本日は午前中草刈り、草むしり、午後は外作業でした。
須佐之男と聖徳太子が習合したものを祀るのを、「須佐之男型太子信仰」というとします。聖徳太子は木工の神でもある、というのが良くある太子信仰ですので、この場合の須佐之男は「五十猛神」の性質も含んでいます。五十猛神は木工芸の神だからです。で、諏訪神の子神といわれる「彦神別神」が五十猛神のことだとしますと、その親神は須佐之男ということになります。ということは
諏訪神とは須佐之男のことである
となってしまいます。そうだとすると、こんな神話ができそうです。
須佐之男は天界を追放されるか、あるいは派遣されるかして地上にやってきました。最初は悪竜を退治したり、天照大御神に地上の穀物などを献上したりしますが、そのうちに高天原の地上征服の理念を忘れて、国津神に味方するようになりました。そのため、須佐之男は謀反の罪に問われて、殺されるか、あるいは更に追放されるかしました。地上の人々から見れば、良い神がやって来てくれたのに、結局彼は「謀反の罪」で殺されてしまう(場合によっては)悪人だったのです。
このような神話にすると、「地上にやってきて竜退治をするような良い神となった」という部分が須佐之男パートで、「天界のやり方に反対して謀反の罪を問われた」という部分が諏訪神パートになります。2つの別々の神々の神話が一つになってまとまってしまいました。で、これを原本にして、あとは都合の良いように神話を書き換えれば良いのです。例えば、鎌倉時代には「竜退治」のエピソードがあったのに、それが邪魔になったから室町時代には削除してしまうとか。別の例では、須佐之男を最初から「地上の王」にして、3人兄弟の末子という設定にして「苦労して別世界をさまよったけれども、しまいには諏訪の王になった」という話にすり替えてしまうとか。そうやって書き換えているうちに、元々のネタが
須佐之男と諏訪神を習合させるための合成神話だった
ことが分からなくなるまで変形させられてしまうこともあり得ると思います。なぜ、こう書くかというと、長野県の周辺には
「良い人だったけれども、謀反の罪で殺された先祖がいる。」
という話がゴロゴロしているわけで、私はこれを
「八面大王型説話」
と呼んでいるわけですが、奥飛騨の両面宿儺、山梨の神話、上野の多胡羊太夫、そして信濃の八面大王とあるわけです。八面大王の伝説はけっこう新しいものの気がするわけですが、多胡羊太夫なんかはかなり古い伝承です。しかも、両面宿儺と羊太夫は五十猛神の信仰と近接してる。八面大王は安曇野の伝承ですが、彦神別神が五十猛神のことだとすると、近くに信州新町の水内神社があります。要するに、これらの伝承は
須佐之男型諏訪神
の合成神話を民間伝承化させたものであり、五十猛神を名前をちょっとだけ変えて祖神としている人々、すなわち北信濃の金刺氏が作ったものではないのか、ということになります。要は諏訪神を須佐之男化するのに力を尽くしたのが、北信濃の金刺氏で、たいていの北信濃の「諏訪神社」の諏訪神は須佐之男がなりすましているもの、といえるのかもしれません。そして、諏訪の歴史とは、上社諏訪氏の力が弱まる時に、こうやって神話を書き換えようとする歴史であった、ともいえるのかもしれません。
一方、上社の方は、祭神を諏訪神と守屋の神に分けて、そしてともかく古来からの祭祀を、守屋の名前の元にかたくなに守ることこそが最優先である、としてきたように思います。だから、上層部の祭祀は変わるかもしれないけれども、庶民の祭りと神は「ミサクチ様」であり、上の方の神話は自分たちと何か関係がある? という状態で続けられてきたし、神長官家の役割も古い祭祀を続けること、であったように思います。そして現代では茅野の尖石縄文考古館と富士見の井戸尻考古館が、縄文時代の祭祀を伺わせる土器を大量に保有しており、ともかく、古い祭祀と文化をかたくなに守ることこそが、上社に関連する人々の最重要事項である、現代でもそうである、と言わんばかりな気がします。似たように古い祭祀にかたくなにしがみついてきた神社を2つばかり知っている気がするわけで、それは三重の多度大社と愛知の国府宮です。でも私が行ったら、多度大社は馬に過酷であった神事を変えました。国府宮は女人禁制の祭祀を変えました。あらあら、と思います。
というわけで、上社は本殿に須佐之男化した諏訪神を置く一方、真の祭神、というよりも「信仰を守るよりどころ」としての守屋を真のご神体としているように思います。
一方、金刺関連は「末子流譚」といえる甲賀三郎神話を作り上げました。これは単純に応神天皇(八幡神)を諏訪神と習合させる目的であったと思います。で、しまいに善光寺の彦神別神も八幡信仰に置き換えられることになります。となると、八幡神は須佐之男化諏訪神ということで、
八幡神も須佐之男である
ということになります。しかも応神天皇のままだと強力な母神である神宮皇后の威光が避けられませんが、甲賀三郎になると「おっかさんは誰とも分からず」ということになって、「母系の影響」というものを強力に排除できます。だから、甲賀三郎神話とは、そのようなことを目的とした神話である、と言わざるを得ません。善光寺の信仰と連動している匂いがしますので、当然神話の成立には北信濃の金刺氏の影響が感じられるわけです。