24年9月7日

 昨日は姉の病院と外作業。私は土の清掃、埋め戻し、姉は土の清掃、石片付けでした。本日は外作業のみ。私は土の清掃、姉は土の清掃、石片付け。残暑が厳しくて夜になっても暑い一日でした。

 一昨日の前の日、社子神社、飯縄天合祀神社、返目神社を参拝しました。返目神社はさほど有名ではない? 神社ですが、立派なケヤキの木があって、吉田神社とか美和神社にも同じくらいの太さのケヤキがあるとのこと。美和神社や吉田神社は延喜式にも出てくる古い神社なので、返目神社も起源はかなり古くてケヤキは平安末期か鎌倉初期にまで遡るものなのか、と思いました。

 が、それどころではなくて、境内に「蚕神」が祀ってあって、「蚕と馬の一体神」というのが祀ってあって、しかもこの辺りに特有の「2頭の馬」が台座にありましたとさ。こういう「蚕神」を見たのは、3例目、というか、これは「蚕馬神」ですか?? と思うわけで@@。思わず取り乱して

「頭にマツケンがついてて欲しい」

とか意味不明なことを思ってしまうわけですが-;。蚕馬(さんば)って言ったら、露骨に馬頭娘じゃん、オシラサマでもないんですか? タコって地名まであるのに?? と思う。(東北ではオシラサマの本名はタコという娘なのである・・・・-;)しかも、「蚕の母」扱いですから、この辺りでは当然「オオゲツヒメ」のことである。「父なる馬」は当然、須佐之男のことになる。でも善光寺周辺には諏訪系の神社が大量にあって、八坂刀売も松本方面では「蚕の母」扱いされるので、

オオゲツヒメと八坂刀売は習合してる

ということは芋づる式に

須佐之男と諏訪神は習合してる。善光寺ではとどめに

須佐之男の子神・御歳神と諏訪神の子神・彦神別神は習合してる

となるわけで。蚕馬っていったら、中国では誰になるかはともかくとして、日本の水内郡ではオオゲツヒメか八坂刀売のことで、しかも、馬との間に

子神

までいるのである。そんなこと古事記にも書いてないよ?? と思う-;。蚕馬を祀るようになったのは、明治以後だとしても、こういう神様を考え出した人は

日本の古典にも中国の古典にも精通した知識人

ではあるのである。だって「馬頭娘」を知らなかったら、馬から蚕が発生したなんて考えつかないはず。そして古事記を知らなければ、須佐之男とオオゲツヒメの妻問いから蚕が発生したなんて知らないはず。で、100歩譲っても、明治期に古典の故事から

古典にはない話を作って蚕神を作り上げる

なんてことは新しく始めるはずがない。古典に精通していて古典を愛しているのであれば、元ネタの通りに祀ることにむしろこだわるはず。というか、

須佐之男と諏訪神を習合させる

というのは、諏訪大社の縁起からみて、室町時代には公然のこととされているわけで。オオゲツヒメと八坂刀売の習合もその一環と思われる。でなきゃなんで権威の高い善光寺が、母であるオオゲツヒメと子神である彦神別神(あるいは御歳神)を一緒に祀っているのか。「母神と子神」を同じところで祀る(父神は一緒ではない)という構図は母系の文化の流れを組む構図で、私は他には尾張・真清田神社ぐらいでしか見たことないんだけど??? と思う。そして、真清田も「母である織り姫」と息子神の神社である。

 でもさあ、真清田は尾張氏の公式の祖神を祀る神社であって、例えば明治期になって氏子が

「真清田の母神は馬頭娘(オオゲツヒメ)と同じである」

って突然言い出したりしないだろうと思う。母神がみじめに殺されたなんていったら、日本武尊を誇る栄光ある一族の恥なんじゃん? そういう当たり前の感覚を持ってる

尾張物部氏

と、明治時代になっても

「女なんて蚕も同然の食い物」って言って恥とも思わない

信濃尾張氏 であるところの 金刺群

ってのがいるわけですな。明治時代になって言うようなことかよ?? とやっぱりセンスを疑うあたくしでした-;。(ちなみに蚕のさなぎは食べられます。食べる地方もあるんじゃないのかな??)

