22年10月9日

 本日は外作業のみ。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 裁縫は、引き続きお休み中。

 テレビは、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

22年10月8日

 本日は遠州事任八幡宮、島田大井神社、駿河駿府八幡宮、軍神社、天之羽衣神社、御穂神社、と広い範囲を頑張って回ってきました。ダイエットのため、コンニャクでイレウスを起こすんじゃないか、と思うくらいコンニャクをガツガツと食べています-;。現代社会の神とはサトイモではなくてコンニャクイモだと思うくらいであるー;。というか、色々と強烈な旅であってー;。

 事任八幡宮は祭神は己等乃麻知媛命(ことのまちひめのみこと)と言う。言葉のままに願いをなんでもかなえてくれる神だそうで。古代社会でこういう「汎用性の高い神様」は非常に珍しいわけです。大抵の神様は部族神か、職能神である。古代は職業が世襲制なので、部族神と職能神が被ることもままある。というわけで、現代の宗教思想に近い神様を持っていて、かつ駿河の国、と言ったら「常世神?」と思うわけで、「イモムシの女神?」と思う。

大井神社は丁度お祭りの最中で。3年に一度の祭りらしいです。大井大神とは、弥都波能売神(みづはめ)、波邇夜須比売神(はにやすひめ)、天照皇大神のことだそう。けっこう頑張って回ってきました。

22年10月7日

 本日は雨が降ったので外作業はお休みです。

 今までのまとめとして、尾張の古いカモカモさんたちの「古い祖神」達をたくさん見てきたわけです。浜松の龍蛇女神も素晴らしかったし。その一方で「あれ?」と思うものにちょいちょい出会うようになりました。遠州蜂前神社、甲斐勝手神社です。どちらも建御雷神他、男神をいくつか祀る。だけど、東洋ではそもそも「男性形の雷神信仰」はそれほど盛んではなかったのです。三星堆の神人像とか祝融とか三足烏とか炎帝とか、どちらかといえば「太陽神」「火神」信仰の方が強い。黄帝を明確に「雷神」というようになったのは袁珂大先生の時代からだから、せいぜいここ5~60年くらいの新しい神話といえる-;。

 で、特に山海経で顕著だし、日本神話で顕著だけれども、北東アジアから日本にかけては母神として、「雷神寄りの天候神」であるところの龍蛇女神信仰がとても強かったわけです。それが「太陽女神」であることはみんな分かっているわけですが、ともかく西王母も女媧女神もかなり古く、中国の中央では、良渚以降、太陽神としての性質を失いつつあって、今では見る影もないのに、日本神話で唐突に「天照大御神」として母女神が復活するわけで、それも変といえば変なのですが。まあ、「太陽女神信仰」の原点となる氏族の神だから、よくよく古い信仰が残っていた、とも言えるけれども、でも、もっと一般的には「雷女龍女」の方がよくよく愛されていたわけで。

 で、蜂前と勝手を見て思ったわけですが、この2つは「服部」を名乗る「秦氏」の神社だと思うわけです。秦氏は、古代におけるカモカモカモ団の「新興宗教創造部門」の担当者であって、それまでの神話的パターンを逸脱した神々を大量に作り出してる。そして、「なんでも男神のもの」にするようにしているわけで。唯一の女神と言える稲荷神もごくごく低い地位に置かれているし、これも男神に作り替えようとした形跡があります。で、中国で今でも「月の女神」と考えられている嫦娥の古代日本における地位を、男の「月読命」に置き換えて、かつ「月読命」を須佐之男に統合しようとしてたのではないか、と思うわけです。でも、記紀神話を「書いて」残してしまったからそれはできなくなったわけで。書くと神話はそれ以上変えられなくなるからです。で、月には「桂の木」が生えていて、その葉をついて、兎が「不老不死の薬」を作る。兎さんは嫦娥女神の部下である。という伝承が古代中国にはあるわけです。で、死んで「木」に化けるのは炎帝の典型的パターンであるので、炎帝蚩尤という名の盤古は、殺されて地上においては楓、月においては桂に化けました。そして、永遠にそのままでいるはずだった・・・わけですが。このよくよく古い「男の月神」ともいえない炎帝の6000年くらい前の思想をどっかから掘り出してきて復活させたのが、秦氏の「月の男神」であり、日本の月読命なんだと思う。秦氏は最初、「月の木」に「桂」ではなく「楓」の字を当てようとしており、蚩尤を意識していたことは明白です。なぜ、わざわざよくよく古い時代の、もう「神」とも言われなくなって、嫦娥の持ち物みたいになっていた「桂の木」を神格化したのか、どうやってそれを炎帝蚩尤だと突き止めたのか、という点が、非常に気味悪く感じるわけです。でも、ローマ人ならわけないよね? 殺されて欠けて転落した「月の神」が男のサートゥルヌスだって、彼らなら知っているはず。北欧の月神も、ヒッタイトの月神も「男神」であり、射落とされて、天に復活させねばならなかった神話は残ってたはずだから。

