24年8月8日

 本日は外作業のみ。なんだか少し涼しくなって穏やかな日常が戻ってきました。

 テレビは昨夜と今日の昼は「ラッキーセブン2」の録画を見ました。

24年8月7日

 本日は雨が降ったりして、気持ち涼しくなった中、雑用を片付けにあちこちに行ってきました。色々な書類が必要で大変でしたが、なんとか一日で用件は片付きました。父親とあれこれ話をしましたが

「俺は100まで生きるわ」

と言っていました。気持ちは若い父です。

24年8月5日

 本日は買い出しと外作業。暑いので熱中症に気をつけながら、昼間はなるべく涼しい部屋で休むようにしています。

 テレビは昨夜は「WEST」の番組の録画、今日の昼は「笑うマトリョーシカ」の録画を見ました。「笑うマトリョーシカ」は危険思想を持つ母親に操られる清家君・・・。父親との縁は薄いわけですので、だんだん神話的には「八幡神」みたいになってきたかなー、と思います。八幡神は長野的には彦神別神の焼き直しであって、その前身は五十猛と思われます。五十猛を裏で操ろうとした鈴木君は、謀反の濡れ衣を着せられてくびになってしまいました。まさに「守屋大臣」な役回りです。てことは、怖い母親は、神話的には神宮皇后というよりは、「玉依姫」そのものなのか? と思って。私の父方の叔母さんなんか、まさにあんな性格だった気がするわけで-;。

 ところで、五十猛には大屋毘古神という別名があり、これは東日本的には「弥彦」のことと思われます。要は天香久山のことであり、天香久山の時は、尾張氏の祖であり、天火明命に接続するけれども、五十猛の時は須佐之男に接続する、という二重性のある神であって。五十猛が「いおたけ」となると神武天皇に接続して金刺氏・阿蘇氏の祖になるのです。要は「先祖」なんぞ適当に、臨機応変にどんどん作れるわけだ。そして、五十猛・弥彦の別名に、禍津日神というのがあります。「災厄をもたらす神」なのだそうだ。「災厄をもたらす日」でも意味としては、良いよねえ? と思う。禍津日神はイザナミ・イザナギに接続する神なので、須佐之男のこととして構わないと思う。

 要は、須佐之男と五十猛は「同一の神」であって、天上世界から地上にかけて分布するのが須佐之男で、地上に君臨するのが五十猛神なのだと思う。そして、五十猛神の子孫を名乗る者達は、「天上の神須佐之男」の子孫であり、先祖はアマテラスではなく、禍津日神、すなわち「災厄をもたらす神」であるので、その子孫である自分たちも災厄をもたらす、と言いたいのだと思う。災厄を専売特許とする馬鹿な先祖を持つ「終わり」がどこかにいるらしいです。ここにもいるかもよ?-;

24年8月4日

 本日は外作業他。よくよく暑いので、父親の部屋はエアコン全開、姉と猫様は休憩時間は昼も夜も、同じくエアコン全開の私の部屋で休んでいます。ここまで暑くなれば、電気代の方が入院代よりも安い! と思えます-;。でも猫様は私の部屋が好きではないので、居間へ戻ると部屋の外へ出たがらなくなりました。

 父親の薬はあと1日分ありますが、微熱も出なくなって、調子は良さそうです。風呂も一人で楽しそうに入ってるし。食事は朝卵かゆにして、ちくわなんかも出して、動物タンパクを少しずつ戻しているところです。で、食べられるようになったのでポカリは卒業しました。カロリーメイトはまだ少し出してます。献立を考えながら姉と打ち合わせをしています。姉も、台所を預かるのは、ただ決まったものだけを好きなように作るのではなくて、病人が出たら療養食を作らなければいけない、とか良い経験だったと思います。私も勉強になったし。食養生しても体重もあまり落ちなくて良かった;。

 それから今年は気候がちょっと変だったせいか子スズメの時期が少し遅くて、未だにスズメさん達が来ます。でも、野生の餌が豊富だからパンの消費は少ないです。

 それから誰かが家の庭にヒキガエルを放していって、夕方見つかって。そのまま置いておいても生きていけるか分からないので、近くの池のふちに生えている木のところにはなしてあげました。まだまだ色々な嫌がらせをされます。

 テレビは昨夜は「with Music」、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

24年7月31日

 本日は買い出しと外作業。

 昨日の朝9時頃、朝食後から父親が腹痛を訴えて、午前中は買い出しに出ていて知らなかったのですが、昼食時に言い出したので、急遽病院へ連れて行って。その時、発熱は6度9分だったから、ギリギリ37度ではありませんでしたが、父親としては熱が高い方で。色々検査して頂いたら白血球の値が上がっていて、でもCRPはまだ上がっていなくて。炎症(たぶん憩室炎)のごく初期の段階をつかまえたらしくて。お薬を貰って帰ってきました。