 あと、「馬が兄弟」っていいながら馬刺しを食べるなんて、本当に「我が子を食らうサートゥルヌス」なんじゃん? って突っ込みが来る気がします@@。・・・私だけ仲間はずれにして、馬刺しを自分だけ食べたのがいたねー、そういえば。むしろ、「食べ物の恨み」は私は忘れない。私だって執念深い一族の一人なんだからーーー、と思い出した私でした-;;。

 そして、尾張真清田では、織り姫が殺されないかわりに、「殺される龍」の伝承があるわけで。おそらく、この「殺される龍神」は元々母の織り姫のことを指していたものを分離したものと考えています。

母女神が龍女である・母女神が織り姫である

というのは、中国というよりは極東アジアに強い思想で、新羅の王家の始祖神話がこうなのです。朝鮮の人は母女神を大切にして

殺したりとか蚕にして食べてしまえ

とか言わないわけですが、日本ではまず尾張で母女神と龍女を分離して龍女を殺してしまい、善光寺平では更に進んで母女神を蚕にして食べちゃってるわけ。龍女の方は犀川を開拓させられて殺されたり、九頭竜で戸隠に封印して殺してしまったり、もう殺戮の限りです(呆)。

 面白いことに、中国では、蚕馬は普通の娘で、せいぜいが「いいとこのお嬢さん」くらいの扱いなのですが、極東では蚕馬あるいは織り姫はれっきとして「国母」であり、「女神」であるわけです。古代中国でも養蚕に関する祭祀は皇室の女性達の重要な仕事ですから、本来は中国でも

蚕馬は高貴な(母神といえるような)女性

だったのだと考えます。でも、養蚕を庶民が広く行うようになると、「高貴な人の技」という思想が薄れて、蚕馬は普通の娘になってしまったのかもしれません。古代中国でだって皇后とか皇女の身分の人が誰かに惨殺されたら、それはやっぱり一家の権威を損なうものなんじゃんねえ?? ということで、「殺される女神」は庶民化されてしまったのかも。

 で、面白いことに、新羅では王家の母女神で龍女である娑蘇婦人は中国から来た、と言っている。

 でもって、日本では賀茂の祖神のことを「八咫烏」というわけですが、新羅には「烏の夫婦が日本に渡っていって日本の王になった」という伝承がある。

 で、日本には須佐之男と五十猛は新羅から日本に来た

って言われている。賀茂の一派の金刺は須佐之男と変形五十猛(あるいは御歳神)を祖神と言っている。

ということは、うちの先祖は新羅から来て、新羅には中国から来たんじゃん? 織り姫である龍女を母女神に持つのは、我ら「多氏(王氏)」のステイタスじゃん?

となります。しまいには蚕にして食べちゃったんだけどね。多氏とは、かつては「王氏」と名乗っていたのだと思います。タコっていうのは、しまいには口寄せを行う巫女みたいになっちゃってますが、母女神の代理の斎宮的皇族のことを指す言葉だったんじゃないの? と思います。その女性が詰めていた土地に地名として「タコ」という言葉が残っているのでは? と思います。

24年9月13日

 本日は姉の病院と外作業。私が土の清掃、姉が土の清掃、石片付けでした。

 なんだか、昼間は真夏よりも暑い気がします。朝晩は少しだけ涼しくなります。

 テレビは昨夜は「音楽の日」の録画、今日の昼は「夜会」の録画を見ました。

24年9月6日

NHKで「三星堆遺跡」の特集をやっていたので見てみました。内容は

 三星堆遺跡からは青銅で作った偶像や人頭像が出土する。これらはバラバラになって破壊された状態で出土している。

 時代は紀元前1000年くらい、ということは今から3000年前くらいの遺跡で、日本でいえば縄文末期、黄河文明でいえば殷の時代に相当する。(紀元前1000年といえば殷でも末期の時代である。)

