22年8月9日

 今日は群馬行き。榛名神社、伊香保神社、五徳山 水澤観世音(水澤寺)、三宮神社を参拝して来ました。要は火山である「榛名山」信仰を巡ってきたわけです。三宮神社は「女体ハ里ヘ下セ給テ三宮渋河保ニ立セ御在ス、本地ハ十一面也」とあって、伊香保神社の里宮にあたると考えられている。「伊香保」とは噴火の激しい榛名山を「厳つ峰(いかつほ)」と称したことによるとされる。とWikipediaにあるわけですが、現在の伊香保神社は「温泉の神サマ」みたいになっているので「奥宮」としてはむしろ、五徳山 水澤観世音(水澤寺)の方が相応しいと思われます。水澤寺の本尊は「国司高野辺家成公の三女・伊香保姫のご持仏であったと伝わる」とあり、「伊香保姫」とは榛名山の女神そのものであると考えられるからです。

 どうも、昔の人は「火山の爆発」と「雷の発生」を同一視していて、「怒れる穂」とは、「雷の女神」のことであるらしいし、「火山の女神」でもある。雷が地面の下に落ちたら「死んで黄泉の国に落ちた」ことになるので、里宮は黄泉の国、と言われる気がするわけで@@。それで、「女体ハ里ヘ下セ給テ」なん? それは、女神を蹴落とす水無神社の祭りと「同じ発想」では。というと、下照姫、高姫等と言われる女神は「雷神」であって、近いのは中国の「雷母」であって、下照姫の「名前当て」の性質は「雷母」と共通する性質、ということであっという間に話は進む。

 だけど、西欧に「雷神」で「女神」っていましたっけ? アヂスキタカヒコネみたいに「AD」系の子音を持つ女神って? と思ったら、アディティー、アテーナー、アスタルテ、イシスと呼ばれたアセト、ヘケト、ヘカテー、イシュタル、アリアドネー、弟をバラバラにしたメーディア、メーティス、メドゥーサ、スドゥ、サティ、サテネと言われる気がするわけで@@。雷神として性質は弱くなって、「軍神」か「知恵の女神」か「死んで豊穣をもたらす神」の方向に変化している女神群である。それで「名前当て」かー。と思う。それで、雷が海に落ちる、というか「海底火山」になると、アフロディーテー、ナルト叙事詩のゼラセとなるわけだ。でも、アディティーが「太陽神群の母」である点、アフロディーテーの名前の子音はヒッタイトの太陽女神ヘバトと交錯しているので、全体からみれば一部に「太陽女神」の性質は残されている、といえる。

 諏訪信仰でいえば、上社・下照姫が太陽女神、娘の会津姫が雷女神で良いと思います。下社では八坂刀売が太陽女神かな、と。で、雷神のジジ・ババを焼き殺して次の年の種にする、と。上社では、御頭祭で「幼い男の子を生贄にする」名残の儀式をする(と江戸時代の人は書いた)そうで。それは「神の一部」を生贄にする代わりに、豊穣を得る、ということで、要は収穫物の一部を神に捧げる新嘗祭の起源のような祭祀である。下社お船祭りは「神そのものを生贄にする」。そして「殺された幼い男の子」は「逆向きの祭祀」で生きかえらせて神にする。なんで、「幼い男の子」を神にするのですかね? だって、周囲の大人(シャーマン)が操って神の名で好き勝手なことができるから、ということで。いつ生きかえらせるのですか? 越年祭で。ということで、「神を再生させる越年祭」というのは、すべからく、かなりまずい祭祀なのでは。「殺された幼い男の子」を生きかえらせることは、本来の神々を殺してしまうことと一体となった祭祀である。すなわち、それが摩多羅系の祭祀なんじゃん? 榛名神社ではこれを、天狗の名前でやってるよねえ? と思う。祖霊社を参ったら、建物の意匠で、上の方に波と菊(黄泉の国の象徴)があって、その下に空を飛ぶ鶴の意匠があった。「天地が逆になってる」わけです。要は「しっかりした神々がいると、邪魔だから殺してしまってシャーマンが好き勝手に代行する。」という趣旨のどっかの下社と、「神に対してその一部を感謝の気持ちを込めてお返しする」という古来よりの当たり前のことをやってるどっかの上社があるわけだ。榛名とは「春の」という意味でもあると思う。「怒れる穂」は、本来は春をもたらす春雷の女神でもあったのだと思う。(榛名神社は諏訪大社ともちょこちょこと縁のある神社なわけで。どうせ下社の方では? と思うわけですが。)

