23年4月30日

 昨日は愛知星崎星宮社、成海神社、針名神社、天白宮、景行天皇社、藤森神明社、伊勝八幡宮、伊福神社、川原神社、日置神社、三輪神社、伊奴神社、星神社を参拝してきました。一番の目的は日本神話では公式(?)な星神である天津甕星(あまつみかぼし)あるいは天香香背男(あめのかがせお)に会いに行くこと、である。天津甕星(あまつみかぼし)は天照大御神に従わない鬼神とされる。で、須佐之男の神話と台湾の伝承とを比較すれば明らかだけれども、台湾の伝承にも織女を殺す巨人の話が出てくる。この巨人は母親を殺したり、悪さをして退治されたりしている。でも台湾の伝承では「神」とも言われていないし、「天から降りてきた」とか、そういう神話的な要素も乏しくて、あくまでも人々の中での「特殊な男」という位置づけである。で、西洋の悪魔も、元は「堕天使」と言われている通り、神に仕えていた天使が反逆したり、堕落したりして天界を追放された、とされている。だから、「現在進行形」としては西洋の悪魔も住んでいるのは「地獄」であっても、過去では「天から降りてきた」ものなのであり、須佐之男も天界から追放されていつの間にか「黄泉の国」に住んでいるわけだから、日本人がそのまま読むよりも、外国、特にキリスト教関係者が読んだら、キリスト教の「神と悪魔」という概念を、そのまま「日本の神話」という形で「天照大御神と須佐之男」の話に書き換えただけで、天照大御神=神、須佐之男=悪魔、と読んだら一発で分かるように、そもそも古事記はそのように「キリスト教」を非常に意識して書かれた話、と言われる気がするわけで@@。で、一神教を重要視していないので、そもそもイエスの教えは一神教ではないし、天照大御神こそが「イエスの神」であって、堕天である須佐之男こそが悪魔、と言っているわけで、「須佐之男とかその近縁の神」が先祖である、と言っている人達はイエスの考えに逆らう人達って分かるようになってる、と言われる気がするわけで@@。

 ともかく、西洋的にはそうかもしれないけれども、東洋的には天香香背男(あめのかがせお)とは露骨に「共工」のことでしょ? と思う。良渚文化の時代にはすでに、「隠れた星神」とされていた神のような気がするわけで。だいたい、古代神話の神々は死んでも消えない、というか、彼らの「死ぬ」とは、むしろ「作り替える」といった意味の方が強いように思う。中国の盤古もメソポタミアのティアマトも、死後は世界に作り替えられたりするわけで、消えてしまうどころではない。須佐之男も天界にいたときには、まだ多少まともなところもあったかもしれないけれども、「追放(死)後」は鬼神であったり、祟り神であったりするわけで、生前とは「違うモノ」になってしまった、と考える方が正しい気がする。日本神話ではこの変化を「和魂」と「荒魂」といって、天気が好天と荒天が切り替わるみたいに切り替わるものと考えられているけれども、西洋では天使はいったん「堕天使」へと切り替わったら未来永劫悪魔に変化してしまうわけで、元のものとは「違うモノ」になってしまう、という考え方そのものは東洋も西洋も同じであるらしくて。須佐之男も天香香背男(あめのかがせお)も死んで「悪魔」に切り替わってしまったものたち、といえる。でも、天香香背男(あめのかがせお)は「天の神」であり続けていて、地上に墜落はしない。この星神の仲間とか子孫が流れ星とか彗星になって地上に降りてきたもの、と考えられているのが日本の「星神達」であると思うのだけれども、どのみち彼らも地上で石に変化してしまって、二度と天に帰ることはない。ということは悪魔に切り替わったまま、ということで、「地上に降りてきた星神の子孫」を自称する人達は自分たちは「悪魔の子孫である」と言ってるのも同じわけだ。ということで、そもそもの「共工」も先祖であるので会いに行く。あとは余裕があったら尾張氏関連の神社、特に式内社を巡る、ということで。

 で、オカルト・・・。どうにも「幽霊とかと関わりたくない」というと、「そもそも怨霊で何が困るかというと、彼らは「うるさい」から困るので。特に騒がれもせずに夜も快眠できていないなら、霊障がないってことなんだから気にするな」とかって言われる気がするわけで。大雑把すぎるーー、と思う。で、名古屋行き。中央道を走って駒ヶ根SAで休む。下りでは、仮眠するとなんだか変な夢ばかり見る。他のところではそんなことないのに?? と思う。で、上り。・・・なんだか寝ようとするとバイクをふかしているような爆音が聞こえる@@。目を覚ますと静か、ってそれは越中境と同じ現象ーーー、と思う。兄さん達には「これで怨霊ってうるさいものだって分かったでしょ。」と言われる気がするわけで-;。駒ヶ根に何か怨霊とかいるの? と思ったら、「そこには宮簀媛がいるでしょ。」と言われる気がするわけで@@。それは尾張氏の関係者、と思う-;。姉もその辺りを走るときだけ眠くなる、と言っていて「シャーマンの家系の人だけあって、ちょっと神社巡りとかすると何か感じるようになるんだねー。」と兄さん達に言われる気がするわけで@@。あたくしはその辺りよりも長野・松本間のトンネル群がキツい-;。そこにもなんか仕込んでない?? と思うくらいであるー;。