 古代中国文明で偶像が作られるのは珍しいことである。

 三星堆遺跡からは絹が出土する。

 三星堆遺跡の人々は絹を西方の文明と取引していて、メソポタミア文明などの西方の文明を取り入れて偶像を作ったり、金を扱う方法を学んだのではないか、と想像される。テレビで紹介された「西方の文明」とはメソポタミア文明やエーゲ海文明である。

その一方、耳が大きかったり、目が奇怪だったりする人頭頭の意匠は、長江中流域にあった石家河文化の影響を受けている。殷で使われていた鼎の獣面紋もこれに関連した意匠である。

そして

特に争いの形跡もないのに像が破壊されて(おそらく破棄されたこと)、文明も衰退していることの理由が謎である

とのことである。民俗学的に重要な「獣面紋」の「東方への影響」を示すのなら、せめて「熊本駅のくまもんの首」も出さないといけない、でなければ社子神社の獅子頭とか、と個人的に思う私ですが、「首だけの面」って聞いただけで、分かる人には「獣面紋(饕餮紋)」だと分かる。なので、その起源を探るのであれば紀元前5000年くらいの長江下流域の良渚文化にせめて触れないといけない気がするのですが、それはなし。「獣面紋」は中国の遺跡だけでなく、縄文中期の尖石遺跡からも出土してるのだけれども、それに触れることはあるわけがなし、ということで。そして、一般的な「獣面紋(あるいは饕餮紋)」は一部が羊だったり、牛だったり、とか様式があるわけですが、三星堆遺跡の像はあくまでも、人型であって、奇怪ではあっても人間と受け取れる全身像をしていて、獣、たとえば牛だったり、馬だったり、羊だったりという姿はしていません。なのに、なんでそれを「獣面紋」と起源的に同じもの、としてしまって良いのかという説明もない。

それから三星堆遺跡からは「青銅神樹」という鳥が停まっている神話的な樹木像が出土していて、これは養蚕の事実とあいまって「扶桑樹」のことと思われるけれども、その説明もなし。そのかわり、意匠としてはメソポタミアの神樹が紹介されていて。

で、四川では時代が下っても養蚕が盛んであって、その結果「蚕馬」に対する信仰が盛んであったわけです。「蚕馬」とは

馬が人間の娘と結婚しようとして、娘の父親の怒りを買い殺されてしまった。死んだ馬の皮は娘に巻き付いて空に飛び上がり消えてしまった。父親が探すと娘は馬の皮にくるまって死んで、桑の木にぶら下がり蚕になって糸を吐いていた。

という「蚕の起源」の神話で、当然中国の神話です。だから四川の人々は「少女の像に馬の皮をかぶせたもの」を「馬頭娘」と呼び、桑や蚕を供えて、豊穣などを祈ったとのこと。娘は「蚕の母」といえ、馬は「蚕の父」といえます。馬と娘が結ばれて、蚕が生まれましたが、馬と娘は死にました。娘が馬の皮をまとうのは、馬と娘が一体となって結ばれたことを意味します。三星堆遺跡に影響を与えたといわれる石家河文化では動物と人骨が共に生け贄にされて埋葬される、という儀式があったと思われますので、「蚕馬」は養蚕が盛んになった時代に、馬と若い女性を「結婚」という形で一緒に殺して生け贄とした文化があって、それが伝承化したものだと考えます。そして、桑は女性の死体が引っかかった木でもあるし、蚕の餌でもあるので、「聖なる木」なのです。桑の木がないと、絹で金儲けができません。

そして、絹の豊穣の祭祀の前身として、このように若い娘と人外のなにか獣を宗教的に結婚させて「織物の豊穣」の祭祀に生け贄として使用する文化があったように思います。なぜなら台湾の神話に、奇怪な巨人が織り姫を犯して殺し、自分も殺されてしまう、という話があるからです。でも台湾の神話では殺されるのは奇怪な巨人の母親だったりもして、必ずしも殺されるのは織り姫ではないので、

