21年7月27日

本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、私は土堀り等でした。台風が来て雨っぽかったので作業は一時的で、近場の神社巡りなどをしてきました。

今日は芹田上・中・下神社に行ってきました。祭神は順に蓼科命(諏訪神の子神、八ヶ岳の神格化)、出(伊豆)早雄命、南方刀美命です。この三社はおまつりを一緒にやっていた、との口伝があるようで、おそらく同時期に祀られた神社なのだと思います。出早雄命は千曲川流域にまま見られますし、千曲川の源流の一つである八ヶ岳を祀っていることから、千曲川流域を上流から開拓してきた人達が入植して作った神社なのだと思います。千曲系の人々が「南方刀美命」という名前で諏訪神を祀っているのなら高田の芋井神社も千曲系の人々が作ったのか、と思います。安曇族(犀川系)の人々が作ったと思われる川合神社とは、やはりちょっと趣が違うかな、と思います。地域密着型の地区の産土神社も大好きです。

で、稲作と麻について。中国では稲作は紀元前1万年、あるいはもっと古く1万4000年くらいまで遡るかも、と言われています。稲作を始めたのは狩猟と漁労をしていた人達で、彼らは家畜を飼わず、タンパク源は狩猟でまかなっていたとのことです。中国では炎帝神農という神が農業と医薬の神とされ、農業を始め、薬草の効用を発見した、と言われています。稲作が一番古い農業であるならば、炎帝神農は稲作が始まった長江流域の神ではないか、と思われます。で、この神サマは大麻の効用も発見したし、ケシを食べて死んだ、と言われていますから、アヘンの摂取過剰で死んだ? ジャンキー?? という感じなわけで、実在性はともかくとして、古代中国でも麻薬の探求と効用の確認は、農業の歴史と同じくらい古いと考えられます。ということは、大麻の使用も長江流域から稲作とともに始められた、といえないでしょうか??

考古学的には、長江流域で麻織物が確認されるのは良渚文化からであって、BC3300年~BC2000年頃の文化ですので、これは5000年ほど前、といえます。その一方、こういう薬物は祭祀と密接な関係がありますから、祭祀の歴史も見てみたいと思います。長江中流域の彭頭山文化(BC7500年~BC6000年)では祭祀を行った、と思われる遺構が発見されています。ほぼ同時期の近隣の城背渓文化からは「太陽神石刻」という、石に太陽神の姿を刻んだと思われる神の姿が発見されていますから、太陽神に対する祭祀が存在した、と思われます。同時期、黄河流域で長江文明の影響を受けて稲作を行っていた賈湖遺跡からは「賈湖渓谷文字」という文字様の文様が出土し、太陽を重要視していたことや戦闘があったことが示唆されています。賈湖遺跡を含む裴李崗文化(BC7000年~BC4900年)からは麻の繊維が出土しているようですので、麻織物は黄河文明の方が先に発達したように思いますが、BC7000年頃には稲作に伴う太陽信仰に伴う祭祀が行われ、祭祀が盛んになる、ということはそれに伴う大麻等の薬物の使用も盛んになったのではないか、と推察します。少なくとも、祭祀が盛んになった時期に、古代中国の人々はもう麻の存在を知っていたのです。これがおおよそ9000年くらい前の話なのです。

古代中国には炎帝神農の他に伏羲という、八卦(占い)を確立したとされる神もいますが、城背渓文化の後継といえる大渓文化(紀元前5000年頃 – 紀元前3000年頃)からは「太極」らしき文様が発見されており、「占い」の歴史もそこまで古いことが示唆されます。そして、伏羲も炎帝神農と同じく長江文明の神であると示唆されます。「大渓文化の遺骨からモン・ミエン語族に関連するY染色体ハプログループO-M7が高頻度で発見されており、モン・ミエン系民族が担い手であったと考えられる。(wikipedia)」そうです。モン・ミエン語族の一派であるミャオ族には、雷神との争いや、伏羲の洪水神話(子供がひょうたんに乗って洪水を逃れる)の類話が伝わっていますから、これらは長江文明の精神文化と共通の文化といえます。

ということで、人と雷神との争いの神話、洪水と人類の始祖神話は、稲作と大麻を扱う祭祀とともに各地に伝播した、と思われます。でも、麻の使用が最初に盛んになったのは黄河文明側でした。そして、人を生贄に捧げる習慣が生じて常態化していくのも黄河文明側です。そして、若い娘を生贄に捧げる習慣が生じたのも黄河文明側です。麻薬を祭祀に使用すると、人々は理性を失い、仲間を殺すことを何とも思わなくなる。黄河文明の側はそのようにして、しまいには殷のように大量の生贄を捧げるような国家を作り上げていくことになります。

