22年12月11日

 本日は外作業と買い物。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉はお休み、私は土の清掃でした。

 裁縫はお休み。

 今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

 親に「ヒョウタンは食べられないけど、水を入れる器になるよ。」と言われたわけで。それは分かっているわけですが、ヒョウタンは日本でもまあまあ「縁起物」の部類に入るし、それは朝鮮でも中国でも同じであって、非常に古い時代から「信仰の対象」であって、その名残が「縁起物」として残っているわけです。で、水筒みたいに使うだけではなくて、縦にわって柄杓として使っていたわけです。で、仁徳天皇の時代の茨田堤という堤防を築く際の人身御供の選抜の占いにヒョウタンを使った、という伝承があって祭祀とも大きく関わる物品なわけ。更埴条理・屋代遺跡群からはヒョウタンで作った杓が発見されており、農業の豊穣に関わる祭祀に使用されていた可能性があります。柄杓といえば「北斗の柄杓」であって、「天からもたらされる水」の制御は古代の人々にとって重要事項であり、農業の豊穣とも大きく関係します。そして、その制御は古代中国においては西王母が北斗の柄杓を制御すると考えられていましたが、時代が下ると「不変の北斗の星々」は王権と関わるようになって、それ自体が「天帝」として直接信仰の対象となるようになりました。柄杓そのものは、神社で手水を使う際に今でも使われるので、今ではヒョウタンで作った柄杓は使ってなくても、これも水と柄杓とヒョウタンに関する伏羲信仰・北斗信仰の名残といえます。

 ということで、あたくしは神社に参拝するときは、手水は直接流水で手を清めることにしていて、柄杓は使いません。御穂神社はなんだかんだいって祭神が出雲系であって、出雲系の人々がちょっと噛んでいる気配がするわけで、某所にあることにかこつけて「穴のあいた柄杓」を奉納すう習慣があります。「すげー、これが『柄杓(伏羲)なんて役に立たなくなってしまえ』という趣旨の「対抗呪術」では。」と内心想像しているわけですが。こういう細かい所に実は日頃からちょっと注意を払っていたりします。最近ではコロナ禍で手水に柄杓を使わなくなった神社も多いですし。

 ということで、日本の古代遺跡から「ヒョウタンの種」が出てきたら、もう、伏羲信仰とか雨乞いとか、北斗信仰とかそんな関連のものと思った方が良いです。稲作農耕民は太陽信仰なんてとんでもないですよ。太陽女神はとっくに殺されて幽霊になり、月とか金星に作り替えられてしまっているので。人々が「太陽」と呼んでいる物は太陽女神を殺した者の腹の中にいて消化されずに残っている残骸か糞くらいに思っていた方が良いです。人々は「太陽女神を拝む」といって、女神の死体である「今の太陽」を拝むふりをして、「太陽を食べてしまって腹の中に太陽の死体を抱えている巨大な八咫烏(啓)」を拝んでいるのです。その姿は巨大すぎてかつ透明だから人々の目には見えません。でも、ときどき北斗七星の中にアルコルとして見えることもあるわけだ。

 昨日は稲垣君のお誕生日でした。おめでとございます<(_ _)>。

22年12月11日

 本日は静岡行き。川除地蔵尊、小梳神社、別雷神社、伊河麻神社、登呂遺跡、羽車神社を参拝してきました。良く晴れていて暖かく、富士山が良く見えました。

 登呂遺跡は親のリクエストがあって行ってきました。静岡へ行ったらどこかで見る機会があれば「どうする家康」のポスターを見たいと思っていましたが、登呂遺跡博物館で見ることができました。ラッキーでした。

 で、伊河麻神社。群馬には「伊香保神社」という神社・地名がありますが、これは「怒れる穂(火山にして稲穂の神)」という意味で榛名山のことだと言われています。ということは「伊河麻」というのは「怒れる麻(火山にして麻の神)」という意味で、富士山のことではないか、と思うわけです。他に近くに目立つ火山なんてないし。・・・火山の神サマに、穀物の豊穣ではなくて、麻の豊穣を祈るの? そりゃあ、主食よりもよっぽど大事なものだよねえ? 大麻の原料だもんねえ? と思う時点で、「なんかもうキレそう」と思う-;。ダイエット中でお腹もすいているしー;。

 登呂遺跡。民俗学者がこういうところを覗くと、民俗学しか見ない、ということで。「稲作民族には鳥信仰がつきもの」みたいなアバウトな説明書きがあって、出土した「鳥形」が展示されていました。その鳥がどういう鳥なのかが大問題である。ちなみに、「鳥神」は別に稲作民族の特許ではないので。あちこちにあらゆる形で出てきます。現在「神と獣の紋様学」という中国の獣面紋の本を読んでいるわけですが、「空飛ぶ鳥熊しか出てこねーだろ」という惨状なので、こちらも「なんかもうキレそう」という感じであって-;。登呂の「鳥神」なんて十中八、九、八咫烏か「空飛ぶ鳥熊」だと思う。「空飛ぶ鳥熊」って何のことかというと「北斗七星とそれ関連の星神のこと」です。おおぐま座・こぐま座あるいは「天の荷車」と言われるものです。でも、荷車でなくても普通に戦車とか、そういう乗り物で良いと思う。ともかく、これらの星々は「地平に沈まない星」ということで「不死の星」と考えられていて、「不死の象徴」だったわけです。というか、古代世界にはそううことだけ考えつくのが得意なうちの先祖がいたわけですな-;。

