うと同時に、それが下社の本質なんだろうなー、と思う。
そして、賀茂の神話には問題がいくつかあるわけですが。朝鮮の神話には、細烏女(せおにょ)と延烏朗(よのおらん)という烏神の夫婦が日本に渡っていって、日本の王と王妃になった、という話があるわけです。烏神なので、延烏朗(よのおらん)の方が、賀茂の角の神(八咫烏)であることは間違いないと思う。だけど、妻の細烏女(せおにょ)はどこへ行った? と思うわけで。しかし、流山の賀茂三神に類似した社の構成を見て、玉依比売が細烏女(せおにょ)なんだろうな、と思うようになったわけです。妻神を娘神に変えて、子神を孫神に変えてしまったのだと思う。でも、表向き、父親が娘と子供を作るわけにはいかないので、孫の別雷には「父親がいない」ということになっていて、その地上に存在しない「父親」は「天の神」である、という風にして、ローマ式キリスト教的な「イエスは天の父神の子である」という思想にも対応可能なように神話を書き換えているし、別雷こそが、「イエスである」みたいに暗に纏めているのだと思う。おそらく下社系の水内大社系の祭神である彦神別神は別雷も同の神で、本来「水内の神」とは女神であったものを「息子神である」ということを口実にして男神に書き換えているのだと思う。北信濃で「芋(妹)の宮」の祭神ってゆったらさあ? 八坂刀売じゃん? と始めて思う。だけど古い形式の神話では、女神が人身御供を求めるものであったはずなのです。「雉も鳴かずば」の伝承がそれを示している。で、しかも流山では姫宮神社に八坂刀売が祀られているわけで。「姫宮」とは怨霊でもいいんだけど、「河伯の妻に捧げられた人身御供」のことでもある。「若宮」のことを書いて「姫宮」のことを書かない柳田もたいがいなんだけれども、北信濃の水内大社では主神級の扱いであった「八坂刀売」が流山では「姫宮」に「超格下げ」されているわけで、これは大問題といえる。しかも、流山は「小林一茶が第二の故郷だ」と言った地だそうで@@。一茶の叔父さんってゆったらさあ? うっとこのお偉いさんの先祖の「草(忍者)」だった人なんじゃないの? と思うわけで。流山の諏訪神社に大きな影響を与えているのは、諏訪の下社の思想ではなく、「北信濃の金刺氏の思想」が一茶を通して直接に大きな影響を与えてるんじゃん? と思う。
で、おまけだけれども、遙か大昔、石井竜也という人がソロで活動を始めたときに、初のホールツアーで一番最初のライブの地が三郷だったわけです。で、ゲネプロ(直前にやるライブと同然の通しリハ)がファンクラブに公開されたので、見に行ったわけです。だから、三郷は微妙に「思い出の地」なわけですが、今になって、なんでてっぺいちゃんは「DRAG-ON」の最初の地に三郷を選んだんだろう? 私に橋を渡って流山まで行って欲しかったんだろうか? と思う。橋を渡って、下社の紋を持つ「水内大社」も同然の諏訪神社を見つけたような気がいたします。まさに「この世の終わり」という思いがするわけで-;。八坂刀売が「人身御供にする娘」の標識の名前に過ぎないのであれば、だいたい見附あたりと同様の思想といえます。そして、長野県には小さいけれども、八坂刀売や木花咲也比売を「姫宮」に祀る神社がいくつかあるわけで。お偉いさんたちにとってはその2神は「人身御供にする娘の標識」に過ぎないけれども、表向きは隠して偉い神様みたいに祀ってるんだなあ、それがみんなダミーの思想なんだーー、と思ったのでした。妻を娘に偽装したり、「やってくれるよ、くそ先祖!」とも思ったあたくしである-;。
今日の昼は「二ノさん」の録画を見ました。
本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。
テレビは昨夜は「VS魂」の録画。今日の昼は「夜会」の録画を見ました。
本日は外作業のみ母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。台所と居間の中間あたりの床下から砕いたコンクリートガラがたくさん出てきています。一昨日の帰り、中央道でやけにトラックにあおられましたが、これを掘る邪魔をしたかったのかも!? と思いました-;。
テレビは昨夜は「いただきハイジャンプ」の録画。今日の昼は少し前の「CDTV」の録画を見ました。
本日は外作業と外出。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。
昨日は下伊那入登山神社、大山田神社、根之神社、新井展望公園、伊賀良神社、浪合神社を参拝して来ました。最初の目当ては式内社論社の大山田神社と根之神社だったわけですが。結果的には下條氏の配した怨霊と格闘した日、という気がします-;。ともかく、下伊那といえば「山」だし、神社は山の中腹から頂上にかけてあるわけで、しかも、だいたい参道は山のふもとから一直線に山を登っていく、ということで-;。ともかく、山で恐ろしいのは怨霊よりも悪魔よりも、「あ」の字がつかない「熊」なのでー;。鈴を振り回しつつ駆け回ってきました-;。