一方、長江文明の側では、良渚文化の時代になるまで麻織物の使用は顕著でなかったようですし、祭祀に人の生贄を用いたこともよくよく少なかったと思われます。すなわち、長江文明の側の人々は、大麻の効果を知っていても、それを自分たちでは使用せず、よその人達に売りつけて、かつ麻薬の力で良心や理性を失わせて、よその人達が祭祀にかこつけて仲間同士で殺し合うように仕向けてたのではないのか、と思うのです。そうすれば、自分たちが襲われる心配が減るからです。それは太陽神の祭祀が盛んになった彭頭山文化(BC7500年~BC6000年)の頃に始められ、大渓文化(紀元前5000年頃 – 紀元前3000年頃)の頃には確率したのではないか、と思われます。占いは祭祀の重要な側面であり、伏羲による占いの確立が大渓文化(紀元前5000年頃 – 紀元前3000年頃)の頃にはもうあったと思われるからです。

でも、仲間がジャンキーにされて、人としてどうしようもない状態にされれば、その原因を突き止めてなんとかしよう、と思う人もいるはずです。すなわち、それが黄帝と蚩尤の戦いであったのではないか、と思うわけです。黄河文明と長江文明の衝突です。良渚の王権の鉞には首だけの「饕餮」が現れますので、この戦いは良渚文化よりも古い時代にあった、と思われます。大渓文化にも人面を掘った斧が発見されているようですし、大渓文化に属する城頭山遺跡では城塞がみられるようですから、戦いの準備の萌芽がみられます。おそらく大渓文化の古い時代、紀元前5000年頃(あるいはもっと早く)に衝突があったのだと思われます。それはたぶん長江文明の側が負けてしまったのでしょうが、その後も彼らは懲りることなく大麻を作り続け、シャーマンの象徴である「マサカリ」に殺された神の首を掘って、大麻布教教のシャーマンは「自分は殺された神のお告げを告げる者である」と言い続けたのだと思います。こうして、人類の間で、果てしのない「麻薬戦争」が始まったのだと思われます。

ということで、大麻布教教の人々は稲作の人々ですので稲作と麻作を持って、そして本隊は正体を隠しつつ布教を続けたのだと思われます。正体を隠すのは、本隊が攻撃されたら困るからで、分家を出しては攻撃の矛先が分家の方に向くように、としながら生き残ってきたのだと思われます。で、木手は人類を薬中にすることなので、「宗教」とか「祭祀」の内容は何でも良かったのではないでしょうか。というか、以前からのものと同じ神サマを扱っていると怪しまれるので、新しい神サマをどんどん作る、以前からの神サマもどんどん作り替える、ということをやったのではないか、と思われます。だから、大麻布教教の人々は米と麻と新興宗教を作る人々になってしまった、のだと思うわけですが-;。

で、稲作ってどこに伝播したんだっけ? と思う。というか、麻のバイヤーで繁栄してきたのは誰? とも思う-;。火雷神が饕餮で、天香語山が蚩尤だったら、賀茂建角身命(金鵄)が伏羲ですか? 誰が勝つのかを決める存在だから? と思う。しかも賀茂建角身命は天活玉命(生魂命)の子孫とされていますから、その子孫は天活玉命(生魂命)を祀ってる可能性があります。生島足島とかー;。

賀茂建角身命(金鵄)が伏羲で、建五百建命であるなら、それは役小角とも同じモノと申し上げて良いかと思います。役小角は修験道の開祖とも言われる伝説的な人物ですが、修験道では麻の葉とか焚いて加持祈祷をするんじゃん? と思う-;。鬼無里は麻の産地ですが、中世においては麻は善光寺門前の桜枝町というところに集められた、とも言われているようです。桜枝町は中世は遊女が住んでいたところ、と言われています。中世における「遊女」というのは近現代とはちょっと意味が違って、彼らは「本地を持たない巫女」といえます。教養もそれなりにあって、旅をする貴人を泊めたり、交流したりする役目も負っていました。確か十六夜日記かなんかに、旅する尼さんが地方の遊女宿に泊まって、遊女と文化的に交流する記述があったはず。現代の感覚からいえば、尼さんが遊女宿に泊まるってどういうこと? となりそうですが、中世の「定住遊女」はむしろ、宗教的に旅人をもてなすのが役目であって、夜のお相手もその一部だったといえます。だから、お客の要望に応じて、加持祈祷のまねごととか、巫女舞の披露とかもしていたと思われます。まあ、そういうところで使われるのはきっと「マリファナ」ということで-;。桜枝町とか遊女とか修験道の行者とかは、マリファナの使用、運搬、拡散に非常に貢献したのではないのか、と思われるわけですが。

それで、結局御嶽山を思い出すわけです。御嶽信仰が一般に広く普及したおかげで、木曽の住人は経済的に潤ったと思います。それと同じで、葉っぱと善光寺信仰が広く普及すれば門前町は確かに潤って豊かになったと思う。だけどもさ、

善男善女をマリファナで極楽浄土に送って

それで、自分たちだけ豊かになったらそれでいいの? そーゆーもの? と思う。というか、これが大麻を発見してから、1万年の間、人類に突きつけられてきた問題といえるのだと思うわけです(呆)。

