24年11月29日

 さて、簡単に日記を書きます。先週の水曜日に矢賀美神社、湧井神社、氷野田神社、大上神社に行ってきました。矢賀美神社は、どう見ても八上比売を祀っていたと思われる名前なのに、祭神が熊野に変わってしまっているのがやばい。元の神社の名前が「王神社」というのも、どうもうち(信濃金刺氏)に関係がありそうでやばい。人身御供の伝承がウロウロしてるのに川の岬に神社があるのもやばい。だいたい東国の八上比売って見付の例にあるように「人身御供の代名詞」なのに、そんな女神が近くにいること自体やばい、とやばいことづくしで、「絶対になんか(霊が)いそう。」と思いましたが、たまーに発動する霊能力者モードで行ってきました。

 結果、なんかバッタと蛇が融合したようなゾンビみたいな顔をした女性の幽霊を捕獲しまして、「お前もあの時あそこにいたのに、なんで私が死んでお前が生きているのか。お前が死ねば良かったのに。」と幽霊に怒られた・・・気がするわけで、「あんた誰?」というか「何の話?」となるわけで。なんか、私が幽霊にものすごく一番恨まれている気がするわけで@@。どーゆーこっちゃ、と正直思いましたが、やるべきと思ったことはやりました-;。ともかく怨霊には浄化しかありません-;;。

涌井神社は、木彫りの龍神様がいらっしゃるそうで、素晴らしい神社でした。

あとは、犬神様についてあれこれ調べたり、見付天神と健御名方富命彦神別神社の共通点を見つけたりしていました。端的にいえば祭神が共通してるから、どちらも人身御供に関係してるらしい。見付には早太郎様がいるけど、犀川の西側には良い犬神がいないねえ。この間善光寺の近くでちょっと見かけたけどねえ、と思う-;。

 あとは、「千と千尋」のことを思いだす。あの映画は千尋が黄泉の国へ行く物語ですが、そこで彼女が会うのは、彼女の先祖達だと思うのです。子煩悩で湯治の女神の湯婆は八須良姫、銭婆は嫦娥娘娘、湯婆の手下の蜘蛛爺が槃瓠ちゃんなんだなあ、と思う。千尋を殺そうとして、名前がないのに、存在だけがある「カオナシ」とは、彦神別神、すなわち小萩命、すなわち黒耳のことであると思う。そして、それをてなづけてしまう千尋は「西王母」のことだと思うわけです。だけど、なんだか悲しいのよ。泉小太郎伝承は、お手盛りのご先祖様自慢の伝承としてまだかわいげがあって許せる。だけど、「雉も泣かずば」はさあ、バナナ小僧の類話じゃないですか。物語の中で、クジャク娘は父親の病を治す、朝鮮のバロンこと鉢里公主も親を助けるために旅をする。でも、水内の雉娘は父親を殺してしまう。こちらの方が原型に近い話だと分かっていても、なんでこんな話にしたのか、なんで、ミャオ族のクジャク娘や、朝鮮の鉢里公主のように、我が家の小豆娘はなれなかったのか、それをとても悲しく思ったのです。