「殺される女性が織り姫である」

というのは、織物の豊穣の祭祀の神話としてまとめられる過程で確立したものであって、もっと一般的になにがしかの利益を求める祭祀のための生け贄であったなら、殺されるのは織り姫でなくても良かったのかもしれません。でも、特に何かを増やして豊穣を得るような祭祀では、「増やすために親が必要である」という考えがいつからか発生して、男女の組み合わせが殺されなければならない、とされたのかもしれないと思います。

というわけで、扶桑樹の像があり、養蚕が行われていたのであれば、三星堆遺跡には「蚕馬」に近い神話、あるいはその原型となる神話があったように思います。でも、三星堆遺跡には馬の神像はありません。一方、「獣面人像」はたくさんあるわけですから、三星堆遺跡の「蚕の父」は文献中国神話的な「馬」ではなくて、台湾式の「巨人」であった可能性があると思うのです。ということは、「馬頭娘」とは、元は蚕の母である「織り姫」のことであったと思われます。そうすると、台湾の神話との比較で一致した点が多くなり、整合性がとれます。

しかし、一致しない点もあります。「蚕馬」では「蚕の父」である馬は殺されてしまいますし、台湾神話の「織物の父」といえる巨人も殺されてしまいますが、三星堆遺跡の偶像は「殺されたもの」というようには見えない。むしろ祭祀に使われていたし、使われていた間は珍重されていたのではないでしょうか。青銅器の大型の像は作るのも大変だったでしょうから。そして、一般的な「饕餮紋」の名前の由来となった饕餮も「悪い神」という存在ではあるけれども、何かの父親になって殺される、というような神ではありません。

このように考えると、三星堆遺跡の「蚕馬」は、「蚕の母となる娘は殺されるけれども、父となる巨人は殺されない(むしろ尊重される?)」という神話であったように思えます。父となる巨人は、祭祀に重要な役を果たすようになりました。同じような神話がどこかにないかな、と思いましたらありました。

日本の神話では、蚕の母となるのはオオゲツヒメであり、彼女を殺して蚕の父となるのは須佐之男です。須佐之男は天界を追放されたとはいえ、オオゲツヒメよりも身分が高い存在で、特に殺されたりしません。それどころか、祇園だの津島だので盛んに信仰されているわけですから、「馬頭娘」を殺したからといって、人々から心情的に嫌われたわけでもありません。「蚕の父」である須佐之男が殺されもせずに祭祀で重用されている点は、三星堆遺跡の祭祀の構造と良く似ていると思う。

日本神話では、他に須佐之男が馬を殺して、その皮を織り姫のところに投げ込んで、織り姫を殺してしまい、天界を追放された、という話もあります。こちらの方が形式としては台湾の巨人に近い話で、須佐之男も罰を受けることとなります。でも、馬の皮で女性を殺す点は、「馬頭娘」と同じですから、こちらは台湾神話と「馬頭娘」の中間的神話といえます。

要するに、須佐之男の「織り姫殺し」と「オオゲツヒメ殺し」は起源が同じ神話で、織り姫とはオオゲツヒメのことに他ならない、となります。そして、善光寺を中心とする長野県の「水内郡神話」ともいえる信仰では、善光寺にオオゲツヒメが「蚕の母」として祀られ、おそらくその子神として「御歳神」が祀られています。「御歳神」は大晦日に馬に乗って市中を巡る、と言われていますので、馬と一体化した神であり、「馬の子」といえます。「馬の親は馬」ということで、その父神である須佐之男も馬としてあらわされると考えます。そもそも「蚕の母」を殺すのは馬です。ということで、「水内郡神話」では、「蚕の父である須佐之男」とその跡継ぎである「御歳神」だけが「馬」で、「蚕」あるいは「織り姫」である妻や娘を殺して絹の上がりだけを受け取ってもうける、という思想が、養蚕による外貨獲得が奨励される明治時代になると急速に表に出てくるようになりました。3000年前の中国の思想じゃないよ、100年くらい前の日本の思想よ? と思う。長野県には、この他にも「おじろく、おばさ」という、「家長と跡取り」だけを大事にして、他の子供はみんな食い物にする」という文化が南の方にありましたから、もう全体に、このように妻子を食い物にして「家長と跡取り」だけを大事にする文化を重要視する氏族がはびこっていた、としか言いようがありません。養蚕や織物は女性の重要な仕事であるのに、お金にしてもうけるのは、「家長と跡取り」だけなわけだ。うちの父親なんか、「女の子を産んだら川に捨ててくる」とかって妊娠中の母親に平気で言ってたそうで、母親が生前大変怒っていましたが-;。