21年7月26日

 本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 で、今日は今日でお出かけなので、ちょこっとあちこち回る。というか、義仲の息子が開基したと言われる称名寺、と九頭竜大権現をお参りする。でもって、今日はプチオカルトというよりは、(たぶん)飯綱使いとの勝負? という感じであって。まあ、どことは言いませんけれども、「断りもなく勝手にお参りに来るのは失礼だ」みたいに絡まれたわけです。だけど、普通寺社は、誰がお参りに来るものかわからない、氏子とか檀家とか縁の深い人が行くこともあれば、ものすごーーくうっすい縁をたどって1回しか来ない人だっているかもしれない。なのに、お参りしたかったらいちいち管理人連絡して住所氏名連絡先を述べて許可していただかないといけない寺社なんてあるの? そういうところは普通、「一般の拝観は受け付けていません」とか「禁足地につき立ち入り禁止」とかって書かれて入り口が閉じられているし、HPとかでも告知しとくもんじゃないの? と思う。でも、別にお参りしに行っているのであって、喧嘩しに行っているのではないので、「まあ、失礼な人間ですみません~。お参りさせていいですか?」という感じで、とっととお参りしてくる。・・・でも、これって「相手に、「自分が悪い」と思わせて嫌がらせする常套手段ですよねえ?」と思う。要はあとになって、自分の悪口を書かれないためのいやがらせ手法というか。そうしたら、「それも飯綱の呪法の一つでしょ。長野市は飯綱の呪法のメッカでしょうが。」と言われる気がするわけで@@。それで市内が一番こうるさいのかー、と思う。私も、在家の飯綱の行者の一番下っ端の資格を持っているらしいし?? 信濃国の各地の霊山で修行?してきたから、ちょっとやそっとじゃ負けないわー、と思う-;。

 で、あとはオカルト。先に、ちょっと自分では知らなくて、四国の霊場関連と結縁していて。だいたいその時に「四国が食われた!」ってなんか言われる気がするわけですし、「四国から送られてきた霊関連を全部一度に処理するのは荷が重いので、取り憑いてきちゃったものをどっかで処理しないといけないねえ。」とは言われてた気がするわけですが-;。御嶽も巨大な霊場ですが、四国も全体が巨大な霊場といえる。そういうものをいちいち私にどうしろと? と思うわけですが-;。ともかく、どっかを参拝したら「四国の怨霊をうちにおいていくんじゃないー。」となんだか後で言われる気がしてならないわけで(汗)。私、無意識になんかした? というか、私も遠隔操作? されてる身なので-;。怨霊の倍返しの呪い返しとか得意な人もいるし?? ということで。その後、別のところから、「そこからうちに来て、霊道を開いてくれれば、後はこっちで預かるから。というか、結局うちで預かることになるのねー;。」と言っていただいた気がするわけで-;。私も神社をちょこちょこと巡るプチオカルトな旅、が専門なので-;。それ以外のことは苦手です-;。

 そして、後は「麻まみれ」な信濃国を思う。そして、世界的な「大麻」の歴史とか調べてみたわけですが。大麻というのは、「ハシシ」と言って、中近東とかインドとかでむしろ中心的に使われてきたものであるらしいです。古代ギリシャとかローマでもある程度は使用してたらしいですが、少なくともその後ヨーロッパにおおっぴらに広まった形跡はなく、ヨーロッパではむしろローマ式がさかんに力を入れてブドウ畑を作ったので、精神に作用するモノはワインが盛んだった気がするわけで。兄さん達には「古代世界に広く普及していた大麻が、ヨーロッパで一時的に陰を潜めたことは、キリスト教と関係しない、とは思わないように。」と言われる気がするわけで。キリスト教が広まらなかったところではハシシは広く普及してるわけだ。要するに誰も何も言わなくてもイエスは祭祀に使う麻薬が人々の精神を荒廃させることを知っていて、それを止めようとしたのが「キリスト教」ということ? と思う。そうすれば、神官に高い金を払って薬物を手に入れる必要性もなくなるし? って、あれ? これって「宗教」の話? それとも「アンタッチャブル」な話? と思う。

 祭祀に薬物を使いたい人達と、使わせたくない人達がいたら、両者の対立は文字通り「死闘」になるよね? だって「使いたい人達」は、それを使って金儲けしたり、人々を支配したいから使いたいのであって、それを邪魔されることは、権力を失うことにつながる。なんで、信濃国って麻だらけなの? 信濃国造家ってマリファナカルテルの元締めだったの? アル・カポネとエリオット・ネスの対決、ならぬ「アル・カモネギ?」と「イエス・キリスト」との対決ってそういうこと?? と思う@@。なんだ、この古代史は? と思う。そして、信濃国造は義仲をマリファナと酒漬けで育てた? それで思い通りにあやっつてた? と思う。なんだ、この中世史は? と思う。そして、あるところに、自分の総本家と全然付き合ってないし、子供達にもどこが総本家なのか教えなかったじいさんがいたと思いねえ。じいさんがそれを知らなかったはずはない。だって、総本家って隣の家だしさあ? となる。なんで、そんなことした。じいさんは戦前、麻商人をやってた。子供達に親戚関係を隠す代わりに、商売を始める資金と、つてとコネを手に入れた? 誰に口をきいてもらった?? そういうことを家族に一切言うなと口止めされてた? と初めて思った。で、なんだこの現代史は? と思う。なんで家族に隠すの? どっかから「イエス・キリストがわいてくるかもしんないから?」ということで-;。なんだか、トリプル・パンチの妄想で2日くらい日記を書く元気が出なかったわけですが。またちょっと復活しました<(_ _)>。