 というわけで、「鳥形」を見て「どうせアルクマ」と思うあたくしである。炎帝のなれの果てである。

 で、遺跡から出土した種類の中に「フクベ」だの「センナリビョウタン」だのがあって、またまた「なんかもうキレそう」と思う-;。それは瓢箪小僧の伏羲であって、これまた「北斗七星」の象徴である。だいたい、そういう意味がなかったら、なんでわざわざ瓢箪なんて食べられない物をせっせと作るのか、と思う。しかも、なんで瓢箪なんか作ってたのか説明が一切ないし。2500年も経ってても、「なんで瓢箪を作ってたのか言ってはいけないことになってるんですかねえ?」と思って、更に「なんかもうキレそう」と思う-;。その瓢箪小僧は、うちの先祖のアルクマのトーテムの一つである。(熊そのものもトーテムなんだけれども)

 で、遺跡から麻布が出てきたってあって、もう「ブチキレそう」と思う。そして麻なんぞ、どこでどう作ってたのか、という点はやはり一切説明なし。水稲耕作と大麻と恐喝を使って現地住民を支配して甘い汁を吸ってた奴らがいただろう、いや、いたに決まってるーーー、と思うー;。そいつらの神サマが富士山であり、伊河麻神社なんじゃございませんのかねえ? と思う。

 で、鉄器を使ってたって見ると、それは金山彦の管轄ー、と思う。鉄器で木工芸をやってたって見ると、それは五十猛神の管轄ー、と思う。

 で、神明作りの神殿があって、琴を使って祭祀をやってた、ってあって「うへー」と思う。熊襲を撃つときに仲哀天皇が琴を弾いて神を下ろして占いを行ったという故事の通り、それは男性が「神を降ろす祭祀者」であると同時に、異界から何か祟ると考えられていたものを降ろす祭祀をやっていた証拠でもある。だって、仲哀天皇はそういったものの「祟り」で死んだことになってるし。だいたい、そうやって祟るものは、死んだ先祖だって、たぶん読み進めると「神と獣の紋様学」に書いてあると思う。彼らが祟らないように子孫や人々は祭祀を行い、奉仕を行わなければならないわけです。

 ということで、弥生中期からすでに古墳時代から現代にまで通じる日本の神々や祭祀の原型がすでに弥生中期には揃っていたこと、そしてそういうものの周辺にちらつく「麻の葉っぱ」というものの汚さに愕然とする(泣)。

 で、空腹その他で「キレそう」な心をお昼ご飯で癒やしてから羽車神社に行く。Wikipediaには、『三保の松原には「羽衣の松」があり、羽衣の松から御穂神社社頭までは松並木が続くが、この並木道は羽衣の松を依代として降臨した神が御穂神社に至るための道とされ「神の道」と称される。現在でも筒粥神事では海岸において神迎えの儀式が行われるが、その際に神の依りついたひもろぎは松並木を通って境内にもたらされる。これらから、御穂神社の祭祀は海の彼方の「常世国」から神を迎える常世信仰にあると考えられている。』とあるわけで、神々は「羽車」に乗って降臨してくると考えられてる。「羽車」って何? って、それはおそらく「北斗の車」のことであると思う。静岡じゃ、もう2500年もの伝統ある「北斗信仰」であって、それは常世信仰とも関連しているわけです。「常世」とは「永久に変わらない神の世界」であって、北斗七星他は「永久に沈まない神々」だから。

 というわけで、麻と瓢箪と水稲耕作、の三拍子が揃っている登呂遺跡を見学して、あたくしはどうしてもその先に同じ文化である「更埴条理遺跡」を見てしまう。そこでは、おそらく豊穣か治水に関して、「川に人を逆さづりにして生贄にしてた」と思われる祭りが今も行われている。麻は今でも鬼無里で作られているし、誰もどういうわけか深く言わないけれども「大麻取りしまり法」ができるまで麻糸の商売で大もうけしてた商人は近くにけっこういたはず。だいたい、うちのじいさんがそういう麻糸商人だったわけだし。

 静岡も治水と人身御供の伝説には事欠かないところで、安倍川、富士川、田子の浦とゴロゴロしてる。大麻と水稲耕作技術と「逆らったら生贄にされる」という恐怖政治の3点セットが2500年前に存在したとして、誰がそういうとんでもない政治をしてたのですかねえ? イオタケの家系、多氏の人々なんじゃないの? と思うわけです。

 で、ともかく帰る時に、ガソリンスタンドに寄ったら、なんだかまーくんの曲が流れていて。「スタンドの人がファンなのかな?」と思っていたらラジオであって。「あー、土曜日だー、魂のラジオだー」と思い出したのでした。今日はまーくんの曲をたくさん聴いて頑張ったのでした。

22年12月9日

 本日は外作業と買い物。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私はお休みでした。

 裁縫はお休み。

今日の昼は昨夜の「夜会」の録画を見ました。

22年12月8日

昨日は山梨神明社諏訪神社、鬼島神明社、蹴裂大明神、鈴鹿神社、富士浅間神社、弓削神社、熊野神社、御崎神社を参拝してきました。山梨もそろそろ締めの準備かと思います。

 本日は外作業のみ。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 裁縫はお休み。

 テレビは、昨夜は帰ってきてから見れるだけ「FNS歌謡祭」を見ました。今日の昼は「ミュージックデイ」の録画の一部と先週の「夜会」の録画を見ました。

22年12月6日その2

 本日は外作業のみ。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。夕方(4時半くらい)、なんだか隣の家から子供がギャンギャン泣く声が聞こえて。だけど、その声が妙に遠く感じて。もしかして、録音でも流しているのかと思いました。

 裁縫はお休み。

 テレビは、昨夜は「食宝」と「ミュージックデイ」の録画、今日の昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。