本日は外作業をしました。母親は土の埋め戻し、姉は土の清掃、石片付け、私は土掘り、土の清掃でした。
お裁縫は、ジャケットは後ろ身頃と前見頃の縫い合わせ、新たなケープコートはちょっとだけ裁断、小物はコースター作りでキルティングもどきをチクチクとなりました。
テレビは、昨夜は「少年倶楽部」の録画等、今日の昼は「A Studio+」の録画を見ました。夜はその続き他「SHOWチャンネル」等。
で、神話の勉強もまだ続ける。かぐや姫とハイヌウェレは「同じ物」であることを発見する。ついでに、日本の記紀神話というのは、天孫=黄帝系、出雲=神農系になぞらえた上に、天孫の頂点に太陽女神を持ってきたものだ、ということが判明する。・・・結論からいえば、母系の太陽女神信仰は、政治が母系から男系に切り替わったときに、禁止されて、女神は太陽から月にあるいは西王母に強制的に変更させられたのだと思う。しかし、黄帝の妻は太陽女神なのだから、そんなに「妻」の方ばかり立てなくてもいいんじゃん? というか、何故古代の日本で、「太陽女神信仰」を復活させようと思ったの? と思う。
その理由は、一つには中国の辺縁にある古代日本では、古い太陽女神信仰が住民の間になんとか残っていた可能性があること、西方の太陽女神であるヘバトやシャパシュやそれに類似していた女神を知っていた集団があって、彼らが太陽女神信仰を再度この国に持ち込もうとしたこと、等があるのだと思う。だけど、黄帝よりも太陽女神の方を、強力に立てたい、という思いの底には、「こんな風に太陽女神信仰を廃絶するつもりはなかったのに。こうなったのは、自分が妻を追い詰めた結果だったのではないか。」と5000年の間、ずっと後悔していた人の強い思いがあったことに気がつく。・・・ということは、日本の変な記紀神話を作ったのは、高市皇子なのでは、と思うわけですが。太陽女神であろうが、なかろうが、性悪の毒盛り女は、自らやったとの責任は自らとって当然だ、と現代的、個人主義的なあたくしはそう思う。でも、それに乗じて、その他の女性達を圧迫するのは、「イブの原罪」を楯にとって、女性を差別するのと同じことで、間違っていることと思います。男女を問わず、個人の責任は、個人が取るべきである。
それに、5000年も前に起きたことを、いつまでも後悔していても、どうしようもないじゃん。済んだことは、今更変えられないし、人は前に進むことしかできないのだから、と思う。そうしたら、ひいじいさんに「姉さん女房っていいね。」と言われました。・・・あたくしの方が一回りも年上なんだけど、と思う-;。というわけで、「お勉強」は続きます。