23年6月9日

 一昨日は群馬鳥頭神社、稲裏神社、月夜野神社、小高諏訪神社、大宮巌鼓神社、一宮神社、沼田大明神、武尊神社x2、吾妻神社、茂左衛門地蔵尊、奥院を参拝してきました。新潟の魚沼方面の神社を参拝したので、その続きで群馬の側にある月夜野方面へ行ってこい、と言われる気がするので、上田から山越えして嬬恋村方面を通り、一般道だけでトコトコと行ってきました。群馬では、真田が領主であったことがある、ということで、沼田市を中心に六文銭がやたらと目立って興味深く思いました。真田氏はなんというか「お殿様」扱いで、真田信之も「お殿様」扱いで、ちょっと違和感を感じる、というか。真田の直流は最終的には信濃松代藩の藩主になったわけなので、松代藩出身のあたくしが、「真田はうちのお殿様」というのは自然な感じがするわけですが、群馬でそれを言う? みたいな感じであって。そして、信濃では、真田氏はせいぜいが室町時代初期くらいまでしか遡れない、かつ出自のはっきりしない一族であって、東信では海野・滋野という近縁関係にある名古族が衰退した後に関係者風に台頭してきたのが真田氏であるので、あんまり身分の高くない豪族出身、というイメージであって、「信濃の豊臣秀吉」みたいな、成り上がった人達というイメージが強いので、「お殿様」といえば「お殿様」なわけですが、そんなに大自慢する? という印象であって。真田氏は故郷よりも群馬で人気があるんだなあ、と思いました。

 そして、月夜野の辺りを「奥利根」と言うかどうかははっきり知りませんが、利根川の上流域にも怨霊や御霊が多いー、ということであちこち回って疲れ果ててしまって-;。しかも怨霊の発生原因に、なんだかんだ言って真田氏が関わっている気がするわけでー;。しかも、武尊山という山があって、日本武尊も取り憑いているし、ということで-;。道中に立派で素敵なキャンプ場とかもありましたが、群馬北部はけっこう油断がならないー、と思いました。そして、国道144号、145号は上田から沼田市まで整備されていて、要は真田氏の支配地をつなぐ「真田ロード」であって、かつては修験道や忍者の通る道だったんだろうなあ、と思いました。だから、真田は最終的には信濃松代藩に行きついて戸隠の忍者や修験道を仕切る立場になりましたけれども、それも偶然ではなかったんだろうなあ、と始めて思いました。もしかしたら、怨霊の作成と配置にまで真田は関わっていたのかもー、と思う。

 昨日は外作業のみ、今日は買い物と外作業でした。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃、土掘りでした。

 テレビは昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。昨夜は「夜会」、今日の昼は少し前の「モニタリング」の録画を見ました。

23年6月6日

 本日は買い物と外作業。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 テレビは昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。

23年6月5日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 朝起きると、どこか近所で草を機械で刈るような音がしていて、せっかく遊水池の工事が終わったのに、なんだかまたうるさい、と思う。で、作業をしていると近所のIという家で、そこの奥さんみたいな人とどこかのおばさんがなんだか、家の外で大声でずーっと話していて。なんというか、いかにもこちらに聞こえるように話しているけれども、身を入れて聞いてみると別にたいしたことは話していない、ので、ただ耳障りな話し声だけが聞こえる、ということで。これが2時間くらい? というか、とにかく長く話していて。これが工事をやっていた頃であったら、周囲が妙に騒ぐときは何かの勝負、すなわち職人がおかしな工事をやろうとしては、こちらがそれを阻止する、みたいなことをやっていたわけで。でも、今は工事の職人とか来ないし? と思ったわけです。

 そうしていたら、夕方になって何かの職人風の人が尋ねてきたわけです。で、屋根のぐしが壊れている、というようなことを言い張る。で、「お願いする工事はありません。」みたいなことを言ったら、「自分に頼まなくても、知り合いの板金屋さんに見て貰って下さい。」と言うわけです。母親が名前を尋ねたら「Hという会社のSです。」とは言いましたが、名刺などはなし。で、写真も見せて、「影がある」とか、あれこれ説明してくれるわけで。なんというか、

押し売りで屋根を直す、とか言ってぼったくる詐欺まがいの人

みたいに見えるわけですが、それにしては押しが弱いなー、という感じ。ともかく影も何も、うちの屋根はそういう仕様なんだけど?? と心の中では思いましたが、表向きには「はい、さようなら。」という感じでお引き取り頂いて。どのみち修理が必要なようであれば、知らない人には頼まないー、と思う。で、「押しの弱い押し売り」みたいな人がなんで家に来たんだろう?? と思っていたら、ひいじいさんに

