21年6月24日

 本日も出かける予定があったので、姉と出かけてきました。用向きは多くなかったので、早めに帰ってくることができました。

 外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土の清掃でした。最近は午後に夕立のような雨が降ることが多いです。

 平安時代中期以後に

武塔天神(ミトラス)=牛頭天王=素盞嗚(すさのお)=薬師如来(本地垂迹)(イエス)

という習合が進む以前、奈良時代に薬師信仰が流行しました。各地の国分寺、国分尼寺で薬師如来が本尊として祀られたそうですから、この場合の薬師如来は病気平癒という本来の役割を越えて、国家平癒(災害除け等)の役割も持っていたことと思われます。時代は聖武天皇から称徳・孝謙天皇にかけて、と思われます。この時代に「八幡神」というものも登場して、応神天皇と習合し、これもあっという間に普及して、「天皇家の祖神」と公式にみなされることになります。孝謙天皇が道鏡と結婚したくて宇佐八幡宮に神託を仰いだのは有名な話です。

 国分寺、国分尼寺の総元締めとも言うべきは、聖武天皇が建立した東大寺だと思います。ところが、東大寺の本尊は薬師如来ではありません。東大寺の本尊は、有名な大仏で、盧舎那仏(るしゃなぶつ)といいます。「宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。」と言われているそうです。密教においては大日如来と同一視されるそうです。盧舎那仏(るしゃなぶつ)の起源をゾロアスター教のアフラ・マズダに求める学説もあるそうです。でも、ヒンドゥーの盧舎那仏(るしゃなぶつ)に相当する神は「ヴァイローチャナ」と言って、インドラと対立する神ですので、ゾロアスターに起源を求めるのであれば、「アシャ・ワヒシュタ」の方が相応しいのでは? と思います。ゾロアスターでは「火の守護神」とされ、聖火そのものとも見なされたそうですので、お水取りの行事等には、アシャ・ワヒシュタの方が相応しい気がします。アシャ・ワヒシュタは、アヴェスター語で「最善なる天則」を意味するそうですので、盧舎那仏(るしゃなぶつ)とは「天の法則」を司るような神とみなされていたのかもしれません。要は、この神が国分寺・国分尼寺で祀られていた薬師如来よりも「格上」に置かれていたのだと思うのです。

 インド・イランの神話、そして文化は「善悪の二元論」とか「光と闇の二元論」などと言われがちですが、大雑把に言うと、その大元は彼らの多神教の構成にあります。一方に、大女神アーデティーヤから生まれた、とされるヴァルナ・ミトラを頂点としたアスラ神群と、天の父神ディヤウスと地母神プリティヴィーから生まれたインドラ・アグニ等を要するデーヴァ神群という二つの神々の部族が存在し、アスラ神群とデーヴァ神群が対立しているのです。イランの側ではアスラ神群が「善」とか「光」とされ、デーヴァ神群は「悪」とか「闇」とされます。インドの側では、デーヴァ神群が善、アスラ神群が悪とされて、イラン側の神話と神々の立場が逆になっています。東大寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ)の起源がゾロアスターの「善なる神」だとすれば、バラモン教を起源とするインドの側では、逆に「悪い神」となってしまいます。だいたい、仏教の神々はバラモン・ヒンドゥーと共通していることが多いのに、なんで盧舎那仏(るしゃなぶつ)だけゾロアスター? となります。しかも、これも大乗仏教固有の神ですので、意図的に合成された神である可能性もあります。表向きはアスラ神族の悪い神をわざわざ盧舎那仏(るしゃなぶつ)として「宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。」と変えてしまうことは、神の意味するところを「逆向き」にしてしまっているのです。本当は、人々にとって「悪い神」であるものを、無理矢理「良い神」である、と言って人々に強引に押しつけているのではないでしょうか。まあ、あれだけの大仏を造って人々を強制的に働かせる事業そのものが、悪神に相応しい所業ともいえなくもありませんが。ゾロアスターの側からいえば、盧舎那仏(るしゃなぶつ)こそがインドラやアグニと対応する神として相応しいと言えるかもしれません。デーヴァの神々は基本的に、階級制と搾取を肯定する神々だからです。

