21年12月5日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 で、YouTubeをだらだらと見ていたら、キンプリのDVDの告知動画がアップされていて。来年の1月発売らしいです。今年のライブツアーのDVDらしくて。兄さん達がかっこいいなー、と思いながらぼーっと見ていて。

 で、摩多羅神というのは、「丁禮多(ていれいた)・爾子多(にした)の二童子と共に三尊からなっている」とWikipediaにあって、二童子を引き連れた神であるそうです。小菅神社の祇園の祭りでも、スサノオを神輿に乗せて担ぎ出して、地元の男の子を二人選んで、「松神子(まつみこ)」として火をつけさせる、という祭りだそうなので、素戔嗚と松神子の三尊が「神」とされているのだと思う。

 そういうことをぼーっと考えながら作業していたら、「聖徳太子が童子二人を引き連れた肖像画があるでしょ。摩多羅神信仰の広隆寺といったら、聖徳太子信仰の寺でもあるし。聖徳太子を救世観音の具現とするのが太子信仰だし、聖徳太子=摩多羅神=ミトラス、とするのが太子信仰でしょ。」と言われる気がするわけで@@。「厩戸皇子」っていったら、いかにもイエス・キリストっぽく見えるけど、ミトラスの方なんだ? と思う。だから「和製の太子信仰とか、弥勒信仰は一体のもので、聖徳太子が生まれ変わって、ミトラスとなって上の神の気に入るように世界を支配する、というのがその本質でしょ。」と言われる気がするわけで@@。なんだか、聖徳太子が生まれ変わって、源義仲になって、それが生まれ変わってミトラスになるっていう話らしい@@。「だから、源義仲が選ばれたのは孤児だから都合が良かった、とかそういうことではないですよ。上の方の手先になって人々を苦しめるのに向いた性格だってあらかじめ分かっているから、選んでるんでしょ。」と言われる気がするわけでー;。・・・要は聖徳太子ってのは、「上」と仲良くして、上の手先になって人々を苦しめて、それを見ているのが楽しい、とそういう性格の持ち主らしい。・・・まあ、「自分だけが特別に偉ければそれでいい」っていう人間は我が家の中にも複数いるので、我が家の親戚の性格ならそんなもんだろう、と思うわけですが-;。要するに、聖徳太子は、お釈迦様よりも、イエス・キリストよりも「一番」に偉い神になって、自分だけが偉くなることができれば、人々を苦しめることは何とも思わない、とそういう性格だったらしい-;。お釈迦サマはともかく、イエス・キリストなんてそんな「偉い」モノ? とか思うわけですが、向こうが勝手にライバル視してるっぽいー;。

 ということで、小菅が隠していたのはこれ? と思うわけですが-;。イエス・キリストに勝手に敵対心を抱いて、殺そうとしているミトラスがいる。そのためなら、コロニャーとか世界的に流行らせても、何とも思わないような、聖徳太子サマである、ってそーゆーこと? と思う。なんじゃ、そりゃ、と思う-;。変な話だ。

 まあ、それはおいておいて、松本には「波多」という地区があるし、摩多羅神の広隆寺の秦氏となんか関係があるんじゃないの? と親に言われるわけで。調べてみたら、波多には波多神社があって、「祭神は沙田神で、泥土煮尊・沙土煮尊・鵜萱葺不合尊三柱の神」とあった。山幸とか祀っていた沙田神社関係の神社であるらしい。というか、ここにも「三尊」があるし、と思う。鵜萱葺不合尊は神武の父、山幸は神武のじいさんなので。要は、今では「実在していない」と言われている神武をミトラスになぞらえてるし、そこんちの家系からいずれ「ミトラスが生まれてくる」という秦氏の暗喩が「沙田神」なのだと思う。修験道と関連してると思うけど、起源的には修験道よりも古いかもねえ、と思う。だから、「八幡」なんかも、イエス・キリストになぞらえた母子神信仰にみせかけて、ミトラスになぞらえているのだと思う。でも、そこんちの本当の先祖はイエス・キリストだって誰か言ってなかったっけ? という気がするわけで、家中は、「真に人々を救いたいと思っているイエス・キリスト派」と、「上のいいなりになって人々を苦しめようとしてる聖徳太子派」に分かれて真っ二つになってるらしい。でも、ミトラスの側についている一部の源氏や平氏以外の多くの氏族は聖徳太子の正体がばれて喜んでる気がするわけですが。

