昨日は飯山へ出かけて神社巡りをしてきました。伏見稲荷、片山稲荷、奈良井神社、愛宕神社(琴平&大山祇)、葵神社、伊勢神社(琴平&天満)、布施田神社、常盤神社、小菅神社とがっつり回ってきました。小菅神社は、現在では主祭神は素戔嗚となっているそうで、他の「八所」の神々も歴史の流れの中で、ちょいちょい変えられた形跡があるらしい。でも三の鳥居の横に「国常立尊」の大きな碑があったので、蔵王権現って思うよね? 普通はね? と微妙に思うわけで。蔵王権現には弥勒菩薩も含まれるので、弥勒も摩多羅神も同じものー、と思うわけです。で、小菅神社では昔は祇園に特別な祭りをしていたそうなので、祇園を中心に考えれば
素戔嗚=牛頭天王=武塔天神=摩多羅神=弥勒菩薩=ムーダン=ミトラス
で、全然変じゃないでしょ、と思う。で、平城・嵯峨天皇の祈祷所であったそうで。摩多羅神は天台宗であがめられた神であって、平安時代末期から信仰が盛んになったそうです。でも、この一派は後に「邪教」とされて衰退している。斑尾の頂上に薬師如来が祀られているのは、医薬神である「牛頭天王」とか「武塔天神」に引っかけてるのだと思います。で、西欧(地中海周辺)では
ミトラス=モロク=プタハ=ハーデス・プルートー=ネルガル
となるので、記紀神話では、「素戔嗚が牛頭天王と同じもの」だなんて書いてないわけですが、歴史の流れの中で、祇園の八坂神社では、いつしか素戔嗚=牛頭天王と考えられるようになり、武塔天神に関する「蘇民将来符」とか配るようになっているわけで。素戔嗚が疫神であるとは、記紀神話には書いてないと思います。でも、祇園では疫神扱いだし、ネルガルまで辿っていくと、れっきとした疫神なんだよね、これがまた。となるわけで、これは、世界の「神話」を知っていて、その変遷も知っている者が、平安時代の300年くらいをかけて、つくりあげていった「牛頭の神」が素戔嗚に結実したものだし、最初からそうするつもりで素戔嗚を作ったのかも。三貴子は、天照大神、月読、素戔嗚の順だけれども、最初からギリシャ・ローマの、ゼウス、ポセイドン、ハーデス・プルートになぞらえて作ったのかも、とすら思う。だから、ハーデス・プルートー=ミトラスとすると、彼らはどちらかといえば「下位の神」であって、神に逆らう人々に「天罰を与える神」であって、疫病を流行らせるのも「天罰の一種」なのである。医者(薬師)との関連性からいえば、アスクレピオース(ギリシャの医薬神)の神話が全てを語っているといえる。
アスクレピオースは優れた医者で、多くの人の命を救ったけれども、優れていすぎたので、死ぬ人がいなくなってしまい、神々が死すべきと定めた人まで生きるようになってしまった。だから、自分の役目を侵されたハーデスは怒ってアスクレピオースを殺してしまった。
という神話である。だから、医者(薬師)ってどんなもんなのか? と言われても困るわけですが、ハーデスに逆らって仕事したら、まず自分が死ななければならないのが医者である。今でも、世界中の医者がそうやって仕事してるんじゃん? と思う。だから、ハーデスは「医薬神」とはいえないのだけれども、医者の元締めというか、監督官みたいな位置にいるわけです。それも「まともな仕事をやり過ぎないように」監督する神なわけだ。
でも、そうやって人々の生活に直接関わる(直接罰を与える)神であるので、庶民からすると、直接の信仰の対象になりやすいわけです。ハーデスに気に入られれば、自分だけ天罰を免れるかも、とかそういう意味で。
でも、こうやって見ていくと、ハーデスは元々神々の中では下位の神なのだから、天照大神に逆らって狼藉を働き、天照大神を岩戸の中に追いやる方が間違っている、ってことになるよねえ? と思う。まあ、単純に言って、一般庶民はハーデスにもの申せる立場ではない。でも、天照大神はもの申せる立場である、とそういうことになるわけです。そして、もう一人「月読」である者も、もの申せるよねえ? 立場は「兄」だもんねえ?? と思う。
嵯峨天皇は弥勒だの天台だのに入れ込んで、いったい何を願ったのかと思う。もし、自分が生まれ変わったとしても、また天皇になりたい、そうしても天罰を受けることのないように、と願ったのだろうか? と思う。(摩多羅神の信仰を始めたのは最澄の弟子の円仁と言われている。まあまあ平安初期の僧侶である。唐に留学してるから、世界的な神話を研究する機会が充分あった人だと思うわけですが。)で、その結果の
素戔嗚=牛頭天王=武塔天神=摩多羅神=弥勒菩薩=ムーダン=ミトラス
という「祇園信仰」を確立するのには、京都では代々の天皇、信濃国では信濃国造家が深く関わってきていた、ということになると思います。信濃国造家の目的は、イザナギに逆らう天照大神と月読を素戔嗚に片付けさせよう、とかそういう感じだよねえ? と思う-;。・・・だけど、嵯峨天皇がもし生まれ変わったとしても、平穏無事に天皇になれるのかねえ? 特に最近の皇室は、ジェットコースターメロドラマのように、次に何が起きるのか分からないドラマのような展開で、このままでは天皇制の将来そのものが「大丈夫かいな?」という感じである-;。
で、それ以外では、飯山とは稲荷の多い町であるし、伏見との縁が強い感じがするわけで。私が思うに、狐は「天狗の乗り物」なので、どこにも資料もなくても、「摩多羅神」も隠れた天狗であって、その騎馬が伏見稲荷と小菅の「馬頭観音」ではないのか、と想像するわけですが。「天狗」というものが確立したのは中世であるので、もっと古くは「摩多羅神」は「狛天白」とか「天白」と呼ばれており、それが時代が下るにつれて「天狗」へと確立されたのではないのか、と思います。天白神とは、東日本に割と多くて、名古屋とか長野県に多くいる神な気がするわけですが、元々「尾張氏」が勢力を張っていた地域で信仰が盛んであったようなので。・・・饕餮のことだろ、それ、と単純な私は思う-;。というか、饕餮を雷神と天白に分けているのだと思う。でも「天で白いもの」って星ではなく、雷のことを指しているのだろうし、だからこそ治水とか護国豊穣に関する神であるのだと思う。
で、本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。
お裁縫は、つくろいもののみ。
テレビは、昼は「ニュースな会」の録画を見ました。昨夜は「少年倶楽部」とMステ。ともかく、やらなきゃならないことがありすぎて忙しいので、ゆっくりテレビを観ている暇すらない、と感じています。