 西欧社会は階級社会と言われますが、彼らの本来の異教の多神教の主神であるユーピテルとかゼウスはディヤウスと同語源ですので、西欧のキリスト教化前の多神教はデーヴァ神群の多神教といえます。別系統のヴァルナ・ミトラに対する信仰そのものは、非常に古い時代に印欧語族の大部分の中で廃れてしまっていたのでした。おそらく、その理由は、ヴァルナ・ミトラは「男と男」の組みあわせであって、自然の摂理からいえば「男と男」からでは子供は生まれないから、とか、そういう単純なものだったのではないか、と想像します。だから、ミトラをプリティヴィーに書き換えて、「男と男」の組みあわせを「男と女」に書き変えてしまったのが、デーヴァ神群の神話だと思うのです。でも、この「書き換え」が良く無かったわけです。おかげで「女」とは「男の一部から作った物」みたいな神話ができあがってしまって、女性はできそこないの男性、みたいになってしまい、女性差別の大きな原動力となりました。古いヴァルナ・ミトラの組みあわせの神々は、イラン高原の印欧語族の間に残り、ゾロアスター教の中で「契約と友愛の神々」として再生されました。スラブ系の人々の間には、ペルーンとヴォーロスという組みあわせで天空神ヴァルナが残されました。ヴォーロスは「大地の神」とされていますが、デーヴァ神群のプリティヴィーとは異なり男性です。これを見るに、印欧語族の古い神々は

天空神ヴァルナ・ミトラ → 天空神ペルーン・大地の男神ヴォーロス → 天空神ディヤウス・地母神プリティヴィー

と作り替えられていったことが分かります。で、その行き着く先に、和製の

天の神イザナギと大地(黄泉)の女神イザナミ

があるわけです。イザナギとイザナミの組みあわせは、元々印欧語族の「女性蔑視」の神話から生まれた神々だから、階級制と女性差別を肯定する神々、ということになるのです。もっと、本質的な「饕餮と蚩尤」のままにしておけば良かったのに、と思うけれども、それではお里がばれてしまうから嫌だったのかもしれません。でも、全部、大元は「饕餮と蚩尤」なのです。女が必要ない、と言うのであれば、それこそ男同士で子供を作れば? と思う。

 ま、それはともかく、「東大寺」です。聖武天皇の娘の孝謙天皇は東大寺に対応して「西大寺」というお寺を造りました。彼女は八幡神を祖神と考えていました。西大寺は創建当時、中心に薬師金堂と弥勒金堂がありました。要は、薬師如来と弥勒菩薩を主に祀る寺だったのではないでしょうか。で、当時の朝廷の家系としては

応神天皇 > 聖武天皇 > 孝謙天皇

という順でした。だから、神仏的には

イザナギ > 八幡神 > 盧舎那仏(東大寺) > 薬師・弥勒(西大寺)

という順列を、これは現していたのではないでしょうか。薬師信仰は、広く普及していたにもかかわらず、薬師の地位はお偉い神々よりも低く抑えられていました。薬師は、身分の低い人達を従わせるための神に過ぎなかったのではないでしょうか。南都七大寺(東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺)は、この構成を擁護する側だったと思います。こうやって神仏に序列をつけ、人々を搾取することを正当化する道具に使うことを非常に嫌っていた真面目な人物がいました。

21年6月23日

 本日はお出かけする日だったので出かけて。平日の昼間なのに、やたらと車がたくさん出ていた気がします。今日の用事はあまり多くなかったので、早めに帰ることができました。

 外作業は、母親は土の埋め戻し、姉は土の清掃、石片付け、私は土掘り、土の清掃でした。

 テレビはお昼に「ブンブブーン」の録画を見て、夜は「いただきハイジャンプ」の録画を見ました。オープニングで光ちゃんがセット?のドアを開け閉めしていて、「開くんだ」と言っていて「おや」と思う。割と光ちゃんが明るくてテンションが高かった気がします。

 武塔天神(=素盞嗚(すさのお))・父  ー  牛頭天王(=大国主)・息子

と最初は考えられていたのものが、時代が下るにつれて、

武塔天神=牛頭天王=素盞嗚(すさのお)=薬師如来(本地垂迹)

