本日は外作業のみでした。外作業は、母親は土の清掃、土の埋め戻し、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土掘り、土の清掃でした。午後は丁度17時頃から雨が降ってきて、作業ができませんでした。
テレビは、昨夜は「ニノさん」の録画の続きを見て、昼は「食宝ゲットゥーン」と「おしゃれイズム」の録画を見ました。
昼寝をしている時に夢を見て。なんだかドライブをしていて、どこかの海岸みたいなところに行って。海辺にいろんな生き物?がいて、潮が満ちてきたら半分にちぎれている魚?みたいなものが生き返って泳ぎ出す、というような夢を見ました。
ところで、阿弥陀如来というと、「阿弥陀三尊」で祀られていることが多いです。善光寺如来も「一光三尊」といって、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩が一つの光背の前で並んでいます。阿弥陀如来をローマ式にハーデス・プルートー(冥界神)とすると、観音菩薩と勢至菩薩は何? と思うわけです。観音菩薩は、本来は男性形ですが観音経に「女性に対しては女性に変身して説法することもある」ということで性がない、あるいは中国から日本では女性的な形と考えられることが多いようです。そして、観音菩薩は「慈悲が広く、優れた現世利益を持つ」とされているそうです(Wikipediaより)。そして、もう一方の勢至菩薩(せいしぼさつ)は単独で拝まれることは少ないのですが、「火途・血途・刀途の三途、迷いと戦いの世界の苦しみから知恵を持って救い、その亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせる菩薩とされる」そうです(wikipediaより)。で、阿弥陀三尊というときは見る側から向かって
勢至菩薩 ー 阿弥陀如来 ー 観音菩薩
と並んでいます。勢至菩薩の性質はプチ救世主という感じですし、男になったり女になったりする観音菩薩はキュベレーを彷彿とさせます。これは、
子 ー 父 ー 母
という組みあわせを元にした三つ組みなのではないでしょうか。古代エジプトで一番有名なのは
ホルス(太陽神・子) ー オシリス(冥界神・父) ー イシス(母神)
という組みあわせで有り、なんだかこういう地中海周辺的な家族的神々を彷彿とさせる気がします。善光寺では、本堂の正面には御三卿といって
本田善佐(子) ー 本田善光(父) ー 弥生御前(母)
という創始者家族の像が祀られているわけで、これもご本尊といえます。というか、この構成は
善佐(勢至菩薩) ー 善光(阿弥陀如来) ー 弥生(観音菩薩)
となぞらえているのではないでしょうか。善光寺の一番古い形は
彦神別神(子) ー 諏訪神(父) ー 八坂刀売(母)
で、元々の一番の中心的神は彦神別神だったと思われます。とすると、本当の中心的祭神は
彦神別神 = 善佐 = 勢至菩薩
なの?? と思われますが、4世紀には楽しい「三位一体論」がローマ教会の主導によって確立してますので、ローマ式には
善佐 = 善光
ということなので、善佐 = 善光 = 阿弥陀如来
で全然構わないわけです。全部「一体」で永遠のものらしいです。古代エジプト式に当てはめると
ホルス と オシリス は同じもの
と言ってるのと同じです。ギリシャ・ローマ的にいうと、ちょっと変則的ですが
アドーニス ー ハーデス・プルートー ー ペルセポネー
となり、多神教であった頃の、古代ユダヤであれば
アダム ー ヤハウェ ー アシェラ
といえたかもしれません。ともかく、古代の地中海周辺地域は、こんな感じの「父と母と子」の組みあわせの神々が信仰の対象となることが、あちこちで行われていました。そこに、更に色々な各地の神々が習合されて、「大家族」を形成された究極の姿がギリシャ神話だったのかもしれないと思います。古代エジプトにも大家族の神々が存在していました。でも、こういう家族的神々を「全部同じ物」としてひとまとめにしてしまったのは、ローマ教会だけなわけです。だから、本来「子神」であったはずの「善佐(彦神別神・勢至菩薩)」を「善光(諏訪神・阿弥陀如来)」と同じもの、として
彦神別神 = 阿弥陀如来
として縮めてしまうような思考回路というか考え方が「ローマ式」なわけです。で、その一方で、ご都合主義的に
諏訪神 = 本田善光
と暗示するようなことは全く示されていないわけで、何も知らない人から見れば、なんで善光寺の周辺に善光寺を守るように諏訪系の神社が大量にあるのかが分からないわけです。特に時代が下ると彦神別神は八幡神に置き換えられてしまうわけですから、八幡神を中心とする「三位一体」といったら