「確か善光寺関連の神社の神職を務める金刺氏の末裔がSという名字だったはず。」

と言われる気がするわけで@@。「あれ? それじゃうっとこの詐欺部門(?)の関係者?」とか思ってしまう-;。

「ああ見えても、金刺の血を引く者であれば、昨日行った縣氏よりも身分としては上の者だから。」

と言われる気がするわけで-;。親戚様でございましたか、親戚様ほど信用のできないものはございません、と思ったわけですが-;。でも、こういうちょっかいを出してでも、あちこち神社を参拝して歩くのを止めたいのかなーー、と思う。

 で、夜はCDTVのスペシャルを見る。廉君と高橋君2人の新生キンプリが出演していたのですが。どうも2人組を見ていると「2代目KinKi-Kids」という声が聞こえる気がする@@。でも、それを聞くとひいじいさんが「やめろー」と突っ込むのが聞こえる気がする-;。で、あたくしがロケットに乗ってニコニコしながらあちこち飛び回る、という絵が頭に浮かんで来る。ので、「もう少し各地の神社巡りをするように。」ということんんだろうなあ、と思ったのでした。

23年6月4日

 昨日は静岡静岡浜名惣社、初生衣神社、二宮神社、鹿苑神社、冨士浅間宮(遠江三ノ宮)、原川浅間宮を参拝して来ました。前日から大雨が降っていたことはニュースを見ていなくて知らなかったので、新東名が静岡のほぼ全域で通行止めになっていたり、東名も一部しか通れなかったり、山梨とを結ぶ高速や国道が一部通行止めになっていたことも知らず、現地に行ってびっくりしましたが、だんだん晴れてきていたので、時間が経てば交通網も回復するだろう、と思って旅は断行しました。中部横断道が富沢から先が通行止めだったので、そこから国道52号線を南下して静岡市に入り、国道1号線のバイパスで焼津ICまで移動して東名で三ヶ日ICまで移動して浜名湖に到着しました。東名に入ったときには浜松から先は通行止め、とアナウンスされていましたが、移動しているうちに豊川くらいまで開通したらしくて、三ヶ日まで行くことができました。で、浜名湖SAで休憩して地図を確認しました。私はだいたい、目的地の手前のSA等で最終的に地図をしっかり確認してどういうルートで参拝するのか決めるので。そうしたら近くに「浜名惣社」という神社があったのでそこも参拝することにして行ってみました。この時にすでに午後1時半になっていて-;。そうしたら神明社で、主祭神は天照大御神ですが、統治を開拓した人々の先祖が太田命(太田田根子)ということで太田命が祀られており、また伊勢神宮に織物を奉納していたとかで織物の神である天棚機媛と天羽槌雄を祀っていて。「うーむ」と思う。

 天照大御神に関しては、どうやら倭姫命が天照大御神の座所が伊勢に決まる前に統治に滞在していた、という伝承があるそうで、いわば「元伊勢」の一つといえる立場ですが、そういう主旨の主張がないことが気になる。しかも倭姫命の道案内を太田田根子がした、みたいに書いてあって「うーむ」と思う。何故、天照大御神が各地をさまよった末に伊勢に落ち着かなければならなかったのかといえば、彼女を大和の宮中から追い出して、その代わりに三輪山の大物主を祀れば世が治まる、との託宣があったので、大物主の末裔の太田田根子に大物主を祀らせた、という逸話があるわけで、政治的には太田田根子は太陽女神信仰者達の「政敵」であったわけです。その太田田根子が倭姫命の巡行を仕切っていたのだとすれば、それは大物主を要する派閥が、天照大御神を宮中から追い出しただけでなく、その祭祀権も大きく牛耳ったことを意味するわけで、祭政的には完全な天照大御神派の敗北といえます。だって、祭祀権まで敵に押さえられてしまったことになるから。でも、天照大御神は女性に祀られていた通り、そして女王卑弥呼の時代には纏向で女王が三輪山の(おそらく)太陽信仰祭祀を仕切っていたと思われることからみれば、女王の死後、女性とその女神の権威が大きく失墜し、カモカモ系の太田田根子一派が宮中での発言権を大きく増したことを意味すると考えられます。しかも、太田田根子一派主導で天照大御神の鎮座地が伊勢に定められたのであれば、それは天照大御神にとって、良い鎮座地といえるのかどうか、ということになります。そういういきさつが、何故信濃国から一番遠い浜名湖に隠されているのか? しかも「元伊勢」の標榜もないし、ということにまずショックを受ける。

