24年9月22日

 本日は外作業のみ。午前中は雨が降ったので、午後のみ。急に涼しくなったようです。

 今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。昨夜は「音楽の日」の録画を見ました。

24年9月20日

 本日は買い物と、午後少しだけ外作業のみ。猫様に

「暑いから涼しい部屋へ連れて行け。」

と言われてしまうと、ついつい甘くなって昼寝の時間を長くしてしまいますー;

 昼は「夜会」の録画他を見ました。

24年9月19日

 本日は外作業のみ。午前中は雨が降ったので、午後のみ。午前中は資料の整理をしたり、パソコンのメンテナンスをしたり、家庭菜園の種をまいたりしていました。

 パソコンの速度が遅いし、HDの音も目立つので、ccleanerというソフトを買って、いらないデータを削除したり、レジストリの整理をしたり、古くなったドライバを更新したりしたらずいぶん快適になりました。メンテナンスをするとしないとでは、全然違うんだー、と感動しました。

 あと、縄文時代に、山梨の側では「円錐土器」といって、3本指の女神像が出土しているそうなので、中国と同様、月の女神のトーテムが「蛙」だという伝承も伝播していたようです。南アルプス市出土の蛙女神は日本でいえば縄文ではソソウ神、弥生ではオオゲツヒメ、中国で嫦娥娘娘のことで良いと思います。女神でない方の、オルギアみたいな口の蛙人の全身像はダイダラボッチ、中国での饕餮のことで良いかと。それから、日本では「上位の神」として女神であっても男神であっても「熊」がトーテムで来ると思います。尖石の「仮面のビーナス」はもしかしたら「熊女神」の可能性もあるかも、と個人的には思う。朝鮮の神話に「熊女」が出てきますし、西洋では熊女神への信仰がかつては強かったわけですが。ただし、これらの神々も「人身御供を求める神」の一種ではあるので、例によって

母系の時代には女神

であっても、

父系の時代には男神

に置き換えられてしまっていますので。男女の神どちらのトーテムにもなりえる。須佐之男のトーテムには熊が含まれていると思うし、アルクマとかクマモンとか現代の熊キャラもだいたいは雄を想定しているのではないか、と思いますので、現代的には「熊」といえば男性的なイメージなのではないでしょうか。

 で、ちょっとだけ気になったのですが、山梨の側では土器に愛称を募集していて、円錐形女神に「ラヴィ(Love)」、蛙人紋に「ピース」とつけて、「ラブ&ピース」としてるそうな・・・。もちろん、人々に土器に親しんで欲しいとか、観光の一助にしたい、とか、そういう気持ちは分かるわけですが。でも、土器はどんな意味であろうが、古代の人が真面目に作って、畏れ敬い祭祀に使用したものでもあるわけではないですか。それがどんな意味でどのように使われたのかも、真にはっきりと明確になっているわけではないのに、現代のイメージで勝手に愛称をつけて呼ぶのは、もしかしたらそれは本来の意味から大きく外れたものになるかもしれないし、古代の先人達の思想に失礼なことなんじゃないのかなあ、と思いました。

 というか、レイプされ妊娠させられ殺された女の「愛」とはなに? 人殺しの死刑執行人の巨人の「平和」とはなに? そういうのを

「ラブ&ピース」

って呼んでいいの? それはあまりにも悲惨な名前すぎて嫦娥娘娘が可哀想すぎる、と本音では思う。尖石の「縄文のビーナス」とか「仮面のビーナス」という呼び名がいかに「妥当」であるかということを深く思い知った気がいたしました。