 で、ワニの女神に関連して。古代豪族に和珥氏(ワニシ)という人達がいるわけです。彼らから「春日」という氏族が出ているらしいです。系図を見る限り、色々と考察するに、葛城・賀茂氏の同族な気がするわけですが。こういう名前の人にも複数いろんな知り合いがいるかもー、と思うわけで。世の中、色々とありそうです。

21年7月25日

 本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。昨日もだいたい同じでした。

 で、また、どっぷり「オカルト」な話-;。

 前回(7月15日)松本に行った後、なんだかまだ行かなければいけないところがある気がして。で、色々とぐぐって川添いの神社を調べてみました。そうして、阿禮神社、建部神社、沙田神社とか見つけたわけです。特に沙田神社は祭神が諏訪系でないのに、御柱祭がある、ので不思議だ、ということで有名な神社らしくて。祭神は、「彦火火見尊(山幸彦)、豊玉姫命(山幸彦の妻のワニ女神)、沙土煮命(スイジニノミコト、砂や土の神格化で女神であるらしい)。そして、参道が奈良井川(松本城)の方向を向いていて、信濃国三の宮であるそうです。で、子安社なんかもあって「産の宮」とも言われているそうです。神紋が小笠原の三階菱なので、守護をはじめとして、代々の松本城主の崇敬を受けた神社だそうです。で、奥社が元々松本市波田鷺沢という山の上にあって、それを天智天皇の時代に今の場所に移したらしいです。ということで「波田から流れ出る梓川の水霊を祀ることに始まったと見られる神社(wikipediaより)」だそうです。「現在の本社は梓川の水を引き入れた古代条里的遺構の上にあり」、薙鎌なんかも出土しているそうですから、元々は安曇族と諏訪系の人々が共同で建てた神社で、だからこそ御柱をやっていると思われるのですが、なんでそれが山幸彦と豊玉姫に置き換わったのか? と思うわけです。小笠原氏は源氏ですから、神武天皇の祖父母に当たる山幸彦と豊玉姫は祖神といえば祖神といえますが、でも一般的に源氏が好きなのは八幡神とかじゃん?? と思う。小笠原と組んでいた下社からみても、山幸彦と豊玉姫は一見してそれほど縁が近い神とはいえない気がします。

 でもって、「オカルト」な話。どうも、山幸彦というのは、いったん海に入る(=死ぬ)わけだから、死んだ神です。で、豊玉姫は「常世の国(=黄泉の国)」の住人だから死んだ神です。要するに、「死んだ神」の夫婦から死んだ神々が生まれる。で、それを川に流してる。渚大明神に先に行かれてしまったので、今まで流してたモノが渚でせき止められて流れなくなって島立に吹きだまってしまって困ってるので、「早急になんとかしてくれ」と言われる気がするわけで@@。え? じゃあ、神武天皇って「プリンス オブ 死人」とか、そういう意味? というか、そういう位置づけ? そのための神話?? と思ったわけですが。ともかく、しばらく松本方面に行く気はなかったわけです。でも、要請がある気がするので、行く気になって。で、ついでに、義仲関連の怨霊もなんとかしてこよう、というのが今回の目的だったわけです。

 で、最初は阿禮神社から。これは奥社が塩嶺峠にあり、更にその奥に古い鎮座があるそうです。社殿では「素盞嗚命が出雲国簸川上の大蛇を平げて後、科野国塩川上の荒彦山に化現し、悪鬼を討ち平げたという。その大稜威を尊び仰ぎ奉ったのが当社の起源。荒彦山は、今の東山にある五百砥山(五百渡山)であるという。(玄松子さん)」だそうで、阿禮というのは「ムラ」のことだそうです。

 「阿禮」とは賀茂関連では「神や貴人がこの世に生まれ出ること。ご誕生。ご降臨。」という意味がありますので、むしろ「ムラ」というよりは「ご降臨」を意味して、「スサノオが降臨した地」という意味なのではないか、と思います。「五百砥山」という言葉は建五百建命を連想させ、古くは建五百建命が降臨した山が五百砥山である、という由来があったのではないか、と想像します。かつては中山道に面した大きな神社だったのではないか、と思います。

21年7月22日

本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。

で、昨日は川向こうにまたまた出かけて。湯島天満宮・信濃分社、牛島神社、川合神社、清水神社というところへ行ってくる。1カ所だけ、お祭りをやっていて、「お祭りの最中だったから、ご神体だけじゃなくて、氏子の代表も神様と結縁できてラッキー!」って言って喜んでくれたところがあるような気がするわけですが、後はどこも「死んだフリ」だったような-;。興味深かったのは、川合神社であって、諏訪系の神社でしたけど、戸隠社が境内摂社にあって、天之手力男神を大切にしている姿勢がどことなくうかがえて。島内の大宮・武宮両者社と感じが似てるので、川合神社も、元は川の流域を開拓した安曇族と諏訪氏の共同の神社で、どちらの神様も祀っていたのだろう、と思います。でも、普通は御柱は次のお祭りまで立てておくものだと思っていたので、なんか解体されて拝殿に立てかけられているのが、微妙な感じであったわけですが。