という件について。牛頭天王=大国主というのは、平安時代初期の文献にあるそうですから、平安時代初期にはすでに神仏習合の考え方が始まっていたことが分かります。牛頭天王というのは、本来は仏教の神なのです。一方、「父」とされた武塔天神は備後国風土記に疫神としてその名前がみられ、一応は日本固有の神、ということになります。でも、個人的には子音から、これはミトラスのことと考えます。おそらく、朝鮮における弥勒菩薩信仰に対応する形で、ほぼ同様の性質を持つものを「武塔天神」としたのではないでしょうか。朝鮮の伝承である鉢里公主(バリ公主)の弥勒菩薩は不治の病を治す薬、死者を蘇らせる薬を持つ者ですので、仏教的な「下生して世を変える」というような救世主的な性質とはまた異なって、医薬神的性質を持つ神となっています。それが分かっているので、日本に導入する際に、「仏教の弥勒菩薩」と「医薬神的な武塔神」に分けたのではないでしょうか。武塔天神を祀る八坂神社と弥勒菩薩を本尊とする広隆寺は地理的にも近く、こういう神と仏の作り替えに秦氏が関わっていたかもしれない、と個人的には思います。仏教の弥勒菩薩を、なるべく原形に近い形で導入しようとすると、医薬神としての性質を削らなければなりませんが、その性質は、それはそれで残しておきたかった、という理由があったのかもしれません。疫神としての武塔天神を新たに造ると、それは弥勒菩薩ではなく、薬師如来に結びつけることができます。要は、朝鮮でミトラスとイエス・キリストの性質がごっちゃになって、弥勒菩薩と薬師如来の性質が入り交じる感じになったので、それを再び分離するために「武塔天神」という神は造られたのだと思います。だから、名前はミトラスの変化形と思われるのに、蘇民将来に関する伝承は西欧でイエス・キリストの名前で流布している伝承と同類、ということになるのだと思います。朝鮮における2者の混同をまだ引きずってるわけです。

 で、「牛頭天王」の意味は何なのか、となります。これは仏教の神とされていますが、表面的にはやはり日本固有の神とされています。原形は何か、と言われましても、西欧の多神教の神の主神は大抵「牡牛の神」ですので、名前からでは特定できません。これはユーピテルのことでもゼウスのことでも良いし、ヒッタイトのテシュブ、ゾロアスターのヴァルナ(アフラ・マズダ)でも、まあまあ通る名だと思います。それ以外に、「ミトラス」に関する「牡牛」というものがあります。

 ローマにおける「ミトラス信仰」はかなり特殊で、古くからのゾロアスター教におけるミトラ信仰とは異なるものなのです。そもそも、ゾロアスターでは、神が造った「聖なる牡牛」を殺すのは悪魔、ということになっています。また、人々との関わりから述べれば、ゾロアスターのミトラは「死者の裁きを行う神」でもあり、仏教の閻魔様と似たような性質を持っていました。ゾロアスター教には「世界の終わりには神の裁きがある」という終末思想がありましたが(というよりも、この終末思想がキリスト教に影響を与えた、と言うべきなのですが)、ミトラが「神の裁き」の主体であったという思想はなかったように思います。ゾロアスター教は多神教で、ミトラはアフラ・マズダよりも下位の神ですので、「終末の裁き」はアフラ・マズダが主体か、あるいは「神々が協力してもたらすもの」だったのかも知れないと思います。ゾロアスター教のミトラは、下位の神ということで、軍神や牧畜の神ともされていたので、民間伝承ではミトラが人々の間に降りたって、禍福をもたらした、という話はあったかもしれません。これが時代が下ると「ミトラスの下生信仰」「弥勒菩薩の下生信仰」へと変化した可能性はあると思います。

