20年7月8日

 今日はお出かけの日だったのですが、朝の内はかなりの雨が降っていたので、ニュースとかずっと見ていて。雨雲レーダーで濃い雲が最初はかかっていたのですが、9時半頃から雲が薄くなって晴れそうになって来たので、出かけて。出かけている最中にどんどん晴れてきたので、最初は最低限必要なものだけ買ってこようと言って居たのですが、結局予定していたことが全部出来ました。国道(18号)を走っている時に、唐突に飛び出してきた自転車のおばさんとかいて、敵の敵意が強いなー、と思ったのでした。まるっきり「当たり屋」だと思う。雨樋工事で、言うべきことを言うと、こういう嫌がらせが来るんだー、と思う。これだって恐喝じゃん? と思う。そして、7番目の兄さんに「説得作業」について、もうちょっと具体的に事実に即して書くように、と言われたので、家に帰ってきてから書き直して。

 昼は昨夜の「ブンブブーン」を見て。夜はニュースで雨情報を見ました。

 昨夜は何だか夢を見て。ちょっとゴタゴタしていましたが、KAT-TUNの中丸君とお買い物に行って、生地屋さんで「布を買ってあげる」と言われる、という夢でした。目が覚めて「なんで中丸君?」と思うと、「これ以上男嫌いに拍車がかからないように、夫ではない男にしてみました。」と言われる気がするわけで@@。どうも、色んな人に口説かれるのに嫌気が差して、「夫よりもゲイとお友達になって仲良くしてる方が気が楽」って言ったら、色恋とは関係のない人が棚機のお使者になったらしい-;。布関係のネタが出ると言うことは織り姫のネタですよねえ? と思う。

 そして、明日のお天気と工事はどうなるのだろう? と思う。半日だけ仕事して一日分の日当を取られたら、それはそれで微妙に忌々しいわけですがー;。

20年7月7日

 梅雨末期の大雨が日本列島を襲っています。でも、長野市街地は今日のところは降ったり止んだりな天気でした。晴れたら外仕事をしようと思ったけれどもできませんでした。

 今日は詐欺による意思表示の取り消しと、錯誤無効が区別つくように、と言われる気がするわけで。そして、「動機の錯誤」については意思表示も書くように、と言われる気がするわけで@@。詐欺による意思表示の取り消しの方が第一かなあ? と思うけれども、良く分かりません。なので、何でも書いておきましたー;。

 昼は「ZERO」をちょっと見て天気情報を見る。夜は「さんま御殿」を見ました。

 なんだか、姉の機嫌が悪くてびっくりする。どうも車庫証明を取りに行かせたら、それがご当人的には負担だったらしくて、「自分ばっかりこき使われる」とかって騒ぐ-;。もうその人は役所関係には出さない、と思うわけで-;。見てはいけないNHKとか見ると更に騒ぐし。お天気情報もおちおち見てられない、と思う-;。そして、じいさんも姉もちょっと元気になるとすぐに主導権を握りたがるので-;。あんまり親身に面倒見てやるのもなーー、と思ったのでした-;。でも、これで雨樋の件では、しっかりやらせられる、と思うわけで。だいたいは敵の妨害だからです。