後は真島の清水神社に行って。ここは「蔵王信仰」の神社らしくて。槻井泉に続いて2個目の蔵王信仰の神社だー、と思う。長野市にも御嶽(おんたけ)の神社はあると思いますが、松本や木曽ほど賑々しくはない、と感じます。御嶽(おんたけ)信仰も、元は蔵王権現の御嶽(みたけ)信仰から始まっているので、かぶっている部分もあるのですが、内容はかなり変わっているわけで。長野市内には、古い時代の御嶽(みたけ)の方の信仰がちょこちょこと残っている気がします。そういうことを考えていたら、「大国主、スクナビコナ、国常」の3つが揃っている神社がもう一つあったよね?」と言われる気がするわけで。そういえば「須々岐水(千曲)」のがそうだった気がする。と思う。あそこも「蔵王権現」である、ということは元々は「森将軍塚古墳」のある山を信仰の対象にしていたのか? とちらと思う。蔵王って弥勒じゃん? 下生する弥勒が建五百建命ということ? と思う。だとしたら「生まれ変わる前はなんと言う名前だった?」と思うわけですが。

あとは思うことはいろいろとあるわけです。「なんで、金刺氏に縁のある土地は「麻」がつくことが多くて麻まみれなんだろう?」とか。下社金刺氏は何故祖神の建五百建命を祀っていないんだろう? とか。諏訪の「武居恵比須」って、武居氏(金刺氏の同族)とえびすってどういう関係? とか。木曽の水無神社は、美濃の水無神社から勧請したもの、と言われていて、美濃の方では祭神は「高照姫」ではないのに、なんで木曽では「高照姫」になってるんだろう? 木曽の寺社を仕切るのは、下社の関係者だと思うわけで。どういうつてやコネで高照姫を持ってきた? と不思議に思う。

それから、湯島天神・・・天之手力男神と管公が祭神なわけで。管公とは、非業の死を遂げて、大自在天(シヴァ)と習合した、とされる「祟神」である。シヴァって、インドのディオニューソスといえるような破壊の神サマでは? と思う-;。真島の川合神社、若穂の湯島天神、と川の合流点が荒れないように天之手力男神に守護をお願いするのは良いことのように思います。管公にお願いしたら、逆に合流点が祟って荒れるのでは? と思うわけですが(汗)。

で、そんなこんなで家に帰ると、どうにも「義仲まみれ」だった自分の人生を思い出して、そちらも徹底して洗って、祟りを祓うべき、と思う。で、調べたら、信州新町の尾澤酒造場というところの(たぶん)奥様が書かれていると思われるブログにぶち当たって、どうやらそこでは「義仲物語」というお酒を造られてらっしゃる、ということで。別にそれは現在のことなので、歴史的な祟りとかありそう、というわけではないのですが。「灯台元」ほど真っ暗ってこういうこと? と思わず思う(苦笑)。ともかくブログに

「当家のご先祖様も、尾張からおちのびてきて山奥の沢に住み着いたということらしく、
名字が「尾沢」になったんだそうです。
ちなみに、八代目蔵元は、前田利家の血も入っているんですよ~(笑)」

と書かれていて、「うーむ」と思う。前田利家云々はたぶん尾張関連で何か引っかけてるんだろうなー、と思います。事実かどうかは私には何とも(苦笑)。松代藩の役人なんて、いくらでも顎で使えるんでないの? と微妙な毒を吐いて、なんだか、私「小姑化してないか??」と自分でも思う-;。なぜなら、私も「尾澤」であって、奥様が「当家のご先祖様」と書いてるのは、あたくしのご先祖サマでもあるからである-;。

だから、まあまあ、「変」といえることだけ今日は書きます。義仲関連で、信州新町のことを知ってらっしゃるのであれば、義仲の家臣が義仲の持仏を持ってきて玉泉寺に~、って逸話は当然ご存じだろう、と思うわけです。だいたい、玉泉寺ってそもそも「当家」の菩提寺でもあるんじゃん? と思う。ということで「おちのびて」という文言がものすごく気になるわけです。だいたい、義仲家臣の方々と同様、普通「おちのびて来た人たち」は、持仏とか、自分たちの神サマとかなんか持ってきて、ひっそりと祀っているのが普通だと思うわけですが、「当家」は何を持ってきた? と思うわけです。なんだか、山の中に尾張に関係のある神サマなんかいなかったような?? と思うわけです。天火明命とか。

