23年6月29日

 本日は買い物と外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私はお休みでした。明日から雨が降る、ということで昨日も暑かったけど、今日も暑いです。

 昨日は雨が降ったら平地回り、降らなければ少し山へ行こう、と思っていて、幸い降らなかったので再び秩父へ行ってきました。吉井ICで降りて県道を行こうと思ったら、私がぼーっとして出口を間違えて藤岡ICまで行ってしまったので、そこから行きました。群馬県道13号線を南下して、少しだけ国道に入って、また埼玉の県道を南下すると、かなり分かり安い道で秩父に至ることができて、群馬から秩父って近いなあ、と思いました。私は割と県道とか通るのが好きなので、出かけるたびに「県道マニア」と言われる気がするわけで。多少の山道は苦になりません。

 昨日は鬼石神社、稲聚・丹生神社、椋神社x4(吉田、野巻、皆野他)、宝登山神社・同奥宮、高崎小祝神社、上中居諏訪神社、進雄神社、五霊神社、二ノ宮神社を参拝してきました。秩父の式内社は秩父神社と椋神社しかないのですが、椋神社は現在論社が6つあって、その内5つを参拝しました。いずれも日本武尊に関する神社ですが、椋神社には猿田彦(日本武尊の道案内をしたらしい)が祀られていることが多くて。秩父には狼と猿しかいないの? という感じでした-;。秩父は私みたいな山育ちの人からみると、それほど険しい山という印象ではないのですが、関東平野に住む人たちから見たら相当な山なんだろうなあ、と思います。

 で、神社巡りについては、いろんなことが絡むわけですが、何というか「目の力」で敵も味方も言いたいことを言ってくるわけで、敵は「やらなければいけないことを嫌だと思え。」とか「忘れてしまえ。」みたいなことを言ってくるわけで。インターで出る口を間違えたり、道を間違えたりするのは敵の声によるところが多い気がします。で、敵は二番目の子のことを「偉いと思え。」とか「好きだと思え。」とかって頻繁に言ってくる気がするわけです。というか、そういうことは昔から日常茶飯事だった気がするわけで。だけど、最近、どうもその人のことを「ウジ虫君」という声が聞こえてくる気がするわけで-;。・・・どうも味方はそう呼んでいるらしい。ということは、味方の声が届くようになってきたらしい。・・・まあ、ウジ虫君かも知れませんが?-; でも、敵と味方で言ってくることが両極端過ぎませんか? と思うわけで-;。どうも病院へ行ったり、テレビでさんまちゃんを見たりすると「偉いと思え。」と言われる気がする-;。うちの若い軍師とかは口が悪いので「ウジ虫君」と言う気がするわけで-;。ころころ入れ替わる気がしますー;。でも、これで味方の思いが伝わってくるからこそ、神社巡りをする価値があると思う。親は「本が1冊書けそう。」と言いますが、「聖徳太子の真実」という本は書けそうな気がします-;。

 で、吉田の椋神社。農村の花火で有名らしいのですが。境内ではなんだか好意的な声というか、米米の「プルルンじいさん」を歌ってる声が聞こえる気がするわけで@@。「そんな曲あったね。」というか、何故に「プルルンじいさん」? 他にも迷曲はあるはずーー、と思う-;。道の駅ではラピュタの主題歌「君をのせて」のインストがかかっていて、「ちょっといい感じだー。」と思ったら「そこは「君をのせて」じゃなくて「君を連れて」って思わないと駄目でしょ。」と説教される@@。「君を連れて」はラピュタの替え歌というか、石井竜也が新たに詩を書いて歌った曲である。なぜ、それをここで突っ込む? と思うけれども、カモカモさん達は押しが強いから、自分たちの「推し」しか推してきません。秩父吉田は雷公一色である-;。

