22年1月2日

 本日からは、家の中では通常運転な我が家です。ただ、買い物に出かけましたが、世間ではまだまだお休みだったり、お正月用のごちそうを買っている人が多かったです。

 本日は外作業は雪がちらつく寒さでお休みでした。。

 テレビは昨夜は昨年の「FNS歌謡祭」の録画を見て。今日の昼は「キンプル」の新年特番の録画を見ました。

23年1月1日

 昨日は栃木足利市他、樺崎八幡宮、光得寺、菅田稲荷、白鬚神社、星宮神社x2、足利織姫神社、八雲神社上社・下社、下野国一社八幡宮、上野生品神社を参拝してきました。

 本日は外作業を少しだけ。

 テレビは昨夜は恒例の「紅白歌合戦」と「ジャニーズカウントダウン」を見ました。

 昨年からのあれこれを纏めると、「ブンブブーン」に掛川哲司という名前のシェフが出てきたり、年末の「堂本兄弟」のスペシャルでJr.の伊藤篤司君(篤史君? だっけ?)という子がゲストで出てきたり、どうもどっかの名簿が洩れてる気がしてならなかったわけですが。年末にはちょっと「あー、この人、若い頃はこんなこと言う人ではなかったのに。」と残念に思うようなこともあり、変な年の瀬でした。

 そして、昨年は自分のHPのwikiで神サマのことをあれこれ纏め始めて。最近では三大宗教とそれらから派生した新興宗教とか、世界の宗教界はそういうものが多い気がするのですが、古代においては大抵の地域で多神教だったし、似たような名前、似たような性質の神々が自分のところと、隣とではちょっとずつ違う、とそういう世界だったわけです。例えば雷神なら、ギリシアのゼウス、ローマのユーピテル、北欧のトール、ヒッタイトのテシュブ、メソポタミアのアダド、という具合に似たような名前の神々がいて、だいたいは頭に「T」という子音がつくことが多いのです。だから、一つ一つの違いを、それぞれの地域、民族、時代の違い、として論じることもあるし、「似たような性質の神だから一つに纏めてしまおう」という動きも古代においてあった。で、日本とかアジアとかエジプトでは神は必ずしも人間形ではなくて、動物形を現すこともあるし、植物であることもあるので、そういうものを「トーテム」というわけです。はっきり「この動物だ」と言われなくても、例えば日本で「熊野の神」と言ったら、「熊」に関係するんだろうな、と思う。(ただし、熊野大社の縁起では「神は熊の姿で現れた」と明らかに書いてあるわけですが。)ということで、神々のトーテムを調べていくと、どうも「兎」のトーテムが大量にいるらしい、ということを発見する。というか、古代世界には大量の「兎の神」が世界のあちこちに発生していることを発見する。「げーー」というところで年末だったわけです。

 で、各地の神社巡り、というか「ご挨拶回り」も遂に武蔵国の端に出入りするようになったら、「武蔵七党は客に手土産も持たせずに帰したりはしない。」と言われる気がするわけで。で、頭に大きなやかんを乗せられる気がするわけです。昔、給食で使っていたような、何人もそれでお茶を飲めそうな大きなやつを。でもって、「怒って沸騰しろ。」と言われる気がするわけで@@。「なんで、やかん? なんで沸騰??」と思う。しかも、新田庄に行ったら義貞公から「新田も足利も同じ八幡太郎義家の子孫なんだから、足利庄にも行って、平等に扱って欲しい。」とか「足利庄に高師直を探しに行くべき。だって関係者でしょ?」と言われる気がするわけで。なので、急遽あれこれ調べて番外編で栃木に行ってくることにして。光得寺には尊氏や高師直の供養塔があるのでお参りさせて頂いたのですが。新田・足利庄は義家の四男・源義国が開いたもので、それをそれぞれ子孫に分け与えたものであるようで。中央における源氏の正嫡は義国の兄が継いだわけですが、義家は義国のことをけっこうかわいがっていたし、将来も心配していたらしい? ということで、栃木。どうも、なんだか静岡と似たような匂いを感じる気がする。そして、足利庄の方が、服部秦氏の匂いがぷんぷんする気がするわけで。足利織姫神社が伊豆国造家と関連するそうですし。天御桙命と八千々姫命の組み合わせにも「うーん」と思う。桙系の神には他に天之日矛と八千矛神がいて、八千矛神は大国主とも諏訪神とも言われています。だから、個人的には天御桙命と八千々姫命の組み合わせは「諏訪神と八坂刀売」の焼き直しにしか見えないし、諏訪金刺と秦氏の神々はどこか連続性がある、というか交錯してるわけです。でも、そうすると八千々姫命は八坂刀売のこと、となりますし、実際八坂刀売にも縫織神としての性質はあるのです。で、伊豆国造といえば、富士信仰ですから、「天御桙命と八千々姫命」は「諏訪神と八坂刀売」に重ね合わされていますが、「ニニギと此花咲夜姫」にも重ね合わされている、と思う。要は、足利織姫神社って、富士山は見えないし、富士山のことは何も言っていないけれども「富士信仰」の山だと思うわけです。天御桙命は別名・伊刀麻命(いとまのみこと)とも言い、名前に「麻」が入ってますし。麻で酔っ払って廃人になろう、っていうのが古代における下社お得意の富士常世信仰じゃん? って東京なまりが思わず飛び出すわけで。しかも、足利市には猿田という地名とか福猿橋という橋があるわけで、もう秦氏と多氏系金刺氏と猿神と橋って言ったら、人身御供の頭を川に突っ込んだか、なますにしたか、治水のために土手に誰かを埋めたとか、伝承が残ってなくてもそういうことじゃん? 星宮神社とか昔は何をやってた?? と思う-;。人身御供のあった神社や橋を回って、殺された人々の怨霊を慰撫するのはあたくしのライフワークの一つでもある。