 薬はニューキノロン系の抗生剤とアセトアミノフェン。抗生物質はちゃんと飲ませてますが、アセトアミノフェンは腹痛を訴えたときに半量しか飲ませてません-;。だいたい、母親が解熱鎮痛剤は「根本的な解決にならないから嫌い」と言って飲ませてくれなかったので、まあ個人的には痛みや熱が苦痛の場合は、苦痛排除のためには飲んでもいいかも、体が休まらないから、と思う程度です。だからやはりあまり飲ませない傾向かも-;。

 食事は「本当は絶食がいいんだけど、おかゆにしておいて。肉や魚といった固形物は食べさせないで。」

と言われたので、昨夜と今朝と今日の昼は葛湯とカロリーメイトをだしましが、今日の昼の食後に一時的に腹痛を訴えたので、夜は重湯だけにしました。熱は昼間36度9分、夜は37度4分でしたが、血圧は昨夜が150とかあったのが、今夜は115でほぼ通常だったので、全体的には今夜の方が腹痛もなくて体調が良いように思います。オリンピックも楽しそうに観戦してますし。でも、熱があると、ただでもよぼよぼしてるのが、更にふらつくので。廊下で転んだままになってないか、とか注意しています。

 それから、今回のことと関係あると思いますが、ここ1週間くらい、外出するとやたらと敵意を感じるというか、姉も私もイライラすることが多くて。知らない人から、スーパーの駐車場でいきなり道を聞かれたりとか。twitterみたいなSNSで適当につぶやいていることに、急に知らない人から大量の「いいね」がつくとか、変なことも多くて。

 で、昨日も父親を病院へ連れて行くときに、姉と喧嘩になって。これから力を合わせて、病院へ行かなきゃ、という時に

「もっと早く連れて行けば良かったのに。」

とか

「早く支度しろ。」

とか、私を悪者みたいに言うわけです。自分では何もやらないくせにーー、と思う。だいたい、急病人が出たときには、「なんで具合が悪くなったのか」とか犯人捜しみたいなことをする前に、まず病院へ連れて行かねばならないのに、自分が不安だからって私を攻撃する? と思う。で、しかも

「あたしだって具合が悪いのに、父親とは扱いが違う。」

とか言い出すし。緊急性のない病人と、緊急性のある病人と、どちらを優先すべきか、とかトリアージの説明なんかをいちいちするのも馬鹿馬鹿しいので、忙しいときにキレている姉をほっといて父親を病院へ連れていったわけで。帰ってきたら、姉も少しは頭が冷えたとみえて、通行に邪魔な草を刈ったりとか、色々と気を遣ってくれてたわけですが。でも、丁度けっこうな雨が降ってたときだったので、雨の中草を刈ったりして風邪っぽくなったらしくて、今日はかなり鼻の状態が悪くて-;。

 仕方がないので、今日姉のほしがっていたものをちょっと買いに行ったり、ビタミン剤を飲ませたり、姉のフォローをして。で、重湯とか葛湯の作り方を教えて、作ってもらって。病気なんて気をつけていても、なる時はなるものなのだから、家族がなった時にあたふたして、不安でキレたり、何もできないようでは困るので。

「療養食も作れるようになってね。」

とお願いしておきました。母親が生きていたら、なんて言うだろうなあ、と思って。療養食なんかは、経験が豊富だから、適切にタイミング良く作ってくれたと思いますが。でも父親のことは

「死ぬ前にお腹が痛くなって苦しんだりするのは、天罰が当たっただわ。」

とか言いそうだー、仲の悪い夫婦だったから-;。と心の中でため息をついたあたくしでした。父親も母親が死んでから、母親のことを一言も言ったことはありませんし。父親とのお別れの時も迫っているのかもしれず、あれこれ考えたりしますが、できることをできるようにやっていくしかありません。でも母親がいてくれたらなあ、と思うことはあるけど、まあ少ないかも、と思います。母親も油断してると

「お前はあたしよりも父親の方が好きなんだな。」

と嫌みを言う人だったのでー;。姉を見てると、正直母親の嫌だったところをけっこう思い出します;。家族が病気の時に、誰を誰よりも好きとかねーだろ、と思う私でした;。母親も不安なことがあると、必ず

「私は悪くない。私以外の誰かが悪い。」

と言う人でしたが、家の人員もだいぶ少なくなってきましたので。姉が責任をなすりつける相手は私くらいしかいないので。困っていて助けて貰いたいことがある時に、わざわざ

「私は悪くない。お前が悪い。」

と言われると、さすがに私も腹だたしくなります-;。私も母親とは違うタイプの人間なので。姉もまだ対応法をつかみかねているのかもしれませんー;。