 宝登山神社は、どうも「ホト」という名前からして元は女神信仰の山だったのではないか、と思うわけですが、今ではその名残はほとんどなくて日本武尊一色である。というか、日本武尊がこの辺りを通ったら、急に火に巻かれたけれども、狼が現れて助けてくれた、という話があるそうで。焼津でもそんなような話があって、草薙剣で消火したとかなかったっけ? と思う。私が思うに、日本武尊というのは、軻遇突智になぞらえられていて、山で火に囲まれたりしているのは、山の女神が日本武尊を産むということを暗示しているのではないか、と思う。だから、日本武尊は「母親を焼き殺した祟り神」だし、山の「母女神」は、万物を生み出す母である山岳信仰の女神から、「火傷で死んだ女神」に書き換えられて、信仰の対象から消されてしまったのではないか、と思います。その一方で消火に務めた狼は氷や水の神、ということで、軻遇突智が母親を焼いた火を消火して世界を鎮めた、ということが、氷の女神である白山の信仰へと結びつけられているし、氷川とか氷飽とか、やたらと氷のつく地名にも結びつけられているのではないか、と思う。その結果、宝登山は「女神の山」から、白山的「氷の火消しの(狼女神の)山」に書き換えられているし、そのための存在なのが日本武尊なのだと思う。そして、東国に「氷」のつく地名をばらまいたのが聖徳太子だとすれば、聖徳太子は日本武尊信仰に関係しているし、「母女神は焼け死んでしまえ」という思想を暗に持っていた、といえる。その火を消すのが氷なのだから、まずは汚れた火があることが前提である。

 後は、時間があったので午後は高崎を回って五霊神社。利根川流域ではポピュラーな鎌倉五郎とか参拝してきました。

23年6月27日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。

 神社巡りについては、親に「3年もやったんだからもういいだろう。」みたいに言われて、「それはちょっと違う。」と思う。これは「学ぶこと」も兼ねているのだし、挨拶回りとか祭祀も兼ねているのだから、ある意味学校みたい、というか、卒業とか資格を取るのに必要な単位を手に入れなければ、何年続けていても完了するまでやる必要のあることなのだと思う。三峯というと、親は「近所の人が講を作っていた」とか、そんなことしか言わないわけですが、三峯は重要だけれども、もっと日本全体の狼信仰と日本武尊に対する信仰が密接に結びついていること、東国の思想の始まりには尾張犬山や熱田神宮に潜在的にあったと思われる「狼信仰」が大きく関わっていたこと、狼というのは「神の使い」であるかもしれないけれども、人を襲うものでもあるのでやはり人身御供というものと大きく関わっていること、人身御供と常世信仰は表裏一体のものであるので、狼信仰は常世信仰と関わっており、どちらもカモカモカモ強盗団の上の方が創設に関わっていること、とかを知って理解せねばならないわけです。

 そして、三峯に行っても金峰山、秩父に行っても金峰山の影がちらつくわけだから、狼信仰の拡散と維持にも金峰山が取り憑いているねえ、役行者だねえ、カモカモカモだねえ、と知らなければいけないのだと思う。

 テレビは昨夜から「どうする家康」の録画をまとめて見ていて。やっと最新のところまで追いついたところ。築山殿と信康の反乱、ということで。そもそも遠州の「常世信仰」の影は今でも強いので、中世にその強化に努めたのが今川氏であることは間違いないと思う。しかも築山は「山」に通じるし「月山」という言葉にも通じると思うので、かなり不吉な名前なのであり、築山殿の信仰がどこにあったかということが分かりやすいと思う。実際には家康とは仲が悪かったと思う。というか、上社と下社との仲の良さぐらいに仲が良かったんだろうなあ、と思う-;。どう見ても信仰的には、徳川は上の方、今川は下の方だから-;。ドラマには「忍び」がけっこう出てきますが、東海時代からの家康の家臣・服部半蔵は名前からして秦氏の末裔である。で、武田の忍びって、出自は明らかではありませんが、それは要は「真田」のことなんじゃないの? と思う。後に家康に鞍替えする真田である。ドラマの中では「お千代」という名前だけれども、これは千代保稲荷信仰を思わせる。「千代母」っていうのは、東海では秦氏の女神だったけねえ? と思うわけで、「忍び」とは秦氏であることがけっこう暗示されていそうな気がする。ドラマで瀬名が一向宗が言いそうな「東国の王道楽土」みたいなことを説いていましたが、それが実現したとしても信長と前線で対峙して苦労しなければならないのは徳川なんじゃん? 何その共産党主義者な意味不明なドラマの展開と思想はどこの入れ知恵? と思ったあたくしである。でも、実際の家康は武田との対峙ものらくらしていて、信長の怒りも買っていたんだろう、と思います。全力で武田と戦って疲弊したら、後ろから信長に襲われるじゃんーーー、ということで家康が「狸親父」にならざるを得なかった理由が少し分かった気がする大河でした-;。現実もドラマもカモカモカモが「忍び」を通して踊らされる中世である。

