20年11月25日 おまけのよもやま

 で、後は親と話してたわけだけれども。イザナギというのは、神話の中では黄泉の国に妻のイザナギを尋ねていって、生者の世界に生還したことになってます。でも、その後、三貴子を生んで、イザナギも死ぬ。(淡路の幽宮に隠遁する。)で、三貴子のうち、月夜見は夜の神、須佐之男は根の国の神だから、「生者の国の神」って天照大神しかいないわけです。だから、天照大神を黄泉の国に閉じ込めておけば、黄泉の国の王であるイザナギが、いつまでも「一番の神」でいられる。天照大神が生者の国に君臨すれば、イザナギは黄泉の国しか支配することができない、すなわち「この世界の半分しか支配することができない」とそういうことなのではないかと思います。

 あとは、「イザナギの生還神話」の起源について考えなければならないわけですが。世界の各地に、「異界を旅して生者の世界に生還する英雄」の話は山ほどある。大国主と須勢理姫の神話も、桃太郎も、いわば「英雄神話」の変形版である。要するに、世界中に散らばる「英雄神話」とは、ただ一人の人の事績の「こだま」のようなものに過ぎないわけ。異界(黄泉の国)を旅して、生還した「ただ一人の人」がかつて「存在した」わけだし、永遠の命を持ってるその人はいまでも生きているわけだ。だから、黄泉の国から生者の国へ生還して、「境界を越える」ことができる天照大神は、「イザナギ」の名前を勝手に使って黄泉の国を支配している「イザナギの子孫」からその名前を取り上げて、その名前を「本来あるべきところに戻さなければいけない」と、そういう役割を求められているわけだ。そうすることで、正しい「生者の世界」の神と「死者の世界」の神が誕生するし、両者とも生者と死者の境界を行ったり来たりできる神となることができるようになる。ヤクザみたいなイザナギではなくて、まともなイザナギを、まともな世界は求めてるわけだ。でも、結果的には、イザナギの名前もイザナミの名前も、一人が背負うのではなくて、ある程度は分け合うようになると思います。まあ、私も「イザナギの子孫」でもあるわけだから、その名を取る資格がないわけではないですので。そして、誰がどう見ても、「生者と死者の境界を左右する」薬については、私の方が得意分野だ。さすがに、7年の医者としての経験は強いな、と思います-;。