 あとはちょっとほっこりする話。二ノ宮君がTwitterを始めて、これがよくつぶやくわけで。名古屋でお昼を食べようとしていたら、手羽先についてあれこれツイートしていたので、思わずタイムリーと思ったのでした。。

 テレビは昼は「ニノさん」の録画を見ました。

23年4月28日

 本日は買い物とゴミ出し。外作業はお休みでした。

 テレビは昼は昨夜の「夜会」の録画を見ました。

23年4月27日

 本日は父親の病院の日で、市民病院の泌尿器科へ行ってきました。だいぶ足腰が弱ってきていますが、まだ自前で歩けそうです。

 昨夜はなんだか夢を見て。私が空から落ちてきて、それを廉君がどさっと受け止めて、二人で仲良くする、という夢で。なんだかハードなラピュタみたいだー、と思ったのでした。

 で、夕食の後、少しううとうとしている時にも夢を見て。自分が旅をしていて、どこかで池に遭遇して、池には魚なんかも泳いでいて、魚に餌をあげたりしていました。そうしたら、それが気に入らない様子の男の人が来て、油みたいなものを撒き始めて。なんだかやばそうだ、と思って走って逃げたら、ギリギリ爆発に巻き込まれないで助かった、という夢で。

 昼はかなり前の「どうする、家康」、夜は「VS魂」を見ました。浅井長政が裏切る回でしたが。織田信長は越前の朝倉を攻めて、結局は滅ぼしましたが、加賀はなんだかんだで前田の領地になって、それに連なって富山藩も前田の領地となったので、最終的に家康が生き残ったけれども、越前・越中は手に入れた、とは言いがたかったわけで。前田家は神社関連の整備も熱心であって、古い時代の「磐」がつく名の神々の復興にも力を尽くしたように思うわけで。信長が越前を手に入れようとして責めたのも、結局は偶然ではなかったのではないか、と思ったのでした。

23年4月26日

昨日は富山豊栄稲荷神社、岩瀬諏訪神社、於保田神社、越中稲荷神社、新川神社、魚津大社、魚津神社、諏訪神社、八幡宮、旭豊神社、布施神社、建石勝神社、火の宮神明社、八心大市比古神社と参拝してきました。そして、ちょっぴりオカルト?? な感じであって。

 だいたい、遠隔地に出かける時は、朝暗い内に家を出るのですが、最近は日が長くなってきたので、あまり進まないうちに明るくなってくることが多いです。高速に入る前に明るくなっているけれども、途中のSAやPAで休憩を取りながら行くわけで。で、昨日はかなり明るくなってから某SAで休憩を取りました。運転していたのは姉で私は助手席にいたわけですが、姉が仮眠をとりたいと言ったので、二人でしばらく仮眠したわけです。で、ウトウトしていたら、なんだか男の人がボソボソと話す声がする気がするわけ。単数なのか複数なのかは分からず。周囲に停まっている車の乗員が誰か車外に出て話しているのかなあ、とそんな感じなので、気にせずウトウトしていたわけです。そうしている内に、隣の姉に何か話しかけられるような感じであって。それなら目を覚まして返事をしなきゃ、と思って、頑張って眠いけど目を覚ますわけです。で、目を覚ますと姉はグーグー寝ているし、周りも「静まりかえって」いるので、「なんだー、話しかけられたのは夢か-。」と思ってまた自分も寝ようとして。で、寝ようとするとなんだか「男の人がボソボソと話す声がする気がする」わけで。そこで、「あれ? なんかちょっと変じゃない?」と気がついて、目を覚まそうとする。目を覚ますと静かなわけ。で、寝ようとしてウトウトするとなんかボソボソと話す声がする。しまいには、どうも車の後ろの席になんかごそごそといる気がする。ということで、「これって怪奇現象ってやつなんじゃないの? なんかやばくない??」と思ったわけですが、しばらくして姉が目を覚ましたので、何もせずに何食わぬ顔で出発して@@。何かに取り付かれてないかい? と思ったら、兄さん達には

「怨霊に強い長良の大臣の力を強めに送り込んでおくから。」

と言われた気がするわけで@@。そーゆー問題? というか、長良の大臣も幽霊じゃん? と思う。ともかく、「境界」には注意だ。うっかり油断して寝てると変なモノに取り付かれるかも、と思ったあたくしでした-;。しかも、そういえば、私が運転している時には境界のSAでは、少し休んでも仮眠を取ったりしたことはほとんどない気がするわけで。姉はなぜか境界で休みたがります。うーむ。

