22年12月6日

 そうえいば、今日外出している時に、

「黒い服を着て、小さな子供を抱いている男の人」

がいて。子供は黒い服を着ていなくて。服装は普通なのだけれども、いかにも、なんだかこれ見よがしな感じで、親と「あれ、なんだろうね」と話していて。

要は、抱いている方は、それは「太陽女神を保護する」という名目で、「太陽を捕まえて影で操って好き勝手にやる」、という「略奪文化の遊牧民の長」の姿であると思う。闇夜に隠れて略奪を行う彼らは、「夜(闇)」とか「星」で象徴される。だから「黒い服」を着てる。忍者のユニフォームも黒だし。抱かれていた子供は「太陽の象徴」であったと思う。小さな子供は親の言いなりになるしかありませんのでね。「太陽はいつまでも小さな子供のようであれ」ということだと思う。

ということで、あの二人は、カモカモカモ強盗団の理想とする「父と娘」の姿なのだと思う。でも、父親というのは死んでいて、北極星という「死神」にもなった神のことなのでもある。というか、「死んだ人」を星になぞらえて、「星のような神になった」と考えることは、「故人を偲ぶ」という点では、まあ、悪くもないかな、と思う点もないでもない。だけど、もし、「死んだ人」が「生まれ変わる能力を持っている人」であって、古代の人の概念では「死なない人」であったならば、そういう人が「死んで星になった」というのは「嘘」ということになるよねえ? だって、その人は死んでも、いずれまた、普通(かどうかはともかくとして)に人として生まれてくるんじゃん? と思う。そうやって、何回も生まれ変わっている人を「王」と仰いで、ずっと言うことを聞いてきているのに、口先では「天の神(北極星)のお告げだからああしろ、こうしろ」って言うのは変だよねえ? 相手が何回生まれ変わった人間であろうが「生きている人の指図で動いている」ことに変わりはないんじゃん? と思う。

で、要は「天の神」とは「生きているただ一人の人」ということになってしまうのだけれども、その人は、それを暴かれるのが嫌で、それで「輪廻転生」という概念を作り出したわけだ。「輪廻転生」となると、誰でも彼でも生まれ変わることになってしまうので、「ただ一人の特別な立場の人」だけが何回も生まれ変わって世界を支配している、ということが薄れてしまう。しかも、現代では「輪廻転生」なんてほぼ迷信であり得ないこと、とされているから、「世界を支配しているただ一人の人」は完全にその存在を隠していられる。何故なら彼の存在根拠は「何度も生まれかわる王である」ということだから、「生まれ変わり」がなければ彼もまた存在しないことになってしまうからである。そうすると、人々を食い物にしてる「死神」は「生きている人」であるのに、永遠に捕まえられないことになる。だって、「生まれ変わり」なんてないから「永遠に生きる死神(人間)」も存在し得ない、となるからである。だから、その「死神」が目の前にいても、人々は彼のことを「死神」と認識できない。「永遠に生きる死神(人間)」は存在しないことになっているからである。だから分かっていても、彼は「目には見えない神」なのである。人の目には普通の人間にしか見えないからだ。

ということで、遙か昔に、こういう状況を憂えて、『悪いことは元から正さねばならないのに、このままでは正すことができない。元にいる死神が「いないこと」になっていて、「いない」が故に正すことができないからである。誰か、他に「生まれ変わる人」を新たに「神」に立てて、神を取り替えなければならない。そうしないと、「神」そのものを正すことができない。』と言ったアリストテレスという人がいたらしい。それを聞いた彼の師匠のプラトンは『だったら君が行きなさい。君も「生まれ変わる人」なのだから、君が死神を廃し、新たな神として立て。』と言ったらしい@@。

しかし、ともかく、今日見た二人組の黒服の大人の方は、生きている人間のくせに「自分は死んで天の神になった」と自称している葉っぱの神サマ夢窓疎石をなぞらえているのだと思う。子供の方は「捕まっている太陽女神」だからあたくしのことかと。というか、こうやってだんだん正体が見えてくるのだから、池宮の坊主の怨霊を外したのは良かったのかも、と思う。相手は、要は「怨霊を操る」シャーマンなのだと思う。怨霊が多いほど力を得る。あたくしは「怨霊を片付ける」シャーマンだから、相容れるわけがないのであるー;。

22年12月5日

 本日は買い物。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等でした。私はお休みでした。

 裁縫はお休み。

 テレビは、昨夜は「行列」、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

 昨日は大我君の誕生日でした。おめでとうございます<(_ _)>。

22年12月4日

 本日は外作業と買い物。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等でした。私は土の清掃、土掘りでした。昨日あたりから急に寒くなっています。

