本日は姉の方の受診で長野日赤に行って。ともかく、ご当人が良くなった感が強いし、「重大な病気が隠れてる」とも思えないので、気楽である。気楽な要因はもう一つあって、調べたら担当医が3年目だかのぺーぺーであったので、健康な人を練習台にして診察の勉強をすれば丁度良いようなお年頃である-;。別にそういう人に「世界一の名医である」ということは厳しい私でも要求しないので。横紋筋と平滑筋の区別がちゃんとついて、重大なミスを犯さなければ文句言いませんとも、むしろみんなでもり立てて育てていかなければいけない赤ん坊みたいな相手じゃん? と思う。というわけで、診察は和やかに普通に進み、途中でちょっとドクターの手が震えた。「なんか変なこと言う気かな-」と思ったら、「20年前の筋肉の病変は筋炎ではないと思う」とかって言い出すわけで。「それで震えたんだー。怒らせるのが怖いのは私なのか、それとも騙すことができなかった時の怨霊の祟りが怖いのか?」と内心思ったわけで。怨霊ってなんのこと? と言うと、どうも最近の医療業界は「卒業するときに首席になれなかった怨霊達の恨み」に取り憑かれて怪奇現象が多発し、亀ちゃんの映画ではないけれどもどんな事故物件よりも医療業界そのものが事故物件化してる気がしてならないのでー;。あー、この人も怨霊を調伏する能力のない凡医者にしかなれないタイプだー、と思ったけれども、ご当人は一人前になるのに必死なお年頃だろうから、うるさいことは言わない。別に世間や社会は安倍清明のような能力を持つ医者ばかりを求めてるわけではない。普通に、普通の医療をやってくれる平凡な医者なら、誰でも世間はそれで大歓迎だろうし-;。というか、普通であれば「医者の発言には責任が伴うのだから、過去の病気に対して確定的なことを言うならきちんと証拠とデータを出せ。素人である患者に誤解を与えかねないような発言をすることは、医行為上の信義則違反であり、患者の生命・身体を侵害して、患者に不利益をもたらす不法行為(債務不履行)となる可能性があります。」と突っ込むところです。現在、患者に病変があって、相手がせいぜい中堅以上の医者ならねー;。ぺーぺーに教科書に書いてあることよりも多くの事は期待できないでしょー;。
昔ね、私の知り合いにもそんなような人が居ました。教科書とか、文献とか、既存の医学の知識を全部覚えれば、それで自分は世界一の名医になれる、みたいに思い込んでいた人が。だから、私が、「既存で判ってることだけを全部覚えても、新しい発見とか未知のものとかあるかもしれないし、それだけで医学の全ては把握できたとは言えないでしょ?」と言っても、どうもこちらの言ってることが理解できなかったみたいで、「知識のある自分はすごい」みたいな発言を繰り返していたので。・・・・まあ、この人が最近どうなってるかは、まあ、ここには書かない(苦笑)。私も怨霊払いに忙しいんで-;。どうせ忙しくて、私の言ったことなんか覚えてないとかそんな感じなんじゃないのかなあー;。という気がしないでもないー;;;。というか、私も大学時代のものはほとんど捨ててしまってるので。詳細な記録とかもないし。覚えていることはあるけれども、記憶だけで「ストーカーの証拠」と言える物証が皆無、といえるのが困るところで。最低限の証拠として、卒業アルバムだけは「証拠保全」のためにとってある。でも、25年も前のたった2枚の写真で今からストーカー案件で立件するのは、証拠として弱すぎて無理でしょ、みたいなことがあるかもしれないし、ないかもしれない、としか言えないので-;。怨霊を払うのも、ストーカーを払うのも、女性にとってはどっちも似たようなものじゃん?? と、まあ、そう思うわけです。もしも今回の件に、誰かが背後にいるのであれば、なれの果てが「血尿は生理的なもので、高血圧と腎機能低下は別のもの」ではね・・・。どこの教科書にそんなこと書いてあったの? 言わされてるドクターが訴えられたらとばっちり、と想像するわけで-;。アルコールが頭に回りすぎて、教科書を読んでも、全然違うことが書いてるように読めるのですかね???-;
で、その後は腎臓内科へ寄って、若旦那のところへの紹介状を貰う。病院全体は昨日とはうって変わって、割と普通の感じに戻っていたけれども、腎臓内科周辺だけは受付のお姉さん達まで含めて表情が露骨に硬いし、しゃべり方も固いし、暗いし、いかにも「何かあったの?」という雰囲気で、圧も強く感じる。