24年9月18日

 本日は買い物と外作業。私が土の清掃を午後15分ほどやっただけで、後は雨で無理でした。猫様は、昼食が終わると

「2階の涼しい部屋に行く。」

と言って待機するようになりました。

 でもって、蛙饕餮がダイダラボッチであるならば、それ以外の神々は何なのか、と言われる気がするわけで。御頭祭の主役であるミサクチ様は、「シャク」とつくからには

ひしゃく

でしかないと思うので、北斗星君のことと思います。後の「天帝」です。地上に降りてくる時には「石につく」とされていたのかもしれません。また石神井神社では少彦名命を祭神として石剣が祀られているとのことですが、これは天神であり征服神である古い時代の弥生人の「少彦名命」のことと思われますので、これも北斗星君のことと考えています。縄文人の北斗星君であるミサクチ様の聖所に、弥生人の北斗星君である少彦名命が祀られている例だと思います。

 御室神事の主役であるソソウ神は女神で良いと思います。蛇女神でもあると思う。八ヶ岳山麓の縄文土器に「三日月型の架空の水性生物」と現されているものだと思う。蛇の女神が豊穣の女神であり、かつ殺される女神である、という伝承は岐阜、群馬、東北(オシラサマのタコもそう)にみられると思います。群馬では蚕の神は「白蛇女神」で表されますので、中国では嫦娥娘娘のトーテムは兎とか蛙になりますが、日本の

大宜都比売

のトーテムは蛇なのだと思います。そういえば、テレビで木花咲耶姫は「月の女神」でかぐや姫の原型とか言ってましたが、木花咲耶姫は火を放ってその中で出産したとか。かぐや姫は天上に帰る時に、自らの化身として不老不死の薬を残して行きますが、帝はそれを燃やしてしまいます。まあ、普通に木を燃やしたら燃えてしまうでしょう、ということで、木花咲耶姫はイザナミの焼き直しのようにしか思えない感もあります。

大宜都比売

のことを「月の女神である」とか「ない」という話がありますが、分かりやすく「大月比売」といえばいいのに、と思うあたくしです。嫦娥娘娘の時代から、「豊穣のために殺される女神」は「月の女神」と相場が決まってる。ただし、木花咲耶姫の「木」がココヤシであれば、その真名はハイヌウェレである、ってそれだけのことです。すなわち

ソソウ神

とは、蛇の女神であり、月の女神であり、「殺される女神」であった縄文系の女神と考えます。「縄文のヴィーナス」も破壊されているので「殺される女神」の一種ではあったと思いますが、ソソウ神と同一視されていたのか、別の神とされていたのかは分かりません。これは分けている文化もあれば、分けていない文化もあるからです。特に、三角頭で「仮面をかぶっているように見える」神像は、「女神」であるかどうか疑わしく思います。なぜなら黄河流域の

馬家窯文化(紀元前3200~2700)

からは、顔は饕餮、下半身は女性、という「両性具有」の像が出土していて、特に「出産」に関しては

「男が子供を産む」

という神話は珍しくありません。ギリシャ神話のゼウスはアテーナーを産みましたし、クロノスの吐き戻しも「出産の一種」と言えなくもないし、イザナギも子供産んでますし。三角頭の神像は下半身は女性だけど、胸がないように見えるので。もしかしたら、「両性具有」すなわち「饕餮」の可能性もあると思います。要は「男神」なのです。

 古代の諏訪では、おそらく蛙饕餮が、「人身御供の祭祀」の中心であったので、諏訪神を擁する人々が到来した時に、蛙饕餮のみを「悪神」として、退治したことにして神々の列から外してしまったのでしょうが、それ以外の神々は「諏訪神の子神」的な存在にして残したのではないでしょうか。だから日本の女神信仰を見る場合

縄文系の嫦娥娘娘は蛇、弥生系の嫦娥娘娘は竜、二つ併せて「竜蛇神」と表される

と大雑把に私はそう考えています。

24年9月17日

 本日は買い物と外作業。私が土の清掃、姉が土の清掃、石片付けでした。午後少しやっただけでした。

 河姆渡文化(長江下流域、紀元前5000~4500年)からは、体の中に植物と「目」がある猪が描かれた黒陶が出土しています。この猪を「獣神」としますと、彼のトーテムは猪自身でもあるし、何らかの植物も兼ねていることが分かります。そして「彼」と書きましたが、おそらく性別は男であると私は思います。なぜなら、植物と獣を兼ねた神は、後の時代には「男性神」として現されるからです。河姆渡文化は母系社会ですので、女性の方が男性よりも社会的地位が高い。生態系の中では植物は一番立場が弱い、ともいえますので、性別としても男性であるのが適当ではないでしょうか。

