昨日は腹痛と吐き気と7度6分の発熱があって病院へ行ってきました。他の家族は元気なので食あたりではなさそう。どこかでアデノウイルスでももらってきたのかもと思います。解熱鎮痛薬、制吐薬などを処方して頂いて2回飲んで症状は軽快しました。微熱はまだあって、ゼリー状のカロメを食べても少し痛みます。できるだけ横になってポカリをガブガブ飲んでいます。
月別: 2024年9月
24年9月25日
本日は買い物と外作業のみ。私は土の清掃、土の埋め戻し、土掘り、姉は土の清掃、石片付けでした。居間の出入り口の下付近に大きめの石がいくつも埋まっており、しかもその下に金属の板だか、針金の塊みたいなものが埋まっていて。もう錆びてしまって原型をとどめていないので、元がなんたったのか良く分からないのですが、錆のひどさが元の物体の大きさを示しています。やっぱり出入り口の下にはゴミとか石とか色々と念入りに埋めてあるんだなー、と思ったのでした。
昨夜は「バナナサンド」、今日の昼は「ワルイコ」の録画を見ました。
24年9月24日
本日は外作業のみ。私は土の清掃、姉は土の清掃、石片付けでした。少し涼しくなって外作業がやりやすくなりました。
昨夜はCDTV、今日の昼は「News Zero」の録画を見ました。
24年9月23日
本日は買い物と外作業。外作業は午後のみ。私は土の清掃、姉は土の清掃、石片付けでした。
昨夜はWESTの番組、今日の昼は「行列」の録画を見ました。
24年9月21日
本日は買い物のみ。午後は小雨が降ったので外作業はお休みでした。
大宜都比売の整理整頓?もしなければならないのですが、近隣で大宜都比売を祀る神社は駒形岳駒弓神社と皆神神社くらいしか知らないので、皆神神社へ行ってきました。
その前に松代インターの近くで農産物直売のイベントをやっていたので、そこも行ってきました。どうやら信更地区の直売会だった感じで。安いお野菜がたくさんあったので、にんじん、なす、白菜、ぶどう、きゅうりとか100円で売っていたパンの耳とかおやきとかこねつけという郷土料理を買い込みました。おやきのあんこも自家製なのか甘すぎず、こねつけとか。信更地区は信州新町の近くなので、味覚が似てるのか、田舎の素朴な味がなつかしかったです。信更地区といえば、「嫁殺しの池」という、名前からしておどろおどろしい伝説のある池があるのです。で、この池の嫌なところは、私が中学生の頃に、篠ノ井から信州新町の工場に働きに来ていたお母さん達4人が、寄り合って一人の車に乗って通っていたのですが、ある日、その4人が帰ってこない、という事件があって。信州新町から篠ノ井の道中をくまなく探してみたけれども、どこにもいない。最後に「もしかしたら」と思って「嫁殺しの池」をさらってみたら、車が落ちていてでてきた、ということで。事件性はなくて、運転を誤ったのか、ということになりましたが、4人とも「嫁」の立場の人達でしたので、子供ながらにぞっとしたのですが。
だいたいその池って、今では厳重に囲ってありますが、道路の脇にあるとはいえ、ちょっとやそっとのハンドルの動かしそこね?とかそんなことで落ちるような池ではないわけです。なんというか、今だったら、そしてもし「悪魔」というものがいるとすれば、
「自分はまだこれだけのことができるんだぞ。」
ということを示すためだけに、人の心に魔を忍び込ませて事件を起こしたのだろうか。それは標的に対する示威行動でもあるし、それ以外の人達に対する脅しでもあるよねえ? 「同じになりたくなければ言うことを聞け」という? と思う。そして、こういう伝承のヒロインは大抵は「人身御供」の崩れであって、昔は池に豊穣を望んで生け贄を沈めたんだろうなあ、と思います。今ならそんなことしたら衛生的に問題が、というか、それ以前に殺人じゃん、となるわけですが。
で、「仮面のビーナスが両性具有だとすれば、仮面のビーナスがイザナギのモデルで、縄文のビーナスがイザナミのモデルだよねえ?」と言われる気がするわけですが。それはその通りかも、と思います。イザナギは「子供を生む男神」ですから、ただ男性を神のようにしただけでなくて、架空の特殊な性質があると言わざるを得ない。
そして、縄文の土器から「蛙饕餮」の紋がたくさん出てくるのに、現在、伝承的にも「蛙神」のことが八ヶ岳周辺で出てこないのは、やはり諏訪神を擁する人々がやってきて、人身御供に関わるその信仰を禁じてしまったから、だと思うのです。(余談ですが「饕餮紋」とは殷代でも器につける紋だったわけで、その点も縄文の器につけられている蛙紋と性質が共通しているように思います。)
でもさ、良渚の例にあるように、「饕餮」の上位には「北斗星君」がいて、饕餮を操っているわけです。まるでマジンガーZとかガンダムみたいな?? と思う。だったら饕餮だけ信仰を禁止しても、その上の悪役を禁止しないと意味なくない? と思う。私の予想では、縄文の北斗星君はミサクチ様、ひしゃく様のことと思うわけです。ミサクチ様に対する信仰は諏訪に強いので、もちろん東京の石神井神社のようにミサクチ信仰が単独で存在する場合もありますが、諏訪神と組み合わせて各地に伝播している形態も多い。でも、北信までくるとその数はほとんどない、と最近まで思っていたのですが、長野市内でも諏訪系の古社でいくつか見かけて。金刺氏なんて、「自分たちは天神の子孫である」と言うようなお偉いさん意識の強い人たちなので。諏訪神を隠れ蓑のように利用するために北信濃まで持ってきたのは理解できるけれども、土着のいわば「下々」の神のミサクチ様をなんでわざわざ北信まで持ってきたのだろう? と思って。で、ミサクチ様は諏訪では諏訪神の「子神」とされているわけですが、北信で「諏訪神の子神」といえば「彦神別神」であって。で、この「諏訪御子神」と善光寺平のミサクチ様は組み合わせられていることが多い気がして。様は
「諏訪御子神」とはミサクチ神のことである
と感じられるけれども、そうであるような? ないような? という形式で祀ってある気がするのです。様は彦神別神を「ミサクチ様(北斗星君)」に寄せようとしているし、そうすることで、
彦神別神はミサクチ様(北斗星君)で、我が家の先祖
と言おうとしたのかなあ、と思う。ミサクチ様は少彦名命と「同じ神」であるので、先祖の少彦名命を「先祖」の列から外すときに、
少彦名命(北斗星君)はミサクチ様(北斗星君)と「同じ神」で、ミサクチ様は彦神別神と同じモノなんだから、彦神別神は北斗星君で我が家の先祖である、と。そのようにミサクチ信仰を利用したかったので、ミサクチ様を残したし、諏訪氏は蛙饕餮しか廃せなかった、とそうなるのではないでしょうか。