 そして、今日は「日本漢詩集」という本が届いて。なんで「漢詩」? と思うけれども、日本人は、特に教養有る人々は漢文をかなり良く使っていて、江戸時代まで漢詩を作ってたんだなあ、と分かる。現代のような仮名交じり文が当たり前になったのは、教育制度がほぼ全国民に普及した明治以後なんだなあ、と思う。日本で最古の漢詩文集は「懐風藻」といって、天平勝宝3年に編纂されたらしい。孝謙天皇の時代である。「懐風藻」は編者不明とされているけれども、漢詩文が発展した近江朝を懐かしむ趣旨の文集で、淡海三船(大友皇子の曾孫)が編者ではないか、と言われてるらしい。「日本漢詩集」の最初の三つは懐風藻から採られていて、大友皇子、川島皇子、大津皇子となっていて。大津皇子の辞世の句を読む。「辞世の句」が和歌の時代じゃないんだなー、と思う。でも、ちょっと違和感を感じるわけで。淡海三船が近江朝を懐かしんで、大友皇子とか川島皇子の漢詩を集めるのは分かる。どちらも天智天皇の皇子だから。でも、大津皇子は謀反人として処刑されたけど、天武天皇の皇子じゃん? と思う。母親の太田皇女は天智天皇の娘だけれども、大津皇子は壬申の乱の折には天武天皇の陣にはせ参じてるから、近江朝側からは親しい相手とは言えないし?? と思う。それに大津皇子は持統天皇に疎んぜられた、と一般的には言われているけれども、時の天皇である孝謙女帝は持統天皇の孫の孫なんだから、近江朝を懐かしむ文集を出すこと自体、反政府的って思われなかったのかなあ?? と思う。そして、孝謙天皇の初期には近江朝を懐かしむ空気があったのかなあ? と思う。そうすると、それは藤原光明子と仲麻呂の影響でしょ、仲麻呂の先祖と言われている鎌足は近江朝の重臣だし、彼らの真の先祖は天智天皇でしょ? と言われる気がするわけで@@。光明子は夫の聖武天皇が亡くなると、近江朝を懐かしむ文化的な雰囲気を作り出して、かつ孝謙天皇の後継者になりそうな天武系の王族を片付けていくわけで。それって、もしかして光明子が、いずれ天智天皇の男系に皇位を戻すつもりで立ち回ってたってこと? それで仲麻呂と二人で孝謙天皇を丸め込んでたってこと??? と思う@@。で、それと大津皇子とどういう関係が? と思う。そうすると、大津皇子のことで持統天皇を批判できないことは明らかなので、当時の人々は大津皇子の死の責任は持統天皇にある、とは考えていなかった、ということです。孝謙天皇の初期の政治の責任が藤原仲麻呂にある、と今の人々が考えるのと同じで、実際に政治の実権を握っていた者に責任がある、と考えるのは当然だから。持統天皇の時代に、太政大臣を務めて、天武天皇の血筋に皇位を継がせるために力を注いだのは誰ですか? と言われる気がするわけで@@。奈良時代の人々は、大津皇子の死の責任は高市皇子にあると考えていたのですかねえ? 高市皇子と、その子の長屋王は天武系に皇位を継がせるべきと考えていたから、それを邪魔に思った光明子はまず最初に長屋王を廃したし、大津皇子に同情が集まるような文集を作らせたというのは、反高市皇子の意思を示してるってことですよねえ?? と思う。でも、光明子の死後、仲麻呂はあっという間に失脚しましたよねえ? それは何故? と思う。そうしたら、仲麻呂は天智系に皇位を譲るのではなく、天武系にまず皇位を譲るべき、と考えていました。先代の聖武天皇の意思がそうなっていましたし、朝廷の雰囲気もそれを覆せるほどではなかったので、政治的判断かもしれない。でも、それが「裏切り行為」とみなされたから、失脚させられたんでしょ。孝謙天皇は好きになった男に政治を丸投げするタイプだったから、仲麻呂以外に好きな男ができればあっという間に仲麻呂の権力は失われる。だから、井上内親王を白壁王に嫁がせ、仲麻呂政権下で白壁王と山部王を出世させ、いずれ皇位を白壁王から山部王に、と目論んでいたのは光明子でしょ、娘をそのために利用しただけでしょ、と言われる気がするわけで@@。仕組んだのは光明子と水内郡の金刺氏が直々に送り込んだ女官ですねえ、と思う-;。7番目の兄さんには、「大津皇子は近江朝の遺臣に担ぎ上げられても、結局は天智系の王族に皇位を移すための”つなぎ”に使われるだけだと、そんな日の目を見るよりもあからさまなことに何故気がつけなかったのか。父帝に似て聡明な若者だったのに。甘やかされて育っていたから世間知らずな所があって、息の根を止めるのは赤子の手をひねるよりも簡単だったのに。自分には彼を留めておけるだけの力がなかった。」と言われる気がするわけで@@。大津皇子の辞世の句のための「日本漢詩集」ですか?? と思う。私も詐欺による意思表示の取り消しとか、錯誤無効とか、公序良俗無効とか、気が付くまでに相当かかったから気が付けないものは、気が付けないのですよ、と言うしかない-;。というか、錯誤無効な案件なのですかねえ? 詐欺による取り消しか、公序良俗違反が問題になる案件なんじゃないの? どう見ても相手方が言ってることが出鱈目すぎでしょ、と思うわけですが-;。それも良く分からないわけです;。夜は久しぶりに「unpluged」のDVDを見て、何となく7番目の兄さんとお話しながら、書類を見直していたのでした。28頁は維持しております(笑)。

20年7月6日

 今日は遅延損害金のところを少しやる。で、雨が降っているので、そろそろ外作業に戻ろうと思うけれども、今日は家の中で待機していました。家人は車庫証明を取りに行って、陸軍局に行って。車の引っ越しも大分完了しました。夜になってからは、雨はかなり小降りになって、長野は雨雲の狭間で晴れがちなのですが、降っているところは降っているわけで。雨雲レーダーだと静岡の辺りが激しい気がします。だから、県の南部もけっこう降っていると思う。前線もかなり北上してきているので、早く梅雨が開けて欲しいです。