 で、ミトラス転じて和製弥勒信仰の成立に大きく関わっているのが、修験道とか、嵯峨天皇とか、信濃国造家とかそういう感じ? と思うわけです。弥勒に世界を終わらせようとしてる「終わり」さんか、へー、みたいなそういう印象ですー;。(というか、そんな奴を利用しようとかそういう発想がそもそも一番終わってるのではー;。)

 ということで、キンプリを見たら、意外なことをあれこれ言われる気がするわけで。神宮寺君の「目の力」もすごいな、と思う。DVDは予約しておきました。アルバムをまだ買ってないので買わなきゃ、とそんな感じです<(_ _)>。

 お裁縫は、つくろいもの、キュロットはウエストの始末、ジャケットは端糸の始末がやっと完了、ケープコートは型紙作りが完了したので、裁断に入っています。

 テレビは昼は「ニノさん」を見ました。昨夜「SHOWチャンネル」を見たら、某所にメールを書きたくなって、2時半まで起きていたわけですが。そういうこともみんな関連していそう、と思ったのでした。

21年12月4日

 昨日は飯山へ出かけて神社巡りをしてきました。伏見稲荷、片山稲荷、奈良井神社、愛宕神社(琴平&大山祇)、葵神社、伊勢神社(琴平&天満)、布施田神社、常盤神社、小菅神社とがっつり回ってきました。小菅神社は、現在では主祭神は素戔嗚となっているそうで、他の「八所」の神々も歴史の流れの中で、ちょいちょい変えられた形跡があるらしい。でも三の鳥居の横に「国常立尊」の大きな碑があったので、蔵王権現って思うよね? 普通はね? と微妙に思うわけで。蔵王権現には弥勒菩薩も含まれるので、弥勒も摩多羅神も同じものー、と思うわけです。で、小菅神社では昔は祇園に特別な祭りをしていたそうなので、祇園を中心に考えれば

素戔嗚=牛頭天王=武塔天神=摩多羅神=弥勒菩薩=ムーダン=ミトラス

で、全然変じゃないでしょ、と思う。で、平城・嵯峨天皇の祈祷所であったそうで。摩多羅神は天台宗であがめられた神であって、平安時代末期から信仰が盛んになったそうです。でも、この一派は後に「邪教」とされて衰退している。斑尾の頂上に薬師如来が祀られているのは、医薬神である「牛頭天王」とか「武塔天神」に引っかけてるのだと思います。で、西欧(地中海周辺)では

ミトラス=モロク=プタハ=ハーデス・プルートー=ネルガル

となるので、記紀神話では、「素戔嗚が牛頭天王と同じもの」だなんて書いてないわけですが、歴史の流れの中で、祇園の八坂神社では、いつしか素戔嗚=牛頭天王と考えられるようになり、武塔天神に関する「蘇民将来符」とか配るようになっているわけで。素戔嗚が疫神であるとは、記紀神話には書いてないと思います。でも、祇園では疫神扱いだし、ネルガルまで辿っていくと、れっきとした疫神なんだよね、これがまた。となるわけで、これは、世界の「神話」を知っていて、その変遷も知っている者が、平安時代の300年くらいをかけて、つくりあげていった「牛頭の神」が素戔嗚に結実したものだし、最初からそうするつもりで素戔嗚を作ったのかも。三貴子は、天照大神、月読、素戔嗚の順だけれども、最初からギリシャ・ローマの、ゼウス、ポセイドン、ハーデス・プルートになぞらえて作ったのかも、とすら思う。だから、ハーデス・プルートー=ミトラスとすると、彼らはどちらかといえば「下位の神」であって、神に逆らう人々に「天罰を与える神」であって、疫病を流行らせるのも「天罰の一種」なのである。医者(薬師)との関連性からいえば、アスクレピオース(ギリシャの医薬神)の神話が全てを語っているといえる。

 アスクレピオースは優れた医者で、多くの人の命を救ったけれども、優れていすぎたので、死ぬ人がいなくなってしまい、神々が死すべきと定めた人まで生きるようになってしまった。だから、自分の役目を侵されたハーデスは怒ってアスクレピオースを殺してしまった。

という神話である。だから、医者(薬師)ってどんなもんなのか? と言われても困るわけですが、ハーデスに逆らって仕事したら、まず自分が死ななければならないのが医者である。今でも、世界中の医者がそうやって仕事してるんじゃん? と思う。だから、ハーデスは「医薬神」とはいえないのだけれども、医者の元締めというか、監督官みたいな位置にいるわけです。それも「まともな仕事をやり過ぎないように」監督する神なわけだ。