 猪とは、合成獣である竜を構成する要素の一つです。なので、古い時代の「猪像」というと、私の中では、「後の竜と共通した性格を持つ獣神」という観念が強いです。だから、動物としての猪に「水」という要素は弱いけれども、神としては「水神」としての性質もあったかもしれない、と考えます。

 竜と類似した「合成獣神」に「饕餮(とうてつ)」があります。こちらは牛、羊、虎、イヌワシ等の合成獣と言われています。この「饕餮紋」の特徴は「首のみ」で描かれることです。良渚文化(長江下流域、紀元前3500~2200年頃)で、首のみの神像が登場し、大きな見開いた目、大きな口、ひげなどが特徴で、男性の像です。これは「饕餮紋」の原型と考えられており、良渚文化でも時代が下ると「大きな目と口」のみが強調されるようになります。王権の象徴のようにも使われており、王権に保護者的に関わる性質は竜神とも似ています。

 一方、長江よりも北にある黄河流域の仰韶文化(紀元前5000~2700年)では、「目」や「三日月」、「蛙」を意匠とした彩陶が作られていました。「目」を強調するところは河姆渡・良渚と共通する文化です。この「目」は蛙と組み合わされることがありました。中国の伝承では蛙は月に住む神、とされていますから、蛙は古代から月に関連する動物とされていたと思われます。そして、蛙が「目」と組み合わされている、ということは仰韶における「蛙紋」は、仰韶の「饕餮紋」といえるのではないでしょうか。少なくとも、仰韶文化では、蛙は饕餮を構成する動物の一つだったと思われます。竜神との関連性ははっきりしません。仰韶では紀元前4000年頃の墓から竜(と虎)の意匠が発見されており、後の時代の「四神」の原型と思われます。仰韶文化は母系であって、はっきりとした王権は発生していませんから、蛙饕餮であっても、竜神であっても、一般的な豊穣をもたらす神であって、王権とは関連していなかったと思われます。

 さて、真打ちの「八ヶ岳山麓縄文文化(紀元前5000~4000年)」ですが、

「尖石の土器に「獣面紋」を見るのであれば、井戸尻の人面香炉形土器はどうなのか?」

と言われる気がするわけです。・・・これがまた顔が「2段」になっていて、良渚の「獣面紋」と似た構成の土器なわけです。そして、下段の顔の方が大きく、髪の毛が植物様です。

 しかも、「すごすぎ」と思うことですが、解説に「イザナギ」とか「イザナミ」とか書いてある・・・。毛が木っていったら須佐之男では? って、もうわざと書いてるのでは? 突っ込んで欲しいのでは? と目が点になる。しかも、重要文化財なのか「撮影禁止」って書いてある。しかも、井戸尻って、隣の部屋になぜか良渚の玉器が展示してあって、「目だけ饕餮」が掘ってある。しかも、そこ、宮崎駿監督がちょっと噛んでる富士見町。トトロとかもののけ姫とかに縁のある地域では。って突っ込みしか出てこない、というか、

 土器の解説が吹っ飛んでいすぎるのに、隣の部屋に何の解説もなく本場の饕餮紋がある

という考古館の構成そのものにドン引きするわけで(泣)。八ヶ岳山麓縄文文化は母系社会であり、王権の発生どころか農業もごく未熟な社会ですから、人々が神に何らかの豊穣を願うとすれば、狩猟採集の豊穣が主だったと思われます。「縄文のビーナス」の言葉どおり、すでに生け贄の代わりに女神像を破壊する習慣が発生しており、人面香炉形土器は、