 ローマにおけるミトラスは「牡牛を屠るミトラス」の図像に象徴されるように、「牡牛を殺す」ミトラスとして信仰されました。この場合の「牡牛」というのも、「牛頭天王」と同様、何が原形なのかがはっきりしません。ゾロアスター教の「聖なる牡牛」になぞらえたら、ミトラスが「神に逆らう悪魔」ということになってしまいます。19世紀の民俗学者キュモンは、ゾロアスター教の神話をベースにして、ミトラスは聖なる牡牛を殺したことで、世界の創造神となったり、救世主となった、というような信仰があったのではないか、という説を出しました。でも、最近ではこれに批判的な意見も多いようです。

 西欧、というか、地中海周辺、中近東まで含めると、「牡牛」というのは神話的に複雑な要素を持っているのです。一つには、各地の「主神」として扱われ、時にはクレタ島のミーノータウロスのように生贄を求める残酷な神です。もう一つは、ギルガメシュ伝説で、英雄ギルガメシュに殺される「天の牡牛」や、ミーノータウロスのように「殺される牡牛」としての姿です。でも、大抵の宗教ではそうだと思いますが、「主神」=「一番偉い神サマ」でないと意味がなくて、「主神」=「殺される神サマ」だと権威がなくなってしまいますので、西欧の神話における「牡牛」とは、「主神」か、あるいは「殺される神」か、どちらかの性質を持つようになったと思われます。でも、ミーノータウロスの神話のように、生贄をもとめるような権威のある存在であったミーノータウロスが人間の英雄テーセウスに殺されてしまうわけですから、牡牛の神に関しては、「一番偉い神サマ」と「殺される神サマ」の区別は、本当はつけられないものである、とちょっと神話に詳しい人であれば、みんな知ってたと思います。

 だから、ローマにおけるミトラス教の意味は2つある。あるいは2つしかない、と個人的には思います。ローマにおける最大の「牡牛」はユーピテルですから、「牡牛を屠るミトラス」とは「ユーピテルを屠るミトラス」ということになります。ユーピテルを屠る、ということはローマの思想や政治を正そう、という思想ともいえます。反体制の思想、世直しの思想、ともいえます。ローマの政治に不満のある人々の中にミトラスが下生してきて、ユーピテルの信者を倒し、世を良くしてくれたら、それこそが「救世主」なんじゃないでしょうか? まず、これがミトラス教の「表向きの思想」だと思うのです。で、もう一つ「表向き出ない裏向きの思想」があるわけで。反体制的な思想を持つ密議宗教であるミトラス教がなぜにローマ中に広がり得たのか? それはローマの政治家の保護を受けたからではないのか? と想像してみれば、「牡牛」の意味はただ一つ、「ユーピテル以外の全ての牡牛の神」ということになりはしないでしょうか? 表向きは「ユーピテルを正して政治を正そう」と言いながら、その実は「ユーピテルの政治に逆らう各地の牡牛神を生贄にして殺してしまおう」という思想なわけです。だから、牛頭天皇と同じく、この「牡牛」も、どの牡牛なのかはっきりしないし、それでこそローマらしい、という気が、個人的にはするのです。

 だから、武塔天神(ミトラス)に関する牡牛(牛頭天王)だから、どこの牡牛神のことでもいいんだー。要は、ミトラスを操っている者、要は「武塔天神」を作り出した真の者の生贄になるだけの「屠られる牡牛」である牛頭天王である。だから、大国主でも須佐之男でも構わないので、最終的には須佐之男ということになりました。そして、それは薬師如来と同じものとされることになりました。薬師如来は、イエス・キリストと同一視できるのではないか、と私が思っている医薬神です。イエス・キリストこそが、ローマが最大に生贄に望んだ「牡牛」なんじゃないのですかね? と思う。

 ということで

武塔天神=牛頭天王=素盞嗚(すさのお)=薬師如来(本地垂迹)

を改めると

ミトラス=牛頭天皇=須佐之男=イエス・キリスト

と習合されることになりました。平安中期から後のことと思われます。だから、9世紀くらいから後、ということになりましょうか。ローマではミトラス教は4世紀後半には廃れて、救世主的な性格などは、キリスト教のイエス・キリストに吸収されてしまいます。日本では、ミトラスの持つ救世主的な性質は弥勒菩薩に、イエス・キリストは薬師如来に、要は併せて和製大乗仏教に纏められることになりました。武塔天神(父)、牛頭天皇(子)として、武塔天神と牛頭天王は「同じ物」とする考え方もローマ式キリスト教的考え方、といえます。そう考えると、牛頭天皇も素盞嗚も薬師如来(イエス・キリスト)も、武塔天神に殺される生贄ということになります。