 ということで、男神好きな秦氏に思うことはただ一つ。彼らが求めたものは、最終的には「唯一の男神」への神々の統合であって、世界的に非常に広く信じられていた「月の女神アルテミスとその同類達」を血祭りに上げることが彼らの最大の目的だったわけです。で、男神好きなカモカモカモ団の上の方に気に入られて、カモカモカモ団に就職したローマ人が秦氏かと思われます。あくまでも「就職」なんだよね。下の方に勝手な支配なんかさせるほどカモカモカモ団の上の方はお人好しではないはず-;。

 しかし、その一方で、「女神信仰の原点を万難を排して残さなければならない」という人達もいました。何故なら、「敵と戦うためには正当性が必要である。強いだけでは駄目だ。」ということで。そういう人たちは、彼らは彼らで「月の女神」は廃したかったわけだ。何故なら「太陽女神」こそが本来の「公平と平等の神」であり、弱者の保護者であったからである。差別主義者の男の神をのさばらしておくと、「差別と搾取」こそが「正しいこと」になってしまって、それに対抗するための「正当性」がまずなくなってしまう。正当性がないと、どんなに強くて勝っても「悪者」扱いされるだけである。それは歴史が証明している。「勝てば官軍」なんてのは狭い島国だけで通用する理論であって、広い世界全体には通用しない。というわけで、正史には天照大御神を、民間には弥生の人も縄文の人も、みんなが大好きな「沙姫」あるいは「佐保姫」と呼ばれる女神をできるだけ残したわけだ。「公平と平等の神」がいてくれてこそ、「公平と平等こそが正しいことだ」と主張できるのである。

 というわけで、「強くて勝っただけで、正当性で負けてしまった人」は、カモカモ族の「もののふ」達に、「お前は一兵卒になれ」と言って将官をクビになってしまいました。軍事階級は軍事階級で「勝利と軍事の女神」である「母神」が大好きなので、「男に変えろ」って言われると「嫌だ」と思う超保守的な人が多かったわけです。だって、命を賭けて戦うのは軍人達だから、上が適当に作った神様なんかに勝利を祈りたくなかったわけだ-;。世界に誇るカモカモ族の「軍事階級」は強力な「母神」の下に成立し、存続してきたものだから。だから、母神信仰を残したい人達は、「女神信仰の原点を万難を排して残さなければならない」という「外の人達」と組むことにしました。互いの目的が一致したからである。「外の人達」はおそらくエフェソスから来た人たちだと思われますが、中東のシャプシュを始めとした太陽女神のことを知っていたし、中東の太陽女神と女媧娘娘が「同じ起源の太陽女神」だということも知ればすぐに理解したであろうと思われる。そして、ギリシアのアリアドネーとメソポタミアのアヤ(下位の太陽女神)が「同じ神」であることを知っていたと思う。たぶん、日本神話で「アズ」「イズ」「ウズ」「イザ」とつく雷女(下位の太陽女神)が山ほどいるのは、「どんなに潰されてもどれか残るように大量生産しておけ。それがアリアドネーで太陽女神だと分かるように。」ていうので残したのではないかと思うほどである。こうして、「人身御供を廃して公平と公正を求めた黄帝を勝たせた女神であるところの西王母」は遙か西方からブーメランのように戻ってきて、そういう当たり前の話がとっくの昔に消されてしまっていた東アジアの端に矢のように刺さって居着いたわけだ。でもあたくしは「母系の太母」である太陽女神は「夫のために死するアリアドネー」であってはいけない、と思うのですよ。人は死ぬし、太陽女神の代理人である現人神の女神も死ぬであろうと思う。でも、太陽女神は不死で永遠でなければならないのです。さればこそ、永遠の公平と平等は太陽の下に保証され得る。古事記の天照大御神神話には、そもそもその点に「欠陥」があるのです。岩戸神話はあってはならなかったものだ、とあたくしが厳しく添削して差し上げましょう。