 ということであれこれ回って。最後に前回行き損ねた新田庄の生品神社に寄って帰ってきました。どうやら道中で誰かを拾ってきたようで、義家の「子供達を思う親心」のこととかあれこれ言われた気がするわけですが。生品神社に着いたら「着いた-」って言って喜んでいた人がいたような@@。「誰?」と聞いたら「八幡太郎義家」と言われたような? あれ? いつの間に?? と思う。その人はどうやら新田庄の方に住みたかった? らしい?? というわけで、足利庄に何しに行ったのかというと、師直兄さんの神霊の破片と、義家公を迎えに行ったことになってるらしい。「自分と相性の良い神霊を守護のために各地に配するのは当たり前のこと。」と言われる気がするわけで。越後の長尾景虎、甲斐の新羅三郎義光、上野の八幡太郎義家、諏訪に諏訪勝頼って、信濃国から東京に抜ける二大要所にちゃんと重点を置いているでしょ、と言われる気がするわけで@@。

 そして、なんで、「頭にやかん」なのかというと、上野に住んでいた縄文系の人々は、冬になって寒くなって「北斗の水」が冷たくなったら、榛名の女神が怒って火を噴いて北斗の水を沸かして、それで暖かくして春を連れてくる、と考えていたらしい。だから「怒って沸騰しろ」と言われるらしい@@。「おーい」と思うけれども、縄文系の人々はそうやってお山と付き合って生きていたし、そういう素朴な信仰を大切にするのが我らの仕様、ということで。そもそも「武蔵七党」とは北斗の星々に自分達をなぞらえているよね? と思う。

 ということで、家に帰ってきて紅白。ミーシャの項。真っ赤なウサギのミーシャで、バックダンサーに仮面の白兎が大量にいるわけで。まるで世界中に溢れる「兎の神」を体現しているようだ、と思ってドン引きする。というか、背景のだるまは何? それは饕餮で、大量の兎神を操っているのが饕餮ってこと?? と思う-;。でも、饕餮の後ろに更に「兎の啓君」がいるんじゃないの? と思う。「天とは何か? 我らはただ単に兎に振り回されているだけか?」という点に微妙にむかつくわけですが。ともかく、年の瀬と元旦には啓君には会えないのが今年の仕様である。

 で、どピンクのスーツを着た雅治君・・・。そんな格好始めて見ました、という感じで、こちらもちょっとびっくりで。白組優勝おめでとーー、と思う。オオトリだし。あとは、紅白では誰かに「侍女になりたい。」って言われたような? あれ? みたいな。特に来る者は拒まない主義ですが。お料理上手な侍女さんは大歓迎でござる。

 で、ジャニーズカウントダウン。少クラ時代から小芝居に定評のあるWEST・・・。濱ちゃんのキューピッド・・・。エロースの記事を上げたのは12月の21日なんだけど?? となる@@。小技が効き過ぎていてびっくりである。後は、マリウス君の卒業の勇姿も見れて良かったと思ったのでした。割とわちゃわちゃ感が出ていた楽しいカウントダウンでした。解体が決まっているキンプリとか、退所報道が出ているImpactorsとか、複雑な事情を抱えているグループがいくつも出場していましたが、「お祭り感」で良い感じにまとめたという印象を受けました。ということで、