というわけで、三星堆遺跡に「蚕馬」の原型となる思想があったとすれば、それは

「家長と跡取りである巨人(あるいは馬)」だけが妻子を食い物にして、妻子に作らせた絹で金儲けする。代々の家長はこういうシステムを作った先祖の巨人に感謝し、殺された女神とその夫であり息子でもある巨人に絹の生産の豊穣を祈る。

と思われます。一番近い類話は、「水内郡神話」におけるオオゲツヒメと須佐之男と御歳神の神話と思われます-;。

というか、「馬の息子」が出てくる神話なんて、うちだけのオリジナルなのでは? と思いますが、これは「父系の正当性」を現す神話でもあるといえます。跡取りである男子だけが、父親の権利を引き継ぐのです。日本神話における須佐之男が、中国神話の「獣面紋神」だとすると、その起源は父系の思想が発生した良渚文化に遡るのではないでしょうか、「父系の正当性」を現す神話であるならば、となります。ということは、良書の「獣面紋」は、王家に富をもたらした王家の先祖であって、王家の正当性を示すと共に、更にその先祖である上位の神々に捧げ物をする存在であり、子孫である人々と上位の神々の間にたって話を取り持つ神でもあった、といえるのではないでしょうか。日本神話の須佐之男がそのような神であるように。

日本神話では、須佐之男は今でも神として大事にされている神といえます。でも、三星堆遺跡では3000年も昔にその像は破壊され廃棄されました。何故でしょうか。テレビでは、西方の文明と交流があって、思想的に影響を受けた可能性がある。それはエーゲ海文明など・・・、と言っていましたが、なんでそういう言い方をするかというと、紀元前1000年、というとギリシャ文明が発生するにはまだ早いからなわけです。でも、クレタ文明は地域が限定されすぎていて、中国にまで影響を与えたのか、と言われると微妙ですし、メソポタミア文明とかバビロニアに言及するなら、エジプト文明を上げれば良かったのに、と個人的には思うわけですが、ともかく、紀元前1000年くらい、あるいはそれよりも少し前くらいで、父系の「妻子を食い物にする」文化を変え得る思想を持った文化、といったらそれはもう青銅器文化の話ではなくて

鉄器文明とヒッタイト(現在のトルコ)

が出てくる話ではないのか、と思うわけで。この時代の「西方の文化」といったら、少女漫画ファンであったら、「主神が意図的にテシュブに改変されてる天河」がすぐに出てくるようでないといけない、と思うのです。事実としてはヒッタイトの主神は男神であるテシュブではなくて、妻のヘバトなのです。そして、西方文明で、

「妻子を食い物にする」神

といったら、ローマのサートゥルヌス、ギリシャのクロノスであるわけで、この神々が日本神話の須佐之男に相当するといえます。そしてヒッタイト神話ではクマルビといいます。でも、ヒッタイトは女神が主神なわけですから、「妻子を食い物にする」神など許される存在ではありません。ヒッタイト神話のクマルビは、更に上位の神であるアンに反乱を起こした神とされ、息子であるテシュブに倒されてしまいます。そして、ヒッタイト神話の次にくるギリシャ神話でもクロノスは息子のゼウスに倒されます。すなわち、日本では信仰の対象として現在でも人気のある須佐之男は、西方では紀元前1500年頃には、その正当性が否定され悪い神に変更されてしまいました。このように女性を大切にする思想が、現代に至るまでの西欧の男女平等の思想に大きな影響を与えたのではないか、と思います。が、ともかく