22年10月6日_2

 本日は外作業のみ。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 裁縫は、引き続きお休み中。ともかく、やらなければいけないことが多すぎです。

 テレビは、今日の昼は「ブンブブーン」の録画を見ました。

22年10月6日

 さて。馬王堆漢墓(ばおうたいかんぼ)帛画の王母娘娘がなんで「燭陰」に変更されてしまったのか、そろそろ説明できるだろう、と言われる気がします。できるんだけど、そもそも王母娘娘を燭陰に変更したのがうちの先祖の「啓」なんじゃん? みんななんだかんだ言って啓君が好きだから変えたがるんだよーー;。

 ということで、なんだかんだ言って、これは城背渓文化の「太陽神石刻」と関係するわけです。「太陽を頭に頂いた巨人」の「部族的固有名詞」を明確に残しているのは、日本人だけだから、日本人ならこの名前がちょっと勉強すればすぐ分かるわけですが、本場の中国の人の方が分かりにくくなっているのですよ。

「太陽神石刻」を見て「うは、須佐之男と櫛名田比売」と言った人がいたら、どこの誰でも私は百点満点を上げます。櫛と阿加流比売神の赤珠が同じものである、って書いてくれれば更に20点追加して120点あげちゃう(笑)。これを「ウィルビウスとアルテミス」と言った人がいたら、そこまでたどり着いた努力賞で30点上げます。

 燭陰というのは「原西王母」である龍蛇形の太陽女神を男性形に変更したものです。これを人型にしたものが盤古である。盤古とは、元は「太陽女神」の息子や兄弟とかもうちょっと時代が下ると「夫」で現され、太陽女神の財産や権利を代理で施行できるものとなります。これが「瓜」で現されると伏羲になります。太陽女神を頭に乗せて支える「巨人」として現されると盤古となり、「開拓」とか「世界の礎」の巨人となります。日本ではダイダラボッチなどど言います(ダイダラボッチも金刺カモカモの本拠地である長野県の神サマでして。個人的には饕餮坊と呼んであげて、と思うわけですが)。

 この巨人は

樹木神
首長神
盤古型巨人

へと別れていき、別れた始めの方はそれぞれに性質が交錯しますが、分離すると独立した性質を持つようになります。樹木神としては、扶桑樹、蚩尤の象徴である楓(桂)、首長神としては炎帝、日本の須佐之男へと分化しました。伏羲は瓜から出発して、人型を得、太陽女神の配偶神にまで成長しました。同じ流れで、太陽女神と同じ「龍蛇形」を取るようになったのが燭陰ですし、人型が更に巨大化したのが盤古です。だから、盤古、燭陰、伏羲はかなり近い性格の神々なのです。ヒョウタン伏羲は金刺カモカモのトレードマークだよー、ということで-;。須佐之男盤古も祖神扱いだしー;。桂が「月」なのは、炎帝が黄帝に殺されて月になってしまったからです。台湾の射日神話なんかはそういう話が多い。でも、炎帝の後継者を自認する啓君が生きかえらせたことにしてしまったので、三星堆遺跡の「炎帝巨人」像には手足がついています。うちの須佐之男にも手足はついているのよー、ということで須佐之男と三星堆遺跡の「炎帝巨人」像は思想的に非常に近しい間柄のアルクマ君たちなのかと思うわけですが-;。

で、祝融との関連ですが、私は個人的には「神が火の雨を降らせた」とかそういう超常的な神話は「観念的な神」の仕業で良いと思うわけです。人間にはそんなことできませんので。でも「誰かが誰かを焼き殺した」というのは具体的であり、かつ「人間でも可能なこと」です。神と呼ばれるものが、「人間でも可能なこと」をわざわざやってる時には、それは「モデルとなる実在の人物がいたのだろう」と個人的には考えるようにしています。要は祝融は炎帝になぞらえられている「実在の人物」がモデルにいたと考えています。啓・祝融はおそらく同じ人物、あるいはものすごく近しく思想を一にしている人物と考えます。だから、本当は啓とか祝融を「神」と呼ぶにはあまり相応しくない、と思うわけですが。中国にも日とか火に関する神なんていくらでもいるでしょ。人を焼き殺すようなのをわざわざ取り上げて「神」なんて呼ぶのはセンスがどうなのでしょうか。古代の神を語るなら普通に「炎帝」で良いと思うわけですが-;、と個人的には思います。