24年1月1日

 本日は晴れていたけれども、寒かったので外作業は午前中、私がやりました。昨日遅かったので、姉はお休みでした。

 で、初詣の話とか姉としていたのですが、どうも「尾張」という言葉と我が家との関わりを姉は知らないらしい。ということは母親が話していなかった、ということですが。

 「尾張」というのは、今では「尾張名古屋」というように地名が有名ですが、これは元々「人の名字」でした。奈良県西部の葛城市というところに、「高尾張」という地名があって、そこを本拠地をした人々が「尾張氏」を名乗っており、その人達が名古屋辺りに移動して土地を開拓したので、名古屋のあたりを「尾張国」と呼ぶようになったわけです。葛城というのは賀茂系氏族の本拠地でもありますし、尾張氏の表向きの系図は丹後半島の海部氏と近く、尾張氏、賀茂氏、海部氏は血筋的に近い氏族と思われます。また、尾張には物部氏、丹羽氏も入植しており、おそらくこれらの氏族とも血族であったと個人的には思います。

 ともかく、「尾張さん」とその一族郎党は、今の奈良県から愛知県の東部へ移住しました。そして田を作り、米を作り、一方で「日本武尊」の伝承が示すように、東国へと軍事力をもって征服を開始しました。彼らは田んぼを作る人達ですし、田んぼを作ったのは弥生人ですから、「日本武尊」というのは、中国とかからやってきた弥生人の「軍事行動」の象徴なわけです。その「元中国人」の尾張さんとか、賀茂さんとか、物部・海部さんたちの先祖は日本を征服して田んぼを作り、身分制度を作り、貴族とか豪族になって、古墳時代になると大きなお墓を作るようになりました。要は「偉い人」になって威張っていたわけです。

 で、彼らの中で一番偉いのは、「王様」ではなくて「神官」でした。もっと厳密にいえば、日本の天皇は古代においては「王様」でもあり「神官」でもあったわけですし、古代中国の皇帝たちも「支配者」でもあり祭祀も行ったわけですから、ともかく「神と直接話ができる」とされる神官が一番偉かったわけです。王様は神官が神から聞いた言葉に従って政治を行う人なのです。弥生時代の静岡の登呂遺跡からも富士山に向かって祭祀をしたり、神官が琴を弾いて祭祀を行った跡が残されています。で、稲作を日本に持ってきた弥生人は、稲作だけでなくて、

というものも持ってきました。麻というのは、麻織物の材料でもありますが、麻薬の材料でもある。でもって、祭祀のたびに酒や麻を使って人々を酔っ払わせ、

「自分たちの言うことを聞けば常世(天国)に行ける。」

と言って人々をアル中や麻薬中にして支配していました。それをやってたのが米や麻を持ってきた弥生のチャイニーズ・マフィアであるところの尾張さんとか、賀茂さんとか親戚一族郎党だったと思われます。彼らは祭祀を通じて人々を支配した。だから、「王様」ではなくて「神官のトップ」が一番偉いわけです。王様なんて逆らったら、その変のアル中とか薬中に暗殺させればいいだけですのでね。で、こういう「暗黒宗教」みたいなのを「常世信仰」といいます。平安末期に仏教が布教されるまでは、この「常世信仰」が庶民の代表的な宗教でした。しかも、その仏教っていうのも、日本国に持ってきたのは「金刺氏」という、尾張さんや賀茂さんの親戚でした。この金刺氏は長野県(信濃国)、熊本県(阿蘇国)の国造という知事みたいな地位にいました。それで長野県では善光寺を作ったわけだから、豪族でもあるけれども、宗教にも大きく関わっていました。

 金刺氏は、文献的には多氏という氏族から出ていて、神八井耳命という伝説上の皇族の子孫と言われています。神八井耳命は2代綏靖天皇の同母兄と言われ、弟に天皇位を譲って自分は「神祇を掌る」と言ったそうな。古代においては、大王である天皇よりも神職の方が身分は上なわけですから、要は

金刺氏の先祖は、「うちは天皇よりも身分が高い神官の家だから」と言った

わけだ。でもって、酒や麻薬を作ってせっせと祭祀をして威張っていました。で、彼らは神八井耳命かその近親の彦八井耳命を祭神(祖神)とする神社を作りました。名古屋では多氏の作った大神社は、尾張氏の活動域と重なる地域にあります。また、長野県長野市尾張部の尾張神社では彦八井耳命が祭神ですので、そもそも

 金刺氏とは尾張氏から分かれたもので、特に「天皇よりも偉い家系」であることを示すために神八井耳命を祖神とした人々

ということになります。長野県の南の神社関連は諏訪大社下社の金刺氏の家系の影響を大きく受けていますし、北の善光寺平の善光寺を作ったのは金刺氏の先祖だし、神社関係も別に言わなくたっていいよね? 金刺氏以外に誰かいたっけ? 違ったっけ? という感じであるので、四民平等が立前の現在では「天皇よりも偉い」かどうかは知りませんが、長野県で宗教っていったら、

 金刺氏以外に誰かいたっけ?