 でも、武塔天神(ミトラス)も、ゾロアスター的には下位の神ですし、ユーピテルに生贄を捧げるための死刑執行人に過ぎない、と言えます。そのユーピテル(建御雷神)の親は誰だったけかな? 建御雷神の親を生贄として殺したミトラスを越えた「超ミトラス」とも言うべきはイザナギではないの? と思うわけで。

 そして、その一方で、聖徳太子が自分とこの仏様よりも偉い、と認めていたと言われる「阿弥陀如来」がいるわけです。その一光三尊阿弥陀如来を背負うことで「一体化」してたのが、本田善光といえます。本田善光というのは金刺氏の人ではないのでしょうか? 何故、聖徳太子は金刺氏を自分よりも格上である、と考えたのでしょう? それはともかく、「子神は親神の生贄である」という、ローマ的キリスト教的思想は、古代における薬師如来の信仰に独特の影響を与えているように思うわけです。

21年6月22日

 本日は午前中出かける用事があって。出かける前から「今日はちゃんと腹ごしらえして行くように。」と言われた気がするので、ちゃんと食べていって。色々な手続きに行ったのですが、登録してあった電話番号が間違っているとか、予想していなかったことがいくつかあって、思ったよりも時間がかかりました。でも、訂正すべきところは訂正できたので良かったと思います。

 外作業をしました。母親は土の埋め戻し、姉は土の清掃、石片付け、私は土掘り、土の清掃でした。夕方は夕立なのかけっこうな量の雨が降ったので、作業できませんでした。

 聖徳太子と仏教の話です。現在、法隆寺の金堂には「中の間」に釈迦三尊像、「東の間」に薬師如来、「西の間」に阿弥陀三尊が本尊として配置されています。阿弥陀三尊は鎌倉時代の作とされ、おそらく阿弥陀信仰が盛んになった後に造られたものではないか、と個人的には思います。法隆寺には「善光寺如来御書箱」という箱が遺されており、聖徳太子が善光寺如来に送った手紙に対する返事が治められているとされています。聖徳太子の時代に阿弥陀信仰がそんなに盛んだったのか? と個人的には思いますが、そのような伝承があったことが大切だと思います。法隆寺の本来の本尊は釈迦如来で、薬師如来は天智天皇以降、薬師信仰が盛んになってから納められたものだったと個人的には考えますが、自前の仏様達を差し置いて、更に善光寺にまで聖徳太子が使いを送ったとなると、聖徳太子が

阿弥陀如来 > 釈迦如来

と考えていた、と言えなくもありません。阿弥陀信仰が盛んになる以前からこういうことが「あった」とされると、後に流行する阿弥陀信仰に対して、根拠となる、というか起源ともいえるのではないか、と思います。聖徳太子と善光寺如来とのやり取りの「伝承そのもの」が、「阿弥陀信仰が流行る前」に作られた物だとすれば、それは後に阿弥陀信仰を流行らせる予定で、あらかじめ箔をつける予定で伝承を作成した、ともいえます。

 法隆寺については、薬師如来についても謎めいていて、光背には「607年に聖徳太子の父である用明天皇の病気平癒のため」に造られた、とありますが作風などより、7世紀後半(天智天皇の時代?)に作成されたものと考えられており、なんでわざわざ真実ではないことを光背に書いたのか? となります。どうも、薬師信仰が盛んになりそうな時代に、わざわざ「聖徳太子の時代から信仰されていた」とするために意図的に造られたものかもしれないと思います。誰が? と問えば、それはやっぱり法隆寺の再建に大きく関わったと思われる天智天皇とかでは? と思います。天智天皇自身に、薬師信仰を流行らせたい、という思いがあり、また、天智天皇が「聖徳太子の後継者的存在となりたい」という思いがあったから、聖徳太子もまた薬師信仰者であった、とするために法隆寺に薬師如来を納めたのではないか、と想像しています。天武・持統天皇は「壬申の乱」で天智天皇の家系とは対立しましたが、薬師信仰は形式的には引き継いだ、といえます。

