24年11月1日 名字の秘密

 さて、色々とあります。

 苗族の他に、ハプログループD群の遺伝子を持つ人達がいます。羌族です。殷の時代に人身御供にされていた人達です。で、不思議に思うわけですが、封神演義を読んでいると、姜姓の人がちょいちょい出てきます。姜姓と羌族って同じなんじゃないの?? と私の頭はぐるぐるするわけです。姜姓の人は朝鮮にもけっこういます。殷の王族は羌族を馬鹿にしてたのに、なんで皇后とか有力な臣下に姜姓の人がいたんだろう? と思う。

 たぶん姜姓の人って夏の生き残りなのではないか、と思います。でも、殷でいい思いをしたい、というか、もしかしたら夏が殷に負けたのは親戚の羌族が味方してくれなかったせい、とかって逆恨みしていて

「羌族をどんどん生け贄にしましょう」

って言ったのかも、と思います。でもって、うちの一族って「田子」という地名と縁があるわけです。どういう意味なんだろうなあ? と思っていて。そうしたら

「田に植えてあるものは何か?」

と聞かれる気がするわけで。それは「稲」です。では

「稲の子は何か?」

と聞かれる気がするわけで。・・・・それは「苗」ってこと?? と思う。行く先々の土地に「苗」という地名をつけて、苗族であることを忘れないようにしているのでしょうか?? まさに「三苗」の一角だーーー、と思うわけで。

でもって、「群馬に方にあるのは?」と聞かれる気がするわけで。群馬の多胡にあるのは「羊大夫」です。古代の日本に羊はあんまり縁がないはずなのになんで「羊」が名字なの? と思ったのですが。それって

って名字ってことですかねえ?? と思う。我が家の大昔の名前は

苗族の姜氏

っていうらしいです。太公望とおんなじ姓だーーー、と思う。たぶん、夏とか殷とか、太公望が生きていたのと同じくらいの時代にはそんな名前だったのかも、と思います-;。

24年11月1日

 ええと、なんだか「人身御供」とか、祝融のことを「嘘つきと、武器製造を推進する火神」とか、真面目なことをガシガシと書いています・・・が、書いている方は、色々と資料を見て

「天若日子が蛙になってる~」

とか、イ族のみなさまの「火祭り」に、樹木に扮している方々(竜樹の化身?)を見て、

「マヨ祭だ、マヨ祭だ~」

と、喜んでいます。民俗学とかかじっていると、少数民族のお祭りとか楽しくてなりません。蛙の天若日子にも、どちらかというと笑いが止まらない。黄帝蛙様だから。イ族のお祭りも盆踊りよりはよっぽどマシ、と思う。

でも、てっぺいちゃんのDVDを見ながらあれこれ書いていたら、誰からともなく

竜退治を書くなら、嵐神プルリヤシュとイルルヤンカシュを書けばいいのに、と言われる気がします@@。それはヒッタイトです。インド・イランが別れた後よりは新しいけれども、ギリシャ・ローマに先行する神話である。

プルリヤシュってヴリトラのことじゃないですか。イルルヤンカシュはタクシュカのことである。

ということは、最初は

ヴリトラがタクシュカを倒す。

という神話だったのが

ヴァーユがヴリトラを倒す。

と変えられたのかもしれませんねえ、ヴァーユもヴリトラも同じ名前だし、と思ったあたくしでした。でも、つきつめていえばヴリトラとタクシュカとは「蛙虎が虎蛙を倒した」となるだけで、ただ名前が逆になっただけじゃないですか。ただただ、殺されたトム・ティット・トットというジャムシード君だけが「人間だった」という但し書きがつけられて閻魔さまになってしまうわけで。

ちなみに

大渓文化は屈家嶺文化(紡錘車(spindle-whorls)が発明された?)、龍山文化と次第に北上して受け継がれていきます。そして、伝説の中国の王朝「夏」と思われる二里頭遺跡に繋がっていく。この夏が殷に滅ぼされます。中国では、龍山文化集団が夏王朝に繋がり、三苗の屈家嶺文化及び石家河文化と対立したのではないか、と言われているらしい。夏の創設時に三苗と夏が争ったという伝承もある。でも私は違うと思います。

苗族は、屈家嶺文化と石家河文化に分かれ、屈家嶺文化と石家河文化が後に対立して、屈家嶺文化が勝って龍山に移行したのだと思う。要は「内ゲバ」です。身内同士の争いほど恐ろしいものはございません。

夏は殷に滅ぼされ、生き残った者は四散するか、殷に取り込まれました。その殷も周に滅ぼされるから、夏の残党は黄河流域から更に北に、中国東北部から朝鮮へと拡がって、一部は日本へも来たのではないでしょうか。

「うちの先祖って夏の王族だった?」

と思うあたくしである。殷代に「じゃんじゃん生け贄を捧げろ」っていう変な宗教を広めたでしょう? と思ったあたくしでした-;。