本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。
どうも、「印欧語族の文化といえば、埼玉北西部には泉(湧き水)と女神を関連付けている神社がちょこちょこあるでしょ。小泉と女神を関連付けるのも印欧語族の文化の特徴だよ。」と言われる気がするわけで。言われてみればそーだ、カモカモさんたちは犀竜のように比較的大河川や大きな湖と竜蛇女神を関連づけしたがる傾向があるけれども、小さな泉の女神に対する信仰はそれとは対照的である。泉の女神信仰はアジアというよりはヨーロッパの印欧語族の信仰で非常に盛んだった印象があるわけで、現代の「ルルドの泉」に通じるものじゃん? と思う。でも、その信仰の源流は印欧語族がアジアとヨーロッパに別れる前から持っていたものなんだなあ、と思う。アジア方面ではゾロアスターのアナーヒタ女神とかインドのサラスヴァティーとか、結局、大きな川の女神へと変化していきますものね、と思う。細かいところにも探せば「出雲らしい文化」は田舎に残っているんだなあ、と思う。
あとは、旅もそろそろ大まかには「締め」の段階なので。最終目的地がどこなのか、あれこれ調べております。古い式内社を巡る理由は、そういうところを最初に開拓して、最初に神社を造った人達が物部氏系の人達が多いので、彼らに結縁するという目的が大きいんじゃないか、と最近思うようになりました。
・・・だいたい、未開の土地を開拓して、原住民ともそれなりに仲良くして、祭りと政治の形態をようやく作り上げた、と思ったら、上の方が「仏教」とか持ち込んで、「今度はこれを拝め。」とか言い出して、なにもかもぶち壊しにしようとするわけだから、揉めないわけがない。どうみても、「仏教」とは物部氏を弱体化させるための方便だし、だいたい「修行して死んだら仏になる。」のではなくて、「修行して死んだら天狗になる。」とかっていうわけの分からないものじゃん?? この国にそんなのを持ち込んできたのが誰かって言ったら金刺氏じゃん? と言われる気がするわけで。・・・だいたい、信濃国水内郡の金刺氏、たぶんうちの先祖か、それにとっても近い人物だねえ、と思う-;。しかも、自分が直接戦うのではなくて、聖徳太子とか利用して物部氏の頭領を倒させたわけだ。
・・・思えば、あたくしの神社巡りの旅の最初は、海部氏の籠神社(と宇良神社)、その次が石上神宮だから、最初っから2次機能の頂上の2つの神社に呼ばれてたのねえ、と思う@@。結局東の果てで私が古社を漁って、古い神々を掘り出す旅をするのも、その時からの運命だったんだなあ、と思うわけです。だいたい「いろんな声」が聞こえてくるようになったのは籠神社の摂社である真名井神社に行ってからだもんね-;。
テレビはかなり昔の「FNS歌謡祭」の録画を見ています。