三星堆遺跡に「獣面紋神信仰」を破棄させるほどの思想的影響があって、かつそれが「西方の思想」ということになると、状況的にヒッタイトしか思いつかない

というくらい、鉄器の発明と、ヒッタイトの宗教思想は周囲に対する影響が大きかったのだと思います。しかし、おそらくその結果なのでしょうが、三星堆遺跡は滅びました。方法については、有力な指導者に毒を盛るとか、何らかの気候変動で人身の不安をあおったりとか、表だった争いがなくても、手段はいくらでもあるように思います。同じ頃に、殷も人身御供を廃したら滅ぼされました。殷は盛んに人身御供を行って滅んだように言われていますが、確か肘王は人身御供を廃しようとしてたように思います。神話的にいえば、彼らは生け贄を求める「獣面紋神」の怒りを買って滅亡した。なぜなら神には巨大な耳と目があり、どこにいても自分に敵対するものの言動は見えているし、聞こえているし、その結果敵対は決して許さず、敵対者を「終わり」にしてしまおうと執念を燃やしていたからである。となります。

というわけで、NHKの特集は、「西方の思想の影響」とか「石家河文化の影響」とか「奥歯にものがはさまったようなもの言い」が目立ったわけですが。(ちなみに石家河文化は水牛を生け贄にする苗族の先祖の文化と思われますが。)良く見れば、何が言いたいかはまあまあ分かる、とそのような興味深い内容だったと思います。おそらく、「獣面紋神」を「祖神」だって言い張って、若い娘の人身御供を尊重する連中は、ヒッタイトの女性尊重の思想に押されて、どっかに隠れて住まざるをえない羽目に陥ったのではないか、と想像するわけですが。明治時代になったらもう隠れて住む必要もない、と思ったのカモカモ? と想像します。馬が2匹いる「馬頭娘」って何? と思ってきましたが、こういうことなのかなあ、と想像します。でも、日本の国にこそこそと米作を持ってきた連中が、馬が2匹いる「馬頭娘」の理由がばれてしまったから、米が手に入らなくなってしまった、とかそういうことはないよね? と思うあたくしでした-;。

そして、このように見ていけば、オオゲツヒメってどうみても、ハイヌウェレであり、嫦娥でしょ。どうみても「月の女神」じゃん、金枝じゃん、と思ったあたくしでした。

というわけで、この日記は、どうみても食い物にされ、利用されるだけ利用されて殺されたも同然の亡き母に捧げたいと思う。安室ちゃんのMVをガンガン見ながら書きました。我ら女性は食い物にされるたけだけ、跡継ぎを産むためだけの存在じゃあないの。そんな当たり前のことを、こんなに長々と書かなければいけないこの世こそが異常なんだと思います。

24年9月1日

 本日は外作業のみ。私は土の清掃、姉は石片付けと土の清掃でした。

 テレビは昨夜は「それスノ」の録画など、今日の昼は「笑うマトリョーシカ」の録画を見ました。

24年8月31日

 本日は昼間雨が降ったため、外作業は午前中に1時間ほど行っただけでした。私は土の清掃、姉は石片付けと土の清掃でした。

 テレビは昨夜は「Mステ」、今日の昼は「ビリオンスクール」を見ました。

 「ビリオンスクール」は主人公のカガミ君の名前がずっと気になっていて。各神とは「鏡」にも通じる名前だと思っていたのですが、では主人公は「誰の鏡」なのだろうか、と思って。で、物語が進むにつれて明らかになったことですが、主人公は子供の頃、学校でいじめられていて、それが原因で校舎の屋上から転落したことがあり、そのせいかその時期の前後の記憶がない、とのことで。でも、その件が原因なのか、割と弱者に親切で正義感が強いわけです。記憶はないけれども。

 ということで、神話的には「転落」といえば、木曽の下光比売命(高照姫命)です。でもって、最近のトレンドとしては「記憶喪失のイエス・キリスト」ということで-;;。そっか、カガミ君は

