22年9月28日

 本日は群馬にお出掛け。群馬木曽三社、木曽三柱、八大龍王宮、三夜沢赤城神社、二宮赤城神社、運玉神社、甘楽の諏訪神社と参拝してきました。「こんにゃくパーク」は買い物とか、工場見学ができて楽しかったです。

22年9月28日

 本日は外作業と買い物。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 裁縫は、今忙しいのでちょっとお休み中。

 テレビは昨夜は「ニノさん」「ガリレオ」の録画の続き、今日の昼は「News Zero」の録画を見ました。

 昨夜はなんだか夢を見て。光ちゃんとドライブをする夢で、光ちゃんがちょっと目を離した隙に「相葉君の顔をした悪者」に誘拐されそうになって、抵抗しているうちに光ちゃんが助けに来てくれる、という夢で。頑張って神社巡りをしよう、と思ったのでした。

22年9月26日

 本日は外作業と買い物。昨日は群馬・赤城大明神。一昨日は加佐美神社、御旅所、八大龍王関連、阿夫志奈神社、太部古天神社、古井神社、尾張桃太郎神社、来栖神社を参拝してきました。尾張、美濃はこれにて閉めます。

 外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 裁縫は、シャツがカフス作り、父親のシャツはボタン付け、簡易シャツは自分の分の裁断と端の始末です。

 テレビは今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

 どうもヒョウタンについて調べていたわけです。ヒョウタンというのは伏羲の象徴です。で、ヒョウタンというのは「器(うつわ)」を作る道具でもあって、ヒョウタンから作った柄杓は、「神霊の宿る杓」とされて祭祀に使ったり、かつて使われたりしていたらしい。で、柄杓といえば、「天の柄杓」とは北斗七星のことであるそうで。え、ということは、伏羲の腰にあるヒョウタン(男性原理)は「北斗七星」のことなんですか? 田縣神社に大量にあったのは「北斗七星」だったんですか? ということは、「伏羲信仰」とは「北斗信仰」のことですよねえ? 「北斗信仰」って「お前はすでに終わっている」って奴ですよねえ@@(これはちょっと違う-;)。

 ということで、田縣神社って「北斗信仰」の神社だったんだ? 大縣神社のユリアもびっくりするようなシュール過ぎる展開だ-;、と思う。だから伏羲って、単なる「占い師」ではなくて、天帝とか玉帝とかそういうものじゃないですか。先祖がそういうもので、その跡継ぎの自分も天帝とか玉帝とかそういうもの、ってそういう賀茂サマのお手盛りな主張でしょうか? とも思う-;。ヒョウタンにそういう秘密が隠されていたとはびっくりしました。「ヒョウタンから駒」ではなくて、「ヒョウタンから金刺」らしいです。えー、あんな露骨でシュールな「ご先祖サマ」ってどうなの? と思ったあたくしでした。

22年9月25日

 昨日の今日ですが赤城山に行ってきました。龍女の伝説がある、というざっくりとした情報で、

「それはうちの先祖の女媧娘娘に違いない」

と思ったから会いに行ったわけですが。どうやら赤城山にある大池は、昔は赤池と言ったらしい。参拝したら

「新羅から来た女神といっても、「阿具沼」って何のことか分かるでしょ?」

と言われる気がするわけで@@。「阿具沼」って「赤沼」のことですか。そうですか? と思う-;。

フランスでは蛇女神には2つの型があって

「見るな」の禁忌を持つものをメリジューヌ型

額に石榴石の宝石を持つ女神をヴィーヴル型と言うそうで。(「ふしぎな愛の物語」より)

「見るな」の禁忌を持つのは豊玉毘売ですが、名前の通り「赤い球」を豊玉毘売が持っているのなら、豊玉毘売はメリジューヌ型でもあり、ヴィーヴル型でもあって、この2つの型を持つ女神は本来「同じ一つのもの」であることが分かる。でも、それだと女媧娘娘に近い女神だと思うわけです。

メリジューヌ型+ヴィーヴル型に加えて、グリムの「ホレのおばさん(西王母的要素)」を加えたらだいたい

娑蘇夫人

になって、「原西王母」に近い女神になると思います。日本神話の天照大神は「皇祖神」を強調して西王母に寄せている感じがします。だからあまり「原西王母」的ではないのです。