それともう一点。義仲関連の方々を知ってるなら、空気で分かられると思うわけですが、そちらの関係者は特に山の中では「名家」って言われる方々ではありません。千年前に落ち延びてこられた方々は、今でも町内では「普通の人たち」なわけです。だいたい、信州新町含む西山地区は、非常に歴史が古くて保守的で、外との人の交流が少ないところなので。少なくとも、室町初期までには、人々の財産・身分は固定されてしまってたことは事実なわけです。地域での確固とした「身分」と経済力が確率してたからこそ、西山地区の土豪は共同して守護小笠原氏を追い返すような「大塔合戦」を起こせたわけで、でなきゃそんな大それたことはできないと思うのです。豪族同士もお互いに顔見知りだし、どんな家柄、どんな人柄ってみんな知ってるからこそ、そういうことができたのだと思う。だから、義仲関連の皆様が落ち延びてこられた頃には山の中の「身分秩序」は確率されていて、その時に「大地主」となっていた家は、その後引っ越しでもしなければ、ずっと「大地主」だった可能性が高い、といえると思うのです。で、義仲関連の方々が山の中に落ち延びてこられた時に、彼らが「大地主」となる余地のない「名家」がすでにそこにあったわけです。だから、後発の義仲組の方々は後々まで山の中を開拓した「名家」になれなかったわけです。しかも、昔の信州新町は安曇野の端、という扱いですから、安曇野の実力者である仁科氏と、平安時代からの「名家」はつながっていた可能性が高いと、個人的には思ってます。むしろ、「名家」の方が仁科氏から依頼されて義仲組を山奥に預かった、といえるのではないのか、と思うのです。だいたい、その「名家」が江戸時代に家を二つに分けて、片方が新町に降りてきて酒屋を開いたのが尾澤酒造場さんの始まりではございませんの、と思うわけです。財産を半分に分けても、まだ「大地主」でいられたほどの大金持ちですぜ。「当家の先祖」って。と思う。江戸時代の話だから、今はどうされてるのかよく知りませんけれども。

で、どこの「尾張」から来たんだっけ? と思うわけで。長野市には西尾張部というところがあって、西尾張部とは大和の高尾張邑から移住した人々が住んだところ、と言われているらしいです。高尾張邑は奈良盆地の西の葛城にあり、書紀に「高尾張邑に土蜘蛛がいたので殺害し葛城邑に改めた」とある土地なわけです。・・・どこの「尾張」から来た? 葛城尾張から、「火雷大神(建御雷神)、天香山命(カグツチ)、タキリビメ(市杵嶋姫)、大日霊貴尊・高皇産霊尊・天津彦火瓊瓊杵尊」を持って来られた「尾張」さんですか? だって、そういうあたりが山の中の近戸皇大神社に祀られてますよねえ? と思う。これは玉泉寺の近くにある神社なのです。ということは、建五百建命とはアヂスキタカヒコネのこと? 古代における九州の大豪族宗像氏、出雲富氏、雷神を祖神に持つ葛城氏と3つの大豪族の血を引く葛城氏は大王(天皇)家とも強力な姻戚関係を結んでいた大和の一大実力者である。で、尾張邑に住んでいた人たちは「尾張氏」を名乗って東国に移動した、と思われるわけですが。建五百建命をアヂスキタカヒコネとすると、タキリビメはその母神に当たる。火雷大神(建御雷神)、天香山命(カグツチ)は祖神に当たる。天照大神は天御梶姫と同じものとすると建五百建命の妻神、ということになる。

ということで、「当家の先祖は尾張から~」と聞いて、「鴨かよ、鷺(サギ)って改名すれば!」って思わず毒づく「尾澤」がここにいるわけですがー;。ともかく、葛城尾張さんとは、複数の大豪族の血を引く人たちである。で、古代世界は基本的に婿入り婚で、必ずしも父系社会ではないため、子供達はいったい自分は「どの家に属する者か」と考えていたのだろうか? ということになります。母系を優先すれば、彼らはタキリビメの宗像氏か天御梶姫の富氏をとっても、当時の社会常識からは異なことではなかった、と思う。まあ、少なくともどっかの山奥に住んでいる人達は男系直系の火雷大神(建御雷神)と天香山命(カグツチ)をとったと思われます。だから、あちこちにカグツチがいるのねー、と思う。宗像氏と出雲系の人々は雷神は信仰しませんので、雷神は葛城尾張氏のオリジナルの神だと思うしかありません。要は

火雷大神(建御雷神)=饕餮、天香山命(カグツチ)=事代主(一言主)=蚩尤

なのではないか、と思います。だから

武居恵比須 = 鴨事代主

のことだと思います。高照姫は、アヂスキタカヒコネの妹(要は妻)の名前と推察されます。武居が鴨の分かれだから、鴨の神を持ってきて水無神社? 自分のご先祖サマを崖から突き落とすの? 出雲に対する敵意がすごいな、と思うわけで-;。

ということで、「当家」のご先祖サマはわかりやすく葛城尾張氏を取ったわけですが、一方親戚筋には、

出雲富氏を取った、と見せかけて 宗像氏 をとった人々

がいると思われるわけで。出雲富氏は原始キリスト教徒とは思われず。出早雄命と同一に扱われている「クルス神」ってどっから持ってきた? となった時に、「宗像氏」と言う以外に選択肢がない、という気がするわけで@@。ともかく「葛城尾張氏」の中には