今年もよろしく御願いいたします<(_ _)>。今年ももうちょっと旅は続きます。たぶん。

22年12月30日

 本日は注文した介護用品があれこれ届いたので、組み立てたりしていました。後は部屋の整理も少しだけ-;。なんだか自分の膝もちょっと危ういので介護用品のうち一つは自分用です-;。

 外作業は相変わらず寒かったり、バタバタしたりでお休み中です。

 テレビは昨夜から「FNS歌謡祭」の録画を見ています。

22年12月29日

 本日は父親の退院日ということで市民病院に迎えに行ってきました。後は買い物。年末なので、お正月用品が多くて、あまり普通の魚が売っていません。退院のお祝いにちょっとだけおいしいものを買って家族で分けて食べました。おいしいものは食べられない人が多いので、久々でした。{{sfn|Dalley|1989|page=82}}{{sfn|Fontenrose|1980|pages=168–169}}

22年12月28日

 昨日は埼玉金鎮神社x2,金鎮不動尊、諏訪神社、群馬世良田東照宮、長楽寺、大國神社に参拝してきました。そして、群馬に行ったときのお楽しみのこんにゃくパークに寄ることもできました。なんというか、群馬の方は「牧」という地名が残っていたり、平安時代頃からの古い古代の文化がどことなく残っているけれども、埼玉に行くと、神社が武蔵七党児玉氏、塩平氏、本庄氏の氏神社という具合に、明確に土地の武家の氏神社であることが全面に出ていて、さすが「関東武士団の本拠地だー。」という印象を受けました。群馬にもちょいちょい諏訪神社はあるわけですが、利根川周辺にもけっこうあります。だいたい「幕府が変わり、頭が変わっても、武家の神は変わらず諏訪・鹿島のみ。」と言われる気がするわけで、「埼玉すげー。」と思う。静岡はどことなく感じる人身御供の気配と男尊女卑の強さにげんなりしてたわけですが、関東武士団の根本は相続における男女平等だから、やっぱり、どことなく空気で男尊女卑的なものをあまり感じないわけです。うまく言葉にできないわけですが、埼玉、東京に併せて10年近く住んでいたので、「そうだ、これが私の知ってる関東だー。」という気がするわけで。

 どうも、近世の当地の政治は良く分かっていないわけですが、徳川の部下の小笠原が領主であったところが多かったようで、寺社に武田菱とか三つ葉の葵が目立った気がして。武田の本家が滅びてしまったので、分家筋の小笠原は近世では武田菱を使ってたのか? とか思いました。それから新田庄もあれこれ面白くて。新田・足利って近くにあることは知っていたので、新田の本拠地も栃木にあるかと思っていたら、群馬側にあったのねー、というのがまず一つ目の発見。新田の子孫に「徳川」を名乗る人がいたので、征夷大将軍には「源氏の子孫」でないとなれなかった時代に、家康が新田の家系に、家系が続いている、と主張して徳川を名乗ったのねー、というのが二つ目の発見。そういう因縁で、徳川の子孫は新田の子孫を名乗ったから、新田庄を大事にして東照宮を作ったり、長楽寺を作って、天海僧正に管理させていた、というのが三つ目の発見。天海って言ったら家康の知恵袋というか軍師というか、もう幕府の超重要人物だった人じゃんー、と思う。その天海がわざわざ世良田東照宮を作って管理した理由は何だろう? と思ってしまう。御前崎から始まって、久能山東照宮、富士山を通って、富士を封じる家康の「レイライン」の真の「終着点」はどこなのだろう? もしかして、日光東照宮の「奥の院」を移築したという世良田東照宮が終着点? と思ったあたくしでした。それから大國神社は、大国主命が祭神だけれども、全体としては「丹後道主」関連の女神が祀られていて、由来を興味深く感じました。