 でも、そうやって人々の生活に直接関わる(直接罰を与える)神であるので、庶民からすると、直接の信仰の対象になりやすいわけです。ハーデスに気に入られれば、自分だけ天罰を免れるかも、とかそういう意味で。

 でも、こうやって見ていくと、ハーデスは元々神々の中では下位の神なのだから、天照大神に逆らって狼藉を働き、天照大神を岩戸の中に追いやる方が間違っている、ってことになるよねえ? と思う。まあ、単純に言って、一般庶民はハーデスにもの申せる立場ではない。でも、天照大神はもの申せる立場である、とそういうことになるわけです。そして、もう一人「月読」である者も、もの申せるよねえ? 立場は「兄」だもんねえ?? と思う。

 嵯峨天皇は弥勒だの天台だのに入れ込んで、いったい何を願ったのかと思う。もし、自分が生まれ変わったとしても、また天皇になりたい、そうしても天罰を受けることのないように、と願ったのだろうか? と思う。(摩多羅神の信仰を始めたのは最澄の弟子の円仁と言われている。まあまあ平安初期の僧侶である。唐に留学してるから、世界的な神話を研究する機会が充分あった人だと思うわけですが。)で、その結果の

素戔嗚=牛頭天王=武塔天神=摩多羅神=弥勒菩薩=ムーダン=ミトラス

という「祇園信仰」を確立するのには、京都では代々の天皇、信濃国では信濃国造家が深く関わってきていた、ということになると思います。信濃国造家の目的は、イザナギに逆らう天照大神と月読を素戔嗚に片付けさせよう、とかそういう感じだよねえ? と思う-;。・・・だけど、嵯峨天皇がもし生まれ変わったとしても、平穏無事に天皇になれるのかねえ? 特に最近の皇室は、ジェットコースターメロドラマのように、次に何が起きるのか分からないドラマのような展開で、このままでは天皇制の将来そのものが「大丈夫かいな?」という感じである-;。

 で、それ以外では、飯山とは稲荷の多い町であるし、伏見との縁が強い感じがするわけで。私が思うに、狐は「天狗の乗り物」なので、どこにも資料もなくても、「摩多羅神」も隠れた天狗であって、その騎馬が伏見稲荷と小菅の「馬頭観音」ではないのか、と想像するわけですが。「天狗」というものが確立したのは中世であるので、もっと古くは「摩多羅神」は「狛天白」とか「天白」と呼ばれており、それが時代が下るにつれて「天狗」へと確立されたのではないのか、と思います。天白神とは、東日本に割と多くて、名古屋とか長野県に多くいる神な気がするわけですが、元々「尾張氏」が勢力を張っていた地域で信仰が盛んであったようなので。・・・饕餮のことだろ、それ、と単純な私は思う-;。というか、饕餮を雷神と天白に分けているのだと思う。でも「天で白いもの」って星ではなく、雷のことを指しているのだろうし、だからこそ治水とか護国豊穣に関する神であるのだと思う。

 で、本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、つくろいもののみ。

 テレビは、昼は「ニュースな会」の録画を見ました。昨夜は「少年倶楽部」とMステ。ともかく、やらなきゃならないことがありすぎて忙しいので、ゆっくりテレビを観ている暇すらない、と感じています。

 昨日はきょも君のお誕生日でした。おめでとうございます<(_ _)>。
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 1杯目。
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 2杯目。

21年12月2日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、つくろいもの。キュロットはゴム通しの穴の始末。ジャケットはまだまだ端糸の始末で、あと少し。ケープコート後ろ身頃で、後見頃の裏地を描いたところ。

 テレビは、昼はCDTVの録画を見て、夜はFNS歌謡祭を見る。ひいじいさんには、「君のせいで自分は嫉妬でボロボロ」と言われる気がするわけですが@@。・・・どうも、先月は芸能関係が物入りだったわけで。光ちゃんのDVDに2万円、P様の写真集に3000円ほどかかって。写真集の方はですねえ、セミヌードが惜しげもなく披露されていて、ベッドに寝ている裸のP様の脚とかがエロいというか「おー」という感じであったわけですが。「この脚を生で見てみたいでしょ。」って言われる気がしたら、普通は「いやーん」とかって言うよね、まあ社交辞令でもねえ? と思うわけですが-;。・・・というわけで、どうやらこの辺りがいけなかったらしい-;。ひいじいさんは、6番目の子から「おじさんの嫉妬は見苦しい」と言われたらしいー;。若い兄さん達は「ともかく、その人にあまり愚痴を言わせないように見張ってなきゃ。」って言うし-;。なんだか大変な気がするわけですがー;。愛情が必ずしもお金で測れるとは思いませんが、2万円の価値はどこへ? とは微妙に私も思ったのでした-;。
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 1杯目。