どうも私が思うに、「若旦那は、腎臓内科に精査と高脂血症の投薬の依頼をする」→「腎内の医者は『たいしたことないですよ、はっはっはっ』って言って、『投薬も経過観察も必要なし』と仄めかす」→それで患者を治療しないでうっちゃる、というストーリーがあったんじゃないかと疑っています。でも、私が「若旦那のところで経過観察ですか?」と聞いたら、そこで投薬開始の流れになったわけで。若旦那のところで経過観察をする、ということは、要は「血液検査の値をモニターする」ということです。だって、血中脂質の値とか、副作用で上昇する可能性のある数値の値とか、血液をっしらべなきゃ判らないから、保険の範囲で投薬するなら血液検査も当然保険の範囲である。だけど、わざわざ日赤でやる必要のない血液検査を日赤でやることに急遽したわけで。別に口実は、「日赤のドクターが結果を直接見たいから」で、それは悪くない。でも、逆に言うと、「若旦那のところで血液検査をさせないように状況を捜査してる。」といえる。しかも、ぺーぺーじゃなくて部長クラスの医者が、患者の診察とは関係のないところで、「老人の血尿は生理的である」みたいなことを口走るとかやってるので。父親は市民病院で血液検査をしてるからそれでいい、姉は日赤で血液検査をしてるからそれでいい、eGFRが低下していて腎機能をモニターする必要のある母親は若旦那に「高血圧の薬を飲んで、ちょっと血圧が下がればそれでいい。」って言わせる、血液検査は必要ない、として、腎機能は若旦那が勘でカルテに適当なこと書くのかもしれないけど、そんなことはあたくしの立場からしてさせらんないでしょ、ということでー;。市民病院、日赤、若旦那の三者が共同して連動してる広域不法行為ですよ? 東京時代に何があったのからなるべく言わないでくれ、と頼まれてる気がするわけですが、そこまでほじくり返す広域犯罪の話になるぜ? と正直思うわけで-;。で、部長サマがなんとなく心配してるんじゃないか、という点については、市民病院のドクターみたいには言えないと思う、としか言えない。癌の治療薬を止める、ということはそれはもう明らかに患者の死につながる行為なので、「業務上故意致死罪」とか、そういう罪状が新たに作られない限り、刑法的には仰々しくても、「殺人未遂」とするしかないと思う。でも客観的にみて、患者を故意に腎不全に追いやったとしても、人は腎不全になっただけでは死なず、透析をすれば生きられるわけで、親戚にも透析で95まで生きた人がいるわけだから、透析治療で寿命が縮まる、とも言えない。患者をわざと腎不全に追いやる医者に透析をやって貰いたいか、とかそういうことは感情的な問題と言うしかないので。問題があれば、法的には腎不全に追いやられた件での損害賠償と、透析治療に関することは別の問題ってなると思う。のでまあ、今回の件は、刑法に照らし合わせれば、重くて暴行罪、せいぜい傷害罪じゃないのかなあ、あたくしのおかげでどいつもこいつも「未遂」で終わりそうだし、と思う。腎臓内科の関係者には、未遂で済んだことを感謝されこそすれ、仏頂面して恨まれるようなことじゃないですよ? と思う。だいたい、日赤という大きな組織の医者なんだから、社会的、道義的には、日本の医者達のお手本となるような医療を行わなければならない立場のはず。病院ぐるみ、組織ぐるみで、消化器内科に尿路の精査をさせるなら、それころウロと腎内はいったい何のためにあるのですかね? 廃科にでもすれば? って嫌みの対象にしかならないですよ? と思う。
そして、建築訴訟との絡みで、私と家族(発注者側)と請負者(医者)と同じ構造、と思わせたい人達がいるかもしれませんが。それは全く違うので。建築に関しては私もまったくの素人であるし、私の住む家の問題だから私も「発注者」と言い得る。でも、治療というのはそれこそ患者個人が受けるものであって、家族の事情とかが考慮されても治療の対象が他の人にまで拡大されることは通常ない。なにかの大規模な研究とかで、職場や地域ぐるみ、家族ぐるみで特定の集団を調査・治療するとかってならない限り、治療そのものは個人の問題である。性感染症とかはパートナーも一緒に治療と言ったって、制度上は個々に保険請求が生じるわけで、パートナー割引とかあるわけではないし、これも義務でも強制でもないから、ばっくれるパートナーもいくらでもいる。で、医療行為に対しては、私も資格持ちなので、キャリアがなくて、業としてやってなくても、全くの素人とはいえない。裁判だったら、5割くらいは専門家って認められるかねえ? どうかねえ?? と思う。だから、建築と今回の件を比較すれば、私は「建築士」の立場であって、だいたい「客観的な立場であって、患者と医者の間を繋ぐけれども、原則としては患者の側に立ってものを考える人」ってそうなるわけです。法的には発注者ではない、と言えると思う。でも、医者の世界には、建築と違って、医者の仕事を第三者的に監督するという立場の公的なものがないので。「業」とすれば、広く「コンサルタント」とでも言うしかないと思います。
そして、つい最近、叔母さんが婿に虐待されて、長年住んでいた家を追い出されて、娘の家に逃げ込んだ、という件があったばかりであって。我が家も未だおこもり中であるので、親戚が割と強めに接触してくることには何か意味があるのだろうか? と思ったわけですが。虐待婿に殺されそうになっている姑、とはうちの母親のことだ、という警告だったのかも、とふと想像してしまう。逃げ出せるときが来たら、姑を虐待しない婿のところに行きなさい、ってそう言ってるのかなあ、となんとなく思ったのでした。