22年9月24日

 本日は岐阜・愛知にお出掛け、ということで、飛騨、美濃、尾張はこれにて一旦締めます。よほど重要な神社が見つからない限り、しばらくは行かないこととなります。尾張でも美濃でも南信でもあちこちで「さよなら」の挨拶をして帰ってきましたし。

 で、最近、神話・伝承における「親殺し」ということをずっと悩んでいたからです。それは、諏訪大社下社で、爺婆を焼き殺す「お船祭り」という祭祀をやってるからで、これは民間に下ると、長野県の特に北信ではポピュラーな「どんど焼き」というお正月にやる行事になります。昼間やるキャンプファイヤーみたいな? 燃やすものを組んで、書き初めとかお餅とか焼いて食べる行事なわけです。地域とか小学校とかでやっているはず。私の子供の頃は小学校でやっていました。母親の子供の頃は「爺の山」と「婆の山」の2つを組んでやってた、と聞いた気がします。なんでこんなやばい行事がまかり通るのか? と思う。親と一緒に餅を焼いて食べるのですかね? シュールが過ぎる;、と思う。

 で、あちこち回っていると「家に帰ったら禹(う)の息子の啓を調べてごらん」と言われる気がするわけで。鯀(こん)・禹(う)とは古代中国の治水の親子神であって黄帝の子孫と言われています。禹は塗山氏の女性と結婚して啓をもうけましたが、母親は神話では出産の時に死んだ、と言われている。そして、啓は父親の死後、異母兄を倒したり、益というライバルを倒したりしています。「異母兄を倒して帝位につく」って、それは「応神天皇のモデル」でしょ、とすぐ思う。応神天皇は母親は生きているけど、父親が生まれる前に死んでいます。・・・なんで啓と応神天皇で、早くに死んだ親の性別が入れ替わってるのか? と思う。

 で、益というのは動物の言葉が分かる人物だった、とかで、それはいわゆる「動物番」のことで、「黄帝」と同じ性質じゃん? と思う。ということは、益とは黄帝=禹=羿のことで、母親の方は塗山氏=嫦娥のことだよねえ? 「親殺し」とか「父親から帝位を簒奪した」とか言われたくないから益とは他人ということにしてるわけだ。どうせ入り婿だし、ということでー;。で、啓自身は黄帝の息子であるにもかかわらず、

「自分が両親を殺して継ぐ帝位は炎帝(啓にとっては母方の叔父)の後継者ということである。そのことを子々孫々まで忘れないように」

ということで、爺婆を焼き殺す祭祀とか神話を大量に生産したのだと思われます。でも、そういう世間体の悪いのが先祖って言いたくないので、祭祀は祭祀で始祖の教え通りに爺婆を焼き殺す祭祀を行っているけれども、「殺した母親」は祖母に移して失踪したことにし、「殺した父親」は「入り婿だから最初からあんまり家族扱いでない」ということにして作り上げたのが

賀茂の角(祖父)=失踪した祖母(あかるひめ)

入り婿(殺された黄帝である火雷神)=母である玉依姫

賀茂別雷命(啓)

という3代の系図なのだと思われます。これを天皇家の系図に応用するときに

仲哀天皇(殺された黄帝)=神宮皇后(賀茂の血を引く皇后)

応神天皇(啓)

と略してるのだと思います。だから岡谷の小井川賀茂神社には賀茂別雷命(啓)と応神天皇(啓)が祀られてるのでは。どっちも「簒奪をこそ誇るありがたいご先祖サマだから?」と思う(こっちは焼き殺さないのね、なるほどねー;)。

というわけで、魚の神である鯀はメソポタミアでいうところのエンキであって「鯉」だと思うわけですが。本日は某所で鯉に餌をあげて慰撫してきたわけで。で、禹というのは日本でいうところの「八大龍王」とかそういうものだと思うわけですが、それも参拝して来て。鯉に親切にして啓を見つけた。だいたい7000年くらい前の人だと思うので、「夏の王」というのであれば、「夏」というのは大渓文化のことなんじゃないでしょうかね? と思うわけですが。

炎帝というのは日本の神話では、ものすごく簡単に纏めると須佐之男のことなので。火雷神(イザナギ)と天照大神(イザナミ)を焼き殺して須佐之男とその後継者(直系の子孫ではない、実は)が帝位に就きますよ、そんな感じ?? という気がしてならないわけです。