21年11月30日

 本日は家にいて外作業のみでした。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土の清掃、土掘りでした。今年の冬一番の寒さで、霜が降りていました。でも、昼から午後にかけては暖かくなりました。

 お裁縫は、つくろいもの。キュロットはゴム通しの穴の始末。ジャケットはまだまだ端糸の始末。ケープコートは後見頃の製図の途中です。

 テレビは、昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。

 今朝方なんだか夢を見て。光ちゃんが一緒にいて、「教科書ガイドは大事~」という話をしている、という夢で。お裁縫の本のことかな? と思う。珍しい夢でした。割と昔風の袖ぐりの広いシャツとかブラウスを作りたいわけですが、最近の型紙だと、どうも袖ぐりが狭い気がするので。昔の本を引っ張り出して、どう今風のデザインにするのか研究中です。最近はチュニックとか、全体の幅が広い服が流行っているのに、袖ぐりだけが狭いのはなんだか理不尽な気がするのです-;。

 長野県には生島足島神社とか、須坂の墨坂神社とか、関西と長野県にしかない神社が多いです。尾張神社も葛城高尾張と関連があるのであれば、やはり飛鳥とのつながりを感じさせます。で、墨坂神社なんかは西との関連性があるので、奉斎したのは信濃国造家ではないか、ということがWikipediaに書いてあって。特に飛鳥と関連性のある神社は、本来、出雲系ではないし、諏訪系でもないので、やはり信濃国造家との関連を思わせます。(もっとも、個人的には高尾張氏が信濃国造家そのものだと思ってるわけですが。我が家の本来の名字が「尾張」だそうだから。)で、国造家が信濃国に入り込んだのは、弥生系の人々だからして、2世紀とか3世紀とかそのくらいの時代(あるいはもっと古い?)と思うわけです。で、修験道なんかは仏教が入ってきてから盛んになるので、開始されたのはせいぜい早くても7世紀くらいだと思う。開祖と言われる役小角がそのくらいの時代の人だと言われています。舒明天皇の時代くらいの生まれ、と言われているので、その頃はまだ国司の制度がなく、各国の国造が勢力を張っていた時代だと思う。信濃国は聖高原とか、小菅神社とか、役小角が開いた、と言われている古い修験道の霊場があちこちにある気がしますし、その時代には国造家が創設に深く関わっている善光寺も確固たる地位を築いていたはず。稲荷山の長谷寺なんかは、修験道の寺でもあるけれども、開基には善光寺も深く関わっています。だから、特に北信濃の修験道の霊場には、役小角(賀茂氏の行者)、善光寺、国造家(たぶん賀茂氏の親戚筋)が開設に深く関わっていると思われます。で、戸隠・飯縄なんかは表向き九頭竜権現とか、天之手力男神とか地元の神サマとか、岩戸神話に重要な神を祀っているし、いかにも天照大神に関連があるように見える。でも、小菅の「八所権現」とは、熊野権現(伊弉冉命)、金峯権現(安閑天王)、白山権現(伊弉諾命)、立山権現(大国魂命)、山王権現(大己貴命)、戸隠権現(手力男命)、小菅権現(摩多羅神)とあって、天照大神との関連性が弱い気がするわけです。しかも、大国主を「怨霊」に数えれば、ほとんどが「怨霊」なんじゃん? と思う。そして、主祭神と思われる「摩多羅神」って、露骨にミトラスなんじゃん? 広隆寺とか秦氏って言ったら、原始キリスト教徒とか、そういう方面で名前が出てく人達であって、皇祖神からはますます縁遠くなるような気がする。小菅権現が設置された当時、神と政治の両方で、信濃国造家が北信濃で強い権力を持っていたのであれば、「キリスト教の名前を持ってるミトラス教」を信濃国に引っ張り込んで、こっそりしっかり祀っていたのは、信濃国造家そのものなんじゃないの? ミトラス教というのは「殺すことが救済である」っていうやばい思想である気がするわけですが。

