22年12月25日

 昨日は山梨宇波刀神社x2,大瀧神社、身曾岐神社、茅野尖石考古館、諏訪大社前宮、本宮、法華禅寺、若宮八幡宮、東堀八幡宮を参拝してきました。長野県に近い宇波刀神社はいずれも諏訪神も勧請されていて「諏訪大明神」と呼ばれていたようでした。でも、元は女性に関する「女神の宮」だったらしい気配が少しだけ残っていました。これは元々伊邪那美命信仰の神社で、熊野信仰が整備されるにつれて廃れていったものと考えます。中部にはこの名前の神社がちょこちょことある気がします。「宇波刀」とは「伊邪那美刀売」のことでもあると思う。そもそも「伊邪」とか「宇」というのは兎のことだと思います。遼河文明由来の太陽女神だと思います。その子供の火之迦具土神が「火の神」ということで、この女神群は「焼き殺されて生贄にされる兎女神」と、その子供の「火の神」の組み合わせが各地で多いように思います。中国神話だと塗山氏女と啓(祝融)でよろしいかと。だいたい中部に固まってる点、「刀売」と常世信仰の神らしい名前であることからして、下社系の女神であると思う。だいたい、八上比売とか八坂刀売とか伊邪那美命の別名なんじゃん? と思う。まあ、だいたい作ったのは下・・・(以下、略-;)。

大瀧神社は瀬織津姫神、身曾岐神社は天照大御神・・・天照大御神?? と思うわけで-;。八芒星の矢羽が神紋ですが、八芒星というと「金星のイナンナ」を一番に思い出すわけで、矢は軍事に関連するものですし。なんだか、メソポタミア神話のイナンナのような「天の女神」であり軍神であるところの「太陽女神」という印章を受けます。イナンナは一般的には「金星」の女神とされていますが、本来は「天」そのものを指すもっと広い範囲の女神なわけで。金星に象徴されるのは単に彼女が「死んで生き返った」という故事に倣っているだけのことだと思う。「天の女神」で軍神で太陽女神っていうと諏訪梶の天御梶日女命しか思いつかないわけで、天照大御神といえば天照大御神なんだけどさーーー? 九天玄女でしょ、要は? という印象。八ヶ岳山麓には「この熊女神」に対する信仰に伝統があるわけで、尖石考古館にこそ「ご神体」の写しがある、という気がするわけで。八ヶ岳周辺には古くからの熊女神の信仰と、下系の常世信仰しかない気がします。ううむー;。

 で、尖石考古館。前に行った時に、撮りたかった写真がピンボケになっていたので、今回、あたくしが持っている中で一番お高いコンデジをわざわざ持って行ってきました。ちゃんと撮れてる・・・と思う。たぶん。まだ確認していませんが-;。

 諏訪大社・・・、上社しか参拝しない方針のあたくしですが、確か、諏訪大社は出雲系と言うことで二礼四拝一礼だったと記憶してたわけですが、わざわざ「二礼二拝一礼」って貼ってあって「いつからそうなった?@@」となって。なんか微妙な気分になったわけですが-;。

 法華禅寺。ともかく、諏訪に連れて行って欲しい、というご一行様がいる気がするので、今回の大きな目的はここだったわけですが。吉良義周公の墓もあるとのことでお参りさせて頂きました。で、結局「甲斐武田は最初と最後だけ残った。」と言われる気がするわけで。初代の新羅三郎義光公は武田八幡宮にいます。最後の勝頼殿は収めるところに収めることができた気がするわけで。まあまあ、良かったのかな、と思う。

 で、締めは東堀八幡宮。宗良親王に関連する神社ということで。他にも行きたいところはあったのですが、時間がなくて回れませんでした。

 裁縫もお休み。今日は病院に荷物を届けに行って来ました。

 昨夜は「SHOWチャンネル」、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

22年12月23日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、石片付け等、私は土の清掃、姉はお休みでした。