父方の葛城尾氏の祖神を選んだ人達、と 母方の宗像+出雲富氏の祖神を選んだ人達、がいて

三輪山の祭祀で大激突した、

と思われるわけです。結果、三輪山には父系派の大田田根子が押した大物主が祀られて、母系派の天照大神は伊勢に押し出されることになった、と思われるのですが。彼らの争いはそのまま信濃国に持ち込まれて

母系派の諏訪大社上社、父系派の諏訪大社下社

に分かれたのだと推察されます。それで今は母系派の頼朝君と、父系派の生きた怨霊ストーカーがいる気がしてならないわけですが-;。ともかく、私としては怨霊払いに精を出すしかないわけで-;。ストーカーは普通に困るからです。それはともかく、鴨といえば、陰陽寮の長官を務めたようなシャーマンの家柄である。あたくしがシャーマンであって、なくなった人の幽霊を下ろせるのであれば、女王卑弥呼は

「だいたい、なんで今まで普通に土地の神サマとうちの神サマを仲良く祀ってうまくいってたのに、三輪山に大物主なんて変なものを祀らなければならないのか。大物主なんて、あからさまに火雷神の焼き直しで、出雲の大国主のパクリじゃん。鹿馬は鹿馬なわがままばっかり言ってないで、おとなしく引っ込んでろ。」

と言っております。だいたい、元々住んでいた人達の神サマをないがしろにするような祭祀は今でも嫌いなんだけど? と思う。ということで、蔵王権現と管公の呪いを祓ったら、自分の名前が「終わり」さんだと知った、という話なわけです。そんな名前をつけるネーミングセンスをそもそもまずなんとかすべき、と思うわけですが-;。

21年7月20日

 本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。

 「ヘルメース主義」と「デュオニューソス主義」とは何かということです。ヘルメースもデュオニューソスもギリシャ神話の神サマで、主神であるゼウスの子神です。ヘルメースは身分の低い女神から生まれた神で、神々の「伝令神」とされ、武器として鎌を持っています。「伝令」なので、神と人の間のやりとりを仲介することもあるし、冥界へも出入りできる、とされていましたし、道祖神的な役割も果たしていました。「知恵の神」ともされていました。おそらく、人々は彼に対して、もっと上位の神々に対する取りなし、とか旅の安全を願ったのだと思います。また牧畜の神でもあって、キリスト教とも関連しますが、初期のキリスト教徒はイエスのことを「良き牧者」と呼んで、自分たちを導くヘルメースのようにみなしていたと思われます。その意味するところは、みんなで真面目につつましい生活をし、働いて得たお金は共同体のものとして、弱者(寡婦等)にも平等に分けよう、といったものだと推察されます。また、各地の共同体はかなり自治的な性格が強く、「何が正統なのか」ということは、初期はなかったのだと思います。要は、それぞれの共同体が持っている文化によって、贅沢を慎み、知恵を出し合い、工夫しながらお互いに助け合っていこう、というのが「ヘルメース主義」の原始キリスト教といえます。

 一方の「デュオニューソス主義」ですが、これは「オルペウス教」とも関連して、奇怪な信仰といえます。オルペウス教のデュオニューソス神話はザグレウス・デュオニューソスの物語と、オルペウスの物語が核となります。ザグレウス・デュオニューソスの神話は

「神々の王ゼウスは蛇に化けてペルセポネーに近づき、交わってザグレウスをもうけた。ゼウスは全宇宙を継ぐべき存在として彼を寵愛した。これに嫉妬したヘーラーは、ティーターン族をザグレウスに送り込み、惨殺するよう仕向けた。

ザグレウスは、牛の姿になったとき捕らえられ、縛り上げられて殺されてしまう。その後にバラバラに引き裂かれ、四肢や肉片をティーターン族に煮て食べられてしまう。ただ、心臓のみはアテーナーによって救い出され、ゼウスの元へ届けられる。ゼウスは心臓を呑み込んでセメレーと交わり、ディオニューソスをもうけた。このディオニューソスの心臓は、本来ザグレウスのものであり、これはザグレウスの再誕を意味した。

以後、ザグレウスはディオニューソスとして、ゼウスと共に宇宙を統治した。」

というものです。要は、ザグレウスという神が非業の死を遂げて、デュオニューソスとして生まれ変わって宇宙を統治した、という思想です。デュオニューソスは一度死んだ神なので、冥界へも出入りできる、とされました。デュオニューソスは紀元前15世紀まで遡る神であり、酒の神で、自分に経緯を払わない者は、自分の信者達に惨殺させる、という神でした。そういう古くて残酷な神から、紀元前6世紀頃に「オルペウス教」というものが誕生しました。オルペウス教の「オルペウス」は、有名な楽人であって、エウリュデュケという妻が亡くなったので、冥界に妻を取り戻しに行ったけれども、失敗した、という有名な「オルフェウスとエウリュデュケ」の神話のオルペウスです。オルペウスとエウリュデュケの神話には続きがあり、失意の内に冥界から戻ったオルペウスはデュオニューソスを神として敬うことを拒否して、デュオニューソスの熱狂的信者に殺されました。