 ともかく、新田庄では徳川の強い影響を感じつつ、資料館に新田義貞のことなんかもちょこちょことあって。義貞と匂当内侍のお墓の写真とかあったので、二人の悲恋なんかにも思いをはせたわけですが。太平記は平家物語に比べると知名度が今一なので、良く知っている人は少ないような気がします。で、義貞のことに思いを馳せると「あれもなかなか悪い男で。」と高師直のことを色々言われる気がするわけで。地元民は義貞の悲劇については、悪いのは尊氏ではなくて高師直だと思っていそーー、と思う-;。まあ、師直は尊氏の知恵袋ですから。ひいじいさんはひいじいさんで諏訪で「小坂」という地名を見かけるとあれこれ言ってくるし、動乱の時代のクレイジーな人間関係なんて、もうぐっちゃぐちゃですよう、と思う。まあ、それはともかく、新田義貞は「まだいる」気がしたわけですが、そんなにタチは悪くない、というか、怨霊というレベルでの悪い人ではなくて、割と普通に良い人、という感じを受けたのでした。諏訪の吉良殿と似たり寄ったりみたいな感じ? かと??

そして、上杉謙信という人は、新潟では当たり前に英雄、富山ではあからさまに迷惑者という感じだったわけですが、関東では明確に「源氏の嫡流・関東管領」という扱いなような気がするわけで。だいたい、諏訪氏のように勝頼が死んで、従兄弟の家系が家を再興した、というのはあんまり「嫡流」とは人は見ないわけですが、他家の人間でも正式に養子に入った人は「嫡流」とみなすのが本邦のようで。謙信は源氏の子孫ではないけれども、源氏(関東管領・上杉氏)に養子に入ったから源氏という扱いらしいです。

 で、全部回れるかどうかは分からないけれども、武蔵国の式内社をざっと見ると「小豆」とつく神社がちょっと目立つわけで。あたくしも昔「小豆沢」というところに住んでいましたし。これが何を意味するかというと、「アジスキタカヒコネ」という賀茂系の神のことと思います。出雲の神ともされている。で、この神への信仰は、「別雷神」と同じ神、と言われている程度で、現在ではあまり盛んではありません。何故か? それは、この「アジスキタカヒコネ」が諏訪神の前身であるからだと思う。要はだいたい、諏訪信仰に置き換わっているわけです。諏訪神の妻神も昔は下光比売命であった形跡が上社関連に濃いわけで。「アジスキタカヒコネ」の妻神も下光比売命です。で、この神がどういう神かというと、一つには「小豆の神」であると思う。小豆は邪気を払う豆とされており、昔は赤飯は神に捧げる神饌でもあって。で、もう一つは「スギの神」というか、「木を立てる神」なわけです。五十猛が下社系の「木工神」とするならば、「アジスキタカヒコネ」は上社系の「木工神」でもあり軍神ということでもあるのかと。どう違うのかといえば、五十猛は海の向こうからやってきた「疫病神」であって、「アジスキタカヒコネ」はこの国を守るための軍神という感じになっているのかと。おそらく西欧の神で言うところのエススとかヘーラークレースにちょっと近い神だと思うわけで。

 世良田東照宮では、最近お正月に「除厄神事」とかで、「目に見えない邪気を弓矢で射る」神事をやっているとかで。神事の由来は京都にある、と説明書きにありましたが、これは東国的には「オビシャ」の変形版であると思う。しかも、「木工の仕事始めの神事」をやるとかで、神事に使う木がもう用意してあって寝かせてあって。これを更に切るような神事をやるんだなあ、と思う。というか、この2つの神事は「同じもの」であって、日の光を遮る「天の木(邪気)」を切り倒して、役にたつものに加工する、特に「神の役にたつものに変える」というのは、おそらく河姆渡あたりまで何とか残ってた「母系のまともな思想」の伝統なのである。そして、上社的諏訪信仰の根幹の思想である。肝心の諏訪大社では似てるけれども、縄文系の人々の祭祀を前面に出していて、西洋式の「天の邪気を切り倒す」というあからさまに思想が分かる祭祀はやってないわけですが、東国の「諏訪」とは全然関係なさそうな神社で、露骨に「諏訪信仰」を前面に出した神事をやってるんだー、これが関東武士団の「諏訪信仰」だー、へーー、と思う。諏訪大社では、「オビシャ」は「蛙狩神事」、「木工の仕事始め」は「御柱」に変換されてしまうわけで。もっとも、諏訪でやっている方が古い形式の祭祀なわけですが。みな、お正月の太陽の力が弱っているときにこういう祭祀をやって、太陽の力を強めようとしているわけです。というわけで、世良田東照宮は天海と家康の思想がまだ生きている、と感じられた、実に東国らしい神社だと思ったのでした。東国の衆は東国の衆で、西から来たのではなく、東国生まれ東国育ちの諏訪・鹿島の神が欲しくて沸騰中らしいです。