 薬師信仰は奈良時代になると、在野で非常に盛んになり、各地の国分寺・国分尼寺で、本尊として祀られるようになったとのことです。在野といっても、一般庶民ではなく、下級貴族やそれなりに教養のある地方豪族に非常に人気があったようです。ここで「あれ?」と思うことがあります。国分寺とか政治的な要素の強いお寺で日常的に薬師如来が拝まれる、ということは個人的な誰かのための「病気平癒」とかの目的でないことは明らかです。そして、そのような変化に伴って、「病気平癒」のための神として、「武塔天神」が備後国(現在の広島)風土記に登場してきます。武塔天神は備後国風土記の蘇民将来説話に登場してきます。備後国一宮である素盞嗚(すさのお)神社が祇園信仰の発祥の地と言われています。この神社は天武天皇の時代に創建され、素盞嗚(すさのお)を祀っていました。元々武塔天神を祀っていたところに素盞嗚(すさのお)を習合させたのかははっきりしませんが、備後国風土記では武塔天神と素盞嗚(すさのお)が同一視されています。牛頭天皇はいつの頃からか、武塔天神と同一視され、京都の祇園では主祭神とされています。でも、「祇園牛頭天王御縁起」では牛頭天皇は武塔天神の息子とされています。また、平安時代の初期には、牛頭天皇=大国主の荒魂と考えられていたようですので

武塔天神(=素盞嗚(すさのお))・父  ー  牛頭天王(=大国主)・息子

と最初は考えられていたのものが、時代が下るにつれて、

武塔天神=牛頭天王=素盞嗚(すさのお)=薬師如来(本地垂迹)

とひとまとめにされたものだと思います。

21年6月21日

 本日は午前中出かける用事があって。午後は外作業をしました。母親は土の埋め戻し、姉は土の清掃、石片付け、私は土の清掃、石片付けでした。昨日もほぼ同じ作業でしたが、昨日は忙しくて日記を書いている暇がありませんでした。その代わり、今日は夏至の定例のお手紙を出すことができました。

 ところで、神話の話です。日本の神話は多神が登場して、親子兄弟がいることが多いので、一神教の神話と異なり、神話を形成する際に親子兄弟を再現なく増やせる、といえます。

諏訪神(父) ー 彦神別神(子)

の関係にありますが、

大国主(父) ー 諏訪神(子)

という関係もあります。諏訪神は建御雷神に負けてしまいましたから、建御雷神をユーピテルとすると、それよりも格下の支配されている神、となってしまいます。父とされる大国主も建御雷神に国譲りしましたから、やはり建御雷神よりも格下の「支配されている神」となっています。ということは、いわゆる「出雲系」と呼ばれる神々の多くは「支配されている神」であり、その信者というか、日本的にはその子孫とされている人々も、自動的に建御雷神にあれこれ譲らなければならない「支配されている人々」となってしまっているといえます。むしろ、神話とはそのようにする目的のために作られた、とすらいえるのではないでしょうか?

 また、その一方で建御雷神=ユーピテルとしても、その地位はローマでのように「主神」というわけではありません。建御雷神は建御雷神で

イザナギ(父) ー カグツチ(子) ー 建御雷神(孫)

という関係にあり、直の親であるカグツチはイザナギに殺されていますから、イザナギの支配下にある子神といえます。また、イザナギの上にも、直接の血縁とは言えませんが、造化三神とかがいて、それぞれがギリシャやローマの神話のように、父と息子が対立する構図はありませんから、つきつめていくと、「誰が真の主神なのかがはっきりしない」のが日本の神話といえます。ギリシャのゼウス、ローマのユーピテルには、それぞれ「父」はいますが、父と戦って父親を追放してしまっているので、ゼウスやユーピテルが名実ともに主神といえます。表面上は。