 後は式内社の布施神社に行こうとしたら、境内に入ろうとしたら、待ち構えていたかのように、境内から軽トラが出てきたりとか、お定まりのオカルトもあって-;。目に見えるオカルトの方が、見えないオカルトよりもまだ少しだけマシな気がしました。でも、兄さん達には

「あなたは鈍いから、取り付いた怨霊に気がつかないかと思った。」

と言われる気がするわけで-;。気がつかなかったら黙ってる気だったらしい・・・、ひーどーいー、と思う-;。油断してると

「命を置いてけ。」

とか怨霊に言われる気がするわけですが、そういうことを言うとあたくしのことが大好きな長良の大臣に締められるので、まあおとなしくはしているらしいです-;。長良の大臣は「現代の八俣遠呂智」と言われるくらい力の強い怨霊であるらしくて。「シャーマン同士の戦いは、結局最後はどちらが強い怨霊を操れるかで決まるからねー。」と言われる気がします-;。

 本日はトイレの修理など。雨が降ったので外作業はお休み。

 テレビは昼にブンブブーンの録画を見ました。

23年4月24日

 一昨日は愛知削栗神社、生田神社、日吉神社、町屋八幡宮、阿具摩神社、塩道神社、久多神社、川曲神社、二ノ宮明神、大神社x2、大神神社、爾波神社、前利神社、小口神社、大宮浅間神社を参拝しました。

 昨日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。昨日は昨日よりは暖かかったですが、寒かったです。

 本日は買い物と健大岡神社参拝でした。

 名古屋行きにはいくつか目的があって、一つ目は信濃国周囲の十州+尾張巡りで、各地の一の宮を一通り参拝したので、最後に残った尾張の大神神社を参拝してコンプリートすること。二つ目は信濃金刺氏でも信濃尾張氏でも「同じ事」ですが、先祖の神八井耳命を祀る神社の内、行動範囲にある神社を参拝すること。で、これがまた長野県と愛知県にしかないので。愛知県では一宮市から丹羽郡と割と北の方の木曽川の南側周辺に神八井耳命を祀る神社が集中していて。長野県では犀川の流域に2つと、上田に一つ(千曲川を意識したものか?)あります。信濃尾張氏は尾張国から長野県にやってきたのだし、同祖を祀っている地域が故地に決まってるじゃん? と思う。丹羽郡では「尾張丹羽氏の先祖だから祀っている」と前利神社にあったわけですが、他の地域ではなんで祀ってるのかも書いてないわけで。でも近くに一の宮である真清田と大神と惣社の国府宮があるわけだから加茂系皇族の多氏(別名尾張氏)の関係者が大神社も作ったし、真清田と大神と国府宮にも関係していると考えるのが妥当ではないかなー、と思うわけです。で、三つ目の目的は、阿具摩神社参拝・・・。これは昔は「あくまじんじゃ」と読んだらしいです。現在は「あぐまじんじゃ」と読む。で、地名が「天摩」という地域にあるので、まあ普通に「悪魔神社」で「天魔」という地名と現代的には考えるのが妥当かなあ、と思います。尾張の信長とか第六天(魔王)信仰があったようですし、第六天は時代が下っているので一応仏教系の神であるわけですが、「悪魔神社」って第六天の前進的神なのかなあ、と思う。だいたい、中国も日本も「星神」というのはよろしくない系の神なので、「天魔」というのは星神系の「天の悪魔」のことと思うわけです。西洋の民話なんかと異なって、東洋では悪魔は地獄に住んでいるのではなく、天から降ってくる存在なわけ。そうだよねえ? 津島信仰とかニギハヤヒとかねえ? と思うわけで。天から降ってきた須佐之男の子孫であるところの加茂系氏族はみんな「悪魔」なんでございますな。ということは、弥生系の日本人は全部「悪魔」なわけだ。で、方言とのかねあいで、悪魔の「あ」はあ行の言葉に、悪魔の「く」はか行の言葉に置き換わる可能性があるように思います。地域によって。というわけで、静岡市に、駿河四之宮伊河麻神社(伊賀麻明神)という古社があるわけですが、「いかま」というのは「あくま」の静岡なまりだよねえ? と阿具摩神社を見て思う。登呂遺跡では、富士山を神体とした「常世信仰」がすでに始まっていたように思うので、悪魔信仰ってのは「常世信仰」のことを差すよねえ? と思わざるを得ない。常世信仰って言ったら、下社金刺だし、下社金刺って言ったら「うち」じゃん? となるカモカモなので-;。ということで、登呂遺跡と伊河麻神社が「悪魔(天魔)信仰」と金刺氏の痕跡であるならば、その更に古い形態として、阿具摩神社があるのだと思うわけですよ。それを金刺氏が作ったものであれば、やっぱ遠い先祖はその辺りに住んでいたんだろうなあ、と思う。そしてともかく、昔私に対して「自分はアクマなんだ」って言った人がいるわけですが、そういえばそれは口で言っただけなので、漢字で「悪魔なんだ」と言ったわけではない。もしかしたら「阿具摩なんだ」って言いたかったのかもしれない。天から降ってきた悪魔といえば須佐之男のことじゃんねえ。いい年こいて自分のことを「アクマ」とか言っていきがってんじゃねえ、人間としてまっとうに生きろ、私達は結局は人間なんじゃないの! と思う。というか、そう断言できるまでに30年もかかったあたくしである。

