先週の土曜日は三島へ出かける。奈古屋神社、初姫神社、天降神社、三島大社、若宮八幡宮、広瀬神社、三石神社、楊原神社、富士浅間神社を参拝してきました。
本日は外作業のみ。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。
裁縫は、引き続きお休み中。
テレビは、今日の昼は土曜日のの「SHOWチャンネル」の録画を見ました。
伊豆の入り口への旅もオカルト・・-;。伊豆という地名そのものが「伊豆能売」と似たような名前で「雷」という意味を示すので「何かありそう」とは思っていたのですが。高速を降りると「我らが『アダムの町』と呼んでいる伊豆へようこそ。」と言われる気がする@@。伊豆ってそういう意味? と思う。でもって、あれこれ言われたわけですが、
「三人兄弟」の民話はあちこちにあるけれども、カイン、アベル、セツの神話も「三人兄弟」でしょ、と言われる@@。それはカインがアベルを殺して、末っ子のセツがアダムの跡取りになった、という話ですよねえ? チベットに、牛の神様の話で、「ほぼ同じ話」があったような。牛の神様の話では、カインは祝融という火の神に相当するし、アベルは炎帝に相当してたわけで。カインって祝融だったんだ? と思う。ということは、父親のアダムは黄帝(羿)、母親のエバ(イブ)は例によって嫦娥なんじゃん? と思う。だけど、東アジアでは、祝融と同類項の啓が「黄帝の正当な後継者」扱いですよねえ? 他に「正当な後継者」として「セツ」がいたらまずいんじゃないんですか? と思う。そして、東アジアでは、「黄帝が人身御供を禁止した」ということが抹殺されてしまって、生贄とかやりたい放題だったわけですが、ヒッタイトとかユダヤでは、人身御供の抑制、女性の地位の向上がそれなりに図られていたように思うわけで。実際に「黄帝の後継者」を名乗るだけでなく、その思想を引き継いだのは、ヒッタイトとかユダヤの人たちなんだ? と思う。それはすなわち、啓が父親と母親を殺した時に、誰か西方に逃げた子供がいるでしょ? と思う。彼と彼の部下達は西方へ逃げて、黄帝の教えを実践して、「人身御供禁止」の文化を世界のどこよりも先駆けて確立したと思われる。
でもって、「イエス・キリストは、エバは蛇と戦うアダムを生き返らせて真人間にしたんだ、って言ってたよ。だから、ローマ人とパリサイ人の反感を買って殺された。」と言われる気がするわけで@@。そうなの? というか、それはどこかで聞いたような話だ。野人のエンキドゥを真人間にして王の側近の英雄にした、っていうメソポタミア神話では、それ? と思う。そうしたら、「それでいいんだよ。アダムは悪い蛇と戦う。エンキドゥは悪いフンババ(森の王)と戦う。同じ事でしょ。イエスの前世はハンムラビ王だから、メソポタミアの神話には詳しかったんだよ。」と言われる気がするわけで;;。もう言われることが完全にオカルトな世界だーーー、と思う;;。ともかく、「楽園の悪い蛇」というのは炎帝のことなわけだ-;。
で,アダムとエバは楽園で「知恵の木の実」を食べて分別を身につけ、それが悪いこととされて追放されたわけですが。「イエスがこれがまずい、って言ってた。だって、分別が身についた方が悪いってことは、分別がなくて神(炎帝系の神)の言うことをただただ聞くのが正しい、って言ってるのと同じことでしょ。そんなこと言ってたら、将来的には『ユダヤの民は分別があるから悪い民である。だから殺さなきゃ。』って必ず言われることになる。そんな神話はよくない。自分は正しい神話をみんなに伝えなければ。」って言ってた、と言われる気がするわけで;;。だけど、そうやって「誰かの言いなりになって動くこと」が正しい、とされているのは、バビロンの虜囚とか、ローマの支配を受けて生まれた思想で、当然「征服者」の意向が入って作られている神話じゃないですか? それに逆らうようなことを言ったら、当然上から命を狙われるのでは、と思う-;。どっちかというと、「私が今苦労しているのは、全部イエスのせい。」という感じである-;。
そして、カインが祝融(啓)なら、そのアダムの後継者としての正当性を否定するのはまずい、と思う。絶対に啓の子孫から猛反感を買うことは必至である。しかも、その連中は芋虫を神様だと思っていて、「なんでも芋虫のように食い潰せ。手段は選ばずに。」って思ってる連中だから標的にされたら大粛正を受けそうである。でも、それが分かっていても、命がけで祝融(啓)の正当性を否定して、人身御供禁止を守ってきたのがユダヤの人々であったのだ、ということも分かる。それが黄帝の思想だからである。・・・というか、黄帝がアダムで、嫦娥がエバ? と思うわけで-;。
「で、それは日本で言うところの阿遅鉏高日子根神と下照姫でしょ。」と言われる@@。「下照姫の夫で、阿遅鉏高日子根神に対する信仰が低下する代わりに台頭してきたのが建御名方富命でしょ?」と言われる気がするわけで@@。上諏訪に燦然と輝くアダムとエバっすか? どうりでそっちに行くと「我らは黙示録の戦士だ」って言われる気がするわけだ;;。伊豆へ来て、こんなことを言われる気がするとは、と思う;;。「天若日子が悪魔と戦って死んだ時に、生き返らせたのが妻の下照姫だよ。それが正しい神話でしょ。」と言われる気がするわけで-;。・・・もう全くその通りでございます-;、と思う。というか、イエスの話はもう聞きたくねーや、と思う-;。
で、家に帰ってきて、「その場で楽寿園の意味に気がつかないようではまだまだ」と言われる気がするわけで。あの講演もずいぶん厳重に囲われてましたねえ? しかも小銭をあちこちで取られる気がするわけで。神社に参拝するにもお金を払わなければいけなくて。公園の中の小さな神社には、三島大神の妻神が祀られているらしいのですが。「あれが楽園の中心の死の女神(蛇)なんじゃないの?」と言われる気がするわけで@@。あれは「楽園」だからあんなに厳重に囲われていたんだ? 中に入るには小銭(六文銭)がいるらしい・・・-;。では、あれはせいぜい伊邪那美命か此花昨夜姫、と思う-;。三島というのはなんだか不思議な町でした-;。三島大社って秦氏の神社みたいですし。