 そして遠州も遠州紬とか織物の産地であって、縫製も少したしなむあたくしも「織り姫」の端くれなわけですが、天棚機媛と天羽槌雄といえば、特に天羽槌雄は秦氏系の神であるし、織物を伊勢神宮に奉納していたのは秦氏であるので、遠州の織物産業には秦氏の匂いがぷんぷんするように感じる。秦氏とカモカモ系氏族の「同じ」ではないのに密接な繋がりは各地に見られるので不思議ではないわけですが、加茂系の太田田根子の子孫であり、当地における古代の支配者であった縣氏と秦氏(服部氏)の関係性とか、縣氏の支配下でどのように遠州の織物産業が興されたのか、とかそういう説明が一切なくて「うーむ」と思う。だけど、歴史というのはそういう関係性を述べることでもあるので、要は当地でも、加茂系氏族と秦氏系氏族の密接な関係だけが明らかになっているけど、その歴史的経緯が一切隠されているわけです。それも日本各地で見られる傾向です。で、同じく織物産業が盛んな尾張真清田とかと比べてしまうわけですが、真清田では「織り姫」は天火明命の母神でもあって、尊敬を受けている。だけど、浜名湖では単なる「天棚機媛」で、下位の女神であるので、普通に祀られているだけで、それほどの敬意を受けているわけではありません。だから、尾張でも遠州でも、かつて織物は重要な産業であったかもしれないけれども、尾張では織物は「母女神」に関わる技であるので、関わる者だちも尊敬を受ける、でも、遠州では単なる織り姫の技なので、関わる人達も普通に扱われているだけ、という「現実」を発見する。要するに、生まれで身分が固定されてきた時代から、職業で身分が決まる時代みたいになる時に、誰かが「これは地位の高い職業」と決めたものは「母女神」とか「父神」とか身分の高い神の仕事とされて世間一般からも関わる人は尊敬を受けるようになるけど、「これは地位の低い職業」と決められたものは「生け贄になる女神」の技とされて従事者はただただ卑しいものと扱われ搾取されるのみとなる、ってそういう職業によるランク付けが、すでに古代においてなされているんだー。織物と縫製は普通は女性が関わることが多いわけですが、それに関わる女神の地位を低下させることは女性そのものの社会的地位の低下を目論むものといえる。そーゆー汚い真似する? 腐れ先祖がーーー、となるわけで、遠州で感じる女性差別的な空気の根源を見てちょっと気分が悪くなる。織物を秦氏と天棚機媛の「技」とすることは、それは彼らの身分が低いことを利用して、秦氏以外でも織物に関わる女性の地位の低下を目論んだことだし、それに伊勢神宮が一枚噛んでいるわけだ。女王卑弥呼が太陽女神と、彼女の技である「織物」を大切にして、女性の社会的地位を守ったのであれば、その真逆のことを大物主派はやったわけで、「政敵というのはこーゆーことなんだなーー」と浜名湖で思う-;。そしてそれをやったのが遠州のカモカモと秦氏であって、遠州における下社の影響力の強さからいって、信濃金刺氏の匂いもぷんぷんするわけですが、そういう形跡はよりにもよって「長野県に住む人からは一番わかりにくく」なっているわけだ。だいたい、浜名湖なんて道路上で遠すぎて長野からノコノコ行くところじゃないですよ。しかも、私が行く日に限って、なんで晴れても高速が通行止めのままなんで? と思うわけで。浜名惣社は最初から行く予定では全くなかったけれども、現地で「惣社に挨拶に行くように。」と言われたから行ってきました。要するに太田田根子とその一派が伊勢神宮で目論んだことは天照大御神と女性の地位と権威の低下である。同族であっても、彼らはあたくしの「政敵」である。

 で、後は旅の目的は二ノ宮・三ノ宮巡りなので行ってくる。見附天神の前で「ひいじいさんはあなたが大口真神の名前を全て持っていっても文句を言わないでしょう。」と言われる気がする。槃瓠の名前を譲り受けるや? というか、本物のマーナガルム(北欧神話の狼の母神)じゃん? と思う。

 というわけで、疲れ果てて家に帰ったわけですが。静岡で水災害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。あたくしの旅はまだ続きます。

23年6月3日

 本日は雨が降って、かつ姉が歯医者の日だったので出かけてきました。外作業はお休みでした。

 出かけると車での嫌がらせがけっこう激しくて、我が家の車が発進しようとしたりすると、その前に急に車が割り込んできて停車したりとか、そんな感じでした。歯医者の方は、なかなか相性の良い先生がみつからなくて新しい所を予約してみました。先生そのものは感じは悪くなかったようですが、周囲がこんな感じだしなー、と微妙に思う。次回は演技の悪い日に設定されてしまいましたし。治療までに仮の詰め物をしたそうなのですが、それもその日のうちに取れてしまったそうで。わざとそういう手抜きみたいなことしてるかも?? とこれも微妙に思う。しばらく様子見だと思います。

 テレビは夜は「少年倶楽部」の録画を見ました。昼は今週の「モニタリング」の録画を見ました。