本日は若槻粟野神社を参拝してきました。どうも「粟」とつく神社には少彦名命が祀られている気がします。淡島と関係があるのかも、と思う。その他は外作業で、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。
21日は岐阜安拡見神社、笠置神社、夜泣石(黒瀬街道)、中川神社、恵那神社、坂本神社八幡宮、坂本神社諏訪神社、武並神社を参拝してきました。中津川界隈には尹良親王伝説あり、木曽が近いこともあって義仲関連の伝説もあり、ということで県境ですし重要そうなので行ってきました。中津川市から恵那市の山間部を抜ける黒瀬街道こと県道408号線は、久々の「険道」で、中津川側が特に険しくて狭かった気がします-;。恵那側は山も綺麗に植林されていて、道もそれなりに整備されていました。
後はメインの恵那神社。義仲の奉納した刀があるそうで。中津川に行って感じたことですが、恵那神社はかつて木曽の側の住人も氏子だったそうですし、今も八十二銀行の支店があるし、スーパーには松本ナンバー(木曽の車と思われる)が停まっているし、木曽の、特に南部との繋がりの深さを感じさせるところでした。それもあって、義仲組が現在でもたっぷりいるのではないか、と思わせるわけで-;。丁度、私が行ったら祈祷が始まって、それが賽銭箱の前でやっているので参拝できない、とか、駐車場から車を出そうとすると、わざわざ隣の車の運転手がやってきて「すいません」と言いながら車の回りをうろちょろするので、危なくてなかなか車が出しにくい、とか、駐車場の入り口めがけて地元民のものと思われる軽トラが猛スピードで走ってくるとか、「敵意がすごいな@@」と思う。
かつて木曽の神権に関しては下社から送り込まれてきた神職が木曽氏と組んで、強い影響力を持っており、それがそのまま中津川の神権にも影響を与えていた可能性があります。馬籠出身の藤村の親が飛騨の神職をしてりしたわけだし、飛騨や美濃中津川に対して、長野県側が影響を持っていたと思われる。その一方で、尹良親王の伝説が示すように津島信仰の影響も強かった地域と思われますので、中津川界隈は名古屋津島と下社との勢力が交錯するクロス・ロード的な位置にあり、諏訪のみならず善光寺方面にまで強い影響力を持つ信濃の金刺ネットワークによって、善光寺方面と津島との強い連絡網が張り巡らされていたのでは、と思います。そして、義仲ってそれにのっかって勢力を得たのだなあ、と思うし、用が済むと、彼らに見捨てられたのでは、と思う。
ともかく、恵那神社で新生児のお宮参りの祈祷とか、珍しいものを拝見する機会があって。なんかね、「木払い?」とかって言って、神社に夫婦杉があって、神職さんがその「婦杉」に向かってお祓い? というか祈祷? をする、というのをやっていたのですが。なんだか、神職の「気」に併せて木に寄りついていた何かが出てくる? というかそんな感じがしたわけで@@。そうしたら誰かが「それをこっちに引張れ」って言う気がするわけで、木から出てきた何かが例によって、あたくしの頭の上に乗っかっちゃった気がするわけで@@。神職の人も微妙に動揺してちょっとばかしどもってた気がしてならないわけですが、あたくしの気のせいだと思う、ということで-;。祈祷が済んだ頃合いを見計らって参拝だけしてとっとと退散してきました。木になんか変なものを依りつかせてため込んでおくことってできるんだ? とはじめて思いました。神職とはそういうものを呼び出したり、しまったりして使えるものらしい@@。
というわけで、恵那とは要は胎盤とか羊膜のことらしくて。新潟の方にも胞姫とかって、そういうものに対する信仰があった気がします。胎盤なんてゴミじゃん! というか、あたくしが病理医をやっていたときに、やたらと胎盤ばっかり診断させられた記憶があるわけですが、あれって「お前もゴミになってしまえ」という義仲の呪いだったんじゃあ、と今になって思う-;。「お前の方がゴミだろう」と今は思うわけですが-;。ともかく、中津川というのは、津島の動きを長野県側から仕切る出先機関だけれども、それを長野県側に持ち込みたくないので、わざと美濃を信濃国とは別の行政圏に設定したのではないか、とそう思わせる興味深い所でした。いつも高速で通り過ぎるだけなので、一般道を通ってみて面白かったです。