 ということで、「天は人の上に人を作らず」という言葉がありますが、「人は神の上に神を作る」ということで、既存の各地の神話を寄せ集めながら、各地の主神の上に、更にその上に位置する神々を追加していったのが、日本の神話、という気がしてなりません。そして、6世紀にはそこに仏教が入ってきました。仏教の薬師如来=キリスト教のイエス、弥勒菩薩=ミトラス教のミトラス、だとすると、そもそも仏教に入り込んだ時点で、これらの神々は「主神」ではなくなっています。で、最初に入ってきた仏像は釈迦如来、それから阿弥陀如来、みたいに言われていて、善光寺如来も阿弥陀如来として信仰されてきました。神仏習合が盛んな時代には、阿弥陀如来は八幡神と同一視されていましたから、阿弥陀信仰が一番の時代には

阿弥陀 > 薬師&弥勒

となって、

八幡神 > イエス&ミトラス

ということになります。仏教の神々に親子関係はありませんので、これは国家の上層部がどのような神仏を主に信仰していたのか、で決まるといえます。7世紀前半に建立された法隆寺は病気平癒のために造られた釈迦三尊像が本尊で、この頃は薬師信仰はまだ盛んではありませんでした。隣接された中宮寺の本尊である木造菩薩半跏像は、当初は弥勒菩薩像として造立されたものと思われる、とのことです。法隆寺を創建した厩戸皇子は、出生にまつわる伝承等がイエス・キリストと類似した部分があります。聖徳太子の側近には広隆寺を建立した秦河勝がいますし、中宮寺の木造菩薩半跏像、広隆寺の弥勒菩薩半跏像と、弥勒菩薩信仰が盛んでした。イエス・キリストを聖徳太子になぞらえて神格化し、更に弥勒信仰を付加しています。この時代、東洋でイエス・キリストに救世主的な性質が付加されていたのか、ミトラスはミトラスで別のものとして考えられていたのかは良く分かりません。流布する側からすればどちらでも構わなかったのかもしれません。

 薬師信仰は「天武朝(在位・673年 – 686年)に入ってから日本にもたらされたと考えられる」という説があるそうです。これはもう少し早かった可能性もあると思いますが、百済滅亡が大きく関わっており、百済からの亡命者達が薬師信仰を持ち込んだのではないのか、と想像します。天武朝での薬師信仰は、薬師寺のように、病気平癒等を求めるものだったと思われます。薬師如来の職能からいっても、妥当な考え方だと思います。

21年6月18日 その2

で、「ミトラ」に関しては、「ミトラス」ではないよ、「ミトラ(あるいはミスラ)」と言われる気がするわけで。「ミトラス」にしてしまうと、ローマの神サマになってしまうから駄目、と言われる気がするわけです。古代ローマ帝国は、多神教で大抵の神サマは容認されていたわけです。今で言えば、表向きは「宗教の自由」が認められていました。で、外国の神サマの神殿もあったし、イシス信仰、キュベレー信仰、ミトラス信仰と外国由来の神サマも大勢いました。でも、考えてみれば分かることですが、ローマの政治の上層部はユーピテル他、ローマの神々の信徒で、ユーピテルの命令で働いているに過ぎない、ともいえます。外国の神サマを祀ることを決めるのも、認めるのもユーピテル次第ですから、ローマに自分とこの神サマを祀って欲しい人達は、少なくともローマではユーピテルが一番偉い神サマだ、と認めざるを得ません。で、それが属州の神サマだったりしたら、力関係からいって、故郷に帰ってもユーピテルが一番偉い神サマだ、と認めざるを得ません。ということで、神々の間でも、暗黙の内に「序列」ができてしまうわけです。だから「ミトラス教」って言ったら、ミトラスを信じているように見えて、その上に何かもっと偉い神サマがいるはず。例えばいわゆるズルワーンと呼ばれる獅子頭の神とかが、「父なる神」とか「創造神」として「ミトラスの上」にいるはず。で、教団の上の方をローマ側の人々で固めてしまって、「父なる神」とか「創造神」=ユーピテル、ということにしてすり込んでおけば、結局信者はミトラスを信じているように見えて、ユーピテルの命令、すなわちローマの政治家の命令を聞くことにしかなりません。「父なる神」=「ローマのユーピテル(すなわち「ローマの政治家」)」という構造さえ作っておけば、誰でもローマの政治家の言いなりです。それも、「政治」ではなくて、「神を信じている」と当人に思い込ませて操ることができます。信者当人は、自分は政治に関わってるなんて思いもしないし、知らず知らずの内にローマに味方している、とも気が付かないのです。