「饕餮とそれを操る北斗星君」の像である

というのが、状況的には似つかわしいと思います。同時期に蛙と目を組み合わせた土器も多数出土していますので、これを

「半人半蛙土器」

と呼ぶようですが、こちらも仰韶と同様

「蛙饕餮」の紋と考えます。だから、八ヶ岳山麓縄文文化で現される「獣面紋」は多くは蛙が意匠に使われ、三日月型の「みずち」の紋も見られますので、仰韶に近い思想があった、と思われます。でも、当時の日本の人々は海岸線沿いに中国沿岸部と交流がありましたので、中国南部では「獣面紋」を「人型」で現す方式がすでに発生し始めており、当時はそれが非常にマイノリティーな思想だったので、「試しに作ってみる」的な感覚で、尖石でわずかに、「人面紋」といえる土器が作られたのかもしれないと思います。

 で、この神がなんという神で、縄文の人々が彼に何を求めたのかということになるわけですが。それはさすがに「地の利」で資料が豊富にありますので。この神のことを長野県人は、今では

ダイダラボッチ(中世ではタフト坊とも呼ばれた。ちなみに饕餮は中国語ではタオティエと呼ぶそうです。)

という巨人神として呼び、その植物としてのトーテムはケヤキであったと考えます。なぜなら、縄文古来の祭祀を残す諏訪大社上社には「贄掛の大欅」という、狩の獲物の豊穣を願って生け贄(獣)を捧げたと言われる木があるからです。馬頭娘で、生け贄の娘は「蚕の母」として桑の木にかけられますから、古代においては木に生け贄の死体をかけて神に捧げた習慣が広くあったのかもしれないと思います。

 そして、木は直接生け贄を食べませんが、木に停まっているカラスや猛禽類は当然その肉を食べたことと思います。カラスやワシは木と一体化して、生け贄を受け取り食べる存在でしたし、食べた肉を更に天上世界の神に届ける存在、とも考えられたかもしれません。蚕の豊穣をもたらす扶桑樹にカラスが停まっているのは、カラスが木の一部であり、木から離れてあちこちを見回る神でもあり、食物などを運ぶ神でもあったからである、と考えます。木は「饕餮」そのものですから、カラスやワシも饕餮の一部となり得るのです。まさに

「豊穣の母」

である妻を生け贄として食らう鳥です。

八ヶ岳山麓縄文文化のうち、山梨側では蛙紋と猪紋が組み合わせてみられるそうです。猪といえば「竜」ですので、中部日本では、

「蛙も竜を合成する動物の一つ」

だった可能性があります。蛙は饕餮の一部でもあり、竜の一部とも考えられたかもしれません。諏訪大社の蛙狩神事では、

諏訪神が諏訪にやってきて悪しき蛙神を倒した

という伝承がありますので、これは中国神話の蚩尤(饕餮)退治に通じる話なのかもしれないと思います。動物としての日本の饕餮(ダイダラボッチ)のトーテムは小さい順に

蛙、(蛇)、兎、雉、鹿、猪

となると思います。諏訪大社の御頭祭ではこれらの動物を生け贄に捧げるはず(現在では剥製ですが)。「耳の避けた鹿」とは、体を失って首だけになった饕餮の象徴かと思います。蛇だけ()でくくってあるのは、水神としての性質から蛇神の性質も含むであろうと、推察したためです。また体に植物が生えていること、竜的な性質であることから、蛙饕餮は

山の神、水の神

といった、自然の状態をトーテムに持っているといえます。山の神は、日本の神話では大山津見神(おおやまつみのかみ)があります。植物が体毛の神は須佐之男といえます。「妻殺し」とう点ではイザナギがある。蛙饕餮は間接的ではありますが、これらの神の原型ともなったかもしれません。もちろん、縄文時代の人々はこの神に狩猟の豊穣を求めたことと思います。まだ王権も養蚕もなく、農業も未熟な時代ですから。

 蛙のダイダラボッチとそれを倒した諏訪神ですか、そうですか。オーディンのユミル退治みたい・・・と思ったあたくしでした-;。