さて、射日神話と招日神話ですが。雷文を持つ鶏雷神のことを語るには、招日神話のことを語らないといけません。なぜなら、長江文明、特に大渓文化の生きた化石といえるようなミャオ族の神話や文化は、長江文明の神話や文化を理解する上で非常に重要だと思うからです。鶏もその辺りが原産ですし。
ミャオ族の射日神話は、複数の太陽が射殺されて1つしか残らなかったという「射日パート」と、鶏が残った太陽を呼び出したという「招日パート」に分かれています。で、これが羿神話の原型だと私は考えますが、黄河文明では
「大中国の神話に鶏なんかお呼びではない。」
と考えられたかどうかは知りませんが、鶏さんは削除されてしまいました。でも羿を罰した帝俊は鶏雷神の上司も同然ですから、まあ「同じようなもの」といえます。でも、太陽に関連して「鳥」がいるという伝承は黄河文明にも伝わりました。それが「三足烏」です。羿が射たのはこの「烏」であると言われています。
でもって、良渚文化(紀元前3500年ころから紀元前2200年ころ)では「太陽を背負って飛ぶ鳥」の玉製品が出土していますので、鳥と太陽は「別のもの」といえます。鳥は太陽の乗り物、といえるかもしれません。河姆渡でも鳥が太陽を抱えているけど、鳥と太陽は「別のもの」で、「鳥が太陽である」とは表現されていません。孔子さま(紀元前5世紀くらい)は「太陽に住んでいる鳥は日の光を隠す」と言っています。楚辞は後漢に成立したとwikipediaにありますので、普通に考えれば、孔子様の時代から後漢までの500年くらいの間に、
太陽と太陽に住む鳥が一塊にされてしまって、烏が太陽にされてしまった
という改変が加えられた、のだと思います。別に著作権なんてない時代なので、原作がどうだったかなんて、誰も気にしませんし。烏は三星堆遺跡の扶桑樹にある通り、
「木に属するもの」
であったはずなのに。一方、「複数の太陽が射落とされた」という話は古くからありました。ミャオ族の神話にあるのだから、大渓文化(紀元前5000年頃 – 紀元前3000年頃)にはもう存在していたのです。また、これとは別にミャオ族には、「ラオタンのトラ退治」という話があって、これは「英雄が人食い虎」を刀で倒した、という話です。饕餮の構成要素の一つに「獣」がありますので、虎がいても不思議ではありません。中国では白虎といって虎も神格化されます。で、韓国には「猟師の息子の仇討」という、人食い虎を弓で射て殺す話があります。で、ナナーイには「勇敢なメルゲーン」という英雄が人をさらう巨人などを退治する話があります。饕餮の構成要素の一つは「巨人(ギリシャで言うところのティターン)」ですし、鳥もその一部になりますから、要は
羿神話というのは、「怪物退治」の神話と「射日神話」を合成させてしまったもので、本来羿が射たのは怪物の化身であった烏だった
と言えることになると思います。こうすることで、本来、太陽とは別の存在であった烏を、「太陽と同じもの」に書き換えてしまったのです。そして烏というのは、
「太陽に関連する鳥」
ということで、古くは鶏とほぼ同じ機能を持っていたと思います。なぜならミャオ族の鶏は太陽を呼び出せるし、新羅の烏は太陽を出し入れできるからです。そして、
「鳥が太陽を呼び出せる」
という神話的機能は、日本の「アマテラスの岩戸隠れ」へと繋がるのです。岩戸隠れは招日神話の一種です。黄河文明の羿神話では「招日神話」は削除されている、といえます。
でも、日本の神話はそれとは逆で、招日神話は明確にありますが、明確な射日神話がありません。そもそも太陽は最初からアマテラス1柱のみで、複数であったこともないのです。日本の招日神話に先立つのは、「兄弟姉妹であった他の太陽の死」ではなくて、「アマテラスの兄弟であった須佐之男の追放」です。天界からの神の追放は「死」も同然かもしれません。でも、須佐之男は誰かに退治されたわけではありません。アマテラスを岩戸から引き出すのはタヂカラオ他ですが、これは単に「男」といってるだけで、他に英雄的な行為をしているわけでもありません。須佐之男がアマテラスの正しい仕事を妨害した「孔子的烏」であったとしても、
「それを退治した」
という神話が非常に希薄で曖昧なのです。須佐之男の子孫を自称したいお偉いさんがいたからねえ、と思うわけで、神話なんてそんなご都合主義の改変なんていくらでもあります。
で、日本の神話には「隠された射日神話」がもう一つあるわけで。それが「アメノワカヒコ神話」です。地上を征服するために天からやってきたアメノワカヒコは仕事をさぼって、催促にきた雉も射殺してしまったので、天罰を受けて殺されてしまいました。羿神話の羿も烏を射殺したことで罰を受けますが、アメノワカヒコは雉を射殺して罰を受けます。で、アメノワカヒコは雷神性質を持つアジスキタカヒコネに生まれ変わります。日本の神話では、招日するはずの鳥神を饕餮的雷神が殺してしまいます。良渚文化では
「蹴爪のある神」
といったら100%鶏雷神だって私は思いますが、日本ではこれが「雉」に変換されます。雉にも蹴爪があるから。でもって、これが戦国時代くらいの仁科氏あたりになると「ヤマドリ」にも変換されるように思います。もう改変なんて、「なんでもあり」だから-;。でもって、更にあたくしの地元である信州新町では
「雉も鳴かずば」
というふるってる民話があるわけで。雉が、とある娘とリンクしていて、雉が猟師に撃たれて死ぬと、娘が「雉も鳴かずば打たれまい」といったという話です。この猟師というのが、アメノワカヒコのことであるとすると、鳥神とリンクしている娘は「太陽女神」だと思いますが、呼び出す鳥神がいなかったら、太陽はいつまでも出てこれないよねえ?? と思う。しかも、太陽自らも「沈黙」を選んで出ないことを選択する、という話である。そして、娘が自らの生存のために親を犠牲する、という点は、農耕文化ではなく遊牧民の文化に近いという気がするわけです。騎馬遊牧民が夜間に略奪や強盗行為を行うのであれば、太陽はむしろ出てこないで黙っててくれた方が好都合、ということで。射日神話と羿神話には、こういう意味があると思う。
遊牧民の王(上帝) > 中間管理職(鳥) > 太陽(と太陽信仰の民、要は農耕民)
という身分制度があり、「鳥」に定められた者は、太陽(と太陽信仰の民)を、余計なことを言わないように管理せねばならない。管理できなければ、太陽(と太陽信仰の民)と共に死ね。奴隷階級の太陽なんて、1個あれば充分なんだからーーー。
と、これが中国からやってきた、騎馬民族の子孫であるあたくしが、先祖の思考回路なんてこんなもんなんだろーなー、と思う「意味」なわけです。日本に稲作を持ち込んでも、お偉いさん達は馬を飼って軍馬を育ててました。水内郡には「牧」に関する地名があちこちにあります。「雉も鳴かずば打たれまい」とは、射日も招日も飛び越えて
「余計なことを言ったら殺す」
っていう脅迫そのものだなあ、と思う。その一方で
「母親は息子のための犠牲になれ」
っていう泉小太郎があるわけだから。2つ併せたら、ただただ
「女は余計なことを言わず、誰かのための犠牲になれ。でなければ殺す。」
ってそういう意味になるのでは?? と思ったあたくしでした。これで蚕馬も好きとくるから、女を殺すことばっかり好きなんじゃん?? と思うわけですが-;。