 裁縫もお休み。部屋の整頓もちょっとだけー;。膝を温存しながらちょこちょこと動き回っています。

 昨夜は「夜会」の録画など、今日の昼は日テレの音楽の特番など見ました。

22年12月22日

 昨日は深夜2時に父親が急に腹痛と吐き気を訴えて吐いて。朝には熱がなかったのですが、午後には発熱して立てなくなって。「これは通常ではないなー」ということで、救急で市民病院へ行ってきました。感染症らしくて入院して精査・加療となりました。病院に連れて行ったときは熱でぼーっとした感じでしたが、点滴をして貰ったらけっこう元気になって退屈そうにしていました。で、今日は入院に必要なものをあれこれ買い出しに行って、病院に届けて来ました。コロナのせいで、面会は全面禁止です。とりあえず、今すぐ死にそうな感じではないようです。なので、外作業は姉のみ。しかも今日は雨が降っていたし。天候もしばらくよろしくないようです。

 あたくしは膝とか腰とかがどうもよろしくないので、サポーターを買って貰ったり、部屋で足腰が冷えて、かつおかしな姿勢で過ごすことがないように椅子のついたこたつを買って貰ったりしていました。

 裁縫もお休み。

 月曜日にNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の特番、それ以後は「いただきハイジャンプ」、「ブンブブーン」先週の「夜会」の録画等を見ました。どうも最近米米の「Octave」を聴くことが多くて。「ときめき」という曲が個人的には一番好きなのですが。「自分はいくら曲を作っても『ときめき』に勝てる曲を作れない。」と言って嘆く人がいる気がするわけで@@。その曲は私が個人的に好きなだけで、そもそも米米は米米でわけのわからないFUNKみたいなものが本領だから、「ときめき」なんてよくよく米米としては邪道な曲な気がするんだけど、それについてあれこれ言われましても、というか、そういうさやわかな曲を作ったとして誰に歌わせるのですかね? 利兄さん? と微妙なことを思ったあたくしでしたー;。利兄さんは兄さんで、おどろおどろしい「難破船」とかどハマりするタイプでは、と思うわけですが-;。(桃色吐息も好きですが。)

22年12月20日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、石片付け等、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃、姉はお休みでした。

 裁縫もお休み。

 昨夜は「CDTV」の特番、今日の昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。

22年12月19日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、石片付け等、私は土の清掃、姉はお休みでした。今日もけっこう寒かったです。

 裁縫もお休み。

 昨夜は「ニノさん」、「ワルイこあつまれ」の録画、今日の昼は「ワルイこあつまれ」、「少クラプレミアム」、先週「夜会」の録画を見ました。

 今朝方はなんだか夢を見て。「Snow Man」の深沢君と何かの取材旅行?に行くことになって、行った先に一組の老夫婦がいて、夫が妻のために巨大できれいな駅を建設していた、という夢でした。

 日本では「月に兎が住んでいて、餅つきをしている」と言いますし、中国ではこれを「薬を杵でついて作っている」といいます。中国では(そして古代の日本でもそうだったけれども)、月には桂の木が生えていて、その葉から不老不死の薬が作られる、と考えられていました。中国では「月の女神」は嫦娥(あるいは西王母)ですので、兎はその部下というか、化身というか、随獣みたいな感じで働いているとされています。漢代ではすでにそう考えられていたから、紀元前300年くらいには、すでにそういう考えはできあがっていました。日本でいうと、弥生時代が始まるちょっと前くらいかと思います。

 で、古代中国では他にも、烏が太陽だったり(三足烏、日本で言うところの八咫烏)、ヒキガエルが月だったりするわけですが、こういう思想も漢代には完成していました。で、烏が太陽に関係する、ということの起源はもっと古くて良渚文化にまで遡ります。紀元前3500年ころから紀元前2200年ころです。でも、良渚文化では、一見すると兎の神格化が乏しいように見えるわけです。「月の兎」の起源はどこなの、教えて、セーラームーン、ということで-;。あれこれ調べたわけですが、その起源は中国東北部にあった紅山文化にあるように思います。紀元前4700年頃-紀元前2900年頃とのことなので、良渚と重なる時代もあるけれども、良渚よりも古い文化です。そして、中国の「玉文化」の先駆文化でもある。