 ローマにおける「ミトラス教」は、一種の救世主信仰で、キリスト教前の救世主信仰であり、キリスト教に大きな影響を与えた宗教ですが、数世紀で衰退しました。で、キリスト教です。「イエス・キリスト」は「神の子」とされるわけですから、みんなイエスを信じているようでいて、もうすでに「父なる神」の意志に従って動かされることになるわけです。一応、キリスト教ではこれを「ヤハウェ」と呼んで、ユダヤ教の「父なる神」と同じもの、としています。だから、本当にそう信じている人もいるかもしれません。でも、ローマ式に「父なる神」=「ローマのユーピテル(すなわち「ローマの政治家」)」として、教団の上層部をローマ人だけで占めてしまったら、イエスは単にユーピテルに使われるだけの子神、ということになります。そうすると信者は「ローマのユーピテル(すなわち「ローマの政治家」)に、イエスを通して使われる人々、ということになります。これが、ローマの宗教からの支配のからくりといえます。

 で、ローマ的な宗教は外国にも「布教」という形でどんどん拡がっていきます。キリスト教もそうだし、ミトラス教もそうでした。で、インドあたりで、小乗仏教という多神教の中に潜り込んで「大乗仏教」というものを作り出したと思われます。ミトラス教のミトラスは「弥勒菩薩」という形で潜り込みました。イエスの方は、初期のキリスト教ではイエス=アスクレピオース(ギリシャの医薬神)のように扱って布教していたので、「薬師如来」という形で潜り込みました。でも、後にミトラス教は廃れたので、イエスが「救世主」としての性格を受け継いで、「弥勒菩薩」もイエスの変形版のように取り扱われたのだと思います。というわけで、本家本元のローマでは「ミトラス教」は「キリスト教」に取って代わられる感じで消えてしまいましたが、仏教圏では「弥勒菩薩」と「薬師如来」という2つが「元は同じイエス」として残りました。で、表面的には「弥勒菩薩」は救世主的な菩薩となり、「薬師如来」の方は「病気平癒」等を司ることになりました。だいたい、大乗仏教になった時点で、弥勒菩薩も薬師如来も「一番偉い仏様」でないことは明らかです。その地位は低く抑えられていました。

 で、本日は外作業をしたり、出かけたりして。朝、遊水池の方でセグロセキレイの幼鳥が鳴いている声が聞こえたので、子育ての第2陣が巣立ったな、と思ったのでした。

 それから今朝方夢を見て。なんだか、自分が一人二役? みたいな夢で。自分はお姫様とその侍女? みたいな感じで。で、まだどちらも学生で同級生に光ちゃんがいて。お姫様の方は親が決めた婚約者がいて。でも、光ちゃんからもプロポーズされていて。婚約者との結婚式が迫っているときに、光ちゃんに会いに行って、婚約者とは結婚しないで、光ちゃんと結婚する、と言ってプロポーズの返事をして。で、話がうまく行きそうなので、次女の方は外に出て待機していたわけですが。光ちゃん王子サマの部下みたいな人が外に出て来たので「話はどうなった?」と聞いたら「うまくいって、10月に結婚式だから」と言われたので、「早すぎない?」と言ったら「もう待てないでしょ」と言われて。だったら、私も一緒に好きな人と結婚するかな、背の高い大きな人と、と思う、という夢で。・・・目が覚めて、最近なんだかおめでてたい系の夢が多いなー、と思う。10月に結婚、って急ぐなんて眞子ちゃんとKKの話みたいである。

 で、夜、Mステを見て。関ジャニ∞の兄さん達が、珍しく?ラブソングを歌っていて。村上君がなんだかうれしそうにしていたので、たぶんペットのPちゃんのお歌なのかなあ、と思ったのでした。