20年4月12日その2

保母さんの資格とかを持っている人は大勢居ると思うので、そういう人達を雇用して医療従事者の子供を、可能であれば24時間預かれるようにする、とか、そういうことはやった方が良いと思います。お金はそういうことにも使うべきだと思う。

20年4月12日

さて、なんだか東京が「医療崩壊」しそうで大変そうです。テレビを見てたら、「みんなで協力を」とか「医療関係者に感謝を」とか言ってるわけで、別にそれは間違ってはいないと思いますけど、誰かが誰かに感謝するとか「精神論」では患者さんは減らないのでは? とか微妙に思う-;。

こういう場合、どうしたら良いのかといっても、よくは分からないわけですが、ともかく病院が一杯であるならば、コロナ・非コロナに関わらず、病院の外に出せる機能は、総て病院の外に出して、何に使うにしても、病床を確保しなければいけないと思います。特に、緊急性の低い外来全般をできるだけ病院の「外」に出さないといけないと思う。案としては、東京は大学病院が多いので、医学部を休講にして講義棟と可能な限りの研究棟を接収して外来あるいは、可能なら病棟(コロナ外であっても)に変える、とか、緊急性の低い患者しか来ないようなクリニックを接収して一時的に、普通の外来診療の場として使用する、とかでしょうか。(というか、本当に病床が足りなくなってくれば緊急性の低い「クリニック」とか、「美容なんたら」とか、そういうところにも強制的に病床を作らせて貰うしかないんじゃないのでしょうか? 消毒のための設備は一応あるでしょうし。そのための「緊急事態宣言」なんじゃないの??)

医学部の校舎は、必然的に大学病院に近いので、必要な患者の搬送も容易であると思う。学生には国試の勉強でも自主的にさせておけば? としか言えない。でも、人間や機材が足りないのなんて、どうしようもないですよ? と思う。「軽症者は病院に来るな」、といいながら対症療法の周知・徹底をする気もない人達にはあんまり同情する気になれないですしー;。そしてコロナ以外の病気で入院が必要な人で、首都圏外の病院で受け入れ可能なところがあれば、感染の危険の少ないところに搬送できれば搬送して、首都圏の病床をCOVID-19患者のために空けなければいけないと思います。患者さんの負担も大きいですけれども、政府はそういうところに補助を出して、東京の病院は東京のCOVID-19の患者を集中的に診れるようにしないといけないと思います。今はね。

20年4月10日

 今日は、再び穴掘りをしました。建築士の代理人弁護士から次回期日に向けての書類が届いたので、私の方も裁判の準備を本気でしないといけません。締め切りが迫っています。

 で、朝ご飯を「ブンブブーン」を見ながら食べていたら、いつものように寝落ちして夢を見て。剛君や光一君と紙飛行機を作って飛ばす夢で。私の作った紙飛行機も、うまく飛びそうなのにタイミングが悪くて、壁にぶつかってしまう、という夢で。

 目が覚めて、7番目の兄さんに「ヨード系薬剤について、もう少し、具体的に詳細に纏めるように」ということと、「子供が重症化せず、老人ほど重症になるのはアデノイドが関係しているのではないか。アデノイドは年を取るほど消退するものだよね?」と言われて、はっと目が覚めるわけで。咽頭扁桃というのは、割と扱いが軽くて「大人になったら消退する方とってもあんまり問題ない」みたいに言われているわけです。とってしまえば、口蓋扁桃が代替として働くだろう、と思いますが、正直、「ありふれたウイルス」に対する免疫獲得に咽頭扁桃が独自に大きく働いている可能性があるかもしれない、ということは考えたことがありませんでした。でも、兄さんの言うことは至極もっともだと思うわけです。7番目の兄さんは、私の言いたいことを理解してくれて、あれこれ考えてくれる。私も兄さんの考えていることは理解できるし、それに対してあれこれ意見を言える。こういう風に、いっしょにいろいろと考えることのできる人は初めてだなあ、と思います。とても、不思議な感じがします。でも、うれしいです。

 で、後はネット上に、「これをやるとCOVID-19に感染しない」みたいなデマもどきな情報が出回っているので注意、みたいな記事がネットニュースに出回っていて「ふーん」と思う。だって、一番注意しなければいけないのは、専門家なんとかの・・(げふげふ)、という気がするので-;。ともかく、何でも「100%予防できる」とか「感染が0である」とか、そういうことはあんまり信用しない方がよろしいかと思います(まあ、内容にもよるでしょうが)。医療の世界は幅が広く、人の体質も一人一人違うものであって、それが個性だから。多くのことは「100」とか「0」で決めつけられるものではないのですよ。あたくし自身も「ルゴール液を咽頭に塗っていれば、100%重症化しない」とか、そういうことは言うつもりはありません。なんでも、確率とか可能性の問題であって、それも正式に統計をとって確認されたものでなければ「重症化しない可能性がある」とかそんなことしか言えないのが、正解なのです。統計をとって確認ができれば「重症化しない場合が増える」とか、もうちょっと強いことが言えるようになるけれども、それでも100%とはいえない。言葉とは、そういう微妙なところで正確さを表現するために、繊細に気を遣って使わなければいけないものなんだと思います。そうやって気を遣っても、誤解される可能性とかいくらでもある気がします。