 紅山文化は母系文化で、兎は「太陽女神」とみなされていました。どうも、文化は母系だけれども、シャーマンの地位は男性だったのではないか、と疑うわけです。中国東北部から極東は「熊の太母信仰」が盛んであって、それが根強く西欧にも伝播しているように思いますし、檀君神話の熊女、日本の天照大御神と「どう見ても熊でしょ」という神々はいるわけなので。これが熊とある意味類似していて、穴に住む「兎」に意図的に変更されたのではないか、と思う。猛獣から、捕食動物である小型の草食獣に変更して、その結果、戦闘とか略奪行為が当然でもあった古代において「太陽女神」の地位は低下しました。それまでは「太陽女神」といえば、熊だの獅子だの虎だの、あるいは鳥でいえばワシだのと肉食の大型獣のトーテムが割り振られて、いかにも「略奪文化の女神」らしかったのが、今度は捕まえられて殺されるだけの女神に変更されてしまったわけです。でも、そうやって勝手に変更されて困る人達もいるわけで、西方の人達はどうやって対抗というか対応したかというと、自分達の「獅子女神」にやたらと兎みたいに長い耳をつけたりとか、自分達のワシ女神に兎の耳みたいな羽をつけたりとか、そういうやり方をしました。でも真面目に兎を「春の女神」とかにした人々もいたように思う。

 ともかく、そんな感じで、「太陽女神」のトーテムが熊から兎へと大きく変更されました。兎は声帯がなくてしゃべれないそうなので、「見猿、言わざる、聞かざる」のうち「言わざる」の原型が、特に女性向けに紅山文化で作られたように思います。これはまず「神々のことに口だしするな」という意味で始められたのではないか、と思う。

 で、紅山文化(中国東北部)は、距離の近さから朝鮮、日本の文化への影響が取り沙汰されるわけですが、個人的には中原経由で入ってきたものの方、良渚とかの影響の方が強いように思います。何故なら、朝鮮、日本の古代における支配者は中国東北部から入ってきた遊牧系の人々だと思うので、彼らは熊女と天照大御神にあるように、古い熊女神信仰を持ってたと思われるからです。太陽女神の兎化は、むしろ中原に輸出するために行われたもので、龍山文化以降、浸透して、更に月の女神に書き換えられたものだと思います。書き換えた側の人々には、書き換える理由がないので熊女のまま残ったのではないか、と思う。

 紅山文化では、太陽女神を模した玉兎は木に吊して崇拝の対象としたそうで、おそらく太陽女神に対する生贄は「木に吊した」のではないか、と思います。西欧ではオーディンとかエススに対する生贄を「木に吊して」いました。太陽女神のトーテムが熊から兎に変更されて、その地位が低下したことは、やがて世界全体の女性の地位につながるわけです。古代の人々は、「神」というものは殺せるものだけれども、生き返らせて、都合の良いように作り替えられるものでもあった、と考えていたようです。例えば、盤古という巨人が死んで、天や大地や日月草木になった、という神話がありますが、天や大地や日月草木が「死んでいるもの」とはあまり考えない。盤古は死んでも、生き返って天や大地や日月草木になっているわけです。だから、それと同じように、勝手な話ですが、熊女神は死んで兎女神に生まれ変わった、ともいえます。日本神話でいえば、このプロセスは、天照大御神が死んで下光比売命になった、というようなものであると思う。台湾の神話に「太陽が死んで月になった」という話があるので、これにならえば「兎の太陽女神」は死んで「兎の月女神」に変換されたわけです。金刺氏系が中心になって、高照姫とか下光比売命を殺そうとする祭祀をやっきになってやっているのがこれに相当するかと思う。

 でもって、それに対するものとして、「兎も猪も蛙も「偽の太陽」に過ぎないのだから、矢で射て串刺しにするのが上等」ってゆーのが露骨なのが上社なのかなあ、と神長官家の資料館の「兎の串刺し」を思い出して思うあたくしがいるわけですがー;。

 ともかく、西方では紀元前2200年頃から、アッカドのサルゴン大王のもと、「男を女に生まれ変わらせる女神」というのが台頭してくる。作為的な父系化の流れに対して、「頂点に立つ神が男でなければならないのであれば、その男を女に生まれ変わらせて、太陽女神とすれば良い。そうして世界を元の姿に戻せ。」という思想が流行し始めたように思います。ううむ。

 ということで、あたくしはしばらく兎さんを追いかけないといけません。口もきけない小動物のトーテムを押しつけられた女神に対して、「自分が言うことができないことを代わりに言って欲しい。」と思っているひいじいさんがいるような気がするからですが。あたくしの愛人様はそんなひいじいさんに対して「自分だったら、とっくの昔に死に別れた妻のことを、今の妻にあれこれ言ったりしない。」と言ってくる気がしますー;。まあ、あなたは原則として女が嫌いだから、薄情なところがあっても仕方ないけどさあ?? と思うわけですがー;。