というくらい今でもそんなものなわけです。でも、彼らの遠い先祖は「尾張氏」を名乗って、改名して長野にやってきたのです。で、善光寺の門前には江戸時代頃までは有力な麻商人が多く、麻薬認定されるまえの麻は加持祈祷に使用するものですから、善光寺とも各地の宗教施設とも商人達は関連が深かったものと思われます。ということは、商人といえども、善光寺平には

 麻を持ってきた金刺氏

の子孫や、それに関連する人々が多く住んでいて、かつては金刺氏の権威と手に手を取り合って金儲けをしていたことと思われます。

 で、長野には、中に

「尾張からやってきて山の中の沢に住んだ」

と言っている人達がいるわけです。その人達は「金刺」とは名乗っていません。でも、もし

「尾張からやってきた尾張さん」

だとすると、金刺氏の親戚、ということになります。しかも、この尾張(仮)さん達の一部は、大麻が麻薬認定されるまでは、麻の商売に関われる人でした。麻を扱うのがお家芸なのは、尾張氏でもあり、金刺氏でもあります。善光寺の門前に有力な麻商人が大勢いるのに、そこに参入して一代で財を築ける、というのは

「その商売に関して普通ではないツテやコネ」

があった証拠ともいえます。ということで、

「尾張からやってきて山の中の沢に住んだ尾張(仮)さんで、麻でお金儲けできた人」

は、仮称ではなくて、元の名字は本当に「尾張」と言って、その一族郎党に連なるからこそ、麻の商売に参入できたし、後ろ盾が

「没落させる」

と決めた時に没落してしまったのではないか、状況的にはこれが一番妥当である、と私は考えるのです。

 もう一つ尾張(仮)さんが、本当に尾張さん(あるいは金刺さんまたは賀茂さん)である状況的証拠としては、「姻族」という問題があります。尾張(仮)さんの上の方は「坂戸」という家と強い姻戚関係にあるのですが、坂戸という地名は愛知県岡崎市にありますし、埼玉県にも坂戸市があり、神話的にも先祖は「天から降臨した神々の一つ」と言われていますので、「坂戸さん」というのは古代における、かなり有力な豪族でした。そして物部氏に近い豪族でもあったのです。で、岡崎には「酒人(さかと)親王」という祭神のいる神社があり、そのあたりの地名も「坂戸」といいます。親王というからには、

皇族だった

というしかありません。要は「坂戸さん」というのは、4世紀か遅くとも5世紀には皇族から離れた「皇姓氏族」と述べるしかなく、金刺氏の先祖は、「自分たちは天皇よりも身分が上」と公然と言っていたわけだから、当然、尾張・金刺さんよりも「坂戸さんたち」は身分が下になるわけですが、「姻族」としては相応しいと判断されたのではないか、と思います。

 ということで、尾張さんの一族と思われる、山の沢に住んでる「尾張(仮)」さんたちが坂戸という家と強力に婚姻している、ということは、それは要は

「自分たちは天皇家(の一派の坂戸家)と釣り合う家系である」

と、特に昔はそういう意味があったのだと思います。我が家は一族の中では下っ端の方なので、母親は坂戸さんではありません。でも、母親の旧姓は

「桓武平氏」

の一派の名字なので、やっぱり「皇姓氏族」ではあるのです。伊勢平氏だから、平清盛とか平将門とかが、とっても遠いけど「親戚」ということになります。なんだかんだ言って、

山の沢に住んでる「尾張(仮)」さん

も、「皇姓氏族」と婚姻することが多く、それも尾張・金刺・賀茂といった人々と共通した特徴ですので、「尾張(仮)」さんとは、やっぱり本名は「尾張さん」なのだと私は思うのです。で、我が家の本来の名字が

尾張

だったとするならば、長野市の尾張神社は、先祖とされる彦八井耳命を祀っているわけですし、うちの名字の神社なのだから、新年に挨拶に行くにも参拝しに行くにも相応しい神社である、とそういうことになるわけです。

 そして、「尾張」というのは、一番古くは奈良県の「高尾張」からきているわけですが、高尾張は大和の西側にあり、昔の出雲式の考えでは、

東を始めとして、西を終わりとする

という方向の考え方があったのだそうです。だから、「高尾張」の「尾張」とは文字どおり「終わり」を意味するのです。「世界の尾張」とか「この世の尾張」って言うじゃん? 麻薬と酒で人々を廃人にして、人として終わらせて支配する「尾張」です。それが弥生時代からのお家芸なんじゃん? と思う私なのでした。