 ということで神八井耳命に戻るわけですが。神武天皇、綏靖天皇がそもそも実在性の乏しい天皇であるので、神八井耳命という人物も存在したかどうか定かではない、と私は思います。でも名前に「八」という字がついていたり、「井」と水を示す字がついていたりするので、だいたい神八井耳命というのは瓢箪小僧の伏羲の焼き直しかあるいは、八俣遠呂智の焼き直し(別名)ではないか、と思います。だいたい中国の神話からその傾向があるわけですが、「悪い蛇神」みたいな感じで「倒される神」(日本的には八俣遠呂智)と「倒す神」(日本的には須佐之男)は実のところ性質が似ていて、「表裏一体」の存在で「同じもの」である傾向が強いのです。日本的に「和魂」と「荒魂」と言ってしまった方がむしろ適切と思うわけで、この「神」は機嫌が良ければあれこれ恩恵も授けてくれるけれども、機嫌が悪いと祟ってろくなことはしないわけで、良いときは「神」だけれども、悪いときは「悪魔」である、と言った方が正しいように思います。で、この2つの相はスイッチを切り替えるように入れ替わるように思うわけで、その「入れ替わり」を「倒す」と言っているに過ぎないわけです。だから、神八井耳命は須佐之男でもあるし八俣遠呂智でもある、と解釈するのが一番妥当だと思うわけです。だいたい、神道集には綏靖天皇は文字通りの「人肉食い」だったってあるわけで、人食いの兄はどうせ人食いさー、と思うわけで。そして、西欧では特に神とは「罰を与える神」であり、「報復する神」であるので。そういうことをやり過ぎれば「悪魔の所業」であると思う。だから、「神と悪魔」とは、特にそれが男性である場合「同じ者」なわけです。というか、

「自分は唯一絶対の神である」

と名乗る男が一人いて、その男が「悪魔」とか「魔王」なわけだ。で、しかもこれがまた執念深くって、かつ「生まれ変わる人」であって記憶力もすこぶる良いので。自分が過去世で標的にして粛正すべし、と決めた相手のことは決して忘れない。過去世でしとめきれなければ、今生でも、来世でも、目的を果たすまで止めることはない、という性格らしくって。しかも、自分は悪者にならないような万全の準備をするタイプ、ということで。

 ということで、一神教が良いのか、多神教が良いのか、とそういう問題ではなく、世界は

「自分は唯一絶対の神である」

と名乗る男の粛正と報復が恐ろしくて、一神教を放棄できない。いったん敵認定されたら、自分が「生まれ変わる人間」だったら未来永劫敵認定されて生まれ変わる度に付け狙われて粛正の憂き目にあう、「生まれ変わる人間」でなかったら殺されてしまってそれっきり。幽霊にでもなったらそれはそれで利用されるだけ、って相場が決まっているらしくて。

 というわけでですねえ? 愛知に行くことは行ったわけですが。武蔵党の声が尾張まで届くようになって、何故か「裸にふんどし姿」の蛙さんが降臨してくるわけで。「なんで裸?」って思ったら「国府宮の祭りは裸祭りだし、人間は誰でも裸一貫で生まれてきて、そこから始まるんだから、父祖の地に戻って、初心を思い出すのは大事。」と言われる気がするわけで。国府宮も真清田も大懸も良く鎮まっていたように思う。大神神社では「三本の樹」の神紋を見る。天照大御神信仰を圧迫した三輪山とその関係者だよねえ? まさに「三樹」だし、と思う。大神社の一つでは「くそ女、真清田の後戸の神は誰だと思ってやがる。」と罵られる気がする@@。おいおいおーい、あたくしが参拝したからには真清田の「後戸」の神は天照大御神なんじゃん? 忘れてもらっては困るよーー、ってそんな感じであるー;。嫌な先祖がいると子孫はタイヘンであるー;。まして、それが生きていて話ができる相手とあっては、嫌さはさらに倍増である-;。そういう大変さを悟った愛知行きでありましたとさ-;。