23年6月26日

 本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私はお休みでした。

 神社巡りもそろそろ大詰め、ということで、どうやって縮小していくかを検討しています。資金的にも体力的にも大変ですし。で、真田氏の最終的な本拠地であった松代が気になってちと調べたら、象山神社とかあって。佐久間象山も怨霊か御霊のどちらかだなあ、と思う。なので、買い物のついでに松代に行って、象山神社、頤氣神社、槌井神社を参拝してきました。頤氣(いけ、あるいはいき)神社は式内社、槌井神社は名前が気になって。槌というのは「祟り神」の標識みたいなものですが、「井」というのは古語で「川」のことであって、実際に千曲川沿いにあって水害避けというか、川の神に対する神社であることは間違いないと思うわけで。川の神を「祟り神」として祀るなら八俣遠呂智的でもあると思う。

 で、敵は私に神社巡りもして欲しくないけれども、家の仕事に集中して欲しくもなさそう、ということで。まだ妨害はしばらく続くと思います。

 テレビは昨夜は「食宝」の録画、今日の昼は「どうする家康」の長篠の戦い編の録画を見ました。信州新町のサフォーク関連の人々はいずれも真っ黒な服装ということで。

23年6月25日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。

 昼は「ニノさん」の録画、昨夜は「SHOWチャンネル」の録画を見ました。

 昨日は埼玉三峯神社、秩父神社、秩父今宮神社、武甲御嶽神社、聖神社、椋神社を参拝してきました。秩父に行くのは始めてだったので、最初は秩父市街地に近いところから回ろう、と思っていたのですが、だいたい秩父市街地に着いたのが朝の8時半くらいで、ひいじいさんから「まだ朝早いから三峯に行くように。」と言われたので行ってきました。だいたい、行き先は現地のその場で決まることが多いです-;。で、移動コースは吉井ICから県道を駆使して秩父まで。国道140号線は混んでいる、とどこかで読んだので少々山道でしたが、間道をサクサクと通って行ってみました。

 三峯はけっこうな山の中にあって、秩父と甲府の間にある感じでしたが、観光客は大勢いました。秩父市が観光事業の目玉として力を入れているようで、広い駐車場があって快適でしたが、わざとらしい感じで人の回りを走り回る子供を連れた家族連れとか、邪魔っぽい人がけっこういました。三峯の祭神は日本武尊と狼かと思いますが、境内内に御岳(みたけ)もいたような・・・。でも、ともかく感じは悪くなかったです。光前寺、名古屋犬山小口神社、見附天神、山住神社と狼信仰に関係しそうな寺社を参拝し続けてきて、遂に三峯に至ったことに意味がある感じでした。

 で、秩父神社。武蔵国四宮で祭神は八意思兼命他ですが、禍津日神(まがつひ、災厄の神)とかいるし、北辰信仰の神社だし、武甲山への山岳信仰と役行者と御岳の匂いがする。禍津日神の別名って、大屋毘古神(おおやびこのかみ)じゃないですか。これって「弥彦」のこと、すなわち天香語山のことですよねえ?? ということで。八意思兼命とは南信の阿智族の祖神であり、阿智族は熱田神宮とかと縁の深い人々ですので、加茂系の氏族の「賀茂」らしい匂いがぷんぷんする気がする。役行者も賀茂の人だし。で、御柱なんかもあるので「下社?」という感想しか出てこない-;。秩父では須佐之尾もれっきとした「災厄の神」らしいですし、「まがまがしい日輪」とはこれ如何に? と思う。それは瓢箪伏羲であり、炎帝であるものでしょうか? 先祖だっけね? と思う。