 で、T工務店の社長が、工事の予定をなかなか入れないことを「解体工事が入っているから」とかって言い訳していて。これは良く良く馬鹿にした話で、具体的にどこそこの解体工事をいつからどのくらいの期間でやる予定なので、その期間はあらかじめうちの工事の予定が入る前から決まっていたから、その期間は工事に入れない、ときちんと契約書の写しとかを見せて説明するなら、本当のことだって分かるけれども、口頭でそんなこと言われても、本当のことかどうか分からないし、我が家の工事の契約の方が先で、さっさと済ませるべきなのに、それをほっといて余所の工事を入れるのなら、それこそ「信義則に反してる」と言うべきだし。しかも、文書ではなくて口頭で言ってるから証拠も残らないし。K建設もこういう説明にもなってないようなことを言い散らしたあげくに、「下請負を説得してたから」とかって、今になって裁判で、工事中とはまた全然別のことを言っているわけだから。建築士会は、お客に出鱈目な嘘ついて、工期を引き延ばして迷惑をかけるように、マニュアルでも作って配ってるの? とでも言いたくなるわけで。「工期が延びたのは、そっちが必要な材料をしっかり見積もらなくて、工事ができなかったから」という趣旨のことと、「元請の指示に従わない下請けは現場に入れないでくれ」とは書いて送っておきました。非常に腹が立つ話なので。

 昼は「ニノさん」の録画を見る。夜は「10万円でできるかな」を見ました。

 そして、土曜日はまっすーのお誕生日でした。おめでとうございます<(_ _)>。遅れてしまってごめんなさい。

 今朝も土曜日の「しやがれ」の録画を見て朝ご飯を食べていたら寝落ちして。なんだか、高校の友達と出かけて、車で行ったのに、帰りに友達が私の車を運転して帰ってしまったのでバスで帰らなければならなくなって、終バスがもう出てしまっていて。道に迷っていたら、親切な人が翔君を呼んで預けてくれた、という夢で。最近は道に関する夢をよく見ます。で、だいたいが「道に迷う夢」であって。玄関から私の部屋に通じる道を綺麗にしろってことなのだと思う。そうすれば、自動的に「水の道」も綺麗にすることになるし。でも、そこにたどり着くにはもうちょっとかかるのです。そして、その辺りは土がものすごくばっちいのです-;。

20年7月5日

 今日は書証を少しやりました。そして、「履行遅滞」なのか「履行不能」なのか。どのような合意が存在したのかについてなるべくお金に関することを詳しく書く。で、結局28頁になってしまいました。

 で、来週はまた工事がありそうです。親は「割と早く次の工事が決まった」と言って居ましたが、わたしは「そう?」という感じ。梅雨が明けて、雨の心配がなくなるまで無視する予定なのかとは思っていましたがー;。なんだか、T工務店の社長さんは私の顔色を伺っている気がします。そして、あんまり機嫌が悪くないところを狙ってきている気もする-;。少なくとも今日は機嫌が悪くありませんでした。書類がだいたい書き上がったところだったから。

 昼は「未満警察」の録画を見る。個人的にはあんまりバイオレンス的なものは苦手なのですがー;。とりあえず見る。夜は「ため旅+」と「シブヤノオト」を見ました。

 昨夜は午前2時まで書類を書いていて、寝るのが遅くなってしまって。今朝は朝ご飯の時に、ものすごく眠かったのです。なので、昨夜の「嵐にしやがれ」を見ながら食べていたら、寝てしまって。そうしたら夢を見て。夢の中で、嵐の兄さん達が「暇になった」って言って我が家に遊びに来て。なんだかあちこち動き回って作業をしていて。で、私は準ちゃんと並んで座って、仲良くポテチを食べる、という夢で。ともかく、夢の中でも「何か食べなきゃ」と使命感みたいなものは持っていたみたいです-;。最近は朝ご飯をテレビを見ながら食べていて、途中で寝てしまうと、必ず夢を見て、テレビで見ている人が夢に出て来る気がします。それだけ夢も送りやすくなったのかなあ? と思う。

20年7月4日

 今日は書類を少し見直して、書証をやる。書証もあと少しで何とかなると思います。

 で、時期柄、九州南部で大雨が降って、熊本とか大変そうです。長野は降ったり止んだり、という感じですが、それでも工事中だから少し心配です。初夏の梅雨と秋の台風で、最近の日本列島は水害が多いなあ、と思う。災害に乗じてコロナが流行らなければ良いな、と思います。

 昼は「ニュースな会」をちょっと見て、後はNHKの天気予報関連のニュースを見て。夜は「ミタゾノ」を見て、「嵐にしやがれ」を見ました。