 紀元前5世紀、古代ギリシャのアリストテレスという哲学者は、そもそもピタゴラス派を「やばい連中」とみなしていたと思う。なんでも「数字、数字」って言うし、だいたいピタゴラス派がミトラス教の前身みたいなものじゃん? と思う。自分を鍛えるために、運動したり健康に気をつけたりするのはいいことだと思うよ? だけど、なんで、それを実践しているからといって、自分たちだけが「特別に偉い選ばれた人間である」みたいに威張らなきゃならないのか? どこの誰(あるいは「神」)がそんな妙なことを後押ししているのか? と思う。そんなことを後押しする者は「神」と名乗ってても「神」ではない。その正体を暴いて、人々に警告を与えなければいけない、とアリストテレスは思ったかもしれない、と思う。あるいは、その正体は知っていたけれども、黙っているしかない、そういう力しか彼は持ってなかったのかもしれない。だから、正体を暴くだけの力が欲しい、と彼は思ったかもしれない。そして、今、私はピタゴラス派の集大成ともいえるミトラスを引っ張り込んで、こっそりしっかり祀っている「とある家」を見つけた気がする。そもそも、「殺すことが救済である」っていうのがそこんちのモットーではないのか、と思う。要は彼らが「神」として後押しして、ピタゴラス派とかミトラスとか作ったのかも?? とか思うわけですが-;。表向きは「殺すことが救済である」というのは、殺される人のことである。正しい神を信じないから殺して救ってあげる、みたいな「大きなお世話」な理屈で人々は殺される。ピタゴラス派の思想もそうだった気がするわけですが、「正しい神を信じ、実践する者だけが偉い者」なのである。でも、実際に救済されるのは、大規模な災害とか戦争とかがあれば、その後には「再建」ということが必ずあるわけだから、土建屋とか大工とか、そういう人達だけが救われるんじゃないの? と思うわけで-;。この世界には、土建屋とか建築屋とか、そういうものの上に君臨して、「破壊と再建」を繰り返してもうける神サマがいるような気がする-;。要するに何かを「終わり」にしないと、再建もできないので「終わりにしよう」さんですか? と思うわけで。どうりで市役所の建設課とかが「真っ黒」なわけだ、他の課はそこそこ大抵親切なのにー、と思う。というか、アリストテレスは恐ろしくてそういうことも口にできなかったかもしれないけれども、あたくしはその程度のことは「想像してしまう」ということくらいは表明できるわけだ-;。

 自分の「目」で「諸悪の根源」を確かめて観察するためだけに、何度も転生を繰り返して、1500年もかけて、性別すら変えても構わない、と思う、というか、そういう人って存在するの? と思う。私には、そういう人の気持ちも良く分からない-;。でも、アリストテレスは何でも「観察する」ことが大得意であったらしい。私も自分の周囲の「妙な状況」とか観察して、分析して追求することは得意でここまで来た気がするわけですが。摩多羅神とか、よくよく「あれー?」と言うモノをようやく見つけた気がするわけですー;。
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 1杯目。1/3強が石分。

21年11月29日

 本日は信濃町の方に出かける用事があって。親は2時間くらいかかると思っていたようですが、私はなんとなく「1時間くらいかなー」と思っていて。やっぱり1時間くらいで到着して。この間降った雪が解けずに残っていて寒かったです。仁之倉神社にお参りしてきました。拝殿に鈴ではなく、お寺にある鰐口があったので、もしかしたら元は修験道の神社だったのかも? 戸隠からの道筋にあるし? と思いましたが、詳細はよく分かりません。家に帰ってから、飯山方面の神社とか調べたくなって調べたら、「小菅神社」というかつては「奥信濃三山」といって戸隠・飯綱と並び立つ修験道の霊場があったそうで@@。しかも、小菅権現とは摩多羅神のことであるらしい@@。広隆寺かい! と思わずつっこむわけですがー;。しかも、「八所権現」とかいって、金峰山とか蔵王とかも祀っているらしい。・・・千曲川は上流の川上村から始まって、飯山まで金峰山まみれですねえ、と思う-;。うちの母親は「全部千曲川の左岸にあるけれど、何か意味があるのか?」と言っています。

 外作業は夕方少しだけ。姉は土の清掃、石片付けでした。

 お裁縫は、つくろいもの。キュロットは裾の始末が完了しました。ジャケットはまだまだ端糸の始末。ケープコートは後見頃の製図を始めました。

 テレビは昨夜は「食宝」を見て。今日の昼は「A studio+」、夜は先週の「夜会」の録画を見ました。

 今朝方、なんだか夢を見て。まだ古い家に住んでいて、家に母親の親戚が大勢来る、という夢で。「母親の親戚」って平氏とか源氏なのですかねえ? と思う。その辺りの神社巡りをしないといけない、ということなのかなあ、と思いました。
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 1杯目。