 「災厄の神」の祟りかどうか、姉が交通違反で罰金をくらってしまうしー;。数付き神社の参拝も、西国から始まってついに秩父に達しました。兄さん達からは「ラストスパートを頑張れ」と言われる気がします。そして、ここ1週間弱くらい、具合の悪かった我が家のお猫様は、しばらく食事が自力で採れなくて強制給餌を続けていたのですが、ようやく自分で食べられるようになりました。良かったです。

23年6月21日

 昨日は山梨・諏訪方面へ夏至の挨拶回り、すなわち神社の参拝に行ってきました。こちらの方面に夏行ったことがなかったので、新鮮でしたし、新しい発見もありました。八ヶ岳はほぼ静かで、前宮では資料館を拝見し、上社では大祝を祀った社を発見しました。なんだかじいさん達の御霊にあれこれ話し掛けられるようになった気がする-;。で、今まで参拝できていなかった上諏訪の足長神社と手長神社にも参拝して来ました。でもって「アシナヅチ、テナヅチといって名前に「ツチ」がつくからには神話にどういう話で載っていようと、秦氏系の神だし、病気を引き起こす祟り神でしょ。」と言われる気がするわけで@@。それらは巨人神であったという伝承もありますし、元々良い神様ではない感じ、と思う。そして、どちらも国道から入りにくい場所にあり、やや奇妙だと感じました。そして、手長神社には何故か聖徳神社が併設され、高尾山穂見神社あり、龍神社あり、ミサクチ様ありで「うーむ」と思う。おそらく本来は諏訪湖の女神であるミサクチ様あたりを祀っていたところに色んなものがとりついているように感じました。

 で、後は武蔵二宮神社を参拝した際に、隣に考古資料館があって、そちらも拝見したのですが、縄文中期の人面土器の破片などもあって。片目を傷つけられた人面もあり、「何故か?」というような説明書きがあったのですが。尖石、井戸尻で豊富な資料を見てきたあたくしとしては、三角形のかぶり物を被った人面は出産土器に通じるもので、いわゆる「母女神」に相当するものであり、片目が傷つけられているのは、彼女が「殺された太陽」であって、死んで月の女神に変化した嫦娥娘娘であることを示すのだと思う。ヴェマーレ族で述べるところのハイヌウェレである。日本では「芋名月」に関する女神といえる。そして蛇紋の土器の蛇は蛇の女神女媧娘娘であって、もう縄文中期には、「母女神」として女媧娘娘と嫦娥娘娘が分離されていて、その神話・思想が中国外にも輸出されていたことが分かる。でも、蛇女神信仰は特に関東に深く根付き、後の天白信仰へと変遷していくように思う。彼女はヴェマーレ族で述べるところのビエラ・サテネである。そして猪面は、猪だし、それも関東に特徴的なんだけどさあ?? でも、耳が長いものが混じってないですか? 兎みたいな耳のがさあ? ということで。耳などの長い神話的合成獣はグローバル的に、本当は兎、すなわち嫦娥娘娘であることを示す。メソのアンズーとか。すなわち、古代の日本の関東では、嫦娥娘娘は「芋の母」として扱われ、「イノシシの化身」として扱われる月の兎だったのである。それはほぼ丸っきりハイヌウェレと同じ思想ですよ、ということで。二宮神社の資料館は資料の数はさほど多くなく、縄文中期の土器の造形は八ヶ岳山麓のものに比べれば稚拙である。でも、そこにいた神々が良緒あたりから発して持ち込まれ、やがてこの国を狂わせていったことを教えてくれる。もはや太陽女神は殺されて、人々は「目」に見張られているのである。トールキン教授であったならば、それを「サウロンの目」と呼んだであろうと思う。ということで、尖石、井戸尻、二宮神社で見たことを忘れないようにと言われる気がするわけで。彼らはあたくし達の先祖の神々であり、我らが「輸出元」として責任を持たなきゃならん神々である-;。

 本日は外作業とあたくしの病院。・・・かなりぼったくりでは、と思ったけれども、精査も必要だと思うところがあるのでそれほど文句はありません。でも、予約制なのに病院が混雑するのは、事務方の采配が悪い以外に何があるのですかね? 私に基本的なことで、一々確認をとるのはやめて下さい、と思ったのでした-;。