 というわけで、群馬の帰りに、一般道を戻ってきて、関東方面の帰り道でおなじみの東御市「ヤオフク」というスーパーに寄る。そうしたらBGMに「浪漫飛行」がかかっていて、「うーむ」と思う。米米の曲を聴くと、やはり今でも微妙に複雑な思いではあるわけですが。

 ということで、雷神女神に対する理解がよくよく深まった上州行きであって。「なんででしょう?」と思ったら、「水澤寺で、大きな音で鐘を突きすぎたんじゃないの? あそこは雷神女神が雷を鳴らす(鐘を突く)寺でしょ。」と言われる気がするわけで。神仏分離でお寺になっているけれども、水澤寺が事実上の「伊香保神社奥宮」であるのだと思う。鐘を叩いたりとか、やることがたくさんあって、エンターテイメント性の高い楽しいお寺だと思います。普通にレジャーにもお勧めかも。

22年8月8日 名前当て

 最近、「名前当て」の民話を読んで。ヨーロッパの民話で一番有名なのはイギリスの「トム・ティット・トット」であると思う。悪魔に何か仕事をして貰う代わりに相手の本当の名前を当てなければいけない、という話。当てられない場合はこちらの命を取られます。ドイツではグリム兄弟の「竹馬小僧」も有名ですがトゥンダ(民間伝承化した雷神)にもその話がある。大抵は「T」が頭にくる名前の悪魔の物語なので、「T」がつく雷神の神話があって、各地に伝播したものであると思う。で、ゲルマン系の神話に顕著であるように思うわけですが。

 「名前当て」といえば、日本では下照姫とアヂスキタカヒコネである。アが接頭辞で、スキ=杉のことなら、「ヂタカヒコネ」とは、「T」系の雷神のことでしょ、T音が2つ重なるのは饕餮のことでもあるし、ダイダラボッチのことでもあるし、多度大社、射楯、楯井変じて武居、武井といった名前に残ってるでしょ、と言われる気がするわけで@@。あれ? ってことは、「武井」ってそもそも「饕餮」って言う意味? アヂスキタカヒコネも「饕餮」って言う意味? でも「名前当て」の物語は西欧では民間伝承の中にしかなくて、神話としてはないような。しかも、ゲルマン系に特化した物語であるような? と思う。日本の「名前当て」の神話の起源は中国の饕餮神話にあるのか、それとも西欧を経由して出雲族と共にやってきたのか? 出雲族と共にやってきたのであれば、露骨にアヂスキタカヒコネ=テシュブ、下照姫=ヘバトだよねえ? と思う。カモカモカモ(略してKKK)の神サマと出雲系の神が交錯してるのは、アヂスキタカヒコネがKKK系では武井=射楯=須佐之男=饕餮、であって、印欧語族ではアヂスキタカヒコネ=テシュブ(アダド)=饕餮で、「元は同じもの」だってみんな知ってたから?? と思う。だから、日本のアヂスキタカヒコネに「名前当て」の神話がある。トゥンダやトール、テシュブと同じ神だから、となります。だから、須佐之男が「雷神系」の神ともなります。それは、西方では主神扱いの神である。下照姫はどこかへ突き落としてしまった? ヒッタイト以外はね、ともなります。

22年8月8日

 今日は買い物と外作業。外作業は母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、石片付け等、私が土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、シャツは袖のカフス作り、父親のシャツもカフス作り、簡易シャツは端の始末でした。

 テレビは、昨夜は「ニノさん」と「食宝」の録画、今日の昼は「MUSIC STATION」と昨夜の「COVERS」の録画を見ました。

 お昼寝している時に夢を見て。なんだか光一君と剛君の二人が夢の中に出てきて、「一緒に謎を解こう」みたいに言われるゆめで。日本の縄文古来のサトイモ文化がハイヌウェレ的要素が弱くて女神信仰が強いのは、遼河文明とかウラル系の文化の影響が強いからかと思います。北方の文化だから印欧語族の文化と共通点が多いし、南方から来たサトイモ・ハイヌウェレ文化よりも女神信仰が強かった(母系の文化が強かった)ので、食物を得るために女神を殺す、という概念が受け入れられなかったのだと思います。こうして見ると、やはり古来の日本の文化はウラル系とオーストロネシア系の混在した文化だったんだなあ、と思います。

22年8月7日追加

 7月30日はのんちゃんのお誕生日でした。おめでとうございます<(_ _)>。遅くなってごめんなさいーー。

 本日は大西流星君のお誕生日です。おめでとうございます<(_ _)>。

22年8月7日

 今日は外作業のみ。外作業は母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、石片付け等、私が土の清掃でした。

 お裁縫は、シャツは袖のカフス作り、父親のシャツもカフス作り、簡易シャツは端の始末でした。

 テレビは、昨夜は「ライブエール2022」と「SHOWチャンネル」、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。