で、大山田神社の為朝、浪合神社の「ユキヨシ様」・・・ユキヨシ様って誰だ? となるわけですが、南朝の宗良親王の息子、と言われており、なぜか「尹良親王」として祀られているそうで。・・・親王の息子なら「尹良王」とするのが正しいのでは? と思うわけですが、ともかく正式な歴史的な記録はなく、実在の人物ではなくて、伝説上の架空の人物らしいです。ただ「御霊」として扱われており、
『「ユキヨシ様」は伊那谷から北三河・北遠江にかけての国境地帯にて祀られる習俗が広く分布しており、この信仰に関して民俗学の側面から着目したのが柳田國男であった。』
なんだそうな。民俗学の大家で、伊那谷から北三河・北遠江にかけてちゃんと自分の足で歩き回ってフィールドワークをしている柳田によると、
『「かつて中部山岳地帯と海岸を結び付ける道は秋葉街道だけであったが、やがて浪合を通り飯田・根羽に連なる三州街道(飯田街道)が開けてきて、その段階で津島神社の御師たちが入り込み、土着的な山路の神『ユキヨシ様』を旅人の道中安全を守る守護神(一種の道祖神)へと変化させて山間に広く分布していった。これに加えて、浪合で戦死した南朝某宮に対する御霊信仰の要素が結合して尹良親王なるものが出現し、さらに津島神社や三河武士・徳川氏の起源伝承として存在意義が認められ、地元の口碑がその欲求に合うように内容まで多様に変型させられたのではなかろうか」』
なんだそうな。(『』の部分はWikipedia出典)三州街道(飯田街道)とはおおよそ現代の国道153号線である。ちなみに阿南から尾張・三河に抜ける151号線は遠州街道という。秋葉街道は152号線に当たる。で、木曽から岐阜を通って名古屋に向かう19号線は中山道という「王道」の街道筋である。・・・津島については、まあ良いわけですが、尹良親王の伝承は中津川、遠州街道方面にも分布する。だから、必ずしも三州街道沿いの信仰とは限らないよねえ? 浪合神社は確かに三州街道沿いにあるけれどもさ? と思う時点で、
「柳田の深淵」
をのぞき見る気がする-;。ユキヨシ様が中山道から遠州街道にかけて分布するってですねえ? 木曽は義仲組(義仲の子孫または家臣の子孫)の本拠地じゃん? 遠州街道沿いにある阿南も義仲組の分布地域じゃん? 浪合神社をたいそうもり立てたのは下條氏かもしれんけれども、ユキヨシ信仰には津島と義仲組がおおいにかかわっている気がするのだけれども、敢えてそれに触れずに三州街道(飯田街道)を強調して、ついでに「御用学者」であることも自ら強調してる気がする柳田である-;。上の都合の悪い中山道と遠州街道は触れずに無視かいーーー、とそんな気がするわけでー;。この人のこういう「あからさま」なところがすごいなー、と常に思うわけですが-;。
そして、義仲組が関わっている、ということは「ユキヨシ様の悲劇」には木曽義仲の悲劇がそこはかとなく暗示されているようにも思う。そして、そんな「架空の人物」であるユキヨシ様に、何故かフグちゃん(明治天皇)が生前ご執心だったようで。この人も氷川神社を敬愛したり、須佐之男信仰の強かった人なわけですが、なんで実在したかもはっきりしない「ユキヨシ様」に勅使を遣わしたりしたのか? と思う。だいたい、実在しない人を「怨霊」に仕立てた場合、実際にそこに「怨霊」として隠して取り憑かせているのは誰の幽霊なのか? と思うわけで。
そうしたら、「木曽義仲は聖徳太子の生まれ変わりなのだから、それに関連した怨霊で、かつ「悲劇の息子」といえば山背大兄皇子なのではないか?」と託宣を受ける気がするわけで@@。上宮王家の怨霊で南信濃の街道を封印してるんかーーい、というかなんというか@@。
ともかく、金刺氏の牙城である北信濃を出ると思うことですが、金刺氏の先祖の多氏と共に「東征」と称して長野県にやってきた東信の古族である滋野・海野氏は戦国時代に没落し、南信の阿智族は外から来た下條氏に圧迫され、南信は甲斐源氏の分派の草刈場と化していた気がするわけで。遠く3~4世紀頃に、共に信濃国にやってきた同族を次々と蹴落として、自分だけが一人勝ちして嬉しいかい? 義仲組を召使いのようにこき使っているっていったらさあ? と思うあたくしである-;。ともかく、南信は阿智系の秩父党の故郷なので、武蔵国(埼玉)に出向くことと、南信をうろつくことには結構密接な関連があるのですよ-;。
というわけで、「こんなに本格的かつ厳重に怨霊を封じている神社は始めて見たでしょ。」と言われる気がします。あたくしの修行の終盤に訪れるには、ある意味相応しい旅であったと思います。
テレビは昨夜は「うたコン」の録画。今日の昼は「いただきハイジャンプ」の録画を見ました。