「記憶喪失のイエス・キリスト」の鏡

なのかも、と思う。でもって、難題を吹きかけられては「解雇」をちらつかされるわけですが、終盤で教頭が黒板に

「カイコ」

とカタカナで書いているのを見て、ぞっとするわけで。「解雇」とは「蚕」にも通じる言葉のように思う。イエス・キリストであるところの鏡君が蚕なら、まさにイエス・キリストとは蚕のこと・・・@@。

 善光寺神話ではオオゲツヒメは「蚕の母」(ということは須佐之男が暗に「蚕の父」)とされているわけですが、原作の馬頭娘では娘が死んで蚕に変じるわけで、蚕が子供なわけではない。そして中国とかで蚕神として祀られていたのは女神ですから、長野でも「蚕神」として祀られているのは、東北のオシラサマと同様、女神であって、オオゲツヒメであることが相応しいと思うのです。だからオオゲツヒメを祀っている神社は少数であるとしても、「蚕神」がオオゲツヒメだとすると、オオゲツヒメを祀っている神社は善光寺平にかなりあると思うのです。諏訪系の神社ばっかりに見えて、隠れた祭神としてオオゲツヒメが重要なのです。

 そして、更に困ったことに、松本に行くと「蚕の母」として祀られるのは八坂刀売とコノハナサクヤビメになるわけです。これにオオゲツヒメを加えたものが「同じ神」になって、「蚕の母」になってしまうし、当然みんな潜在的に死んで蚕を発生させていると思われます。コノハナサクヤビメは山梨では「織り姫」としても現されますから、一般的に

織り姫は蚕神でもあり、死んで豊穣をもたらすハイヌウェレ的な女神でもある

ということになります。で、ハイヌウェレの神話に蚕なんて当然登場しませんが、グローバル的にハイヌウェレ的な神話なんていくらでも存在しますので。例えばギリシア神話のメドゥーサ退治とか、メソポタミアのスドゥ神話、インドのサティ神話と、「殺されて利益をもたらす女性(女神)」の話なんていくらでもある。ということは、

ハイヌウェレ的な「死んで豊穣をもたらす女神」の神話

が広く一般的にあって、馬頭嬢は特にそれが「馬と蚕」の特化された話だと思うわけです。ということは、

ユダヤ人の思想家(宗教家)であったイエス・キリストが死んで、身内でもないローマ人にキリスト教のお布施という豊穣をもたらす

という神話というか現実も、馬頭娘に近い思想だよねえ? と思う。そのイエス・キリストを更に聖徳太子とか蚕と習合させて、そのあがりを吸い上げようとしてるのは・・・誰だったっけな??

と思わず水内郡を見回してしまうわけですが。「馬頭嬢」とは、他人(あるいは娘とか身内)を殺して財産や利益を得ることを正当化する神話で、まさにその対称に選ばれた者のことである、とそーゆーことですか? と思う。なぜ鏡君は、他人の「家族の絆」を守ることになると、AIの判断も仰がずに必死になってしまうのでしょう? 彼が記憶を失った中に、大切な家族の絆を失った辛い記憶があるから?? もし、私がダビデの家系のイエス・キリストであったならば、

記憶が失われてしまっても尚、深い後悔と悲しみの中にある記憶とは「アブロサムの死」

であると思う。彼が失ってしまった「家族の絆」とは。

 で、もう一つ。昨日は日テレで「ラピュタ」が放送されていて。「マトリョーシカ」でも「ビリオン」でも番宣にラピュタの台詞が登場して、局の枠を越えた「ラピュタ祭り」が展開されていたわけですが。これも前例がないことである。でもって、ラピュタの好きな台詞アンケートとかもあって盛り上がったらしい。私の好きな台詞は単純明快に

「必ず君を助ける」

というパズーの台詞です。女の子はやはりこれが憧れというか、自分で穴を掘れ、とか本音では嫌に決まってるでしょうが-;、と思います-;;。