 裁縫はお休み。

 テレビは、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

 昨日は静岡へ出かけ、御前崎を中心に静岡白羽、駒形、御前、渚の宮、池宮、高松、三熊野を回ってきました。何故御前崎に行ったかというと、そこが富士信仰と関連したレイラインの起点らしい、と久能山で読んだから。白羽神社と駒形神社は一体のものであって、駒形神社が「元宮」と言われてるらしいです。祭神はニニギ、豊玉毘売、玉依姫なので、賀茂系でもあり、竜宮(常世)信仰的でもあり、と思います。白羽の方は「服」にも関する神社とかで、秦氏の気配がチラホラとする気がします。駒形は馬ですから、たぶん祭祀で馬を殺して海に奉じてたのかなあ、と思います。殺牛よりも殺馬の祭祀の方がちょっと珍しい気がしますし、場所柄と祭神からいって富士信仰と関連すると思います。此花咲也姫は織物にも関連しますし、元々馬は絹の豊穣に関する生贄でもあるので。ということで、馬娘頭といえば中国、中国といえば金刺、とそういう匂いもぷんぷんする気がー;。金刺氏と秦氏の分布範囲は重なりますし、やはり富士信仰には金刺氏が関わっているなー、と思う。

 で、池宮神社。法然の師匠とかいうのが取り憑いている池があってー;。今では「池の水を大事に」とかっていって、鯉の餌も水を汚すものは禁止されているというのに、人間の死体を池に投げ込むとはどーゆーことか。死にたければ地元の海にでも飛び込めば良かったのに、と思う-;。諏訪湖は「遠州サナキの池」と湖底で繋がっているという伝承があり、こちらの桜ヶ池のことでも良いかと個人的には思う。ともかく、入水した坊主は熊本の出だそうで。熊本の国造って言ったら、信濃国造金刺氏の親戚筋である。池宮はどう見ても、建御名方命が祀られているし、織女の瀬織津姫が祭神だし、瀬織津姫なんて八坂刀売とか此花咲也姫とかの同類項なので、「下社」という言葉が頭の中をぐるぐる回る。長野から車で高速を飛ばして5時間もかかるのに、出会うのは下社と関連してそうな、どう見ても親戚の坊主の怨霊である。諸行が無常すぎて泣きそうでしょ、怨霊の調伏は疲れるから嫌なのにー、と思うけれどもやることはやる-;。まあ、お参りするだけなんだけれども。馬の怨霊とか、動物霊はともかく坊主の怨霊とか、静岡はその手の話が多い気がします;。鯉の餌売りのおばさんと、禰宜のおばさんがなんだかちょっと嬉しそうだった気がするのが救いだった気がするわけで。

 で、家に帰ったら『ベストアーティスト』の最後のところ、ゆずの兄さん達のところだけがリアルタイムで見れて。翔くんが嬉しそうな顔をしていた気がして、それにも救われて。で、寝ようとしたら

「羿が10個の太陽を射落とした、と言っても、そもそも太陽が一度に10個も出るはずないでしょ。羿が射落としたという9羽の烏(太陽)は北斗七星のことなんじゃないの。」と言われる気がするわけで@@。だいたい「人は死ぬと星になる」と言う。天の中心は北極星である、というのが古代中国の考え方である。太陽神が殺されて死んだら、北極星という名の烏になるんじゃないの? と思う。北斗七星は古代中国では星が7つ固定ではなくて、8個とか9個とも言われていて。「八咫烏」とは「北斗七星」のことか? と思う。人間の生死を定め、天変地異や災害、戦争の有無を定めるのも北斗七星である。では、「我こそが八咫烏である」と公然と名乗る者がいたらどうなる? その者こそが、災害や戦争を自在に起こせる者、とならないだろうか。それって、土木建築工事でわざと後でおかしくなるように手抜き工事したり、戦争の時に捕虜を虐待して後々まで恨まれて、互いに憎しみ合うように仕向けたり、ってそういうことをわざとやらせる人のことだよねえ? と思う。特に7000年前から代々、そういうことを心がけて来た一族がいるらしい。彼らの祖神は、死して北極星となった「啓」なのだと思う。太陽も月も彼の道具に過ぎぬ。・・・・というか、「啓」が「生まれ変わることのできる人」であるならば、その人は人類が続く限り「死なない人」でもある。まさに、永遠を生きる北極星であり、神である啓サマですか、へー、ということで-;。御前崎に行ったら、こういうことが分かるようになった? らしいです。兄さん達も「祝(ほうり)」として大活躍ですな<(_ _)>。

22年12月2日

 本日は外作業と買い物。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等でした。私は土の清掃でした。

 裁縫はお休み。どうも寝るときに膝が辛いので「抱き枕」を買って貰いました。寝やすくなるといいな・・・。

 テレビは、昨夜は「VS魂」、今日の昼は昨夜の「夜会」の録画を見ました。

22年12月1日

 本日は外作業のみ。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等でした。私は土掘り、土の清掃でした。

 裁縫はボタンホールの作成、端の始末を少し。

 テレビは、今日の昼は「ブンブブーン」の録画を見ました。

 昨日は山梨神部神社、玉諸神社、山王権現、秋葉神社、熊野神社、熊野下の宮、富士浅間神社、管田神社、柚ノ木熊野神社、八代熊野神社、朝木熊野神社、稲積神社他塩山の寺を参拝してきました。山梨の熊野神社は須佐之男命を祭神といていないところが多くて、起源の古い所が多いな、と思いました。甲斐国熊野四所は、塩山の熊野神社、柚ノ木熊野神社、八代熊野神社、朝木熊野神社らしいです。一日で頑張って踏破しました。