22年8月31日

 ええと、ともかく、お出掛けの前段階の下調べとして、「弥彦」とは何かを考えたわけです。弥彦って「天香山命(あめのかごやま)」といって、山を神格化させたもので、占いの神サマです。要は伏羲ってやつです。で、中国の神話では伏羲の奥さんは女か娘娘(じょかにゃんにゃん)なわけですが、なにせうちのイザナギが奥さんのイザナミを焼き殺すという、前代未聞のDV夫なので、ともかく女か娘娘(じょかにゃんにゃん)はどうなったのか? 日本に来るときに日本海に投げ込んじゃった!? とか、そういう弥彦の素行調査をしないといけないわけだ。

 で、調べたところ、弥彦の奥さんは熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)というらしい。ともかく、夫婦は最終的にはうまくいかなかったらしい。で、東国の神話の一大特徴は、東へ行けば行くほど適当になるところであって、ともかく、熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)はメドゥーサみたいに木こりを石にして殺したので反省して尼になった(要は死んだ)とかそんな展開なわけで-;。弥彦が悪いんだけれども、「なんじゃそりゃ?」みたいな話である。(この場合、木こりがカグツチなのである。)

 で、後は、大江山的な話もあって、弥彦は尾張物部カモ系の神であり、大江山は典型的な「炎黄闘争」の話なので、微妙に黄帝色な弥彦である。で、酒呑童子は九頭竜が授けてくれた、九頭竜の子供も同然、ということで、九頭竜=女か娘娘(じょかにゃんにゃん)、酒呑童子=饕餮、なんだなあ、と分かる。で、その九頭竜女神を適当に坊主を介して、白山の死神・菊理姫に変換してるわけで。

 やぱり、女か娘娘(じょかにゃんにゃん)を殺してるよね? 親不孝者な尾張物部カモ系のシャーマン部門はねえ? となる。ともかく、古代の身分制度では

シャーマン > 王・戦士 > 一般庶民

なので。伏羲と香山命って、トップの家系なのですわ。しかも、トーテム(母親の階級)は蛇あるいは竜が最高クラスなわけ。

で、ともかく、香山命には弥彦という別名があって、これはいわゆる「二相」の神なのである。そして、弥彦は雷神を操れる神、従えることのできる神、とされているわけです。で、雷神というのは、当然自然神だけでなく、饕餮のような「怨霊」を含む。そして、怨霊を操れる、ということは怨霊を「作れる」ということでもあると思う。そして、「弥彦」というのは、日本語的には「有」でも良いし「熊」でも良いと思う。どちらも「ゆう」と読む。つまり「弥彦」=「アルクマ」=「炎帝蚩尤」=「饕餮」であって、これらは「伏羲」と表裏一体でもあるし、「伏羲」の僕でもあるし、「伏羲」の一部でもある。

 それで、悟る。「怨霊」というものをどうやって作って操るのか、ということを。人々を2つに分ける。一つは、ものすごく裕福な人々を作る。もう一つは、ものすごく貧しい人々を作る。彼らを隣同士にする。そして、彼らは兄弟だったり、姉妹だったりする。そうしたら、みじめな方は必ず、超金持ちな隣人を妬む。頑張っても頑張っても報われなければ、「なんで自分ばっかり」でひがんで、「なんで何もしない奴が成功するのか」って思って、超金持ちを憎む。はい、怨霊が一丁できあがり、となる。これが「弥彦」である。

 で、たまたまできあがった「弥彦」がちょっと報われたりする。そうするとご当人は「自分が努力したから、報われたんだ。自分は、自分をみじめにした親を(あるいは世間を、あるいは隣人を??)見返した。」と何故か思う。というか、努力するのはともかくとして、何かと戦ってたの? とか不思議に思うわけだけれども、なんというか、「自分をみじめにした」とその人が思っているものと戦って、勝った、みたいに思うらしい。そして、それはだいたい「自分が努力したおかげ」であって、誰かに守って貰ったりとか、支えて貰ったってことは思わないらしい。だって、世間とか親とか、そういう漠然としたものはみんな「敵」だからさあ? みたな、そんな感じ? と思う。だから、そういう思考になってしまうと、人としてはみじめな状態から抜け出しているはずなのに、「怨霊化した自分」からは抜け出せないらしい。で、自分をみじめにした本当の敵である伏羲のことには気づかないまま踊らされるのが「弥彦」なんだと思う。

 というわけで、どっかの神社で、「弥彦」の狂気と怒りを感じて「うへえ」と思う。「丸に大」? 白山の後ろ戸の黄龍金鵄ってどこの誰? と思うレベルで笑うしかないー;。自分をみじめにしている親を憎み、超金持ちの親戚を妬み、憎み、妻と子供達を憎み、でも「香山」の存在には全く気づいていない「弥彦」がいるわけです。家にいると思ったら、なんでここの神社でうちの父親の「怒りと狂気」を感じるのか、という点が「うへえ」なわけだ。変な所で連動してるし、というのが今日の本音でござる-;。その超金持ちの親戚は、あんたを「怨霊弥彦」にするためだけの存在だったのに。用がなくなったらもう別のものに作り替えられようとしてるのに? 知らぬは当人ばかりなり、というところが所業無情? とか若干仏教的なことを思ったあたくしでありましたー;。

 そして、こんな日記であれですが。昨日はあたくしの潤ちゃんのお誕生日でした。おめでとうございます<(_ _)>。