八幡神 = 仲哀天皇(でなきゃ日本武尊) = 神宮皇后(両道入姫命)
となるわけです。東征を行った日本武尊=諏訪神とすると、
諏訪神(日本武尊) = 本田善光 = 彦神別神 = 八幡神 = 阿弥陀如来
と作り替えられていったのだと思います。でも、本田善光は伝承からは信濃国造の関係者で、先祖の建五百建命は諏訪神の婿的存在とされていますから、善光寺界隈の諏訪系神社の諏訪神とは、「建五百建命の代理(舅)」とみなすくらいが良いのではないかと思います。とすると
建五百建命 = 本田善光 = (彦神別神) = 八幡神 = 阿弥陀如来
となって、系図的にはかなりすっきりするのではないか、と思います。ともかく、本田善光とはお寺がほぼ官営であった時代にお寺の創設を認められたくらいの人物ですし、金刺氏の関係者であったと思われますので、何代目かの信濃国造その人であったとしても全く不思議では無いと思います。そして、代々の国造が「建五百建命」を襲名していったとすれば、善光も善佐も「建五百建命」であって不思議ではないのです。本田善光を彦神そのもの(この場合は建五百建命)とすると、その子供は彦神別神、すなわち本田別命、となって八幡神になってしまうわけです。あら不思議。ということで、何故か天皇家とはあまり直接の血の?がりがないはずの建五百建命が応神天皇と習合して皇祖神みたいになっているし、そう扱われていたわけです。どうしてそうなるのか、ということになります。
日本の神々は、大雑把にいって、天孫系と出雲系に分かれる、と言われます。出雲系というのは、島根県を中心として大国主とか、主に地上で活躍して、かつ「天孫」が天から降りてきた時に国土を譲った神々、といえると思います。いわゆる「国譲り神話」というやつです。その一方、「天孫系」というと、代表的な「天孫」は天皇家であって、この場合の「天」とは天照大神のことを指します。でも、良く考えたら、「天の神々」とされているのは天照大神だけではありません。天照大神は、イザナギ・イザナミから始まる系図の神ですが、それ以前に造化三神といって、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)神産巣日神(かみむすひのかみ)」という神々に代表されるような「別天津神(ことあまつかみ)」というものがいて、彼らが一番最初に現れたというようなことになっています。こうやって「別」とかってつけてどんどん神々は増やせるんだなあ、と個人的には思います。で、この造化三神にも子孫がいるわけで、天照大神の子孫はまた別の「天孫」といえるわけです。そして、天照大神は造化三神の後に出現したイザナギとイザナミの子であって、造化三神からみれば、ぺーぺーの神サマに過ぎないわけです-;。
で、造化三神の方には
高御産巣日神 → 天活玉命(性質はイザナギに同じ) → 建五百建命、宇佐氏
という系図があるわけです。だから、天活玉命をイザナギとすれば、これは皇祖神でもあるし、金刺氏の祖神でもあるし、宇佐氏の祖神ともいえるわけです。八幡神は元々、宇佐氏の祖神として祀られていたのですから、
天活玉命 = イザナギ = 八幡神 = 建五百建命 = 本田善光
とすれば、ローマ式数珠つなぎで、みんな「同じもの」といえてしまうわけです。それだけではなくて、信濃国造家は天皇家に対して
「あんたんとこの神サマはうちの神サマの下で働くぺーぺーの神サマ」
って言えてしまうし、八幡神は天照大神の上を行く「皇祖神」として祭りあげることも可能になるかもしれません。聖徳太子が、本田善光も同然の善光寺如来にわざわざ父親の供養のことについてお手紙差し上げた、というのも阿弥陀如来を先祖のイザナギの化身、本田善光を自分よりも格上の神から出た存在だ、と思っていたとしたらどうでしょうか。
ともかく、応神・仁徳天皇の家系は、北九州初であって、海の向こうからやってきた後発氏族といえますので、日本の国にそれ以前から住む人々、それ以前から存在していた神々と無理矢理結びつけるために、色々な試行錯誤がされたのだと思います。その結果、表面上は単なる地方豪族、単なる国造家に過ぎない人々の祖神の方が、よくよく見ると天皇家よりも格上、という妙な系図が巧妙に産み出されたのだと思います。
特に、多少の血縁関係はあったとしても、大元は異なると思われる景行天皇と仁徳天皇を、系図の上で無理矢理「直系」にするために、よくよく無理をしているし、それに関して、相当な軋轢があっったのではないか、と思われます。特に景行天皇の家系は出雲系と思われ、仁徳天皇の家系はそうではないと思われますので、出雲系の神々を「負け組」として皇祖神からはじき出しつつ、結局は取り入れざるを得ない、という矛盾を解消するのは大変だったのではないでしょうか。