 で、オルペウス教の言い分によれば、彼らの神であるデュオニューソスはゼウスとペルセポネーの「不倫」から生まれており、そこから人類も発生しているので、人類は生まれながらに「不倫から生まれた」という「原罪」を持っている。人類の魂は「永遠」のものであるのに、原罪のおかげで有限の肉体を持つ「人間」に生まれることしかできない。永遠の存在にはなれない。しかも、人々は輪廻転生して、有限の命の生活を何度も繰り返さなければならない。「原罪」から解き放たれて、輪廻転生からも解放され、「永遠」の存在になるためには、オルペウス教の教えを信じないといけない、とそういうことなわけです。 だから、仏教ともちょっと似ていますけれども、「輪廻転生」の輪から抜け出して「解脱」するには、あれこれ教えを守る必要がある、というのとまるっきり同じ事なのだと思います。そして、デュオニューソスは黄泉の国へ出入りできる神ですので、人々を輪廻転生から救い出して、解脱させる神、とされました。デュオニューソスを信じない人は殺して「解脱」させてあげるわけです。そうすると、その人は救われることになります。その象徴がオルペウスといえます。オルペウスはデュオニューソスに殺されることで解脱できて救済されました。デュオニューソスはザグレウスであったときに、非業の死を遂げて生まれ変わった神ですし、そうすることで特殊な「救済能力」を身につけることができました。イエスも非業の死を遂げたわけですから、生まれ変わったらデュオニューソスのようになって、人々を殺して救済する神となる。殺されて救済されたくなかったら、自ら進んでキリスト教徒になり、自分が救済される側ではなく、救済する側、すなわち「人を殺す側」になりましょう、というのが「デュオニューソス主義」といえます。ローマ式に当てはめると、「ローマを信じない人(協力しないで対立する人)は殺して救済してあげましょう」という感じになるのかと思います。もちろん、こういう考えに賛成しない人たちは「正統」ではないので「異端」ということになります。異端はどんどん殺して救済してあげなきゃー、現実の財産はもらってあげなきゃ、それが彼らの救済のためである、ってそういうことなのかと。ザグレウスは「死んだ女神」であるペルセポネーから生まれました。だから、「母」となる女神をどんどん殺して「黄泉の神」にしてしまうのが、「ローマ式デュオニューソス主義」といえます。みな、女神をペルセポネーになぞらえているのです。死した女神イザナミの子であるスサノオがデュオニューソスに相当するのが、熊野信仰といえます。スサノオは酒で敵を倒す神です。また、木曽義仲は「死した女神」である竜蛇神の守護を受けた子神と暗示されていますから、若くして非業の死を遂げた義仲は、生まれ変わったらデュオニューソスという神になる、すなわち、義仲が死んで生まれ変わったらスサノオになる。彼に協力しない者は、どんどん殺して救済しちゃう、というのが「ローマ式デュオニューソス主義」の行き着くところだったのではないか、と思います。でも、現在のところ、彼に「協力しない」天照大神を殺し損ねて「救済」できず、熊野の呪いを成就できなかったので、スサノオは「一番の神」になり損ねているらしくてー;。

 小山田圭吾という人が、学生時代の「いじめ」でいろいろと問題になっているそうで。どうも、個人的にはその人だけ攻める気になれない、というか、昔は「虐められる方にも問題がある」とかっていって、「虐められる方が悪い」というのが常識の時代があった気がするので。だから、そういう時代には彼のやったことは英雄的行為で雑誌でどんどん宣伝するようなことだったんじゃね? 今とは時代が違う話だしー、当時の常識で、英雄的行為だったことを、今の常識で一方的に攻めるのは、ちょっとどうなの? とかちょっと思うわけですが-;。「虐められる方」にどういう問題があるんですか? スサノオに協力しないから? 虐められる(=救済される)のは当然なの? となるわけで-;。義仲が生まれ変わって、スサノオになって世界や天照大神を救済する、って熊野式? というか、熊野式+下社式の概念が幅を効かせていた時代もあったんだなあ。小山田圭吾氏の現況は、名前が似ている「救済者」の現況を示す鏡のようなものなのではないのか、と思うわけですが。あたくしは「熊野の呪い」を追いかけていくだけです。

 というか、「熊野神社」の水で作ったお酒って「熊野のお酒」(黄泉の酒)ということにならないのですかねえ? と思う。聖の山の水源の水が「熊野の水玉」であったら、それで仕込んだ酒も「熊野の酒」だったりする? と思う。ということで、どうも強い敵意を怒りを感じる気がするわけです。・・・わりーのはお前だろ、前世がどうのとか言ってないで、今の自分のやったことは他人にさせるのではなくて、自分自身でケツをふけ、って感じで、あたくしも思うところはあるのかもしれませんが-;。(というか、私の松本時代は、知れば知るほど「義仲まみれ」であるー;。今になって、そのオカルトっぷりにドン引きしてるわけですがー;。)